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女同士・男同士・恋人同士

 再び外されたネックレスを店主は無駄のない慣れた所作で磨き始めた。白銀鋼は細い指で魔法に掛けられたみたいに輝きを取り戻し、薄青色の石にも透き通る光が反射する。慈しみながら丁寧に動く手は、まるで旅立つ我が子に別離を告げる母親の様だった。

 作業を終えると彼女は再び私の首に着けてくれた。

「お独りで過ごされて、寂しくはなかったのですか?」

 初対面の人にこれ以上聞くのは失礼だし、間違っている。わかっていても、その答えを聞かずにはいられなかった。頭の片隅で、元の世界に帰れた時の心構えにしよう、と思っていたのかも知れない。

 彼女は鏡越しに私を見た。無礼な質問にもその表情は変わらず柔らかい。

「この店を始めてから何かと忙しく、気が付けばもうこんなお婆ちゃんですわ」

 それに、と言いかけて彼女は、まるで少女の様にクスッと笑った。


「私の中で彼以上の殿方は現れませんでしたから」


 その気持ちはわかる気がする。私の視線は自然とアレクセイの背中に向けられていた。


「――いかがですか?」

 見違えるほど輝きを放つネックレスが首元にある。

 彼女の手が愛する子供から離れた事を確認し、私は直接向き合うと礼を述べた。


 扉を開けて入口まで見送ってくれた店主に振り返る。すでに大通りを歩き始めていたハル君とアレクセイも、立ち止まった私に気付き歩みを止めた。

「もし無事に帰れることになったら、その前にまた来てもいいですか?」


 事情を知らない人にいきなりこんな事を言ったところで、通じる訳も歓迎される訳もない。初見の客が何を言っているのだろう、と首を捻られるだけだ。けれど彼女は少し驚いた表情になっただけで、すぐに包み込むような柔らかい笑顔を見せた。

「その子と一緒にお越しください。その時は『友人』としてお待ちしております」




 帰り道、アレクセイが何をどう吹き込んだのか、ハル君に変わった様子は無くいつもと同じだった。

 男同士の秘密を教えてもらおうと、あの手この手で食い下がった。けれど教える気が端から無いアレクセイはともかく、ハル君の口は予想以上に堅かった。

「男同士の約束ですから」

 見上げて笑うハル君に首を傾げた。

「あれ? 秘密じゃなかったの?」

「秘密を経ての約束だ」

 アレクセイも笑って私を見下した。

 結局、私がその約束を教えてもらえるのは、もう少し後になってからだった。




 その夜、ハル君が寝た後にアレクセイが右掌の回復魔術を掛けてくれた。昼間にしなかったのは、ハル君に余計な気遣いをさせたくない、という私とアレクセイの暗黙の了解だった。

 レオナールは本当に帰って来なかった。

 ある程度の情報が手に入るまでは帰って来ないだろう。

 言いながらアレクセイは不機嫌な表情になった。どうやら2人きりの時にレオナールの名前を出したことが気に入らなかった様だ。それに気付いて少し笑ってしまった。

 ネックレスも手の治療も、そればかりかこの世界に来てから助けて貰ってばかりで、私はアレクセイに何一つ返せていない。どうやってこの恩を返せばいいか、真剣に悩み始めていた。

「アレクセイ」

 昨日と同じく、ソファーで向かい合って座る彼の名を呼んだ。俯き加減で魔術に集中していた彼は上目遣いで私を見上げた。

「本当にありがとう」

 アレクセイは訝しそうに「どうした?」と顔を上げ見つめ返してきた。でも声はとても優しかった。

「いつも助けて貰ってばかりだから、ちゃんとお礼を言っておこうと思って」

「――そんなことか」

 アレクセイは呆れたように治療に戻る。

「そんなことじゃない。大切だよ」

 アレクセイは不思議そうに顔を上げた。

「言葉を教えてもらいたくてお願いしたときも、お礼はちゃんとするって言っていたでしょ?」

「――それらしいことは言っていたな」

 子供の戯れ言だと思っていたのか、アレクセイは本当に忘れていたようだ。

「お礼は返したいから何か希望があったらちゃんと言ってよ」

「わかった」


 残された時間はもう長くないから。

 でもそれは言わなくても、もうわかりきっている。だから今は言わなくてもいい。


「アレクセイ」

 もう一度愛しい人の名を呼んだ。

「辛かったら言ってね」

 アレクセイは驚いたよう私を見つめた。

「何もしてあげられないけれど、聞くだけならできるから」

 しばらくしてアレクセイは頭を抱えこんだ。

「お前の変な言動は、妙なところで心を鷲掴みにする」


 良いことを言ったつもりだったのに、どうやら違ったようだ。


「だからあいつが――」

 深い溜息と共に放たれた呟きは私の耳には半分も届かなかった。

 俯いたまま動かなくなったアレクセイが心配になり、空いている左手で彼の腕を掴んで身体を近づけた。

「どこか具合悪いの? 大丈夫?」

 大きく息を吐きながら顔を上げたアレクセイの艶を含んだ瞳に、私の身体は動かなくなる。

「これ以上煽ってくれるな」

 術を掛けるためだけに重ねられていた右掌には、いつの間にか彼の長い指が絡められていた。

「あ、あの、治療の――」

「終わった」

 何とか捻り出した声もアレクセイの短い言葉で遮られてしまった。掴まれた掌を少しだけずらして見ると、あれだけ酷かった裂傷がどこにも見当たらない。

 これでハル君の心配事がひとつ減る。そう思ったら微笑が口角に浮かんだ。

「ありがとう」

 見上げたアレクセイは何かを思いついたように口の端をつり上げた。

「さっき言っていた礼だが、今から返してもらう」


 どうやって? 


 言おうとした口は彼の唇で塞がれていた。


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