不安定にも程がある
ハル君は私が休眠してから学校帰りに毎日部屋を覗いてくれていたようで、目覚めたことを知って駆け寄ってきた。
「ナツキさん、体は大丈夫ですか?」
屈託のない笑顔に癒される。
「もうすっかり平気。ありがとう」
たった3日間なのにハル君の笑顔を見た途端、勝手に涙が浮かぶ。
「どうしたんですか! どこか痛いですか?」
心配してくれる様子に涙腺が崩壊した。ぼろぼろと零れ落ちる涙を止めることができず「何で泣いているの?」と冷静に疑問に思っている。
自分の感情が理解できず気持ちが悪い。
「大、じょうぶ、だから」
「その状態のどこが大丈夫なのか俺に教えてくれ」
妙に的確なアレクセイの突っ込みのおかげで少しだけ落ち着く。そこでようやくハル君が私の背中に手を宛がってくれていたことに気付き、心が満たされていく。
自然とハル君を抱きしめていた。
ずっと探していた人にようやく会えた。
離したくない。今離してしまうともう二度と会えなくなる。
冷静な頭とは裏腹に、心は意味不明な強迫観念に駆られている。
アレクセイに抱き付いた時とは違う感情だった。
身動きも取れず、かといって振り払うこともできない哀れで優しい弟子を助けるべく、冷血無情な師匠が私を容赦なく引きはがした。
「寝起きでハリーを襲うな、この痴女!」
「ち、痴女じゃないもん! 襲ったわけじゃなくて、ただ、ぎゅってしただけだもん!」
「何がぎゅっ、だ! ハリーが汚れるから離れろ!」
「やだ! 疾しい気持ちなんてこれっぽっちもないから! だからもうちょっとだけ、ね? ね?」
「お前は子供か! だだを捏ねるな!」
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しばらくして落ち着きを取り戻すと、さっきまでの不安が嘘のように消えた。
ものすごーく反省しました。猛省です。穴があったら即入りたいし、何ならそのまま埋めて欲しいくらい。
被害者のハル君と面倒を掛けたアレクセイには土下座する勢いで謝った。ハル君には「僕はここにいますから」と聞きわけのない妹を慰める兄のような温かい視線と、アレクセイには「情緒不安定にも程がある」とペンギンすら凍死しそうな絶対零度の視線を頂きました。寒暖差がありすぎて風邪を引きそうです。
アレクセイに言われた通り、この世界にきてから自分の心の不安定さに驚いた。まだ1週間くらいなのに何度泣いたことか。体同様、心まで子供に戻ってしまったみたいだ。
元の世界ではよく、感情が顔にでない人だ、と言われていた。自分の中で喜怒哀楽はきちんとあるのだけれど、それを表現するのが苦手だった。小さいころの写真には笑顔や泣き顔(むしろ澄ました顔がないくらい)の私が沢山いたので、昔からではないと思う。
覚えている中で涙を流して大泣きしたのは兄の葬儀が最後だ。あの日から感情を出さなかったのではなくて、出せなくなったのかもしれない。
今の不安定さはその反動なのかこの姿のせいなのか、それとも別の何かが原因なのか、いくら考えてもわからない。
できるだけ迷惑を掛けないようにしようとだけ心に誓った。