救出
階段を駆け降りて目に飛び込んだのは、石畳に描かれた禍々しい魔法陣の上に仰向けで寝かされているナツキさんと、その上半身に覆い被さっている誰かの姿だった。
「「離れろ!」」
僕の声に、頭の中であの男の人の声が被る。
顔を上げたのは老婆だった。額には大粒の汗を浮かべ肩で息をしている。
でも僕の視線は違う場所へ釘付けになった。老婆の肘から下がナツキさんの赤く染まった胸の辺りに埋まっている。
目の前の光景が理解できず、自分の足を動かすことも忘れていた。
「ハリー!」
背後から聞こえた師匠の声で我に返る。
老婆はナツキさんの体から右手だけを抜き出した。血で染まる白い肌から抜き出されたそれは、炭のように真っ黒で枯れ枝のように細く、指先は蛇の牙のように鋭かった。
「邪魔はさせぬ!」
老婆は白く濁った目を見開き一喝すると、右の掌を開いて床の上に置いた。禍々しい魔力が強くなり、冷たく澱んだ空気と混じり合って肌を刺す。
床に置いた老婆の掌から無数の影の筋が這い出てきた。実体のないそれは蛇のようにうねりながら向かってくる。
あっという間に僕は影蛇に四方を取り囲まれていた。空を飛ぶことのできない僕にそれを防ぐ手立てはない。
「ハリー、動くな!」
師匠の声と同時に光が矢のように僕の周りに降り注いできた。足元にまで迫っていた影蛇の群れは光の矢に直撃されると、蒸発したかのように跡形も無く消えていった。
「大丈夫か?」
師匠が背後から僕の両肩を掴んでくれた。温かさで僕の体は見えない何かからようやく解放された気がした。
この騒ぎでもナツキさんは身動き一つしない。師匠も気付いたようだ。肩に置かれた指先に力が込められた。
「――彼女から離れろ」
今まで聞いたことのない低く唸るようなこの声が、師匠のものだとすぐにはわからなかった。レオナールさん達数名もこの部屋に到着して、それぞれ術を発動させ被疑者を威嚇している。
老婆は師匠を見て一瞬驚いた表情になったが、すぐに口の端を歪めた。くくく、と笑いながらナツキさんを見下した。
「本物がきてくれたけど、少し遅かったねぇ」
そう言うと左手も抜き出し、真っ黒な指先で動かないナツキさんの青白い頬を愛しそうに擦ろうとした。
触るな。
そんな手で触るな。
「さわ――」
老婆は大きな光の塊で背後の壁に体を打ち付けられて小さく呻いていた。
「離れろと言ったはずだ」
師匠は高位の魔術を使っていても息一つ切らしていなかった。
自分たちよりも早くに魔術を発動させた師匠に諜報部の人は驚いていた。
「相変わらず容赦のないことで」
唯一レオナールさんだけが呆れたように呟いた。




