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LURIA番外編 〜真っ蒼な森の空に〜

作者: 紗妃


1.プロローグ



 あいつと初めて出会った時のこと、俺は今でも鮮明に覚えている。

 振り返った俺の瞳に飛び込んできたのは、柔らかな月の光に似た金色の髪と、翡翠玉の大きな瞳。空を覆うように枝葉を広げるカナンの大木から差し込む木漏れ陽の中で、キラキラ輝いて、眩しくて……。

 ああ、……そうだ。

 あの時、俺は確かに、あいつの背中に、輝く純白の翼を見たんだ。





2. 夢 



 もう、どのくらい歩いただろう。

 よくわからない。

 太陽が三度沈んで、三度昇り、それさえ空の頂きから西へと駆け下りていく。

 動くことを強い、歩き続けさせた脚は、既に感覚すらなくなっていた。

 こう疲れた。

 このまま眠りたい。

 眠ってしまいたい。

 森の大地と一つになれば、もう何も悩む事などないんだ。

 そんな誘惑が耳許で甘く囁く。

 その場に崩れるように倒れ込み、膝を抱えて蹲った。

 朦朧とした意識の中、脳裏に浮かぶ二つの顔。

 丸く大きな鼻、小さく丸い眼、とがった耳。

 俺とは、似ても似つかない様相。

 十歳にならない俺の腰ほどしかない背丈。

 愛しい、しかし、二度と会ってはいけない人。

 急に胸が詰まる。

 目頭が熱くなり、涙が溢れた。

 堰を切ったように、止まらなかった。

 男のクセに情けない。

 手の甲で強く拭う。

 ふと、その手が止まる。

 もう、『男らしさ』に拘る必要なんか無い。

 なら、涙を止める必要もない。

 今の自分には、それを咎める人も、慰めてくれる人も居ないのだから。

 ポラリスの森を奥へ奥へと当てもなく彷徨った。

 ここがどこかすら、もうわからない。

 それなら、いくら泣いたって構わない。

 今までみたいに、男の尊厳だとか、小人族の誇りだとか、そんな事を言ってくれる人は誰も居ないのだから。


 自分から飛び出した。

 暖かな温もりが包んでくれていたあの場所を、自ら望んで飛び出したんだ。

 ……いや、望んだんじゃない。

 そうするしかなかったんだ。

 他種族を忌み嫌う小人族の中で育った俺。

 成長するにつれ、顕著になる他種族の特徴。

 なら、他にどうすればよかった?

 俺を蔑む仲間達の矛先が両親へと向けられる前に、自ら村を出る以外、幼い俺に何ができた?

 愛する者を護るため、愛する者の側にはいられない。

 だから、もう戻れない。

 暖かな家、優しい父と母の許には、もう戻ってはいけない。

 そう思うと、尚更涙が溢れた。

 森の中にいれば、生きることには困らない。

 小人族なら、歩き出すより早く狩りの仕方を教えられる。

 十歳にもなれば、狩人としての腕前は一人前だ。

 けれど、日を重ねるごとに募る寂しさは贖いきれない。

 もう、嫌だ。独りなんて嫌だ。

 森は深くなる。

 いっそ、闇の森に住むという魔族に喰われてしまいたい。

 そんなことまで考えた。

 噛み締めた奥歯の隙間から声が漏れた。

 でも、構わない。

 大声で泣いた。


 その時……。

「やっと、逢えた……」

 ほんの少し怯えたような、戸惑うような、細い声。

 誰も居ないと思っていた森の中で、急に声を掛けられ、驚きとともに振り返る。

 瞬間、俺の瞳に飛び込んできたのは、木漏れ陽にキラキラと輝く黄金色の髪。それが柔らかく 風になびいている。優し気な面差しの少年だった。そして、そいつの深い深い緑の瞳は、心配そうに俺を見つめていた。

 俺は、余程怖い顔をしていたんだろう、声の主は、一瞬、表情を強張らせ、一歩退いた。

 すぐに、抱えた膝の間に顔を隠す。

 俺は男なんだ。

 泣きべそをかいているところなんて、誰にも見られたくない。

 本当は……

 本当は縋りたいほどに寂しかったくせに。

 でも、幼い頃から教え込まれた『男としての自尊心』が、俺を押し留めた。

 涙が収まるのを待った後、腕の隙間から覗くように顔を上げる。

 もう誰も居ないはずだ。

 また、独りぼっち。

 そう思った。

 覚悟していた。

 でも、それでも、ほんの少しの期待。

 宙を漂う視線。

 ……いた。

 膝を抱え、心配そうに此方を見つめている。

 金色の髪が、フワフワと風に靡いている。

「……なんだよ、お前」

 嬉しいはずなのに、憎まれ口しか出てこない。

 俺から話し掛けたことで、安心したんだろうか。

 そいつはニッコリ微笑むと、俺に躰を寄せた。

 訳がわからず見つめていると、手をそっと掴まれる。

 驚き、手を引っ込めようとしたが、躰がいうことをきかない。

 倒れるくらい疲れていたはずなのに、不思議だ、躰が軽い。

 温もりが力となって染み込んできた、そんな感じだった。

 温かかった。

 とても、温かかった。

 何日ぶりかに感じた温もり。

 放したくないと思った。

「もう、独りじゃ……、ないよ」そいつは、ニッコリと俺に笑い掛ける。「僕が、……いるよ」

 どういう意味だったんだろう。

 わからなかったけれど、その言葉は、不思議な程に俺の心に染みた。

 もう、ほかに何の言葉も要らない。それだけで、充分だった。

 再び溢れた涙が、頬を濡らす。

 そいつは困ったように躊躇っていたが、俺に躰を寄せると、指先でそっと涙を拭ってくれた。

 余計に泣けた。

 こんなに泣いたのは生まれて初めてだった。

 他種族である俺に向けられる、昨日までの仲間達の白い眼にさえ、歯を食いしばって堪えたのに。

 今は、あの頃胸に溜め込んだ辛さまで全てを洗い流すように、涙が溢れ続けた。

 不思議と、恥ずかしさは消えていた。

 肩を伝う温もりが、森に抱かれるように自然だった。

 一頻り泣いた後、涙を拭った時、そいつは俺の顔を覗き込み、ニッコリと笑った。

 愛らしさに、一瞬眼が放せなくなる。

 でも、それ以上の気恥ずかしさに俯く。

 その時、俺は初めて気付いた。

 俺の目の前に聳え立つ巨大な木の存在に。

 それは、森と共に生きる小人族で育った俺ですら目を奪われるほどに巨大なカナンの大木。

 まるでポラリアの森の主のようだ。

 その大きさと、そこから流れでる穏やかな気の流れに、俺はホッとする優しさを感じた。胸の奥のつかえが全て浄化されていく。

 巨大な枝葉が絡み合いながら、四方へと伸びている。見上げれば、それは何重にも重なり合い、木漏れ日は夜空に鏤められた星屑のように僅かに葉を煌かせている。夕陽を背にし、燃え立つようだ。その高さは想像すらつかない。

 暫くの間、その巨木の大きさに魅せられ、呆然と凝視し続けていた俺は、ふと、その大木の根元に、淡く輝く光があることに気付いた。

「……なんだ、あれ」

 呟いた俺の視線を辿り、そいつが瞳を向ける。俺の視線が淡い光に向けられていることを何度も確認し、躊躇いがちに訊いた。

「見えるの? 君には、あれが……?」

「見えるに決まってんだろ。俺をバカにしてんのか?」

 気恥ずかしさに、口調が乱暴になる。

 だが、そいつはそんなことすらお構い無し、俺の腕にしがみ付くと、無理やり木の根元まで連れて行った。

 恐る恐る、そっと近付いてみる。

 暖かなオレンジ色の光。その中心を覗き込む。

 始めはボンヤリとしていたそれが、徐々に形をなしていく。

 それは、栗色の髪の少年。同い年くらいだろうか。独り、膝を抱え、丸くなって横たわっている。眠っているようだ。

 驚いた俺は、そいつに向かって咄嗟に腕を伸ばした。……いや、腕を伸ばそうとした。

 なのに、なぜか躰が思うように動かない。

 指先が、その光を撫でる。

 その瞬間、言い様の無い哀しみが、俺の心の中に一気に流れ込んできた。

「……何だ、こいつ……」我知らず、呟く。

 その間、じっと俺の横顔を凝視していた碧の瞳が、スッと細められる。

「見えるんだね、君にも……」

 嬉いというよりも、事実を確認しただけの言葉。

 だが、その時の俺には、そんなことに感けている余裕はなかった。

 目の前で眠るそいつを、早く光の中から引っ張り出さなければ。それだけを考えていた。

「当たり前だろ」吐き捨てる。

 その瞬間、俺の腕を掴む指先に、痛いほどに力がこもる。

 驚いて振り返ると、そいつは小さく首を横に振った。

「ダメだよ。今はまだ、近付いちゃダメ」

「バカ言うなよ。お前には解んないのか? この嫌な感じがさ」

 しかし、俺は次の言葉を呑みこんだ。

 そいつの瞳が哀しげに雲って、今にも泣き出しそうだったから。

「ごめん、な、さい」そう言ったきり黙りこむ。

 虐めたようで、気まずい。

 どうしたらいいのか解からず、俺は、その場に膝を抱えて座り込んだ。

「なあ……。何で、『今はダメ』なんだ」髪を何度か掻き上げた後、ボソリと訊いてみる。「何で近付いちゃダメなんだよ」

 そいつは顔を上げてじっと俺の眼を見つめた。心の奥まで見透かされているようで恥ずかしい。

 視線を逸らす。

 そいつは、俺の横にそっと腰掛け、独り言のようにポツリと呟いた。

「哀しみに、引き込まれるから……」

「わかんないよ、お前の言ってること」

「大きな哀しみは、深い井戸みたいなものなんだって。落ちたら出られなくなる。だから、近付いちゃいけないんだって」淡々と語られる言葉が、なぜか妙に哀しい。「今、近付いたら、一緒に井戸に落ちてしまう。そしたら、助けられないから……」

 それは決して目の前の現状から逃げようとしているわけではない。そう、素直に思えた。なぜなら、そいつの言葉には、言葉とは裏腹な程の切実さがあったから。例え井戸に落ちても構わない。この子を助けられるならば。そんな強い思いが……。

 俺は、膝を引き寄せた。

 そいつは、俺の隣で小首を傾げ、俺の顔を覗き込んでいたが、そっと俺に躰を寄せた。何事かと躰を引きながら見ると、そいつはすっと右腕を上げ、一点を指差した。

 腕を辿って視線を動かすと、その先には、深い深い藍色の花。

「あれ……」俺は我知らずそう口にしていた。

「……知ってるの?」

 そいつの声に、俺は小さく頷く。無論知っている。あれは……。

「お前、何でこんなもの……」隣に腰掛ける碧の瞳を振り返る。視線は自然と厳しくなった。「お前、わかってんのか、この花が……、夢の花がどんな力をもってるのか」

「……うん」

 そいつがこくりと頷く。

 俺は殴りつけるように両手で地面を叩いた。

「バカ野郎! なら、なんで……」勢いで、姿勢が前のめりになり、そいつと鼻を突き合わせる形となった。

 予想外に碧の瞳を間近にし、一瞬、言葉を失う。カッと頬が紅潮する。

 俺は、照れ臭さを押し隠すようにぶっきらぼうに立ち上がると、その蒼い花に手を伸ばした。摘み取ろうとしたのだ。俺のその意図を察し、少年が俺の腕に縋り付き、俺を制した。

「離せよ!」言葉ではそう言いつつも、激しく突き放せなかったのはなぜだろう。それでも、口調には充分に苛立ちを込められたはずだ。「忘れちまうんだぞ、全てを。この花が実を付けたら……。その実に、目覚める前の全ての記憶を吸い取られて。それなのに……」

 だが、そいつは、俺の声に怯えた素振りは微塵も見えなかった。線は細くて頼り無さそうだけど、芯は強そうだ。俺は頭の隅でそんなことを考えていた。

 そいつは俺の腕を両腕にぎゅっと抱き締めたまま俯いた。

「わかっているよ。でも……」小さく唇を噛み締めた後、訴える。「じゃあ、どうしたらいいの?」

「お前……」

 言葉にこもる哀痛さが、俺を気圧す。

「この子を助けるためには、他にどうしたらいいの?」

 その時になって初めて、そいつは俺の腕をぎゅっと握り締めている事に気付いたらしい。

「ごめんなさい……」慌てて腕を離す。

 改めて草原に腰を下ろすと、静かに語り始めた。俺に語るというよりは、独り言のように。

「あのね、……感じるんだ。この子は眠っている。眠りながら、時を遡っている。何も知らなかった安息の日々まで…。きっと、どれ程か哀しい事があったんだろうね。それを忘れる為の、その哀しみから逃れる為の自己防衛。そんな時の遡りの途中に、しかも、こんな深い哀しみの中で、今、目覚めさせたら、この子の心は、壊れてしまうかもしれない。だから……」

「それで、この花を……?」

 俺の問いに、そいつは小さな頷きで答えた。

「解かってたよ。夢の花は、夢を吸い取る花。記憶を吸い取って咲く花。だけど、僕は、他に何もできなくて。僕たった独りきりでは、他に何も思いつかなくて……」自嘲気味に小さく微笑む。「バカだよね、僕。本当に」

 その表情が、哀しげに曇る。

「でも、夢は花となってしまった。もう引き返せない。この流れを止めることはできない。今は、この子が全てを忘れ去って、自然に目覚める時を待たなくては……」

 膝を抱えるこいつの姿が、酷く淋しげにみえた。

 こいつは、何も知らずにこの花を遣ったわけじゃない。この花の利点も欠点も全て知り尽くした上で、悩んで、苦しんで、それでもこの花以外に方法がなくて、この花を遣ったんだ。その結論に至るまでの葛藤はいかばかりか。そう思ったら、俺はそれ以上こいつを責めることはできなかった。なぜなら、これ以上の決断をすることなんて、俺だってできはしなかっただろうから。

「ごめんな、俺。バカなんて言って」

 素直に、そういえた。

 そいつは、一瞬、驚いたように俺を見上げ、次いで嬉しそうに笑った。

「ううん。僕のほうこそ」

 木漏れ日が、そいつの金色の髪を照らす。キラキラ眩しくて、俺は視線を逸らし、胡座を組んだ。

「お前は、こいつを助けようとしてたんだよな」

 気まずげに俯き、足許の草を摘む。

 そんな俺を、そいつは少し照れ臭そうに笑いながら、嬉しそうに見つめている。

「なんだよ」咄嗟に口をついた憎まれ口。

 しかし、そいつが悪びれる様子は欠片もない。両腕に抱え込んだ膝の上に頬を乗せ、俺に微笑みかけたまま言った。

「君で、よかった……」

 どういうことなんだろう。解からなかった。

 俺は、余程不思議そうな顔をしていたんだろう。そいつは、少し戸惑い気味に頬を染めると、俯いて言った。

「ごめんね……。僕、嬉しくて」

 膝を引き寄せ、木漏れ日に眉をしかめる。だが、その口許は嬉しげに微笑んでいた。

「僕独りが呼ばれたとかと思っていたんだ。でも、君がきてくれた。だから、……安心しちゃった」視線を木の根元、ぼんやりとした光の中心にいる少年へと移した。「君も、この木に、……ううん、森に呼ばれたんだよ。この子を護るために……」

「お前の言ってる事、良く解かんないよ」

 そいつは、少し困ったように笑った後、腕の隙間らか俺を見上げた。

「ごめんね、君を混乱させて。ほんとは、僕にも良くわからないんだ」

「何だ、それ……」

 何だか、おかしくなった。俺が小さく笑うと、そいつはつられるように笑った。柔らかな笑顔だった。綺麗だと、思った。

「あの木はね、神様の木なんだって」そいつが、ポツリと言った。「このポラリアの森が生まれた時に生まれて、ずっと生き続けている、この森で一番古い、神様の木なんだって。神様の力が、あの子を護ろうとしてる」

「神様の力なんて、そんな言葉、初めて聞いたな……」

 アルフは驚きを隠そうともせず、リオの横顔を覗き込み、言った。

「ルリアには、神の力は及ばない。神は俺達には何もしてくれない。それが、ルリアが神の支配を退けた時に、天上界とルリアとの間に交わされた約束だ。そうだろう?」

 リオは空を見上げたまま、一つ息を吐いた。その口元は、微かに笑みの形を作っていた。

「そうだよ。解ってる。でも……、この世界を創られたのは、やっぱり神様だよ。ルリアの民の精神力『夢幻』の源だって、神様の御力の欠片だもの。僕は、今でもルリアには神様の御力が満ちているって信じてるんだ」

 リオは、空の彼方に何かを探しているかのように、視線を泳がせた。彼の月色の髪を、風が優しく撫でながら通り過ぎていく。キラキラと輝く髪が、透き通る白い肌に映え、眩しくて、アルフは眼を細めた。

 その時、アルフは心の奥に不思議な感情が芽生えるのを感じた。こいつが言うなら、そうなのかもしれない。神の力は、今でもルリアに息衝いているのかもしれない。生まれて初めて、神の力の存在を信じてもいいと思った。しかしアルフは、そんな感情を抱いてしまった自分自身を誤魔化そうとするかのように、強く二、三度頭を横に振ると、遠くの森を見遣り、少しぶっきらぼうに言った。

「変な奴……」

 それに応えるように、リオはアルフに視線を移し、小さく笑った。そして、アルフの顔を覗き込むように見つめた。リオの視線と、アルフのそれとが柔らかに絡み合う。

 リオは柔らかな笑みを浮かべると、足許に視線を移し、小首を傾げた。木漏れ陽がリオの髪に反射し、そこに美しい光の輪を創った。

 久しぶりに感じる、穏やかな時の流れ。それが心地良くて……。

「そう言えばさ、聞いてなかったよな」ふと思い出し、問い掛ける。「お前、なんていうんだ?」

 不思議そうに見つめてくる碧の瞳。

 訳もなく気恥ずかしくなって、少し乱暴な口調になる。

「名前だよ、お前の名前」

「あ……」そのことに初めて気付いたとでも言うのか、そいつは俺以上に驚いた眼をして、次いで小さく笑った。「僕は、……リオ」

「リオ、か。俺は、アルフォンス。小人族の……」

 言いかけて、俺は口を噤んだ。そんなこと、言ってどうする。俺はどう見ても小人族なんかじゃない。なら、俺に親がいないことがこいつに知られてしまうだけじゃないか。

 けれど、そんな心配は無用だった。俺の心の中を見透かすように、そいつがゆっくりと言ったから。

「……同じだね」

「え?」

「僕、森で拾われたんだ。両親は、……わからない」

 小さくて、呟くような言葉。けれど、それだけで充分だった。

 突然、無性に胸が熱くなった。

 俺は膝を抱えて、その間に顔を埋めた。カッコ悪い。けれど、溢れる思いは止められなかった。哀しみじゃない。それは……。

「君も、この子も、そして、僕も、このルリアで、たった独り。でも、こうして出会えた。だから、もう独りじゃないよね」

 そいつは、……リオは、俺の気持ちをそのまま代弁してくれる。

 そう、やっと会えた。会えるはずがないと思っていた、全てを共有できる相手に。

 どうしても隠し切れない肩の震えを、何から庇おうとしてくれるのだろう。リオが俺の肩をそっと抱き締める。

 暖かな温もりが、心の奥の氷を溶かしていく。

 泣いているわけじゃない。この温もりが気持ちよくて、眠くなっただけだ。

 そう自分自身に言い聞かせて、俺は膝に顔を埋めつづけた。

 



3. 現の夢


 ふと、肩に触れる暖かな温もりに気付く。

 静かに瞼を上げると、目の前でリオが笑っていた。伸びた髪は左肩の上で緩く一つに束ねられ ているが、解れた髪が金糸のように風に靡いている。

 碧の瞳は、出会った頃と何も変わらない、深く澄んだ森の色。

 今のは、夢か、現実か?

 そんなことはどうでもいい。

 つられるように笑みを返す。

「もう、寒くなるから……」

 優しい声。あの頃のままだ。

 ふと、訊きたくなった。

「なあ……」

「なあに?」

「あれ、……どういう意味だったんだ?」

「え?」問い返すリオ。小首を傾げる仕草までもが、あの日と変わらない。

 頭の後で組んだ腕を枕代わりに再び寝転がる。

「覚えてないかな。始めて会った時、お前、俺に言ったんだぜ。……『やっと、会えた』って。あれ、どういう意味だったんだ?」

 リオは、きょとんとして俺を見つめた。

「そんなこと、言ったっけ?」

「ああ」

「……わからない。なんでかな」

 暫く考え込んだ後、ポツリと言う。

「でも、きっと僕らは出会うべくして出会った。だから……」

『出会うべくして、出会った』その言葉が、アルフの心の奥に染み込んでいく。

 夢の続きをみているような、ふわふわとした浮遊感に襲われる。

 柄にもなく、少し感傷的になった。思い掛けない想いが、言葉となって口を吐く。

「あの頃、俺は、ずっと意地ばかり張ってた。誰にも頼らない、独りで生きていくんだって、むきになっていた。でも、俺、気付いたんだ。お前達に出会って、気付いたんだ。大切なものがあるからこそ、生きていけるんだって。護りたいものがあるからこそ、その想いが生きる糧に、生きる強さになるんだってな」

「どうしたの、アルフ。急にそんな事言い出して?」

 リオがフワリと笑う。まるで春の陽射しのようだ。夢見ごこちのままに、俺は答えた。

「夢をさ、見てたんだ」

「夢?」

「ああ。お前とルーに出会った日の、夢」

「そう……」

 リオも思い出したのだろうか。首を傾げ、俺の隣に腰を下ろし、視線を遠くに漂わせる。

 それが嬉しくて、俺もリオと同じ方向を見遣った。そこに、過去のあの日を見つけられるかもしれない。そんな思いを抱きながら。

「たった一日のことなのに、忘れられないことことって、あるんだな」

「うん。……僕も、覚えてるよ」リオが微かに俺に躰を寄せる。「君、……泣いてたっけ」

「リオ!」思い掛けない言葉。俺は咄嗟に起き上がり、リオに覆い被さるように身を乗り出した。「そういうとこは、思い出さなくていいんだよ!」

「何で?」 

「……聴くなよ、そんなこと!」

 折角の気分が台無しだ。膝を抱える。

 そんな俺の心の内まで見通しているのか、リオは少し悪戯っぽく笑った。

「ふ〜ん」

 そう言って、再び視線を遠くに漂わせた後、風に遊ぶ髪を弄びながら、ゆっくりと立ち上がる。

「大切な日は、忘れることなんてできないよ。きっと、一生ね」

リオは、座り込んだままの俺に手を差し延べた。

「ルーが夕食の準備をして待ってるよ。帰ろう、僕等の家に」

 僕達の家……。

 そうだ。俺は何をしていたんだろう。感傷に浸ってどうするというのだ。俺には必要ない。 

だって、リオの笑顔は、今、ここにある。俺の直ぐ側に。手を伸ばしたなら、触れられるほどだ。

 過去を懐かしむより、今の幸せを噛み締めよう。だって、俺は、今が一番幸せだから。明日は、きっと今日より幸せになれる。そう信じられるから。

 リオの手を取る。暖かな手。これが、俺の居場所の証。ゆっくりと立ち上がる。

「そうだな。帰ろう、俺達の家に」

 駆けて行く二人の背中を、夕陽が紅く照らした。



 終わり

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