楔
「僕も一緒に行く!」
「駄々を捏ねるな! さっさと調べに行ってこい!」
子供の喧嘩の様な会話と嫌でも人目を引く顔立ちのギャップがありすぎる。
ハル君と顔を見合わせ思わず吹き出した。
「じゃあご褒美は?」
訴える視線を寄越すレオナールの視界にアレクセイが割り込んだ。
「頼んだのは俺が先だよな?」
アレクセイは背中を向けていて表情がわからなかったけれど、レオナールの引きつった顔で何となく想像できる。
「そんなに褒美が欲しいなら半殺しがいいか、生殺しがいいか特別に選ばせてやる」
暫く帰らないから。
明らかにテンションの下がったレオナールと別れて向かった先は、街の中心にある広場だった。ここはウルリーカさんと初めて出会って話をした場所だ。
あの日からそれほど経っていないのに、もうずいぶん昔のような気がする。
芝生が敷き詰められた丘に木製のベンチが置いてある。私とハル君はそこに並んで座った。アレクセイはベンチから少し離れた場所で立っている。
立ち姿に見惚れていると、ハル君に名前を呼ばれた。慌てて視線を戻すと、心配そうに見上げる緑色の瞳とかち合う。
「聞きたいことがあって――」
まさかハル君まで昨日のこと、知っている訳じゃないよね?
さっきのレオナールの爆弾発言のせいで、どうしてもそっちに考えが及んでしまう。
「あの、手の怪我――」
言い難そうに顔を俯かせたハル君の視線の先には、包帯の巻かれた私の右手があった。
「あぁ。手はもう痛くないし、大丈夫」
掌を大きく握り開きして見せた。でもハル君の沈痛な表情は変わらない。
「本当にごめんなさい」
「私の方こそごめんね。余計に大事にしちゃって」
もっと冷静に対処していれば良かったと今更ながらに後悔する。
『その状況をさらに悪化させたのは誰だ?』
アレクセイの苦言が耳に痛い。
「傷は残りますか?」
不安で揺れる瞳が見上げていた。
ハル君は胸の傷痕を知っている。私は表情を緩めて首を横に振った。
「アレクセイに治してもらうから、きっと残らないよ」
「でも――」
「ちょっと捻くれていて怖いけど、でも優しくて責任感が強くてこの世界で一番の魔術士でしょ? 大丈夫だよ」
冗談めかした言葉に、ハル君はようやく表情を崩して大きく頷いた。
「ナツキさん。師匠のこと、好きなんですね」
「え?」
深い意味はないのだろうけど、不意を突かれドキリとする。
自然と視線がアレクセイに向く。けれど彼は反対を見ていたので目は合わなかった。
「あ、うん。好きだよ」
ぎこちない返事だったけれどハル君は気付かなかった様だ。
「師匠のことをちゃんとわかってくれる人がいて、僕も嬉しいです」
照れた様に笑うハル君の笑顔に胸の中は温かくなっていった。
ランディとクムルがやって来たのはそれから間もなくだった。2人は姿の変わった私を見て驚いていた。
開口一番、ランディはハル君に謝った。
彼は下級だが貴族に名を連ねている家柄で、体面を非常に気にする両親のいるところでは会いづらかったようだ。
ハル君もランディもそれ以上何も言わなかったけれど、雰囲気から察するにきっとブラッドさんのことも関係しているのだろう。
「私がお願いしたの。無理を言ってごめんなさい」
ランディはそばかすの目立つ顔をみるみる赤らめ、首を横に大きく振った。
「で、姐さんが俺に何の用?」
ハル君は気を利かせてランディと一緒に文房具屋へ買い物に行った。ベンチには私とクムルだけだ。アレクセイは先ほどと同じ場所で立っている。
「試合が終わった後、リヴァイスに返還術を使わせたいならエデュター家の呪いを解かなくちゃだめだ、って言ったでしょ?」
「あー。言った様な気がする」
クムルは思い出すように天を仰いだ。
「その話、詳しく教えて欲しいんだけど」
「じゃあ練習試合でいいからしよう。掟で教えるから」
クムルの掟好きを再確認し思わず苦笑する。
「ごめん、それは無理。今は試合出来ないんだ」
上覧試合の対戦内容はまだ一般には知られていない。
余計なことは話さないよう、事前にアレクセイに口止めされていた。
「そっかぁ」
クムルは深く追求することなく、残念そうに肩を落とす。
「ま、いいか。今回はタダで教えるよ」
「本当? ありがとう!」
レオナールの件で少し疑心暗鬼になっていたせいか、クムルの懐の深さに笑顔がこぼれる。
「姐さん。俺、まだ死にたくないから」
視線を一瞬だけ私の後ろに寄越したクムルは、何故か怯えた顔で少し距離を取った。
「俺は召喚獣を別の形として見ることが出来るんだ」
「それはどういう?」
「魂とか心とか命とか、多分そう言う感じのもので――」
クムルは説明が面倒だ、と言わんばかりの表情になった。
「例えば姐さんだと――」
私を凝視して目を細めたがすぐに驚きの表情に変わった。
「何かボロボロになってるけど、大丈夫か?」
クムルが言うには前には無かった傷があり、そこから放射状にヒビが入っているらしい。反射的に手が傷痕を隠す。
「今のところは何とか」
クムルは雰囲気を察したのか面倒だったのか、それ以上は突っ込まなかった。
再び目を細め、うーんと唸る。
「前は子供みたいに小さかったのに今は大きい」
だから、やたら『チビッ子』って言っていたのか?
でもそれが胸の大きさを言われている様で、勝手に気分が滅入る。
「それに、あの人が守っている」
そう言うとアレクセイを見た。私もその視線に引っ張られるように振り返った。
「そ、それはどういう――」
声を潜めて恐る恐る聞いてみる。
「あの人の魔力が――」
「はい、わかりました! もう大丈夫です!」
自分から聞いておいて失礼だけど、慌てて言葉を遮った。訳のわからないクムルは怪訝そうに首を捻った。
「そういうのが見える訳ね」
「まぁ、見ようと思えばだけど」
この力は消耗するのか、目頭を指で抑えて大きく息を吐いた。
「リヴァイスには文字の様なものが鎖みたいに絡まっている。それで何とか形を保っているけど、あいつも姐さんと同じか、それ以上にボロボロだよ」
「文字って、何て書かれて――」
そこまで口にして気が付いた。
「俺らは文字が判別できないから」
彼女を縛り付けている楔は文字だ。けれどそれを見ることができる召喚獣は文字が読めない。
わかりそうでわからない、掴めそうで掴めない何かに、もどかしさを感じていた。




