大戦知らず
2016/04/06 改稿。
「骨……?」
声を発したのは誰だったか。か細い呟きだった。
エキオンはヘルムだけでなく、手甲も外す。
決して頭蓋骨を頭にかぶっている訳では無いことを示すように。
その手もやはり茜色の骨身であり、人間らしい血肉の通ったものなどではない。
「ひ……」
ひとりの兵士が短い悲鳴を上げた。
エキオンの指が滑らかに動く、その異様さに耐えられないと言うように。
「どうです?まだ私をただの傭兵だと思われますか?」
俺が声を上げても、ダニエルは反応しない。
ただエキオンを見ていた。
その顔を。
その眼窩を。
見入られたように。
吸い込まれるように。
硬質な金属音が部屋の中に響く。
ひとりの兵士が剣を抜いていた。
「せ……聖痕の加護を!」
どれだけ錯乱しているのか、剣を振りかざし、エキオンへと駆け出す。
狭い部屋の中だ。
いくらも待たずにエキオンへと間合いに入る。
その直前。
「ぐ」
ナーが割って入って兵士の剣を止めていた。
その手に武器などないのに。
その腕を掴み、そのまま押し倒す。
「がぁあ!」
倒れた兵士が悲鳴を上げた。
鎧を着ているので、打撃ではそうそうそんな悲鳴など上げないだろう。
僅かに閃光が走るのが見えた。
どうやら魔法を使ったようだ。
手加減はされているだろうが、剣を抜いた兵士はぐったりとしたまま起き上がれない。ナーは兵士が取り落とした剣を拾って、ダニエルを見た。
「ノヴァク卿……どうか、お待ちを」
ナーは一瞬、言葉に詰まりつつも、ここでの一番の権力者であるダニエルに呼びかけた。
ナーはエキオンのことを知らなかった。スケルトンのことを知らなかった。にも関わらず、いきなり目前に現れた骨身の怪物に、魔法を放つ事を選ばなかった。
骨身を晒すと決めた時、俺は覚悟していた。
最悪、この場にいる全員を殴り倒してでも話を聞かせようと。
実際に、今の動きで我に返ったように他の兵士も剣を抜いていた。
制止の呼びかけ自体よりも、ナーが剣を手にしたことによって、すぐには襲いかかっては来なかった。
少なくともひとりは殴り倒さなくても良くなったということだろうか?
そう思っていると、ナーは手にした剣を俺へと向けた。
「抵抗はしないでくれると助かる」
「それは俺をどうするかにもよる。死んでくれ、などと言われたら、今度は勿論手加減はしない」
ナーの目をまっすぐに見て言う。
ナーの目が、迷うように一瞬、揺れた。
その反応も初めて見るな。
スタンピードを知らせるために訪れた時には手加減をした。
ナーは俺の太刀筋を見ている。
それに他の俺の兵士、スケルトンの実力を。
ナーは言った。俺の兵とは戦いたくないと。
手加減しない俺と、戦う気があるのか?
「もう一度、要求を言っておこう。俺はこの国には伝手がない。だから、伝手が欲しい。俺は傭兵だ。盗賊でもないし、暗殺者でもない。何も代官を殺しにきた訳じゃない。コイツはこんな身体だ。もしも、そんな気があれば、いくらでも武器を隠し持って来れたし、正体を晒す前に襲いかかった。良いか、俺も、コイツも、何もしていない。ただ、隠していた正体を見せただけだ。それだけで襲われる謂れはないと、俺は思うんだがな」
俺にも、エキオンにも武器はない。
手でも上げて、敵意がないことを示しても良いと思ったが、ナーが、ダニエルが、俺をどうするつもりなのかをまだ聞いていない。
それを考えれば、下手に出ることもないだろうと考え直した。なにしろ今、この場には何もやましいものは持ち込んでいないのだから。
「力を発揮出来る場所が欲しい。それも日の当たる場所でだ。この国でコイツ、スケルトンの兵士がどういう存在になるのか、俺には分からなかった。いきなり捕縛も処刑もされたくない。だから、こういう方法を取っただけで、この国に害を及ぼすために来た訳じゃない」
「……何もしないんだな?」
「俺は今までこの国の人間に危害を加えなかったし、これからもそのつもりはない。だから俺も、コイツも、外の俺の兵士、スケルトンも何もしていない」
ナーが剣を下げ、ダニエルを見た。
ダニエルはまだエキオンを見ていた。
エキオンも、そんなダニエルに眼窩を向けたままだった。
……コイツ、面白がってないか?
今の状況も、見入られたように自分を見る貴族のことも。
表情もないし、何も言っていないのに、エキオンの心情を不意にそんな風に想像してしまう。
「ノヴァク卿、どうかこの者のことについては、ひとまず私に一任して下さい。この者の言をすべて信じる訳ではありませんが、私にはこの者が嘘だけで今のように話しているとは思えません」
俺が悪意を持った犯罪者か、そうじゃないか。
またスタンピードの前のように問答が必要になるのか。
そう思って、うんざりしかけたが、ナーの話の最後は俺にも信じるべき面があると結ばれた。
もしも俺が悪意を持っていたなら、チャンスはこの部屋に入った瞬間だった。
スケルトンのことを誰も知らない間にエキオンをけしかければ良かった。
それで済んだ。
なのに、俺はそれをしなかった。
俺には動く気が無い。
最初から、今に至るまでずっと。
ここまで俺は一貫して動いてきた。
嘘を付いていたのは事実。
俺の部隊で生きている人間が俺ひとりだということを隠していた。
しかし、それを悪意の発露のために隠していたのではなく、ただ何もせずにバラした。俺に悪意がないことを示すために、秘密をバラした。
その意味を、ナーは考えたのだろう。
ナーがひとまずは自分の監視下において、自由には行動させないことをダニエルに宣言すると、ダニエルは「ああ」とだけ返した。
実に覇気のない返事だったが、雇い主が了承してしまえば、ダニエルの私兵には俺に襲いかかる理由はない。
エキオンは外していたヘルムと手甲を再び装備させられ、揃ってそのままナーによって屋敷の外へと連れだされた。
ダニエルも、私兵たちも、ナーに言われるままに去る俺を、いや、俺よりも言われるままなエキオンをどこか唖然とした表情で見送った。
既に日は沈んでいた。暗い道を連れて行かれる間、ナーに言葉はなかった。
ああは言っても、このまま拘束でもされるのかと思った。
向かった先は村の中の兵士の詰め所だったからだ。
ところが通されたのは、ひとつの部屋だった。
灯りに照らし出されたのは、きちんと整理されている、何の飾りも面白みもない部屋。
壁際に置かれた机には書類が重なり、そしてその脇には寝台。
あとは書棚がひとつあるだけだった。
寝台があるということは誰かの私室だろう。
そこまで考えてから、もしかしてここはナーの私室なのだろうか?とようやく思い至った。
女の部屋というよりも、事務仕事をするための部屋にしか見えない。
実際、ここで何をするという訳でもなく、寝るか、仕事してるかしかないのだろう。兵士の中の誰かの部屋に勝手に入り込むような性格ではないだろうから、おそらく間違いはないはずだ。
しかしなんとなく、倉庫に連れて行かれたと言われても信じられるような部屋だった。
部屋の中にはエキオンと俺とナーだけ。
ナーは他の兵士は呼ばなかった。ただひとつあった椅子を勧められたので座る。
エキオンは立ったまま、ナーは寝台に座った。
「さて、説明してもらおうか?」
「説明?いったいどれについてだ?」
「その骸骨は何だ?どうして人のように動いている?魔物か?ならば、なぜ暴れだしたりしない?どうして貴君に従っている?……いや、そもそもなぜ、隠していた?」
質問は一度にするそれにしては多い。だが、どれも的確な質問だと思えた。
どれも、スケルトンを理解するのに必要な質問だ。
異質な存在を前に、恐れや緊張があったはずなのに、それ以上に目前の出来事を正確に把握しようとしている。
本当に理性的な女なんだな。
俺は心底、感心した。
スケルトンを初めて知って、こんな風に反応できたのは、ごくごく一部、それも魔法研究職のような、ある種の頭の構造が人とは違い過ぎている人間だった。
ナーは考えたのだ。
傍らの骸骨がずっと人のように振る舞っていたことを。事実、ずっと人だと思って接していたことを。見た目はどうあれ、見た目通りに連想してしまう、邪悪で、おぞましい何かではないのだと。
この女にはそれが分かっている。
人のように動く骸骨を目の前にしても、きちんとその事実を受け止めたのだ。
混乱したあの代官の私兵は実際にエキオンへと襲いかかってきた。
自分が想像するままのおぞましい魔物であると確信して。
こうしたことも過去にあった。何度となく。
だがナーは、こうして事情を聞こうとしている。
普通の人間には、なかなか出来ることではない。
その表情は、普段の無表情よりも、若干きつい目つきをしていた。それなのに俺は、自身の表情が多少柔らかくなっているのを自覚した。
「まあ待て。焦るな。これだから大戦知らずは」
ナーに語って聞かせる。
スケルトンという魔物について。
依り代について。
魔力によって動く、人造の魔物。
その特徴について。
ただし、すべてを語って聞かせた訳じゃない。
特にエキオンについては何も語っていないに等しい。
エキオンがしゃべること。そしてその依り代が自分自身であることは伏せた。エキオンは特別製であり、他のスケルトンよりは精強であると、それだけは教えた。
「さて、これを知った上で逆に聞こうか。お前はいきなり骨身の兵士を引き連れた男が現れて、冷静に、相手に害意がないことを受け止められたか?そして、お前だけじゃなく、すべての村人が混乱せずに受け入れられるよう納得させられたか?あの代官に説明できたか?」
ナーは黙った。
俺の話したことを反芻でもしているのか、目を閉じ、そして開き、ぽつりと呟いた。それは俺の問に対する答えではなかった。
「信じられない」
様々な感情があったはずだ。
だが、ナーの表情には混乱は表れていない。
相変わらずの無表情。
改めてヘルムを外し、鎧を脱いだエキオンをナーが見る。
立ち上がり、近づき、その手を伸ばす。
伸ばした手は震えてこそいなかったものの、慎重に、ゆっくりとエキオンに近づく。エキオンの肋骨、そこに触れる寸前で、しかしナーは触れずに手を戻した。
「本当に他のすべての兵士もそうなのか?」
俺が率いてきた兵。
それがすべて血肉を持たない骨身の魔物であること。
それがナーには信じられないようだ。
何しろ、ナーも、兵士も、村人も、盗賊ではないかと疑いこそすれ、まさかその中身が人でないなどとは夢にも思わなかったのだ。
「ああ。そうだ。西方ではこれでも知られた方だったんだがな」
ただし、そこには悪名も含まれているので、知られていないのならそれはそれで都合が良い。そこまで語るつもりはない。
「本当に危険はないのか?」
「もしも危険があるとしたらスケルトンにじゃない。それを従え、動かしている俺の方だ。そして俺が危険な人物だったなら、わざわざスタンピードを止めたりしない。俺が権力者狙いの暗殺者だったなら、さっきの場で代官を殺した。十分な隙はあった。だが俺はそれをしていない。殺戮や破壊が目的なら、そのチャンスすべてを俺は見逃していることになる」
この村を守った。
それは紛れもない真実だ。
そして、今もエキオンはただ静かに立ち尽くしている。
誰も襲わず、そして暴れたりもしない。
「お前の言葉じゃないが、手の内を明かすなら、それは契機になる時だ。手の内をただ明かして何もしない、そんな愚か者が今、目の前にいると?」
ナーは俺を一度は信じた。
スケルトンを知り、揺らいだとしても、また信じさせることができるはず。
そのために俺は言葉を尽くした。
あの村の兵士を相手にした時とは違う。
真摯に、言葉を選び、話す。
「考えてみてくれ。俺の率いたスケルトンは村に襲いかかろうとしていた魔物を殺し、そして今は静かに村の外で見張り、外敵が来ないか警戒を続けている。確かにこれは人間ではない。だが、人が人のために正しく使う限り、それは決してただの魔物とは違う」
「だが、しかし……」
「スケルトンは目立つ。存在が知れれば対策は簡単になる。ちょっと顔を見せろと言えばそれでどこにも侵入はできなくなる。街にも、村にも入れなくなってしまう。手配は簡単だ。人相書きすら必要無い。ヘルムを外して中を見せろと、街に入る前に確認されるだけで正体が知れる。これでも身綺麗にしているつもりなんだがな」
暗殺者の返り討ちと、契約を交わした上での戦争従事、あとは盗賊の討伐。
どこの国でも法を犯すようなことはしていない。
西方で手配されているのは、あくまでも戦争での責任が、邪悪の象徴とし易かった俺に向かっただけで、民衆を手にかけた事などあるはずがない。
ナーは考えこむように、目をつぶった。
何を考えている?
スケルトンの危険性か?
それとも俺が信用に足る人物かどうかか?
俺が語ったスケルトンについてが真実であれば、問題なのは俺自身が信じられるかどうかだ。
確かに俺は誰も襲わなかった。
だが所詮はどこの誰とも知れない男。
国の内部に入り込むのが目的なら、当然、入り込むまではおとなしくしている。しかし、これは俺には証明する手段はない。常に、ナーにとって、この国の人間にとって、良い人物でありつづけるしかない。
そして俺が語ったスケルトンについてが真実でなく、危険な存在であるかどうか、これについても同様だ。
常にスケルトンが人の理性に従う、忠実な従者であり、下僕でありつづけるしかない。
沈黙は長かった。
思考の迷路に入り込んでいるように長い。
「何を考えている?」
「分からない。ただ、このアンデッドという存在は……問題だと思う」
「問題?」
何にとってだ?
ナーにとって?
人にとって?
国にとって?
「……問題ね。なら、俺を捕まえるか?その罪はなんだ?人の死体を利用していることか?だが、なにも墓を暴いて造り出した訳じゃない。俺の率いているスケルトンは皆、戦いに身を置いていた者たちばかりだ。死体は確かに弔われるべきかもしれない。だがな、法では生者の権利については謳われているが、死者は死者だ。そこに権利は生じていない。死者の権利に関する法なんてものが、この国では存在しているのか?」
死んでいる以上、そこに命はない。
命がない以上、どのような権利も持ち得ない。
また、死体を財産として家族や国が管理するという法も聞いたことがない。
「それは……確かにそんな法はない」
人が死ねば、それは家族の元へと返される。
それは法によってそうなっている訳じゃない。
それはどこの国でも儀礼的、宗教的な理由によってそうしているだけだ。
身寄りのない者の死体ならば、概ね、国がそのまま処理してしまう。
傭兵などはその典型だろう。
戦争で死ねば、その場で埋められてしまうことは決して珍しくはない。
「ならば、俺にはなんの罪咎もないはずだ」
今までの論拠に問題があるとすれば、バンザイ、それに厳密にはエキオンも戦いに身を置いていた者の死体ではないことだったが、この国の中でそれを調べることは出来ないだろう。
少なくとも、この国に対して不利益になるようなことは何ひとつしていない。
……エキオンが起こしたスタンピードの件が若干それにあたるが、自ら処理したのだから良しとさせてくれ。
もちろん、スケルトンの存在によって多くの人間の忌避感を煽り、国に混乱をもたらすようでは困るだろう。
だが結局は個人の感情の問題なのだ。
死体が動く。
一度死んだものを動かしている。
死後は安らかであれという宗教観。
聖痕教会にある、安らかなる千年の眠りについて。
この教義に敬虔であれば、気になるところか。
真っ先に襲いかかってきた兵士なんかはきっとそうだったのだろう。
人の死後はふたつの行き先があると教会は言う。
ひとつはドラゴンと炎で溢れかえる地獄。
もうひとつはミレニアム1世が守護する千年の眠れる天国。
英雄の再来による統一された世界を願う再来派と、眠れる天国に至る道を示す安寧派、各々によって多少の教義の違いが見られるが、この部分はいずれにしても変わらない。
安寧派に、その千年の眠りを妨げていないかと問われれば、証明しきれないというのが俺が知りうる危険性だろう。かつての時の教皇が言い出したように。
それに、宗教観に関わらず、誰の胸の内にもある死に対する忌避感。
なんにせよ、どちらも人を罰する法ではない。
そして、今率いているスケルトンはすべてこの国の人間の死体ではない。
ナーも俺自身がここに存在していることで生じる問題は何か、ひと通りの検討が終わったのか。
その目が開かれ、そして俺を見た。
「その力は混乱を招く恐れがある。個人的にはあまりこの国にいて欲しいとは思えない」
ナーは捕らえるべき無法者とは断じなかった。
なので、個人的な所感を述べるに留めたのだろう。
例えスケルトンに危険が無くとも、例え俺に人々に危害を加える気がなくとも。
それは国を守る人間として、ナーが至った答え。
それは妥当な考えと感じることはできた。
魔物を使う人間というのが存在しない訳じゃない。
数は少ないが、人と共存できる魔物もいる。
だが、スケルトンという存在は成り立ちからして他の魔物とは違う。
それは元々は人間。
そこにあった生前を思う時、どうしたってただの魔物、ただの人に使われる道具と一緒だと言われても、納得するのは難しい。
それに、スケルトンには必ず誰かの意志が介在する。
造った人間の意志。
使う人間の意志。
それは現在、どちらも俺に他ならない。
誰かが誰かの悪意を疑う時、絶対はありえない。
それが見知らぬ流れ者なら尚更だろう。
俺がどんなに言葉を尽くしても、行動が伴わなければ言葉はただの言葉だ。
隠された悪意は見えず、どんな魔法であっても暴くことはできない。
信じるにせよ、疑うにせよ、ずっと観察し続けるしかない。
「既に一度、村を守った。それだけじゃ何も証明できないか」
「勿論、恩義は感じている。だが、それだけでこのまま滞在や助力を許せるほど、私の立場は軽いものではないと、私は思う」
「それはナー、お前の個人の意見だな」
そこだけは確認しなくてはならない。
この国のいかなる法律にも違反してはいないことを。
俺の言葉にナーは頷いた。
「そうだ。だから現状、貴君に対して、拘束も捕縛もしない。悪いが、一度、村の外に出てくれ。貴君の兵士たちのところでそのまま待っていてほしい。監視を付けることも了承して欲しい。このことは当面は私とノヴァク卿の間で伏せるから、さっきのようなことはないはずだ」
それには俺も同意した。
ここが落としどころだ。見られるくらいは何の問題もない。
「……私はもう一度、ノヴァク卿と話してみる」
ナーひとりで俺の処遇を決めることはできないのだろう。
あの代官はこの村を実際に預かっていて、それなりの司法能力もある。結局はあの代官が決めることに従う事になるはずだ。
ナーが立ち上がり、部屋の扉へ向かう。
話はこれで終わりということだ。
俺も立ち上がる。
エキオンが話が終わったのを察して、鎧を着始めた。
俺が命令する前にそうしたことに、ナーが口を少しだけ開く。
まるで人のように、その場の状況を察したことに対する驚きが見えた。
エキオン。
あまり勝手なことをするな。
目線でエキオンを咎めた。
すべてのスケルトンがこうではない。
現状では、ここまで察せられるのはエキオンだけだ。もしかしたらバンザイもそうかもしれないが、あまり過剰な誤解を与えるのは好ましくない。
エキオンが再び全身を鎧で覆い隠すのを待ってナーが扉を開けた。
すれ違い、部屋から出ると、ナーが声を掛けてきた。
「そうだ。もう一度、これだけは聞いておこう。貴君はこの国で何を望む」
ドラゴン。
フェレータ。
このふたつに対抗できる力。
それが正直な思いだ。
だが、それは必要に迫られての望みだ。
俺自身の一番の望みというわけじゃない。
スケルトン。
自身の生い立ち。
あのクソババアのこと。
……英雄?
いくつかの思いが頭をよぎった。
だが、結局はそれも言葉だ。
何を望むと言っても、どれほどの意味があるのか。
「そうだな……よくよく考えれば、望みなんてあってないようなものかもしれない。俺は日の当たる場所にいたい。求められて、それに応える。望まれて力を振るう。必要に迫られてじゃなく、本心から必要とされたいと、ただそれだけなのかもしれない」
俺の言葉に、まだ部屋の中にいたエキオンが俺へと首を向けた。
そしてそのまま固まる。
ナーも俺を見ていたが、俺の言葉に反応して首を向けたエキオンをちらりと見た。
「話は終わりだな。行くぞ、エキオン。もたもたするな」
部屋の中にナーを残してエキオンも出た。
エキオンが閉めようとする前に、俺が扉を閉める。
その間、ナーはじっと俺の目を見ていた。
最初に出会った時と同じように。
だが、何の表情も示さないその目が、ほんの少しだけ揺れている気がした。
通路には僅かな灯りが揺れるばかりで、そこに人影は無い。
余計な話を聞かれて広められるのも困る。
そう考えて、ナーが人払いをしていたのかもしれない。
「さて、これでどうなるかな?」
人の気配がないことを確認して、エキオンが話しかけてきた。
「……さあな。後はナーとここの代官次第だ」
有用と思うか。
それとも危険と判断するか。
利用する気なら、俺とスケルトンを色々と試そうとするはずだ。
そう見せかけて、拘束される可能性も考慮する。
歩きながら、ちらりとエキオンを見た。
まあ、そうなっても、エキオンがいればなんとかなるだろう。
例え、他のスケルトンと分断されていたとしても、だ。
エキオンの視線を感じた。
ヘルムで隠されているが、確かにこちらを見ている。
「自信がありそうだな」
「そうか?」
言いつつ、顔をなでた。
せっかく人里に入っているのだから、いい加減、髭を剃りたい。
なでながらも確かに薄く笑っている自分に気がつく。
「あの女はおそらく使える。そしてここの代官も分かりやすい貴族様のようだ。勝率はきっと悪くない」
なによりも、ダニエルが言っていたナーについて、「将軍の覚え」というのはかなり気になっていた。
出来ることなら味方にしたい。
「マスターが個人的に気に入っただけなんじゃないのか?」
その言葉に思わずエキオンを見た。
当然のことながら、フェイスガードで顔を隠しているからではなく、その下にも骨身のエキオンに表情などない。
しかし、人間だったなら、ニヤついた表情でも浮かべているだろうことが想像できた。
質問の意図は能力として、ではなさそうだ。
女としてどうか?
そう聞いているのだ。
「ふん。確かに嫌いじゃないかもな」
俺にとっては小娘と言って良い年齢だろう。
そう思ったが、否定出来ないな、と思ったのも確かだ。
そう思わせたのは、遠い記憶。
山猫と呼ばれた女の顔。
特に顔が似ている訳でも、表情や雰囲気が似ている訳でもない。
強いて言えば短く切りそろえた髪型くらいのものだろうか。髪色も違う。手にする武器も、弓と槍の違いがあるし、魔法だって彼女は使えなかった。
余計な考えに行きそうになった頭を切り替える。
「あの女のことよりも、お前のことだ。お前はもう少し、スケルトンらしく振る舞え」
「そうか?結構、うまくやれていたつもりだったんだがな」
途中、ナーがエキオンを明らかに意識していた。
エキオンが見せた振る舞いは普通のスケルトンよりも人に近すぎた。
極力、普通のスケルトンのように振る舞うように言っていたのだが、どうにもあの女指揮官の気を必要以上に引いている気がする。
「お前、最後に俺を見ただろう?俺の言葉に反応して俺を見た。そうとしか解釈できない動きだった」
「ああ、確かに彼女の視線を感じたな。すまない。マスターがらしからぬことを言い出したから、ついな」
らしからぬこと。
自分が言った言葉を思い返す。
確かにあまり他人に対して言うような言葉ではなかったかもしれない。
エキオンにも似たようなことを聞かれたが、それには答えなかったのに、ナーには答えた。
エキオンは気付いているぞ、と言うように、からかいとしか取れない言葉を投げかけてくる。
「やっぱり気に入っているからだろう?」
「有能で有用な人間というのは貴重だ。戦場なら尚更な。もう出るぞ。しばらく黙ってろ」
言葉を命令と受けとったのだろう。
エキオンは言葉の代わりに、肩をすくめて見せた。
あまりにも人らしい動作だ。
そういう動作もやめろと言うべきか。
しかし、その程度の仕草は他のスケルトンでも、そしてバンザイでもやっている。そう考えていると、村の外の天幕、そこで何をするでもなく突っ立っていたバンザイが両手を上げて俺とエキオンを出迎えた。
やっと暇が解消できるとでも言いたげだ。
俺はお前の暇つぶしの玩具じゃない。
思わず頭を抱えたくなる。
……コイツに人らしく振る舞うな、スケルトンらしく振る舞えと言っても無駄だろう。まずはそれを理解させなくてはならない。……できるだろうか?
「お前も考えた方が良いのかもな」
本当に人間と変わらないエキオンと違って、バンザイとどの程度、意思疎通ができているのかは正直自信がない。
エキオンを除けば、ここまでの振る舞いをするスケルトンは初めてだった。
だが、と考える。
コイツがいる限り、そして矯正できない限り、エキオンに対してスケルトンらしく、と言っても何の意味もなさない。
エキオンにお疲れ様でした!とでも言うように大仰な敬礼をしているバンザイ。
理由もなく、ここまで奔放に振る舞われると、正直、到底矯正出来るとは思えなかった。
心の中でため息をついた。
不気味に思われるよりは、滑稽に思われたほうがまだマシだろう。
そう思って、俺は放置しておくことに決めた。
戻ると既にそこにはダニエルの私兵がふたり立っていた。
スケルトンのこと知っていて、俺を監視するなら人選はそうなるに決まっている。さすがに斬り掛かってきたあの男はいなかった。
恐れがあるのか、余計なことを言いもせず、聞きもせず、目すら合わせようともせずに、少し離れて見張っていた。
夜が更けていく。
再び代官の元に行ったであろうナーは姿を見せない。
夜中だというのに、一度、騎兵がどこかへと走り去っていくのを見た。
1騎のみでこんな時間に見回りなどあり得ない。
ならば目的は?
もしかすると、手紙でも持たせて送り出したのかもしれない。
結局、その夜は何も起こらず、誰も現れず、ただ静かに時間だけが過ぎていった。
適当な時間で俺は休むことにして、見張りのふたりには声もかけずに横になる。
きっと夜通し、俺のことを見張るのだろう。
ご苦労なことだ。
再び代官の元へと呼ばれたのは、結局明くる日の朝のことだった。




