新たなる貴族
2016/04/09 改稿OK。
注意!この章は最初に公開した当初と、話の内容がまるで変わってしまっています!
申し訳ありません。よろしくお願いします。
元の鎧姿へと着替え、村の外の幕営に戻ると、代官の私兵の姿が消えていた。
単に交代の時間だったのかと思ったが、いくら待っても監視の姿は見えなかった。
エキオンに確認すると首を横に振る。
つまり、誰も見張ってはいないということ。
方針の転換があったのだろうか。
もしかしたら、スケルトンが何かをやらかした結果かとも想像して、何かあったかとゴキゲンに問えば、ただ首を横に振っただけ。特に異常はなかったようだ。
1体、何だか良く分からない行動を取るスケルトンがいることが心配だったが、それも他のスケルトンが面倒を見たようで、騒ぎも起きていないし、きちんとゴキゲンと一緒に今は見張りゴッコに精を出していた。
ゴッコでも良いから、そんな風にそれらしく見える振る舞いをしてくれているのが一番助かる。
これでやるべきことの第一段階は終了した。
これからどう状況が動いていくのかを慎重に見極めていく必要はあるものの、感触としては悪くなかった。余程のことがない限り、あの男はスケルトンを国内で使えるように取りはかってくれるはずだ。
しばらくは待つことになるかもしれない。
その間にしておくべきことを考えなくては。
もう自分の魔力の変化については確認しなくても大丈夫だと思えた。
ドラゴンの牙の恩恵というのは大したものだと十分に分かった。
消えたドラゴンの牙。
それはこの身に依り代として、刻印となって消えた。
そして増えた魔力。
魔力だけじゃない。肉体そのものが強化されているかのように感じる。
この身にあのドラゴンの性質が宿ったかのように。
衰えを感じることは増えていた。
疎ましかった。
つまらないと思うことが増えた。
自分の正確な年齢は分からない。
それでも既に自分が30代後半、ヘタしたら40でもおかしくないくらいの年齢であろうことは自覚している。
決して若くはない。
だが、まだまだ剣を置く気は持てなかった。
それでも自らの最高が既に遠ざかっていたことを認めない訳にはいかなかった。
何もかもを取り戻すしたような充足感。
これならば戦える。
スケルトンに任せなくとも、自らの身体で戦える。
誰と?
かつての敵の姿が思い浮かぶ。
真っ黒な鎧姿。
フェレータ。
勝てると思えなかった魔人の姿。
鮮やかな蹴撃が舞う。
今ならばその動きが追えそうな気がした。
そう思った時、フェレータのフェイスガードが落ちる。
中にあるのは生身の人間の顔ではない。
不吉な骸骨。
それはフェレータではない別の敵。
かつて敵対した骸骨の剣士。
纏う鎧からは真っ黒なオーラが身を覆うように溢れだす。
アーレス。
俺は勝てるだろうか?
溢れだした黒い霧はそのまま剣士の姿を隠してしまう。
霧が蠢く。
新たな形をなす。
それはひとりの老婆へと。
ひどく曲がった背。
ほとんど髑髏と変わらないような骨と皮だけの相貌。
ボロボロのローブはまるで浮浪者のようだ。
その口元が釣り上がった。
粘着くようないやらしい笑い声。
聞く者を不快させる耳障りな声。
これは俺の想像だ。
そう思いながらも、寒気があった。
そんな俺の様子に気付いたのか、いつの間にか鎧姿が目前にあった。
それは役に立たないと断ずるのに、いささかの躊躇も覚えないスケルトン。
どうしたのか?
そう聞くように首を傾げていた。
「なんでもない。戻れ」
今度は命令を素直に聞いて、またゴキゲンのところへと戻っていく。
考えるべきことは多い。
味方を増やしてドラゴンを倒し、フェレータすらも打ち倒す。
それでハッピーエンドが待っているなんて、そんな風に世界は甘くできていない。
ドラゴンを倒して話が終わるのは絵物語の中だけだ。
生きている限り、話は続く。
話が続けば新たな敵も現れる。
新たな敵にも備えなければならない。
過去の因縁、それがただのひとつならばどんなに楽か。
人に関われば、因縁は増える。
それでも俺は人に関わって生きていたい。
生きる。
そのために、出来ることをしなくてはならない。
両の手を握りしめた。
ずっと戦ってきたのだ。
新たな力も得た。
これからだって戦える。
傍らのエキオンが俺へと頭を向けていた。
「安心しろ、エキオン。敵はドラゴンとフェレータだけじゃない。お前の望む舞台はこれからも増える」
「そうか。それは楽しみだな。そう思えばこの退屈な日々もなんとかしのげそうだ」
「お前にとっては退屈でも、俺にとっては大事に日々だ。くれぐれも余計なことをして壊さないでくれよ」
「勿論だ」
そう返すエキオンの言葉には、笑うような響きがあった。
まったく。
本当に分かっているんだかいないんだか。
確かに退屈とも言える、平穏な日々はこの後もしばらくは続いた。
その間にも、ドラゴンが迫り来る危険は増えているのかもしれない。
それでも、俺は焦れずにこの村で待った。
俺が動かずとも、周りが動く瞬間を。
ただ待った。
「これまでにどこかに士官しようと思ったことは?」
翌日からダニエルは暇を見ては、俺を食事に誘った。
どうやら代官という肩書きは伊達ではなく、きちんとやるべきことはやっているようで、この男は意外に忙しい。
やりたいことがある。そのためには力がいる。
実績を示し、周囲を納得させなくてはならない。
それは一朝一夕に実を結ぶようなものばかりではない。
地道に見えるようでも、事実を重ねる必要がある。
それが分かっているようだった。
家の力のみを頼りにするだけの男ではないらしい。
会って話をしていれば、見方も変わる。
あの最初の出会いはなんだったのか?そう言わんばかりに、最近は旧来の友人のような親しみが確かにこの男から感じられた。
だだ、この男は貴族だ。
政治に生きる男だ。
そのまま信頼すれば、何に利用されるか分かったものではない。
警戒を消さずに、それでも俺は交流を深めていく。
「そうですね……これまでずっと戦地ばかりを移動して参りました。私ももう若くはない。どこか落ち着ける土地があれば良いと思っておりましたが、私の率いる兵士の居場所はなかなか戦場以外にはないようで」
なかった訳ではない。
誘われたことも幾度かある。
だが結局はうまくいかなかった。
うまくいかなかった?
違うな。
自ら壊してまわったようなものかもしれない。
「勿論、望まれたことはありました。しかし、それは私の望みとは形が違った。いや、ただ私が若かったのだと今ならば言えましょう。若い時分には自らの手で築けるものがあるはずだと信じておりました。誰の力も借りず、自分の手だけで築き上げる。それこそが本物なのだと頑になっておりました。結果は老兵として自らの代わりに骸に剣を振るわせている、ご覧の有り様です」
俺の言葉にダニエルは笑う。
快さすら覚えるような、そんな笑いだ。
「老兵とは気が早い。君よりも年若い私が言うのは何だが、この国の将軍から見れば、君はまだまだ若造だろう」
将軍。
名前くらいは既に確認している。
どうやらナーとなにかしらの縁がありそうだったので、それとなく聞いていた。
老将ワグナー。
この国の成立になくてはならなかったと言われる名将。
大戦終わり頃に参戦した俺よりも、遥かに先に大戦を戦い、生き抜いた大英雄。
そんな人間と比べれば、俺なんて確かに若造でしかないだろう。
ダニエルが笑みを消した。
「こうして話を聞いていると、君がいかに優秀なのかが分かる。大戦を生き抜いたことで、戦術どころか戦略にも知見がある。……実は、少し君のことを調べさせてもらった。少し情報が古かったが、それでも君の経歴はただの傭兵とは一線を画している。なぜ、君のことを傭兵のままに、こんなにも多くの国が放置していたのかが私には分からない」
どうやらやっと俺についての情報が集まってきたようだ。
ドラゴンに触れないところからすると、東に来る前、西での頃の情報だろう。そのあたりはあまりにも悪名が高いので、西の出身者がいれば、すぐに知れることだ。
「ただ、出来ることをしていただけです。剣技は並よりは多少上だという自覚がありますが、ナーのような強力な魔法も使えない。スケルトンを操って戦うなら、どうしたって戦術は必要になる。少し教えてくれる者がおりましたので、そのおかげでしょう」
思い出すのは斧を担いだ髭面のオヤジだ。
一国の将であったにも関わらず、国を捨て、俺と共に西方を転戦した。
効果的に、効率良く。
戦争は削り合い。
ただの一合、一度の会戦では勝負は決まらない。
損耗をどう抑えるか。
いかに自軍を守り、敵軍を削るか。
大した得がある訳でもないのに、その術を俺に教え、実際に戦った。
勘の良い男だった。
そう言えば、ただの経験だと笑う。
豪放な笑い声が懐かしかった。
「出会いというのも実力さ。何もない人間に惹かれる人間はいない。時に装ってでも、自分には何かあると思わせなくてはならないと私は思う。……例えば、君が私と出会った時にそうしたように。君は自分がどういう風に見られているのか、いつも客観的だ。だからこそ、ただの雑談でも機転が利き、相手がどんな答えを聞きたがっているのかを予測してから意見を述べている。……いや、謙遜はいい。私は君をこう評価している。本人がどう思っているのかが、評価にとって大事なこともあるが、今、話したいのは私自身が君をどう思っているかだ。私はね、カドモス」
言葉を切り、一瞬迷うように視線を俺から外した。
それは果たして演技なのか、それとも本当に迷っているのか?
正直、どちらなのか分からない。
分かるのは、何か大事なこと、大きなことを言おうとしているということだけだ。
「君ならばこの国の将軍にだってなれると思う。いや、君が望むのならば貴族だってなれる。そして、私は君の願いを叶えても良いと思っている」
一瞬、言葉の意味を測りかねた。
将軍?
貴族?
一介の村の代官に、そんな権限があると言いたいのか?
それほどまでに、この男の属する家というのは強大なのか?
「そんなまさか……」
「いいや。なれるとも。人の上に立つべきは、人よりも優れた者ではならないと私は考えている。今の私がどうなのか?とは、聞かないでくれよ。少なくとも、私はそうであるべきだと考え、努力し、その理想に向かって進んでいる。君はそんな私よりも、余程完成されている。これでも人を見る目は確かな方だ。君は、スケルトンなどという力がなくても、人を引きつけ、そして輝くことができる」
「……軍のことならば多少は想像ができましょう。それでもいきなりただの傭兵が将軍になる未来などというのは……とても想像出来ません。貴族というのはもっと有り得ないことでしょう。血統によって維持され、発展してきたからこそ、誰もが認め、今の姿となっているのですから」
貴族とは歴史だ。
歴史のない人間になれるものではないはずだ。
「いいや。なれる。私と君が、手を携えたなら、その未来は必ず現実になる。夢を見て欲しい、カドモス。例えば私の家に出入りしている者で、最近、準貴族となった商人がいる。準貴族というのはただの段階だ。他の家の貴族と縁を持てば、次は貴族になれる。本当は誰もが貴族になれるのだ。諦め、その現実を知ろうとしないだけで、夢を見て、それを現実の延長戦だと捉え、そうして進めば未来は変わる。君はただ他人に使われる男ではない」
一瞬、本当に目の前の男が誰なのか分からなくなった。
スタンピードから逃げ出さずに、出会った瞬間から今のように泰然として振る舞われたら、俺は真実信じたかもしれない。
目の前で情熱を迸らせる、若き貴族を。
「私の言っている意味が分かるか?つまり、私にすら使われる男ではないと言っているのだ。貴族は夢を見なくてはならない。そうでなければ、貴族こそが領地を、国を衰退させる諸悪の根源となってしまう。大戦はどうして起こった?人はなぜ歴史に学ばない?大戦によって世界は変わってしまった。世界はバラバラなままだ。なにひとつとして統一された意志はなく、今でも他者を、他国を恐れている。奴隷制が廃止された国があると聞けば、自国の奴隷が騒ぎ出すかもしれないからと、そんな理由で他国を攻める。愚かなことだ。世界は変わったのだ。豊かだった者が貧者になり、踏みにじられた者が覇者となる、もうそんな世界になっているのだ。いくつの国が興り、そして滅んだ?貴族だからと富を得て、守られる時代は終わった。私はね、今の貴族院を打倒したいのだ。旧来の貴族を廃し、新たな貴族をこそ望んでいる」
ついに、この男は自らの望みを口にした。
まだ出会ってから幾日も経っていない、流れの傭兵に。
その事実が、俺にはあまりにも衝撃的で、実際にどう答えるのが良いのかどころか、自分が何を言われているのかすら分からなくなりかけていた。
「私は誤解なく君を知りたいと思う。それに私を誤解なく知って欲しい。カドモス、君には望みはないか?私にはある。大きな望みが」
なぜ、誰も彼もがこうも俺に望みを聞くのだろうか?
エキオンが、ナーが、ダニエルが、俺はいったい何を望むのかと。
金、名誉、女。
そんな分かりやすい欲に溺れられたなら、どれだけ楽か。
金だけを望むのなら、俺はとっくにスケルトンを売りさばく、奴隷商にでもなっていたはずだ。
望まれるままに造り、売れば良かった。
自分が戦場に立つ必要はない。
そうだ。
俺は戦う必要なんてなかったんだ。
何もかもをスケルトンにさせれば良かった。
それだけで、俺は何もかもを掴めた。
金も、名誉も、女も、容易に掴めたはずだ。
なのに、俺は求めている。
死体を連れ歩きながらも、ずっと求めていた。
穏やかな日常を。
影に怯えない日々を。
それなのに戦うのは、それが一番落ち着くからだ。
戦っていれば、忘れられた。
俺を蝕む影の存在を。
この影を消せない限り、俺はきっと何をしていても、やがて戦いたくなる。
なぜか?
逃げたからだ。
戦わずに逃げた。
いつかきっと逃げた影と戦うことになる。
それが分かっている。
だから、平穏を望みならがも戦い続ける。
責務のように、強迫観念すら持って。
傍らのエキオンを見た。
ずっと俺の命じるままに、微動だにせず立っている。
もう十分なのではないか?
俺はもうあの何も手にしていない子どもではない。
力がある。
この手に。
そう思ってみれば、鮮やかな刻印が右手にある。
今こそ望む時かもしれない。
そう考えれば、あのドラゴンを、フェレータを倒すというのはちょうど良いのかもしれない。
どこかで俺には自信がない。
ドス黒いオーラに身を包むスケルトンには勝てないのではないかと。
あのクソババアに恐れを抱き、目を逸らしていた。
もう十分だろう。
俺には望みがあるはずだ。
恐れ、叶わないと諦めていただけで。
「実は、ひとつだけ望みがあります」
ついに俺は口にした。
本当の望みを。
出会っていくらも時が経っていない、この男に。
いや、相手は誰でも良かったのかもしれない。
ただ、自分の口から出すことで、それを決意としたかっただけだ。
ダニエルは急かさずに、じっと俺の目を見て待った。
自分の喉が鳴る。
口にするだけで、これほどの緊張があるのか。
それでも気持ちに揺らぎはない。
「私は逃げ出した。その過去を消したい。戦い、打ち負かしたい相手がいます。逃げ続けたことで、今ではどこにいるのかも分からない相手ですが、いつか見つけ出し、この手で殺し、安心して眠りにつきたいと願い続けてきました」
これはきっとダニエルの望む答えではないだろう。
なにしろこれは復讐なのだから。
だが、ダニエルの真実、俺を知りたいという言葉には答えている。
これ以上ないほどに。
安住の地と言えば簡単だが、今の俺にとっての安住の地とは、あのクソババアを殺した後にしか、存在し得ない幻。
幻を現実にする方法はただひとつしかない。
千年王国ですら滅んだ事実を知っていても、それでも俺は幻をこの手に掴む。
「私の戦場での呼ばれ名は、ビフロンスですが、これは私の本来のものではなかった。ビフロンスの再来、そう呼ばれている内に、ビフロンスと呼ばれるようになっただけで、ビフロンスは別にいます。どうか探していただけないでしょうか?ビフロンスと呼ばれ、強力なスケルトン、デスナイトを連れたネクロマンサーを」
これこそが望みだ。
不安を晴らす、ただひとつの方法だ。
強力な私兵が欲しくはないか?
大物の魔物すらも退けられるほどの力は欲しくないか?
それが俺がこの代官に提案するはずだったものだ。
だが、実際に強力な私兵が欲しいのは俺自身に他ならない。
そのためには、なんだってしたいのは、この俺だ。
ダニエルは望みを言った俺を、穏やかに微笑み、見ていた。
優しげで、どこか嬉しそうに。
もう、望みは言った。
これを演技だ、真実だ、などとは考えまい。
望みが叶ったら、この男のどんな大それた願いでも、俺は確かに叶えてやろう。
「私のことはダニエルと呼んでくれ、カドモス。私は君と友人になりたいと思っている。私と君が、新しい世界を創るのだ、良いね」
ダニエルが笑顔で立ち上がり、手を差し出した。
ありがとうございます、と返すと、首を振られた。
望みは友であること、それならば。
「ありがとう、ダニエル」
差し出された手は右手だった。
俺の右手には刻印がある。
なるべくならば、誰にも見せたくはない印。
だが、俺は右手を差し出した。
ダニエルは気付いたか。
しかし、何も言わない。
強く、お互いの手を握った。
「友が困っているのなら、助けるべきだ。君が助けを求めるなら、私は必ず応じると約束しよう」
この約束が何をもたらすのかは、今はまだ分からない。
それでも何かが変わると思えた。
戦え。
やっと真実の願いを口にしたのだ。
戦え。
戦え。
ドラゴン。フェレータ。ビフロンス。そしてアーレス。
乗り越えるべき敵は多い。
戦え。
「近々、本都に向かうのだが、そこに君も同行して欲しい」
ウムラウトの本都、トレマ。
支配階級たる貴族院が治める、この国の中枢たる都市。
「私は君に望みを言い、君の望みを私は聞いた。ならばこれからはお互いに力を尽くす時だ。それでも、まだまだ君と私とで知るべきことは多いだろう。聞きたいことがあれば聞いてくれ。私も言いたいことは言おう。率直に、素直であろう」
聞きたいこと、気になっていることはある。
それはやはりこの男を知った最初の時のことだ。
この男はスタンピードが迫っていることを知り、逃げた。
俺にはどうしてもそれが引っかかる。
「……聞きにくいことなんだが」
「良いさ。むしろ、そういうことから先に聞くと良い」
「この村にスタンピードが迫った時、ダニエルは逃げた。俺にはどうしてもそれに思うところがある。代官とはいえ、この村の民はダニエルの民だ。それを置いて逃げたと聞いて、俺はこう思った。政治家であっても、統治者ではないのだろう、と」
俺の言葉に、ダニエルは苦い顔をした。
俺に対する言動というのは、まあ良いだろう。あの時は確かに山賊だと言われても無理ないような風貌をしていた。
しかし、民を置いて逃げるというのは違う。
何を置いても、自らの命を守る、その理屈はなんなのだ?
これに適当でしかない答えが返ってくるようなら、結局、俺のことも置いて逃げてもおかしくない。
「耳が痛いね……いや、君の言う通りだ。私は逃げた。信念がある。きっと私こそがこの国を良くする。そう言い訳して、私は逃げたのだ」
ダニエルは俺の言を肯定した。
その表情と言葉に、俺はまるで鏡を見ているような気分になった。
……俺もグリパンのことを置いて逃げている。
一緒に戦っても、共倒れするだけだ。
それが事実であっても、行いだけ見れば、ただ逃げただけ。
「言い訳ついでだ。これから言うことはすべてただの言い訳だ。私の命は私だけのものではない。私の周りには、私を守ることを使命とする者が常にいる。それは決して私だけの意志ではない。今、私の死を一番望んでいないのは父だ。残念なことに、私は父のその意志を無視出来るほどには自由ではない」
父親。
その存在を口にする時、ダニエルには少しばかりの緊張が見えた気がした。
そのたったひと言だけで、この男が自分に近しく見えた。
ダニエルもそう思ったのか、僅かに笑った。
逃げましょう。そう言われて、拒絶しても、力ずくでもそれを望む者が身近にいる。そうした時に、それを自らの意志で撥ね除けられるほどの力がダニエルにはない。
だから望んでいる。
力を。
スケルトンのような、嫌悪の対象になりやすい存在に手を出しても。
そういうことか。
ただいたずらに力を望んでいるような、そんな子どものような動機ではないというのは、俺を安心させた。
「君の望みは正直、私が望むものとは少し違っていた。何度も言うが、私は人に夢を見て欲しい。過去に縛られるのは愚かなことだ。だが、君は過去に縛られ、それで夢など見れないと思っているのだろう。理性としてはそれを愚かだと思っているが、私も私を縛る者からは決して自由ではない。私も愚かということだ」
「……事情は分かった。すまなかった」
誰にだって因縁はある。
しがらみもある。
望むように生き、望むままには動けない。
そういうことだ。
「いや、良い。他には何かないか?せっかくの機会だ。護衛も従者も外させている今ならば何だって話せる。聞いているのは私と、君と、君のスケルトンだけだ。本都に行けば、こういう機会はずっと少なくなる」
その内、お目付役が到着するぞ。
そうダニエルは笑って言った。
そんな役目の男が、あの逃げた時にもいたらしい。
スタンピードが無事に対処出来たことを聞いて、そのまま本都の父親のところに戻っていったが、近い内にその男が村へと戻ってきて、一緒にまた本都に向かうそうだ。
ならばと、俺は打ち明けることにした。
エキオンのことではない。
あのドラゴンのことだ。
そろそろどこからか情報が入ってくる頃のはず。
ならば、話しておいた方が良いだろう。
俺の口から聞いておいた方が後々面倒がはぶけるはずだ。
「実は、ひとつ、絶対に信じてはもらえないと思って、言っていないことがある」
「なんだね?死体が動く以上に信じられないことなんてあるのかな?」
「ある。なにしろソイツは今では絵物語、夢物語にしか現れないのだから」
「ほう。それは面白そうだ」
笑ったまま言うので、俺は強い調子で、殊更真面目な顔をしてダニエルに告げた。
「聞けばひとつも面白いなんて言っていられなくなる。なにしろ既に隣国が滅んでいてもおかしくないんだから」
俺は告げる。
ドラゴンのことを。
災厄がすぐ側まで来ていることを。
ダニエルは最初はまさか、と言い続けた。
有り得ないと。
それでも俺は語って聞かせた。
見てきたものを。
この身で体験してきたことを。
話しながらも思った。
さて、これから起こることはいったい何だろうか。
俺はこれから力を見せていかなくてはならない。
ダニエルに。
ナーに。
ダニエルの父親に。
将軍に。
貴族たちに。
そして、民衆に。
見せれば、どんな結果が待っている?
老婆の姿が脳裏をよぎる。
混乱を。
もっと多くの死体を。
チャンスだ。
大きな力を得るチャンスだ。
ドラゴンすらも打ち倒し、フェレータさえも殺し得る、そんな力を。
スパルトイを量産できれば、世界すらもつかめるぞ?
息を吐いた。
現実に対している相手を見る。
「良いか。未来を描くには、まずはあのドラゴンをどうにかしなくちゃならない。まだ信じられないという気持ちの方が大きいだろう。それでも良い。それならもしも、今の世にドラゴンが現れたらどうするか?それを真剣に考えて欲しい」
俺自身がドラゴンに、フェレータになる気は無い。
世界を壊して回る、そんな悪役を演じたい訳じゃない。
いつだって物語の最後は決まっている。
俺は英雄に打倒される悪者になりたい訳じゃない。
ただ、俺は日の当たる場所にいたいんだ。
「分かった。情報を集めよう。それに、今のウムラウトの軍備で何ができるかも考えよう。だが、私はそこまで軍のことには詳しくない。本都に入り次第、すぐに動けるように手配する」
「よろしく頼む」
これで俺の手のうちだけで考えなくてはならないことが軽減された。
ただ、ダニエルだけを頼みにして、それでダニエルに失敗されても困ったことになる。
だから、保険をかけることにする。
俺はダニエルはきっと打ち明けないであろう相手にも、今から打ち明けておくことにした。
邸を出、幕営へと向かいながら、エキオンが小声で聞いてきた。
「追われてるってことは言わないんだな?」
「確証がある訳じゃない。ただの心証さ」
俺はドラゴンが俺を追ってこの国に来るかもしれないとは言わなかった。それにドラゴンの傍らにフェレータの姿があることも。
ただ、ドラゴンがすぐ側にいて、もしもあの大森林の魔物を餌にすれば、そのままこちらに下りてくることは、可能性として決して低くないと言っただけだ。
「どうせドラゴンは話さない。それに逃げた街でもフェレータが俺の名前を叫んで探すなんてこともしなかったしな。ドラゴンも、フェレータも何も言わなければ、分かることじゃない」
ドラゴンはともかく、フェレータにはこちらの言葉が分かっている雰囲気があった。なのに、アイツはひと言として話さなかった。ならばこの考えは間違いじゃないだろう。
フェレータの存在を隠す、そんなつもりではなかったのだが、俺はやはりまだダニエルのことを疑っているのだろう。ドラゴンの側にフェレータがいる。その事実を信じてもらえるとはどうしても思えなかった。だからフェレータについては伏せた。
「俺が災厄の種をまいて歩いています、なんて言えば、じゃあお前が出て行けよ、で済んでしまう話になる」
お前はそっちの方が良いのか?
そう聞くと、エキオンは首を横に振った。
「私も暇なのは嫌いだが、好き好んで自身を損耗させたい訳じゃない。兵力はあればあるほど良いのは当然だ」
スケルトンの好き嫌い。
考えるだけでもおかしい。
そんなものがあるのかと、今更のように思った。
不意にエキオンは空を見上げた。
「しかし、悠長なことだな」
その言葉に俺も空を見上げた。
空には猛禽の類だろうか。
旋回する鳥の姿があった。
まじまじと観察する。
そのシルエットは間違いなくただの鳥だ。
「今、襲われたら死ぬ、か?」
「そうだ。マスターならば、もっと劇的に行動して、結果を出せるんじゃないか?と思わないこともない」
確かにエキオンの言うとおりだ。
今、まさにドラゴンが現れても不思議はない。
どこかあの現実を、実際にあったすべてをどこか遠くに感じている自分がいる。
遠い昔の大戦での出来事の方が近くに感じている。
なぜそう感じるのか。
それはこの長閑な村の様子のせいだろうか?
俺も、エキオンも同時に口を閉ざした。
村人がひとり、こちらへと向かって歩いてくる。
すれ違う村人はどこか怯えるように、俺とエキオンに道を譲った。
エキオンがそのヘルムを外せば、きっと怯えでは済まないだろう。
ちょっとエキオンを暴れさせれば、この村は恐怖の坩堝と化す。
騒ぎによって、人の動きは乱れ、そこを連携したスケルトンの部隊が襲う。
死体の山を得れば、ヒュージスケルトンを造れば良い。
この村の住人をすべて殺しきれば、3体くらいは造れるかもしれない。
今の魔力の総量ならば、それくらいは出来るだろう。
ナーでは俺は殺せない。
あの魔法は脅威だったが、村のように入り組んでいる場所では効果は薄くなる。
村人を盾にも出来る。
そうして終わったなら、その虐殺はドラゴンのせいにすれば良い。
劇的な方法、それを考えるならばそんなところだろうか。
昔、砦をひとりで落とした時よりも簡単にそれは出来る。
出来るからと言って、それをやる気はやはり無かった。
こんなやり口を簡単に思いつけるのは、俺自身の考えのせいじゃない。
あのクソババアの思い出話のせいだ。
こんな話ばっかりだった。
聞きたくもないのに、聞かせられ続けたのは。
「劇的な方法は、実際にドラゴンが現れてからでも出来る。そこまで差し迫ってはいない」
周囲に人がいないことを、エキオンが示したので、話の結論を告げる。
そこで、ふと思った。ああ、きっとそうなんだろうと、納得がいってしまった。
「前にも同じようなことを言った覚えがあるが、お前にとっては退屈でも、俺にとっては必要なことだ。なんならこう命令した方が良いのか?耐えろ、って」
「いや、それには及ばない。私にも分かっている。ただ、マスターには死んで欲しくないって思っているだけさ」
それは俺を思っての言葉か、それともエキオン自身を思っての言葉か。
俺が死ねば、エキオンは滅びる。
それ故か?
一瞬、言葉にしかけた。
結局は聞かなかった。
ただ、なんとなく右手の甲を左手で触り、そっと手を離した。
ダニエルが忙しい頃合いを選んで、俺はナーを捕まえた。
自ら見回りに出ようとしていたので、他の者に代わらせて、俺の幕営へと招いた。
「悪いな」
「ちょうど良くはあった。スタンピードへの警戒態勢は、今回の見回りをもって終息したと結論付けることにした」
後に続く大物は来ない。ナーはその判断をしたようだ。
実際の原因を知っている俺は、その判断を否定せず、特段肯定もしなかった。
「そうか。何で起こったのかが分からないのは気持ち悪いが、だからといって現状ではこれ以上調べようもないしな」
手がかりはない。
それは起こった時点で既にエキオンが気を配っていたので、残してきてはいないらしい。
まあ、まずこのまま分からずじまいになるだろう。
どう足掻いても、これ以上は時間の無駄だ。
そんな俺の考えていることを覗き込むように、ナーが俺の目をじっと見ていた。
……まさか、何か掴んでいるのか?
内心で焦りが生まれた。
しかし、ちょっと見つめられたくらいで、変に言い訳めいて何かを言うのは、逆に怪しいだろう。
何を言うべきか?
まるで子どもが異性を意識しているようだ。
そんな馬鹿なことを考え始めていると、ナーが口を開いた。
「実は、他にも言っておくべきことがある。いや、これは貴君には関係のないことで、言わなくても良いことなのだが」
そう前置きして告げたのは、なんてことはない。
ナーも本都に行くという、ただの異動のことだった。
「何か本都であったのか?」
「答えかねる。ただ、任務上、必要になった。それだけだろう」
本都への招集。
それを告げるナーの相変わらずの仏頂面からは、何の感情も、情報も感じ取れない。代わりの指揮官は、度々目にしていたあのナーの副官らしき男になるという。
ナー自身は口にしなかったが、スタンピードのことは結局はどこにも報告されていないようだった。
だから、その件での異動ではないだろう。
別の理由。
いや、このタイミングでの異動など、ひとつの連想しかない。
ダニエルにせよ、ナーにせよ、ここまでタイミングが重なるのは、何かが起きたからだ。
例えば、隣国が滅ぶような、そんな事態が。
今の口ぶりでは、ナーはまだ理由を知らないようだった。
ならば、話すには今のタイミングしかない。
いずれまた、本都で会うこともあるだろう。
しかし、その時ではもう遅い。
「実は、だ。俺はナーがなぜ本都に呼ばれたのか、その理由が分かる。いや、ダニエルも近く本都に行くという。こうもタイミングが重なるなら、おそらく同じ事態によって、いや、この国が今、危機に瀕しているからだ」
ナーの異動、それはアキュートの現状の情報が入り、大幅な配置換えを行ったのだ。
ドラゴンの襲来、それに対応するために。
疑問もないではない。
ハーチェク大森林があるからとはいえ、随分と遅い情報だった。
意図的に遅らされたのか、それとも本当に遅かったのか。
ナーは俺の長い話を黙って聞いた。
最初のドラゴンという単語を告げた時には口を開きかけたが、最後まで聞き、そこに矛盾がないかを確認してからにしようと思ったのかもしれない。
最後まで聞いた時には、スケルトンのことを知った時よりも長い沈黙があった。
「今の話は覚えておいてくれるだけで良い。今、あれこれ質問するよりも、どうせ俺も本都に行く。その時にはもっと情報も出揃っているはずだ。だから、その時に聞いてくれ。今の話はどうあっても俺の主観だが、もしも、本都でドラゴンの話が出ていないなら、すぐにアキュートについて調べろ」
じゃなければ、ウムラウトは滅ぶ。
そうまでは言わずとも、ナーには分かるはずだ。
ナーはダニエルのように、余計な疑問を挟むこともなく、笑うこともなく、眉根に皺を作ったまま、村へと戻っていった。
時間としても、ちょうど見回りに行った兵士が戻ってくる頃合いで、ちょうど良かった。
ドラゴンと戦って生き残った男。
しかも、ドラゴンに抵抗出来る力、魔法を使える。
これで、簡単に俺がこの国から放り出されることは無くなったと思う。
逆に俺がこの国から簡単に逃げ出すことはできなくなったとも言えた。
それでも、これで良い、そう思えた。
エキオンは、既に自分の言いたいことは言ったとでも言うように、ナーとの会談については何も言ってはこなかった。
夜が更けていき、長いようで短かったウムラウトの最初の村での日々が終わりに近づいている。
そんなことを思う夜だった。
曇天。
月はなく、星もない。
村のいくつかの灯りを除けば闇が世界を覆い尽くしていた。
吸い込まれそうな。
飲み込まれそうな。
そんな闇。
ナーがスタンピードの終息を告げても、俺は幕営で夜を過ごしていた。
ダニエルは屋敷の客間を使ってくれても構わないと言っていたのだが、俺はこの夜はここで過ごすことを決めていた。
確認したかったのかもしれない。
ドラゴンも、フェレータも、アーレスも、あの老婆も、何も現れないことを。
上手くいった、そう思うからこそ恐ろしいのかもしれない。
また、あんなことが起こるかもしれないと。
最初にエキオンが気づいた。
剣に手を掛け、不意に一方へと頭を向ける。
「どうした?」
「……分からない。ただ、何か変だ。急に気配がした」
続いてゴキゲンが、ドジっ子が同じ方を見た。
「さっきまではなかった」
不意に空を見た。
そこには何の影も見えない。
深い黒があるばかり。
ドラゴンが降ってきたら、地揺れが起こるだろう。
ドラゴンじゃない。
ドラゴンじゃなければ、その背からフェレータだけが降ってきた?
そんな連想があった。
だが、空には何もない。
空から何かが突如として落ちてきた、そんな訳ではない。
俺自身も剣に手を掛けた。
スケルトンたちも警戒の色を強める。
そうして、深い闇から人影が現れる。
シルエットは人。
それも女のそれだった。
歩き、近づき、その度にシルエットがはっきりしていく。
俺は剣から手を離した。
知っている女だった。
「フェネクス」
「久しぶりね。少年」
艶然とした晴れやかな笑み。
それは、嫌な記憶しかない笑みだった。
ヤバかった……。この章、まるまる修正しました。全然、展開が変わることをダニエルが言い出して、流れでカドモスまでも。
ただ、ずっとこの章からの流れがどうも好きになれなかったんですよね。
ずっと隠し事と推論ばかり。だからこそ、この流れで良かったはず。




