即位式(1)
次の日の早朝、グレンに連れられ、アイリスは廊下を歩いていた。
「あの、グレン様……」
「どうした?」
自然に繋がれている手。優しい表情と、温かい声。本当は、こんなに優しくて温かい人なのに。
アイリスは、グレンが多くの人に誤解されたままなのが悔しいと思った。でも、自分にだけ優しくしてくれているのだとしたら、それはそれで何だか嬉しくて、複雑な気分だ。
「こんなに朝早くタートイス様のところへ行って、大丈夫なんですか?」
「あぁ、あの男ではなく、その兄に会いに行く。」
「……え?」
「あの男には二度とアイリスに近付くなと言ったからな。」
「で、でも、結局朝早いことにかわりないと思うんですけれど…?」
「あいつなら大丈夫だ。心配するな。」
「え? グレン様、ローレウスの王様とお知り合いなんですか?」
アイリスの問いに、グレンは曖昧な笑みを返した。
「まぁ、そんなところだ。」
そう言って、立ち止まった。明らかに、他とは雰囲気の違うところに来たのを感じた。そこには、衛兵も居て。不安になってグレンを見上げたが、彼は顔色一つ変えずに、口を開いた。
「グレン=オル=ラカントだ。」
グレンが言うと、衛兵は頭を下げ、道をあけてくれた。名前だけで通してくれたことが不思議で、首を傾げながら歩くアイリスを見て、グレンは目を細めた。
「昨日、ギルバートを遣って言っておいた。会いに行くと。」
「そうなのですね! でしたら大丈夫ですね。」
「……ああ、まあ、朝とは言っていないが。」
「え? グレン様、なにかおっしゃいました?」
「……いや。それより着いたぞ。」
最後の方が聞き取れなかったのだが、グレンにはぐらかされてしまった。仕方がないので、アイリスはこれ以上の追及は諦めることにした。そうして前を見てみると、立派なドアがあった。
「入るぞ、クラウド。」
返事を待たずに、グレンはそのドアを開けた。
「おはよう、グレン。」
椅子に腰掛けている男が、優雅に紅茶を飲みながら笑顔で話し掛けてきた。醸し出す雰囲気から、彼がローレウスの新国王であることは容易に伺える。どことなく、タートイスに似ている部分もあるように思えた。
「あぁ。」
グレンの返事に、妖艶、という表現がぴったりな笑みを返すと、彼はアイリスに話し掛けた。
「はじめまして、奥方。私はクラウド=ハディシュ=ローレウスです。昨晩はよく眠れましたか?」
笑顔を向けられ、驚いたアイリスは反射的にグレンを見た。
「……何で俺を見る。」
「だ、だって、どうしていいか分からなくて…!」
「……どうしていいか分からなくなったら俺を見るのか?」
「助けを求めているんです、察して下さい!」
「無茶を言うな。」
唇を尖らせ、アイリスはグレンを見上げた。本人は睨んでいるつもりらしいが、全く効果はない。グレンは思わず笑っていた。
「わ、笑わないで下さい!」
クラウドは2人を見て、口元をゆるめた。
「タートイスの言う通り、可愛い方ですね。グレンとも、仲が良いようですし。」
「別に良くない。」
「そう見えますか!?」
呆れたような顔のグレンと、嬉しそうなアイリス。対照的な2人に、クラウドは微笑んだ。
グレンはため息をつき、アイリスの背中を押した。不思議そうに見上げてくるアイリスに、そっと微笑む。
「まだちゃんと、挨拶をしていないだろう。」
グレンに言われ、アイリスは顔を真っ赤にした。
「す、すすすみませんっ」
真っ赤な顔のまま、勢いよくクラウドに頭を下げた。
「アイリス=レアナ=ラカントと申します。グレン様の妻です! え、えっと、昨日は弟殿下をぶってしまって、あの、」
「顔を上げてください、奥方。」
「え……」
顔を上げると、クラウドはすぐ近くまで来ていた。戸惑うアイリスに、にっこり微笑む。
「弟のことは、気にしないで下さい。寧ろ、礼を言うべきかもしれません。あの遊び癖は、以前からなんとかしないといけないと思っていたのですよ。奥方にぶたれたことで、タートイスも、王族としての振る舞いを考え直す機会を得たと思いますし。」
「あ、えっと……」
「あまり気になさらないで下さいね、本当に。……それと、弟の無礼をお許し下さい。」
そう言って、アイリスの手をとろうとしたクラウドの手を、グレンが制止した。
「アイリスに触るな。」
ものすごく鋭い目と、低く、地を這うような刺のある声で。
「ぐ、グレン様…!」
クラウドに失礼だからと慌てるアイリスだったが、当のクラウドは笑っていた。特に気にはしていないらしい。
「ごめんごめん。グレンを怒らせるつもりじゃなかったんだよ?」
「……。」
「それにしても、グレンってば随分いれこんでるんだね。」
「……なにに。」
「なににって、奥方に。もしかして、気付いてなかったの?」
クラウドは心底不思議そうに聞いた。
「いれこんでるって、つまりグレン様、私のこと、」
目を輝かせ、グレンを見るアイリス。
「……。」
グレンは、無言でアイリスの頬を引っ張った。
「いっ、いひゃい! いひゃいれふっ」
痛い、と訴えたいようだが、頬を引っ張られているせいで上手く呂律が回らない。
「……前から思ってたんだけど、やっぱりグレンって、独占欲強いよね。それから、愛情表現が分かりづらいよ。」
「……知るか。」
自分で引っ張ったのだが、思った以上に赤くなったアイリスの頬を、少しだけ申し訳なさそうにさすってやっていたグレンが、短く返した。
「……ごめんなさい、グレン様。」
「うん?」
クラウドに返事をした時とは打って変わって、優しい声音になったグレンに、クラウドは苦笑した。
「私、グレン様の愛情表現だって気付かずに、嫌がってしまいました。」
「…………。」
グレンが青筋を立てたのをどうとったのか、アイリスはさらに慌て始めた。
「あ、あの、本当に、ごめんなさい。その、痛くて……で、でも、私もグレン様のこと大好きですからね!?」
「あ、ああ、分かった、分かったから落ち着け。」
「嘘じゃないですよ!?」
「ああ、疑っていないから、心配するな落ち着け。」
グレンはアイリスを宥めると、クラウドを睨んだ。
「……え? 今の流れで僕を睨むの? え? 何で?」
「お前が余計なことを言うからだ。……即位式の前に、ラカントの国王代理ではなくて、1人の友として祝ってやろうと思っていたが、やめた。」
「え、何で?!」
「用は済んだ。帰る。」
「えー、やだよ、帰らないでよー。僕一人じゃ退屈だよー。」
印象が随分変わってしまったクラウドを、アイリスは不思議そうに見た。
「……なんだか、子供っぽい方ですね。」
「あらら、奥方に言われちゃいましたかぁ。」
「へ?」
首を傾げたアイリスを、グレンは自分のところへ引き寄せた。
「こいつはこっちが素だ。騙されるんじゃないぞ。」
「なにその言い方ひっどーい!」
「うるさい。」
アイリスはきょとんとして、グレンとクラウドの顔を交互に見た。不思議そうなアイリスの顔を見て、クラウドは笑った。
「まぁ、冗談はこの辺にしといて。」
「冗談じゃないぞ別に。」
クラウドは、真っ直ぐグレンを見た。
「なにかあったら、遠慮せずに言って。僕に出来ることなら、協力するよ。君の国より、フィジーライルに近いわけだし。」
グレンの目の色が変わった。アイリスは、2人の空気が変わったことを感じ取った。
「……お見通し、か。」
「ふふ、まあ、そんなところ。遠慮せずに、頼ってくれていいんだよ?」
「……あぁ、そうさせて貰う。」
「あの、グレン様。何のことですか?」
グレンの袖を掴み、彼を見上げて問うアイリスに、グレンは笑いかけた。
「外交の話だ。お前は気にしなくていい。」
「……そう、ですか。」
自分には、言えないことなのだろうか。自分では役に立てないのだろうか。そう思うと、アイリスは悲しかった。
「奥方も、何かあったら言って下さいね。」
そんな彼女の気持ちに気付いたのか、クラウドが言った。
「え?」
「グレンの小さい頃の話とか、グレンの苦手なものとか、」
「クラウド。」
しかし、グレンに睨まれ、続きが言えなかった。
「や、やだなぁ、冗談だよ、冗談。冗談だってば。」
そんな2人を見て、アイリスがくすくす笑った。グレンは優しい目でアイリスを見て、その髪に触れた。そっと、栗色の髪を梳く。
無垢な妻も、なにかがあることには、気付いただろう。言わないというのは、彼女をもっと不安にさるのかもしれない。……それでも。
(お前を、危険に巻き込みたくはない。)
「アイリス。戻って朝食にしよう。お腹、空いただろう。」
「はい!」
笑顔が戻った妻を見て誓う。絶対に、何があっても、守ってみせると。
「じゃあ、また後でね。グレン、奥方。」
「あぁ。」
「朝からお邪魔しました。」
「いえいえ。」
にこにこしながら、クラウドは二人に手を振った。
「お幸せにー」
ドアを開けたグレンには睨まれ、顔を真っ赤にしたアイリスには照れたような笑顔を向けられ、クラウドは2人を見送った。
* * *
「グレン様と国王様は、いつからお知り合いなんですか?」
「……あいつとの母君と俺の母が、仲が良かったらしくてな。小さい頃、よく母に連れられて遊びに来たんだ。」
すると、アイリスが目を輝かせた。
「国王様、グレン様の小さい頃のお写真、持ってらしたりしません? お願いしたら、下さると思います?」
「……そんなものが欲しいのか?」
「そんなものなんかじゃないです!」
真剣な顔で言うアイリスを見て、グレンは笑った。
「そうか。……なら、気が向いたら、探してやらんこともない。」
「本当ですか? 約束ですよ?」
「……あぁ、約束。」
「ふふ、約束ですからね!」
グレンの笑顔も、アイリスの笑顔も、幸せそうなものだった。




