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スケルトンの述懐  作者: ぎじえ・いり
スパルトイ、ドラゴン、そしてフェレータ
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プロローグ

「スケルトンの奴隷商」の「遠い未来・遠い過去」のみを元にした、ほぼ完全新作となっております。

「ちくしょう!こんな馬鹿な話があるか!?」


 その声を、まるでどこか遠くの世界から響いた声のように、俺は遠く感じた。

 実際にはすぐ側の男が発した声。

 それがこれほどまでに遠く思えるのは、距離感を完全に狂わせるヤツの存在のせいに違いない。


 空から災厄が舞い降りた。

 ただの災厄などではない。

 災厄の王。

 そう言うべき最上級のもの。


 ドラゴンだ。


 ドラゴンだって?


 嘘だろう?


 いいや、嘘じゃない。

 夢でもない。

 現実だ。

 現実ってなんだ?


 何もかもを疑いたくなる、そんなデタラメ。

 それがドラゴンだった。

 あんなのがこの世に存在して良いはずがない。

 なぜならあんなものが存在していたら、世界なんて容易く滅びる。

 人類は終わる。

 終わってしまう。


 終わったはずなのに。

 人がドラゴンに怯えて暮らす生活は。

 たしかにそう教わった。

 つまりは歴史。

 つまりは過去。


 かつて確かにこの世界に君臨した魔物たちの王。

 それがドラゴンだ。

 人だけじゃなく、あらゆる魔物、あらゆる生きとし生けるものを圧倒する質量と、それを支える圧倒的な魔力。

 個と個で対峙して、自らと同種の他に滅ぼし得る敵を持たない、天敵無き孤高の王。

 既に絶滅した過去の存在。

 絶対に現れるはずのない古の悪夢。

 それが行軍中のアキュート混成軍の前に突如として降ってきた。

 整然と進んでいた兵士たちが、取り乱し、叫び、嘆き、あるいは何も分からないまま、等しく、不幸に、理不尽に、血を流し、抗うことなく、ひとつの結末を迎えていく。

 死という現実へ。

 ドラゴンに暴虐の限りを尽くされて。

 それが今、俺たちの前で起きている現実だ。


「落ち着け。グリパン。今、蹂躙されているのはお前じゃない。今はまだ、俺もお前も生きている」


 良かったな。

 そう、グリパンには目を向けずに、ひたすらにドラゴンを見つめながら声に出した。

 落ち着け、という言葉はどちらかと言えば、自分自身に向けてのものだった。

 視線を切った瞬間に、目前にあの大質量が迫ってきていてもおかしくない。


 緊張はある。

 それに恐怖もあった。


 だが、そのどちらに呑まれても、状況は決して変わらない。

 決して良くならない。

 そうだ。落ち着くべきなのだ。

 例えどんなに距離が近くとも、混乱した頭で出来ることなど何もない。

 だから冷静になれ。

 そう自分に言い聞かせる。

 疑うべきことなど何も無い。

 敵がいて、俺たちが教われているだけだ。

 強大で、巨大な敵に。


「落ち着けって……」


 カボチャ色の鎧に身を包んだ剣士がドラゴンから目を離し、改めて俺を見ているのが視界の端に映る。俺はグリパンのようには奴から視線を逸らせなかった。

 俺の声は確かに上ずっていた。

 それが自分で分かる。

 平静ではないのだ。

 しかし、グリパンにはそう思えなかったらしい。

 平然と、いや超然としているとでも思ったのだろう。

 ただじっとドラゴンを見つめる俺を、フェイスガードを上げたヘルムの下で驚いたように見ていた。

 機をうかがっているような俺を見ていた。

 機とは何の機か?

 俺の様子にひとつの理解を得たとでも言うように、グリパンはわずかに目を見開いた。


「逃げる気なんだな、ビフロンス?」


 思わず笑いたくなった。

 この状況では「逃げられる気でいるのか?」の方が正しいだろう。

 あの化け物が俺たちを逃がしてくれるのか?

 そんなことがありえるのか?

 冷静に。

 そう思っても、すぐにこうして疑いたくなってしまう。

 現実的に考えれば、それ以外に選択肢はない。

 逃げ出すんだ。

 無理でも。

 なにがなんでも。

 それだけがたったひとつの生き延びる道なのだから。

 グリパンの問いを否定できる要素はこの戦場には何も無い。

 戦場などではなく、刑場になってしまったこの何も無い平原で、それがどんなに難しくとも、そうしなければならない。

 とても頭が冷静に働いているとは思えない。

 それでもひとつは方法が思い浮かんだ。

 今、襲われている連中を贄にして、逃げる。

 誰かが死んでいる間に、自分だけは生き延びる。

 合理的などという言葉の意味について考えるのも馬鹿馬鹿しい理不尽な状況。

 それでも、生き延びるためには理がなくてはならない。

 こんな時でも、ああ、これが俺なのか、と自分の理屈っぽさに嫌気が差す。

 そういえば、だ。


「俺の契約書にはドラゴンと戦って死ねとは書いてなかった」


 度重なるアキュートの隣国グレイヴとの小競り合い。

 その果てに戦線の維持が難しくなったアキュートは、国の内外から大量の傭兵を雇い入れた。

 俺もグリパンもその傭兵の内のひとり。

 契約としてはグレイヴとの戦いこそがその本来のものだ。


「ドラゴンなんてほとんど空想上の魔物と大差ないだろ。戦えば必ず死ぬような奴の相手をしろ、なんて契約なら俺はそもそもサインしていない」


 契約あっての傭兵だ。

 容易に破り、敵に寝返る傭兵というのもいない訳ではない。

 それでも契約があり、契約書が残れば悪評が立つ。

 名を変えても、傭兵同士じゃ顔なんて簡単に知られる。

 裏切者フェレータ、その烙印を押されれば待っているのは盗賊への鞍替えか、暗殺者への転職しかない。

 そういえば、そんな名前の人の姿をした魔物がいたな、と思い出す。

 これが誰かの描いた筋書き通りならば、見事に嵌められたという訳だが、こんな状況で契約もクソもない。


「途中、魔物に遭遇した場合には任意に戦うこと、というのは書いてあったぞ」


 律儀な奴だ。

 若いからだろうか?

 同じ傭兵同士ということで、お互いの言葉には遠慮がない。

 遠慮がないといっても、別に年が近い訳じゃない。

 親と子供ほど、ではさすがにないが、年の離れた兄弟くらいの差はある。

 いかんな。

 最近、衰えを感じるせいか、ついこんなことばかり考えてしまう。


 それはそうだ。

 確かに魔物と出くわせば戦え、そう書いてはある。

 しかしそれは普通、ゴブリンやオークのような小物のことを意味している。

 いちいち細かく魔物の名前を挙げていけば切りがないし、そもそも邪魔な魔物が目の前に現れて、それを無視して通れる道理もない。


「雇い主は今まさに蹂躙されて、逃げ惑っているだけだ。誰ひとりとして戦っていないだろ。雇い主が戦っていないのに、俺たちが代わりに戦おうなんて殊勝な奴が傭兵にいたとは驚きだな」

「俺も好き好んで戦おうなんて言いたい訳じゃない。だがな、これだけの兵士がいて、こんな有様なんてあんまりだろう?」


 グリパンは嘆息するように呟いた。

 グレイヴとの戦場となる場所まではまだ距離があった。

 混成軍が不意の魔物との遭遇戦に備えて、簡単な布陣を整えつつ進んでいく平原の先に、ひとつの鎧姿が立ちふさがったのは昼過ぎのこと。

 何故か急に進軍の速度が鈍ったので、俺は遠眼鏡を出して布陣の先頭を、その先を見た。


 そこにいたのは真っ黒な鎧姿だった。

 頭からつま先まで真っ黒。

 その姿はどこか烏を連想させた。

 誰だ?何だ?

 俺がそんな疑問を浮かべている間にも、烏みたいな鎧姿はまるで翼のように両腕を広げていく。

 武器を持っている様子はない。

 それが逆に異様だった。

 全身鎧に身を包んだ人間が、ただのひとつの武器もなく、共も連れず、何も持たずに、一国の軍の進行を阻むように天を仰ぐ。

 まるで演劇の一幕のようだ。

 もしかすると、あれは道化の類いなのだろうか?


 俺と同じように、アキュートの正規兵たちも訝しんだ。

 敵にしては、まるで戦う素振りは見せない。

 その動きはまるで舞台役者。

 魔法を使うにしても、傭兵も含めたアキュート混成軍3,000人あまりを相手にするにはどう考えった不足が過ぎる。

 ただのひとりで扱える魔法で、それだけの数を虐殺出来る魔法というのは世界中のどこでも開発されていない。

 見た目の鎧姿が内実を表しているならば、傭兵としか考えられない。

 己を雇って欲しいとでも言うために、現れたのだろうか?

 ならばまずは言葉があって然るべきだろう。

 あまりにも異様な鎧姿の態度に、兵士たちの足が止まっていた。


 その瞬間だ。

 大地に影が落ちたのは。

 誰もがそれを雲だと思っただろう。

 しかし、その時の空には雲ひとつ無かった。

 思わず見上げる者がいた。

 俺も見上げた。

 妙だな、と。

 そうして見たのだ。

 絶望の影を。

 太陽を隠す黒い影。

 それは直後に絶望へと形を変えた。


 降ってきたのはドラゴン。

 絶滅種と認定された最強の魔物だった。


 それは直前に遠眼鏡で見ていた、あの烏のような鎧姿を連想させた。

 艶のある真っ黒な鱗が全身を覆う。

 血の色も、肉の色も連想させない漆黒の巨体。

 その丸みのある胴から伸びる首は長く、細い。

 対して手足は奇妙に見えるほどに短かった。

 特に手は小さく、退化しているのではと思えるほどだ。

 脚は太く、その巨体を支えるに足る巨木のよう。

 背から生える翼はコウモリのそれに似ているが、コウモリの翼と違って表面は赤黒く輝いていて、禍々しい。


 地響きと呼ぶのも生ぬるい、戦術魔法が直撃したような地震。

 その震源たる1体のドラゴンがそびえ立つのは、アキュート正規軍の真正面だった。

 ドラゴンの着地の衝撃と羽ばたきは、多くの兵士を簡単に吹き飛ばしてしまう。

 進軍している布陣のど真ん中に降り立たれたら、それだけで甚大な被害が出ていただろう。そうしなかったのは、魔物の王としての余裕か。

 吹き飛ばされなかった兵士が、傭兵たちが、何が起こっているのか理解できずにドラゴンを呆然と見る。

 それは俺も、グリパンも例外ではない。

 そんな中、正に舞台の主役となったドラゴンは、ゆったりとした仕草のように翼を折りたたみ、その姿を優美な一輪挿しにも似たシルエットへと変えていく。


 誰も動けなかった。

 動く前に、考えることすら出来やしない。

 蛇に睨まれたカエル?

 そんな生易しいものじゃない。


 コレは死だ。

 今、目の前にそびえ立っているのは死だと誰もが一瞬で理解した。

 圧倒的上位者を前に、そこいるすべての人間の思考が止まっていたのだ。

 その中でドラゴンだけが動き出す。

 その場に居合わせたすべての者を掌握する支配者のように。

 この世すべての美を歌い上げる舞台上の主役のように。


 頭を軽く引き。

 息を吸い。

 首をやや突き出すようにして。

 息を吐いた。


 ドラゴンがしたのは、たったそれだけの動作。

 だが現象はそれだけでは済まなかった。

 何しろ相手は死なのだ。

 死の一挙手一投足の前では、あらゆる動作が、現象が死へと直結する。


 息吹には劇物。

 どんな生き物でも抵抗し得ない高温の炎が吹き荒れる。

 そして、その場にいた100人を超える兵士が炎に包まれた。

 魔法というよりも、まるで手品のようにしか思えなかった。

 何もない空間に、突如として業火が災厄として吹き荒れるのだから。

 種や仕掛けなんてない。

 相手は魔物なのだから。

 魔法ですらない。

 ただの能力。

 手を上げて、下ろすだけの仕草のように自然に使いこなす当たり前のチカラ。

 鮮烈な赤は、そっと手を伸ばし、触れるように。

 実際には赤い業火が地を舐めた。


 ファイアーブレス。


 吐き出されたのは地獄の業火。


 優美な一輪挿しに、水仙のような赤い花が咲き誇る。


 子供でも知っているドラゴンが持つ能力が、絵物語で繰り返し語られるそれが、現実としてそこにいる兵士たちに暴力として振るわれていた。

 無慈悲に。

 残忍という言葉すら遠く、ただただ当たり前に。

 そのひと吹きで戦争に向かうはずだった兵士たちは、奴にとってのただの狩り尽くされる餌の群れと化したのだ。


 そうだ。


 思い返せば、ドラゴンが降り立つ前にいたあの鎧姿はなんだったのか。

 無関係なはずがない。

 今では誰の頭からも忘れ去られているが、はじまりはあの黒鎧が現れた直後のこと。

 やっと僅かな時の間だけ、ドラゴンから視線を外して周囲を見た。

 どこにもあの黒鎧の姿はない。

 姿が見えない以上、集められる情報はないということ。

 これがすべてだ。

 これでどうするかを考えなくてはならない。

 グリパンとの会話のおかげで、少しずつ頭が回ってきたようだ。

 あの黒鎧を探して殺せば、ドラゴンが止まる?

 馬鹿な。

 どんな絵物語の話だ。

 ドラゴンほどに、不可侵の存在なんていないだろう。

 誰かに操られることなんてあるはずがない。

 今、目の前にある脅威は何か?

 ドラゴンだ。

 ドラゴンがいる。

 こんな状況で、きっかけにはなったものの、あの黒鎧のことを考えるのは無駄でしかない。


「あんまり、か。まあ、そうだな。戦闘のプロフェッショナルが呆れる状況だ」


 一国の正規兵と、熟練の傭兵。

 それが誰ひとりとして戦えていないのだ。

 状況をまともに掴むことすら出来ず、怯え、ただただ混乱している。


「今なら英雄にだって簡単になれそうじゃないか?」


 そう、からかうように笑いかけてやると、グリパンは嫌そうに顔をしかめた。

 それを見て、ほんの少しだけ気分が良くなった。

 確かに今の状況で、あのドラゴンをどうにか出来たなら、それは紛れもない英雄の所業だ。

 それを絵物語じゃなく、実現するチャンスなどというのは一介の傭兵には確実に訪れない。

 傭兵とは結局は、補充でしかない。

 度重なる戦と戦の間で生じる僅かなほころび。

 それを修繕するまでの間に充てられる切れ端。


 それが傭兵。


 そんな傭兵の身でありながら、グリパンは英雄になることを夢見ている。

 いや、それを実現できる目標として、これまで戦ってきたと常々、口にしていた。


「俺の剣でも、あの大きさが相手じゃあな。鱗の1枚でも切り飛ばせれば上等だろう」


 鱗は鋼のように硬く、この場にいる兵士たちのほとんどすべての武器を弾く。

 絵物語でも語られる内容だが、俺はそれを実際に自分の目で確かに見た。

 やぶれかぶれのように突撃した騎兵がいた。

 その槍は、届いたのだ。

 攻撃が当たらない訳じゃない。

 あまりにも巨大過ぎる体は、それこそ人間にとっての虫に等しい小さな相手のすべての攻撃を躱せるようには出来ていないということだ。

 槍は届いた。届きはしたが弾かれ、その騎兵は直後に踏み潰された。

 魔法兵が混乱したまま散り散りに放つ魔法は、ドラゴンの蹂躙を止めるのに、なんの効果も発揮していない。

 中には蛮勇を見せて突撃していった兵というのはいない訳では無かった。

 振り回された尻尾や、少し動いた拍子に当たった足に、ドラゴンが自らの体をぶつけるだけという最も原始的な攻撃の前に、鎧ごとひき肉にされていき、今ではただのひとりもいやしないのだが。

 人間同士の戦争をやる気で集まっている兵士たちではどうしようもない相手だということは、ドラゴンが降り立ってすぐに証明されていた。


 俺やグリパンのいる位置は、正規兵から遅れるように後方に配置されていた傭兵のかき集めの中だ。

 正規軍の兵士たちと相対的にドラゴンとは多少の距離がある位置。

 最初はそこで、誰もが呆然と人間が魔物に虐殺されていく様を見ていた。

 どれだけの間、そうしていたのか。

 ひとりが立ち直り、武器を捨てて逃げた。

 ひとり逃げれば、側にいた傭兵も同じように逃げ出し始める。

 その動きはやがて波になり、僅かな間にほとんどの傭兵が逃げ出そうと走っていた。

 動かなかったのは、グリパンと俺と、そして俺自身の抱える兵士たち。

 それに腰が抜けて動けなくなった傭兵ばかりと僅かな者だった。

 あんな怪物に立ち向かって勝てる人間なんていない。

 それが分かっていて、逃げ出さない人間の方が異常なのだから。

 よほどの統率された魔法兵による集中砲火でようやくダメージが出せるかどうか。

 その魔法兵の集中砲火には、機動力に長けた魔獣騎兵が時間を稼いでなんとかなるかどうかだ。

 アキュートには魔獣騎兵という兵科はない。あるのは通常騎兵と歩兵、それに魔法兵。魔法騎兵すらいない。

 あんな化け物相手に立ち回れる兵は今、この場に存在しなかった。

 もしかしたら投石機のような、原始的な兵器の方がまだ効果はありそうだ。

 勿論、敵軍、自軍含めて魔法兵がいる以上、そんな旧世代の兵器がこの場にあるはずもない。

 なにしろ、飛んでくる石なんて、簡単に魔法で撃ち落とせる。

 あのドラゴンを正面からぶつかって止めようと考えたら、それこそ攻城兵器が必要になるのだが、平原での戦を想定していたアキュートにそんな持ち合わせがあるはずもない。

 ドラゴンを相手にするには、かつて人間が千年王国を築いた時代に奴らを駆逐するために使われたと言われる対ドラゴン専用の戦術魔法か、それとも大戦時代初期に使われていたようなえげつない戦術魔法か、そのいずれかがいるだろう。

 なんにせよ、大戦の影響で、戦術的にはやや後退してしまった現在、普通の戦争をやるつもりで集まった兵士では為す術もない。

 人と人とがぶつかり合って、単純な物量と熱量とで勝敗を決める、そんな野蛮で、それでも大戦の時の魔法戦に比べれば、はるかに衛生的な、そんな戦争をするつもりだった俺たちでは。


 傭兵のほとんどすべては金のために、ここまで来た。

 余計なちょっかいを出して、それがいくらの金になる?

 自らの命を差し出すことはない。

 だから逃げる。

 それは当然の考えだろう。

 しかし、それは自らの死を早めるだけだった。

 再びドラゴンが翼を広げる。

 直後に地上に衝撃と化した暴風が吹き荒れる。

 死が再び空へと舞い上がった。

 羽ばたき、飛び立つ。

 あっという間に俺やグリパンを飛び越し、向かう先は逃げ出した傭兵の群れ。

 飛翔しながら放たれた業火は地上ごと傭兵たちを焼き焦がしていく。


 大地に業火が咲き誇る。


 人間だったものが、ただの焦土の一部と化す。


 怒号と絶叫。


 そして悲鳴。


 俺はそれが可笑しくなった。

 可笑しくて、おかしくなっているのだと、冷静に思う自分がいた。


「ははっ。まるで地獄だな」

「まるで、じゃないだろう。地獄そのものだ」


 熱気の余波を受けながらのグリパンの呟きは忌々しげだ。

 俺は逃げなかった。

 グリパンも動かなかった。

 結果としては、それで助かった。

 たまたま?

 かもな。

 それでも良い。

 死なない限りは考えられる。

 考えられれば、生き延びられるかもしれないのだから。

 最初に襲われたのは正規軍の兵士たち。

 そして次は逃げようとした傭兵たち。

 まるで劇でも眺めるように、ここまでの間、俺も、グリパンも死んでいく兵たちの姿を只々見つめ続けた。

 実際に、動けば襲われると思った訳ではない。

 考える前に動いて助かる見込みというのがあまり感じられなかったから動かなかった。

 人が出会う魔物の中で最上のもの、そういう相手に会ったことがあるからこそ、そうしただけ。

 脳裏に不吉な魔物の姿が思い浮かぶ。

 アーレス。

 俺はまだ、生きているぞ。

 俺は脳裏の魔物の姿を消し去り、ちらりとグリパンの姿を見た。

 グリパンもそうしたのは、たまたま傍らに俺がいたからか、それとも俺同様に果てしなく危険な魔物の相手をしたことがあるのかもしれない。

 実際に、最初のような混乱は、グリパンの目から消えていた。

 グリパンが短い叫びを上げ、その声に再びドラゴンを注視する。


 ドラゴンが飛び立つ。

 その先は再び正規軍の兵士たちに向かってだった。

 正規兵たちは目の前から脅威が一瞬でも消えたことで、緊張の糸が切れたのだろう。

 右往左往していた者も、今の今まで動けずにいた者も、武器を捨て、ただただ走り、逃げようとしていた。

 ドラゴンの側にいた者や、ドラゴンに立ち向かえる意志を持った者は既に死体と化した。

 今、生き残っている者は、俺やグリパンと同じで、たまたまだ。

 暴れ回っているドラゴンは、たまたま生き残っていただけの人間が、そのままに、たまたま生き残れるような生ぬるい相手ではない。

 動かなくては死ぬ。

 とはいえ出鱈目に立ち向かえば死ぬのは明白となれば、やはり逃げるしか道はない。

 今、逃げようとしていた傭兵があっけなく追われて死んだのを目の当たりにしても、それでも逃げるしかないのだ。

 ドラゴンの意志は明白で、俺たちの皆殺しこそがすべてと言わんばかりなのだから。

 逃げようとする兵士たちが傭兵と違ったのは、彼らはバラバラになって逃げようとしているところだ。

 まとまっていれば、まとめて殺される。

 そうならないための最善をと、こんな状況でも頭を働かせられる指揮官がいたのかもしれない。

 それでも死からは逃げられない。

 ドラゴンの方が頭は回っていた。

 先回りし、羽ばたきによる暴風で、兵士たちの動きをいとも簡単に止めてしまう。

 笑うしかない。

 ドラゴンの直接的な攻撃ですらないのに、ただの動作のひとつひとつが、こちらにとっては暴威にしかならないのだから。

 笑う以外にない。

 それくらいにどうしようもない相手だった。


 さて。いい加減に、どうにかしないとな。

 たまたまは続かない。

 今いるこの場所に、業火がいつ降らないとも限らない。

 だから俺も動かなくては。

 生き残るために。

 首に下げる鍵束を手に取る。

 それからちらりとグリパンを見た。

 その背中のひと振りの両手剣を。

 グリパンが持っている剣は傭兵が持つには不釣り合いな業物だ。

 銘までは知らないが、魔力経路レイラインの組み込まれたそれは持つものの魔力を得て鋼のただの剣とは比べ物にならない強度と切れ味を発揮する。

 そしてドラゴンを見た。

 地上に降り立ち、虐殺を続ける魔物の王様を。

 体高にして優に8メートルは超えている。

 その巨体と力強さはファイアーブレスがなくても脅威だ。

 向こうはその巨体で押しつぶすだけで、人間を簡単に殺せる。

 全体に対して短いとはいえ、その脚の長さは簡単に人間の身長を超えているのだ。

 こちらが剣を振りかぶっている間に、相手はほんの1歩踏み出すだけでこちらを殺すことができる。

 人間が個人で倒せる相手とは決して思えない。


 いかなる武勇も蛮勇に。

 いかなる武威も虚勢に。

 いかなる絶技も児戯と化す。


 ならば必要なのは何だ?

 人間が生身で戦っても勝てやしない。

 逃げようとしても、人間の足では逃げ切れない。

 そんな相手に出来ることは?

 答えは最初から決まっていた。

 俺の出来ることをするしかない。


 俺の出来ること、それは。


 鍵束を手にしていない、右手を上げる。

 それだけで、自分へと周囲の注意が集まるのを感じた。

 周囲といってもそれは人間のものじゃない。

 今まで、会話をしていたのはただのひとり、俺の傍らに立っていた人間であるグリパンだけ。

 今、俺の側にいる人間はグリパンだけだ。

 人間は。

 ここには人間以外の、ドラゴン以外の存在がある。

 全身鎧に身を包んだ、俺のチカラが。

 それは例え相手が山であろうと、海であろうと、戦えと命じれば絶対に裏切らない俺の兵士。

 人の形をした、人ではない魔物。

 ソレに命じる。

 絶対なる主人として。


「さて、命令だ。死体を集めろ。ありったけな。そっとやれ。王様のゴキゲンを損ねるなよ」


 言葉を受けると、俺の側に控えていた鎧姿たち、その先頭にいたナイフを持った鎧姿から順に動き出す。

 グリパンは目を丸くしていた。

 その様子に俺の方がどうかしたのか?と聞くようにグリパンを見た。

 信じられないものを見た、そういう目で俺を見て、グリパンは言う。


「逃げるんじゃないのか?」


 逃げないことを選ぶ。

 それが意味することは、俺が戦う気でいると、グリパンは捉えたのだ。

 その言葉に、今度は俺が目を丸くした。

 そう捉えられるとは、思っていなかったからだ。


「ただの火事場泥棒……を、こんな状況でやろうなんて考える奴は余程の間抜けか。そんな間抜けと思われなかったことを喜ぶべきなんだろうな」


 死体集め。

 混乱に乗じて盗みを働く。

 古くから、戦場ではありふれた行為だ。

 死者に必要なものなんてないのだから、死者の持つあらゆる物を必要な生者が持っていく。時に、貴族や騎士の死体を拾って、遺族に売りつけるものすらいた。

 だが、こんな状況で、今更盗みに精を出すのは間抜けに過ぎる。

 俺のことを何も知らない人間には、そんな間抜けに思われたかもしれないその命令は、グリパンには確かにそうじゃないと伝わっていた。

 グリパンとの付き合いはそう長くはない。

 そんなグリパンでも、俺が死体を集めることの意味は十分以上に分かっている。

 普通に考えれば死体集めが戦うことに繋がるはずなんてない。

 死人となった肉体はただの物だ。

 鎧を着た骨と肉の塊だ。

 血だまりに転がるそこに既に魂は無く、抱え込むことに意味なんてない。

 鎧を剥いでどこかの街で売れば多少の資産になるかもしれないが、こんな混乱した戦場で、そんな未来のことなど考えることすら馬鹿らしい。

 俺にとっての死体はチカラとなる。

 その装備ではなく、死体そのものが利となる。

 それこそ今、この場で必要な、戦うための資産になるのだ。

 俺が生き、そして戦うためのチカラにこそ必要なのが人の死体であり、それは今、ここには無数にある。

 俺は口の端に、ほんの少しの笑みが浮かんでいることを自覚した。

 グリパンが俺を理解していること、それが嬉しいのだ。

 死体を得て、そうしてひたすらに逃げるような、惰弱な傭兵とは思われていない。

 そう思われたことが、素直に嬉しかった。

 

「あんたは俺のことを偽善的だと思っているんだろうがな。けれど、俺があんたのことを偽悪的だと思っているの、知っていたか?」

「自分が善人じゃないことは知っている」

「そういうところが、だよ」


 その物言いに思わず鼻を鳴らした。


「ふん。お互いの性格について話し合うにはちょっと騒がしすぎる場所だろう」

「違いない」


 緊張してひきつっていた顔が、ようやく笑みを見せた。


 俺も笑う。


 緊張はある。


 恐怖もある。


 だが、これは良い緊張だ。


 だが、これは良い恐怖だ。


 舞台に上がるには、何もかもがちょうど良い。

 弛緩したままで演じても、自分自身が白けるだけ。

 舞台は既に燃え上がっている。

 いつまでも観客のままではいられない。

 そろそろ舞台に上がろう。


「さて、どの道、俺はやるつもりだが、お前はどうする?やるか?」


 笑ったまま話を振った。

 詰まるところ、戦わずして逃げるのは不可能なのだ。

 それをアレは許してくれない。

 それならば、逃げられるだけの手傷を相手に負わせるか、時間を稼げるだけの何かを用意しなくてはならない。

 ただここからバラバラに走って逃げるだけでも可能性はあるが、そんな確率論で動きたくない。

 こんな明るい昼でしかも身を隠すような障害物もない場所じゃあ、走り回ったところで結末は見えている。そんな台本は目を通す価値もない。

 巨大な相手を前にして、距離なんてのは意味が無い。

 アレにとっては、人がどこまで走っても、目と鼻の先。

 アレが見えなくなるまで離れられて、それでやっと逃げられたと言えるのだ。

 1歩2歩、先に行けても結果は同じ。

 そうならないためにも、相手が見えなくなるまで離れられる時間をこそ、稼がなくてはならない。

 そのために戦うのだ。

 それでもしも相手を殺し得たなら、至上の結果だろう。


 グリパンの表情から笑みが消えた。

 アキュートを訪れ、同じ傭兵として知り合った男だった。

 俺は最初、グリパンをただの偽善的な若造だと思った。

 しかし、この男は実際的、現実的でありながら、自身の中に芯となるべき善性を持っている得難い人物だ。

 持っている得物は業物で、それに見合った実力もある。

 もしかするとどこかの国の貴族的な階級の騎士だったのかもしれない。

 それとも、どこかの国の領主の息子で、いつかはそれを引き継ぐのだと言われても今なら信じられる。

 こいつが国をおさめるなら、そこはきっと良い国なのだろう。

 今までそれほどまともな国というのを見たことがなかったが、この男を見ていると不思議とそんな気分になれた。


 俺のからかうような視線を受けて、グリパンは一瞬、視線を外した。

 その先には今も荒れ狂う魔物の王の姿。

 巨体なので目と鼻の先のように見えるが、実際にはそれなりに距離がある。

 グリパンが首を下げて、再び上げたのは、鎧の下でツバでも飲み込んだのだろう。


「強制はしない。ただ、このままじゃ黒焦げにされて食われるのが落ちだ。まあ、俺が戦っている内にお前が逃げるっていうのもひとつの手かもな」


 魔物の王から笑いかけるように言う俺へと視線を戻す。

 グリパンの目に宿るのは光だ。

 その目には確かに決意があった。


「やる」

「良いのか?別に勝算がある訳じゃない」

「なら勝算を立ててみろよ。西じゃあ孤軍なんて呼ばれてたんだろ?独りでも軍というのなら、戦術を見せてくれ。必敗の状況を、流れを変えてくれ。そこまでやってみせてくれ」

「今じゃただの傭兵さ。しかも立派なおっさんだしな。それに孤軍とは呼ばれたが、英雄とは呼ばれていない」


 ひとりで軍を相手に戦ったことは確かにある。

 しかし、それでも英雄とは呼ばれなかった。

 それは俺が率いている俺の兵の性質のせいなのかもしれない。


「俺は英雄になりたい。せっかくのチャンスなんだ。やるからには俺を必ず英雄にしろよ」


 その目が再び笑んでいた。

 笑み。

 そこからいくつもの感情が読み取れるような気がした。

 既に体力に陰りが見えてきた俺には無い自らの能力への信頼。

 英雄になるという野心。

 単に若さと言うことも出来るだろう。

 そしてからかうようでありながら、俺に対する信頼が見える。

 まったく。


「ドラゴンを打ち倒す英雄、グリーンパンプキン様の名前がアキュートの歴史に刻まれる、まさに歴史的な瞬間という訳か?」

「その時にはあんたも英雄さ。俺が保証してやる」


 ただの傭兵に保証されてもな。

 そう返すと、今度は本当にグリパンは笑った。

 実際に、グリパンが一緒に戦うのなら、もしかするともしかするかもしれない。

 若いとはいえグリパンの剣技と扱う業物は本物だ。

 それに魔力を自らの肉体の力へと転化し、異常な力を発揮する様を実際に見てきた。

 この男には、もしかすると、そう思えるだけの価値がある。


 話している間にも俺の傍らには死体が集まってくる。

 山のような死体がまるで畑から芋でも掘るみたいに簡単に集められていく。

 それをちらりと見ながら、戦場となった真昼の平原を注意深く見渡した。

 そこにあの烏のような真っ黒なシルエットはない。

 舞台に上る前に、もう一度だけ演者の数を確認しておきたかったのだが。


「どうする気だ?」


 グリパンの問に、問を返す。


「ヒュージスケルトンって知っているか?」


 俺の問いに、グリパンは首を振った。


「死体あさり。死の冒涜者。確かにその通りだが、俺はその通り名が嫌いだ。死んで安らぎを得る?冗談だろう?俺なら死んでも戦いたい。十度死んででも相手を殺す。死が終わりだなんて誰が決めた?終わりじゃない」


 そうだ。

 俺もこんなところで終わるつもりはない。

 あのババアの元から離れたのは、こんなところで死ぬためじゃない。


「ここにあるのはただの死体だ。魂は無い。だがな、魂がないからって、それがどうした。もしも魂とは別に、肉体にも個別の意識があったら、まだ戦いたいに決っている。こんな理不尽に殺されて終わりだなんて認めたくないはずだ」


 死体に手をかざす。

 その手がぼんやりと光りだす。


「ビフロンス」


 グリパンがまるでドラゴンを目にした時のような、飲まれたような声を俺へと投げる。

 声を受けて、自分自身が薄く笑っていることに気がついた。


「さあ、グリパン、笑え。良いか、何もかもをふっ飛ばしてやるって時には、良い顔をしてふっ飛ばすもんだ」


 その方が、ずっと楽しいだろう?

 口にしながらはっきりと笑う。

 力強く。

 目に、口に、力を込めて。


「さあ始まりだ。奴の前では、いかなる武勇も蛮勇に、いかなる武威も虚勢に、そしていかなる絶技も児戯と化すだろう。だがな、俺たち人間様は奴らを駆逐できたんだ。それを今から見せてやる。今からが本当の勝負だ。調子に乗ってるあのデカブツを人間様の知恵で排除する」





 ◇◇◇


「ドラゴン!?」


 少女の言葉には輝くような響きがあった。

 現実にはまずお目に掛かることのない魔物だ。

 もしも実際にこの街に、少女の目前に現れて、少女が目にした時には街ごとすべてが滅んでいる。


「そんな喜ぶような良いもんじゃない」

「だってドラゴンだよ!?おじさんはそれに戦って勝ったんでしょ!?」


 普通、ドラゴンと戦えば死ぬ。

 それもただの傭兵が対するに値するだけの状況を揃えずして戦えば。

 俺はソコでは死ななかった。

 だから少女は俺が勝ったと勘違いしたのだろう。


「負けたのさ。それで惨めに逃げただけだ」


 結局、この時にドラゴンは倒せなかった。

 それどころか長いこと逃げまわる結果にもなった。


 始まりがいつだったか?


 そう聞かれれば、生まれた時から始まっていたのだと答える。

 物事に明確な始まりなんてのはないのだ。

 何もかもが繋がっている。

 糸のように。

 複雑に絡み合って。

 しかし、それでも始まりがあったとするのなら、きっと始まりはここからだ。

 この時に手の中に残ったドラゴンの牙。

 それなくして、カドモス・オストワルトの物語は始まらなかっただろう。

 きっとただ殺され、利用されて終わっていた。

 そうならずに済んだのは、ほんの少しの幸運と巡り合わせの良さだけだ。


 そう、ほんの少しの巡り合わせの良さ。

 それによって出会えた人物。

 薄気味悪い老婆、烏のような不吉な男、英雄となるべき男、自身の能力を疑わない男、そして槍を携えた金色の髪の女。

 そのどれもが俺には必要だった。


 そのことが死んでみて初めて分かった。

 死んで、ずっと後になって、何もかもがなくなって。

 そうなってから、俺は気が付いたのだ。

 今のこの身になって。

 スケルトン。

 ただの動く死体の魔物。

 そうなってみて、やっと気が付いた。

 それをこの少女に語るのは、今更だろう。

 俺は語る。

 ただの述懐を。

 それはひとつの物語。

 死を覆そうと足掻き、それ故に周囲に死を振り撒いた、ただのひとりの人間の死だ。


2016/3/31 改稿

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