冬の日に紅茶を入れるだけの話
短編を投稿します。よろしくお願いします。
その日は朝から寒かったからか、公爵夫人エレノアは早くに目が覚めてしまった。早朝も早朝で、まだ使用人たちが動く時間帯ではない。だから私は居間でぼんやりとしていた。
いつものお気に入りの椅子に座ってただ何もしない。趣味は本を読むことだが、今はあまり文字を読むような気分でもない。何もないが、私はこの時間帯が好きだ。使用人が目の前にいると、気を遣われすぎる。
昼間で居間にいると、気立てのいい侍女さんが、
「奥様」
と、さりげなく世話を焼いてくれる。
気づけば、私の周りにはちょうどよい肘掛けとお茶菓子がたちまち完備される。
それもいい。ありがたいことだ。ありがたいのだけれど。私はこういうのが少し苦手だった。自分一人で出来ることまでやってもらうのはどうにも落ち着かない。
けれど、この家ではそれが普通らしい。
夫のアレクシスもそうだ。朝になれば使用人が上着を用意し、食事の席に着けば椅子を引いてもらう。その辺にいてなにもなければ飲み物や軽食を用意してもらえる。
それは、義父や義母も同じであった。
もちろん私も実家が侯爵家で一応何不自由なく暮らさせてもらったので、侍女もいたし、それなりの生活ではあったのだが、いないときは自分でやっていたのでその違いにいつも驚いてしまう。
私もここに来てからもう三年だ。そろそろ慣れなくては。
壁には、結婚した年に描いてもらった私たちの肖像画が掛かっている。この家に嫁いできてから三年になるが、夫とは政略結婚だった。
……とは言っても、小説に出てくるような派手で劇的なものではない。両家の領地をつなぐ貿易が盛んになり、そのつながりを強くするための結婚だが。
数年前、王都の計画でこの地方に新しい街道が通った。何でも海への近道らしく、旅人や王侯貴族がこぞって利用する大通りへと成長した。
街道を行き交う人々を相手にした商売も盛んになった。ちょうど実家の領地と公爵領が、その恩恵を受けられる場所にあったのだ。
公爵領から運ばれるものと、実家から出されるものの相性もよかったらしい。それをきっかけに両家の付き合いは増えていった。
そして、その関係をより強固なものにするため、私たちの婚姻が決まった。
ただ、私たちはそれまで会ったこともない関係だったから、急に家族になるというのにかなり困惑したのを覚えている。
最初にこちらへ来て驚いたのが、料理。
実家の領地は海に近いから食卓に並ぶのは魚介を使った料理が多かったけど、公爵家で並ぶのは肉や根菜、山でとれる茸が食卓の中心。
どちらもおいしいのだが、たまに少しだけ実家の料理が恋しくなる。
同じ国の貴族なのに、料理一つとっても、価値観が違うような気がする。
額縁の中の三年前の私は、今だけ少しだけよそよそしい顔をしていた。隣のアレクシスは今と変わらず無愛想。
実家の侯爵家では、兄弟たちと騒がしく食卓を囲むのが日常だったし、父も母もよく笑う人だった。
けれど、この家の人たちはみんな静か。とりわけ夫は驚くほど物静かな人だった。だから、彼の表情の裏を理解するのにはそこそこ時間がかかった。
両家の交易の相性がよくても、私たちの相性はそこそこといった所かもしれない。
「寒いな……」
と、私は呟く。
公爵領の屋敷は山間部に位置していて、標高も高い。窓の外は霜も降りていて、枯れた木々には雪が降り積もっている。
そんな日には紅茶が飲みたくなる。
「紅茶でも淹れよう」
と、私は椅子から立ち上がった。
居間を出ると、真っ直ぐ伸びた廊下を私はすたすたと欠伸をしながら歩いて行く。
この先には応接間や客間が並んでいて、その一番奥に厨房がある。離れの別邸ほどではないものの、そこそこに歩かされる距離だ。
厨房はどこの家も遠くに配置するのが普通だが、こういうところからも自分の家との規模の違いを思い知らされる。
厨房の戸を開けると、早朝なので当然というか誰もいなかった。昼間の食事時になると、十数人の料理人が行き交い、ものすごい活気で、私たちに料理を作ってくれる。
厨房の外まで聞こえてくる物音や熱気はまるで戦場のようだと私は思う。
私は厨房の中を見回した。
平時は忙しそうな厨房だが今は、しん、と静まりかえっている。
そんな早朝のこの空気が私は好きだった。
私は厨房にあるかまどに向かって歩いて行った。煉瓦造りのそれの中を私はのぞき込む。
「あった」
灰をかき分けると、奥には赤く小さな熾火が残っている。その上に細い小枝を数本並べ、ふうと息を吹きかけて火を育てていく。
しばらくして小さな火が上がったら、やかんを置きお湯を沸かしていく。
「よし」
棚から茶葉を取り出して、お湯が温まるのを待つ。
……幼い頃から、私は家のことを一通り教えられていた。
お茶の淹れ方もその一つだった。湯は沸かしすぎないこと。茶葉は濃いめ。
母から教わった手順をきっちりと守る。手順通り作ることがおいしく作るコツなのだ。
私は慣れた手つきで茶葉をティーポットに入れていく。
そういえば、アレクシスは実家に来たとき、濃いのを無理して飲んでたっけ。
厳格な顔からは想像もつかないような甘党。渋いのは嫌いらしい。本人はいつも渋い顔をしているけど。
渋い紅茶を口にすると、あの人は少しだけ体が固まる癖がある。気づかれないように抑えているのか、ピクピクと眉が震える癖がある。
私が無理してないかと聞いても大丈夫だ。としか言わない。
「ふふっ」
あの人は、昔からそういうところがある。苦手って言えばいいのに、出されたものは残さない。変なところまで律儀な人だ。
「あれ、茶葉ってこんな感じだっけ……」
私はふと、ポットに入った茶葉が少ないような感じがした。
毎日のように淹れてるから分からなかったけれど、子供の頃に教わった量より若干少ない気がする。
けれど、母に教わった手順から外れているわけではない。
「まあいいか。いつもこんな感じだし」
そんなことを考えながら、紅茶の用意を終えた。
紅茶をお盆にのせ、いつものように砂糖を取り出そうと茶棚を開けた。
すると、茶棚に見慣れないものがあることに私は気づいた。
「蜂蜜……?」
私は首をかしげた。
そういえば、最近咳っぽい。私の体調を気にして蜂蜜を頼めるように、誰かが買って棚に置いてくれたのだろうか。今日は寒いし、空気も乾燥している。ちょうどいい。使わせてもらおう。
「持って行こうかな」
私は蜂蜜の瓶を取り出し、お盆の上にのせた。火を消してから、私は厨房を後にした。
居間に戻ると、夫がぼんやりとした顔で椅子に座り、新聞を開いていた。まだ、朝食までには時間がある。
「あら、起きてたんですか」
「ああ……」
夫とは最近この時間に居合わせることが多い。初めは気まずく居づらかったが、向こうは特になんとも思っていないらしい。それを知ってから、私も夫がいてもあまり気にしなくなったような気がする。
夫は目線を私の手元へと向けた。
「ああこれ、作り過ぎちゃったんで、飲みますか?」
「そうか。では、一杯くれるか」
夫はそれだけ言って、また新聞を開きはじめた。
最近夫はよくこの時間に紅茶を飲む。だからだろうか、私はいつのまにかカップを二つ用意するようになっていた。
私は手癖で夫のカップに砂糖を二つ入れてから紅茶をさらさらと注いだ。
白い湯気が上がったそれを夫は口へ運ぶ。
「うまい」
それだけをつぶやいてから、また新聞の続きを読み始めた。
私もできあがったそれを一杯口へ運ぶ。
私は基本紅茶にはなにも入れない派なのだが、蜂蜜入りの紅茶も結構いける味だと思った。
「ええ、そうですね」
私もそれだけ言って、一瞬。目を閉じる。
昔の自分なら、もっと何かを話そうとしていたかもしれない。
けれど今はこれで十分だった。
窓の向こうには息が白くなるような冬の朝が広がっている。
今日もきっと特別なことは何も起こらない。夫は仕事へ行き、私はいつものように社交場へと赴く。
代わり映えのしない毎日。
だが、こうして二人で朝の紅茶を飲む時間が心地よく感じていた。
こうして今日もまたいつもの一日が始まる。
終
ここまでお読みいただきありがとうございました!!




