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二つの歯車  作者: 愛田雅
3/7

豹変

 稲光を見たショックで、交通事故のことをすべて思い出してしまった。それはとても恐ろしく、忘れてしまっていた方が、ずっと楽だった。

 とは言うものの、八雲先生のやさしさが私を支えてくれているお蔭で、夜も眠れないようなことはなかった。八雲先生は、毎日、病室に訪れては私の話を聞いてくれた。休みの日でも、私に会うために、わざわざ病院まで足を運んでくれたのだ。

 そして、リハビリも順調に進んだ。骨折くらいと最初は、たかをくくっていたけれど、骨折のリハビリは想像以上に大変だった。リハビリも大変だけど、ギプスをはめている場所の痒さは、本当につらい。ギプスをはずしてかきたいけれど、まだ、ギプスをはずすわけにはいかない。我慢はしているものの、やはり痒くて仕方がない。他にやることがないと、右足のかゆみにばかり神経が注がれてしまう。全く意味をなさないとはわかってはいるものの、ギプスの上から手でかいたりした。もちろん、かゆみは全く収まらない。

 松葉杖を使い、なるべく個室を出るようにした。病室にずっといることが嫌なわけではないけれど、病院内の散策がだんだんと楽しみの一つになってきたのだった。

 別に毎日変化があるというわけではないけれど、いろいろな科があるんだなと思いながら、あちこち見て歩くだけで、結構楽しめた。小さいころに、兄が入院していた科を見ては、幼い頃を思い出した。その科はほとんど変わっていなかったのだ。兄が入院していたころと全くと言っていいほど変わっていないのだ。幼い頃の自分の気持ちが甦り、とても複雑な気持ちになったりもした。

 毎日のように、今日は、内科に行こう! だとか、今日は、産婦人科だ! とか気合を入れては院内の散策に出かけた。中でも、新生児室に行くのが一番好きだ。小さなかわいらしい赤ちゃんが、たくさん並んでいる。私とは、全く血がつながっていないけれど、みんなかわいくて仕方がない。

 今日も病院散策をして、自分の個室へ戻る途中に、大部屋を覗いてみた。大部屋が空いたら、そちらに移動させて欲しいと言っていたけれど、なかなか移動できないので、どれくらい大部屋が空いていないのかを見てみたかったからだ。

 私は、ゆっくりと松葉杖を使って歩きながら、大部屋を覗いてみた。何部屋かを覗いてみたけれど、どの大部屋もベッドの空きがあるようだ。それに、寂しそうな顔をした女性が、二人部屋を一人で使っていたりもした。あんなに高い個室に私がずっといる理由などないはずじゃないか。それなのに、なぜ私を大部屋に移動させてくれないのだろうか?

 不思議に思いながら、私は個室に戻った。がらんとした個室。お金持ちでもないのに、こんなに豪華な個室にずっといるなんて。加害者が費用を払うとは言え、やはり大部屋に移動したい。ここしか空いていないからと言って、この個室を利用することになったけれど、あれだけ他の部屋が空いているんだ。特別料金が発生してしまうはずだ。

 それに、早くここを退院したい。これだけ松葉杖を使って移動できるのだから、もう退院したっていいと思うのだが。

 ベッドに横になり、ふとベッドの脇の台に目をやった。ベッドの脇に置いてある、お見舞いの花。パン屋のみんなが、私を励まそうとみんなでお金を出し合ってくれたものだ。みんなの下へ、早く帰りたいな。この花が元気なうちに、退院したい。


 何時の間にか眠ってしまったらしい。時計を見ると、もう夕食の時間だ。おあつらえむきなことに、看護士がワゴンを押して廊下を歩いている姿がドアのガラス窓に映った。看護士は、私の部屋の食事を持って個室に入ってきた。普段どおりに笑顔を見せながら食事を運んできてくれた看護士に、思い切って大部屋への移動を切り出すことにした。

「あの、前にもお願いしたと思うんですが、大部屋に移動はさせてもらえませんか?」

 可動式のテーブルに食事を乗せると、看護士は露骨に目を泳がせた。宙をさまよう応えを探しているのだろうか。目を泳がせるのをやめると、看護士は私の目を見た。

「申し訳ありません。大部屋は空いてないんですよ」

 看護士は、私に心からわびるように言った。

 しかし、それは嘘だということが、私はすぐにわかった。大体、大部屋に空きがないことが嘘だ。なぜ、そんな嘘をつくのだろうか? 不思議に思いながらも反論せずにはいられなかった。

「私、今日の昼間に大部屋を覗いてみたんです。そしたら、空いているベッドがいくつもありましたよ。ちゃんと空いてるじゃないですか! なぜ、空いていないなんて言うんですか?」

 私が、少し強い口調で言うと、看護士は明らかに動揺してしまった。その場に立ち尽くし、何か言葉を捜しているのが、手にとるようにわかった。目が泳ぎ、何も持っていない手は何かを探そうとしているかのように、握るでもなく開くでもなく、どこか安定する場所を求めているようだった。

「あの・・・・・・」

 私が、言葉をかけようとすると、看護士はそそくさと病室を出て行こうとした。

 ガシッとその場を去ろうとする看護士の手を、私はすばやくつかんだ。

「待って下さい! どういうことなんですか? 大部屋にどうして移動できないんですか?」

「ここに入院させるようにと、頼まれているんです」

 看護士は、全く私と目を合わせず、かすかに空気を動かす程度の小声で話した。

「頼まれているって、誰にですか?」

「・・・・・・院長婦人です」

 院長婦人? 一度も会っていない院長婦人が、どうして私を?

 その言葉を聞いた瞬間、私は看護士の手を離した。看護士は、大急ぎで乱暴に扉を開けて出て行った。

 それより何より、院長婦人が私を個室に入院させるように命令するって、どういうことなのだろう? 私が、院長婦人に知らぬ間に何か悪いことでもしてしまったのだろうか?

 個室でないといけない理由って、一体どんな理由なのだろうか?


 夕食が済み、可動式のテーブルの上に、食器を置いたまま、私はさっきの看護士の言葉を繰り返した。

「院長婦人・・・・・・院長夫人・・・・・・」

 どうしても、理由が見つからない。

 兄が持ってきてくれたぬいぐるみを抱え、その理由を見つけようと考えた。ぬいぐるみの頭を撫で、入院生活を振り返った。しかし、何一つ理由が見つからない。あるとすれば、八雲先生のことくらいしか浮かばない。

 八雲先生は、この病院の跡取息子。父親は、もちろんこの病院の院長だ。八雲先生は、一人っ子で、後を継ぐのは確実。

 八雲先生は、私のことを院長婦人に話したのだろうか? それともうわさでも耳に入ったのか?

 どちらにしても、不気味なことには変わりない。一度も会っていないのに、私を個室に閉じ込めるのだから。

 一人で、あれこれ考えていると、誰かがやってきた。ドアが開く音がして、そちらを見ると八雲先生がほんのりとりんごのように頬を赤らめて入ってきた。

 八雲先生は、軽く笑みを浮かべていた。可動式テーブルの上においてある食器を見て、八雲先生は「お!」と言い、驚きとうれしさを出していた。

「残さずちゃんと食べてるね。ここまでは、順調だし、退院する日もそう遠くはないと思うよ」

 八雲先生がベッドの脇の椅子に座りると、私は昼間のことを問いただした。

「先生、どうして大部屋に移動させてもらえないんですか? 前から何度も言っていたのに。今日、看護士さんに聞いたら、院長婦人に私をこの個室に入院させるように言われたって聞いたんですけど・・・・・・」

 優しい目から一転して、八雲先生は難しい顔をした。顔をゆがめ、腕を組み、視線を私からはずして、考え込んだ。

「先生?」

 突然、黙り込んだ八雲先生。何か、言えない理由でもあるのだろうか?

 私は、八雲先生の顔を覗き込んだ。今までこんなに真剣な顔をした八雲先生を見たことがないのだ。

「それが・・・・・・、僕にもわからないんだ。いつまでたっても大部屋に移動しないから、看護士に聞いたんだが、同じことを言われてね。それで、母さんに直接聞いてみたんだが、何も言わなかったんだよ」

 どうやら、八雲先生も私と同じ立場にいるようだ。何が起こっているのかを知らないんだ。眉間にしわを寄せて、必死に理由を探している八雲先生を見ていると、私の不安は倍増していった。どんな力が働いて、私をここに留まらせているのだろうか。

「先生は、私とのことをお母様に言ったんですか?」

「いや、言っていないんだ。だから、余計に、なぜこんなことをするのかと思って」

 やはり、私とのことは言っていなかったんだ。少しほっとはしたものの、より一層私を個室に入院させる理由がわからなくなってしまった。私を個室に入れさせて、一体、何があると言うのだろうか。

「実は、杏さんを最初は大部屋に入院させようと、僕は思っていたんだ。しかし、突然、母さんが口を出してきて、杏さんを個室に入院させるように言ってきたんだよ。さすがに、僕はその理由を聞いたんだけど、答えてもらえなくってね」

 自分の息子で、私の主治医である八雲先生にも言えない事があるのか。私たちはまだ、出逢って大して日がたっていない。考えれば考えるほど、答えは遠のいていくようだ。

「それを聞いたとき、僕は、母さんに自分の心を見透かされているんじゃないかって思ったんだよ」

「心を見透かされてるって、何をですか?」

 私が質問をすると、八雲先生は顔を赤くして照れ笑いを浮かべた。どうしようかと迷っている様子だったけれど、顔を赤くしたまま答えを教えてくれた。

「杏さんが、病院に運ばれてきたとき、僕の体に電気が走ったんだ。杏さんを一目見て、僕の心は杏さんに奪われたんだよ」

 話す前よりも顔を赤くして、背中をもぞもぞさせながら八雲先生は言った。

 聞いている私まで、背中が痒くなった気がした。でも、とても嬉しかった。お互いに一目ぼれだったんだなって。

私が、交通事故に遭ったのは、八雲先生と出会うためだったのだろう。私たちは、お互いに運命の赤い糸を手繰り寄せ、そして、この病院でようやく出会うことが出来たんだ。その代償は痛いけれど、八雲先生が医者だったからこんな出会い方になってしまったのだろう。

 迷惑をかけた両親、そして、一番心配をしている兄には、本当に申し訳ないと心の中で謝った。それだけじゃない。加害者の高校生だってそうだ。

 こう考えてみると、私は、ずいぶんたくさんの人に迷惑をかけてしまっている。私一人で、こんなにもたくさんの人に影響が出ているのだから。

「だから、母さんは僕が杏さんを見る目を見て、一目で僕の心を見透かしてしまったんじゃないかと思ってね。はっきりとした理由はわからないけれど、それで杏さんを個室に入院させたんじゃないかと思うんだ」

 話を最後まで聞いたけれど、私にはそれが理由のようには思えなかった。いくら親とは言え、すぐにそこまでわかるだろうか? それに、そこまで口をはさむだろうかと。


 夕方になると、窓から真っ赤な夕日が差してくる。まぶしいわけでもなく、とても風情のある赤だ。夕日を見るたびに、もうすぐ夕食の時間だなと考えてしまう。食いしん坊なのだろうか。

 今日は、夕食の前に両親がお見舞いに来てくれた。私が、いつものように洗濯物を母に渡すと、両親は、なぜか深刻な顔をしてお互いを見合った。

 普段見せない顔を見せられて、私は怖くなってしまった。

「どうしたの? 変な顔して」

 私が心配して言うと、父が私のそばに来て、何かを決心したのか、まっすぐに私の瞳を射抜いた。

「杏! 転院しよう。他の病院に行こう」

 冗談のような言葉ではあるけれど、父は真剣なまなざしで、強く私を見ていたので、すぐに本気だと言うことがわかった。

「どうしたのよ、急に転院しようだなんて。別に、転院しなくたって良いじゃない。ここの病院に、何か不満でもあるの?」

 私の中には、全く転院をしたいという気持ちはなかった。謎に思うことはあっても、この病院に不満があるわけではない。

 一瞬、黙ってしまったかと思うと、父はまた、私を説得し始めた。

「杏、理由はともかく、早くここを出よう。転院が駄目なら、退院でも良いんだ」

 転院の次は、退院と言ってきた。母は、父の隣で、うんうんと頷いていた。

「どうして、そんなことを言うの? もしかして、八雲先生を気にしているんじゃ・・・・・・」

 もしかしたら、私と八雲先生の関係を知ってしまったのではないだろうか。主治医が患者に気安く手を出したことを知って、私をここから出そうとしているのだろう。

「理由は何だって良いじゃない。それより、早くここを出ましょう」

 父が答えに迷っていると、見かねた母が父の前に出てきた。

 母も父も尋常ではない。必死に私を説得しようとしている。それでも、私の心が揺らぐことはない。八雲先生から、退院の許可が出るまでは、入院し続けようと思っている。できる事なら、大部屋へ移動して欲しいけれど。

 また、院長婦人の意向がわからないと言う不気味さもあるが、素人判断でここを出て大丈夫かという不安の方が強い。

 私が、全くここを出ようとしないので、二人とも困り果てているようだ。

 父は、頭を抱えて窓際に立ち、カーテンをぎゅっと両手でつかんだ。硬く瞑った目、涙を浮かべそうな顔には、絶望感が漂っていた。夕日に染まって、その顔は真っ赤に燃え上がっていた。

「お父さん、大丈夫よ。ここの病院はいい人ばかりなんだから。心配する必要なんてないわよ」

「そんな簡単なことじゃないんだ!」

 父は、こちらを向いたと思うと、病室の外にもはっきりと聞こえるくらいに大きな声で叫んだ。

 私は、父を励まそうとして言ったけれど、かえって父を激怒させてしまった。今までに見たことがない父だった。顔を真っ赤にして、ベッドにこぶしを振り下ろした。その父の姿を見て、私はただならぬ何かを感じた。何か、大きなことが後ろにはあるのだろうか。

 誰も彼もが変わっていて、誰を信用したらいいのかわからない。

 怖い。だけど、八雲先生と一緒にいたい。兄の体を治してくれなかった病院のイメージをすっかり変えてくれた八雲先生から離れたくはないと言う気持ちが、私をこの病院から出そうとしない。

「お父さん・・・・・・」

 母が、父をなだめた。父は、落ち着きを取り戻し、いつものやさしい父の顔に戻った。

「杏、今日はもう帰るよ。悪かったな」

 弱弱しい声で、父は私に謝った。父の肩は、だらりと垂れ下がり、そこに先ほどまでの威勢のよさは微塵も感じられなかった。その顔は、まるで何もかもを失ったように見えた。

「今日は、もう帰るわね。杏、さっきの話し、まじめに考えておいてね」

 母はそう言って、父の腕を取り、ゆっくりと重たい足取りで病室を去っていった。パタンと扉が閉まると、底知れない恐怖を感じた。

 あまりにも突然のことで、私はまだ、動揺している。あんなに優しくて、温かい両親が、いきなりどうしたと言うのだろう?

 八雲先生の母親だってそうだ。みんなおかしい。みんな変だ。何かを隠しているのだろうか?

 例え、私と八雲先生の関係を知ったからと言って、ここまでヒステリックな行動を起こすとは考えられない。目に見えない恐怖が私を襲う。

 答えは、どこに行けば見つかるのだろうか。

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