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サイラスとアデル  作者: バラモンジン


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9.イブリンの日常

 イブリンが心地の良い椅子に収まって、軽快なリズムでタティングレースを編むシャトルを動かしていると、


「イブリン様、根を詰め過ぎますと、目や腰にきますよ。一息入れませんか」


と、メイドのローズがお茶を運んできた。


「あら、ありがとう。そうね、ずいぶん時間がたっていたみたい」


 イブリンは素直に仕掛かり中のレースを置いて、お茶と焼き菓子が用意されたテーブルについた。


「あなたも一緒にお茶しましょう。ルルも手が空いていたら呼んでいいわよ。ナノンは今日はお休みだったわね」


「はい、ありがとうございます。呼んできます」


 ローズは、パッと嬉しそうな笑顔を浮かべ、同僚を呼びに行った。



 イブリンは、店を始めると決まってから、作業をするための部屋や、打ち合わせをするスペースも必要となったため、前より広い家に移った。


 使用人も、通いの男女一人ずつしかいなかったのが、住み込みもあわせて五人に増えた。ハウスメイドが三人と、料理人一人と、庭仕事と御者をする使用人である。


 身の回りの世話をする侍女も付けようかと言われたが、イブリンは断った。侯爵家から来る侍女となると、男爵家三女のイブリンより上の位の令嬢だろう。気後れしそうだし、身支度くらい一人でやった方が気楽である。手の届かないところはメイドを呼べばいい。イブリンは体裁よりも、自分が快適に過ごせることを優先した。



 イブリンは三人でお茶をしながら、世間話に興じた。滅多に外出できないイブリンに代わって、買い物などで街に出る機会のあるメイドは、最近の流行の装いやアクセサリー、お菓子などの情報を持ち帰ってきてくれる。イブリンはそれを聞くのが楽しみだった。住み込みのメイドは、一ヶ月で侯爵邸のメイドと入れ替わるので、そちら経由の情報も入ってきた。


「そういえば、最近アデル様のお部屋で素敵なドイリーが使われているのを見ましたけれど、あれもイブリン様がお作りになったレースですか」


 侯爵家から来たばかりのルルが聞いた。


「たぶんそう。使ってくれてるのね。まだ練習中で満足のいく仕上がりじゃないんだけど、溜まっていく一方だって言ったら、綺麗だから欲しいって言ってくれて。本当に気に入ってもらえたのなら嬉しいわ」


 イブリンは、これまでかぎ針を使ったクロッシュレースしか作ったことがなかった。教養ある貴婦人が嗜みとして取り組むタティングレースや、ボビンレースは、特別な道具や繊細な細い糸が必要なので、男爵家のイブリンには手が届かなかった。


 それが、侯爵家から出資してもらえるならと、シャトルを使ったタティングレースや、いくつものボビンを編み図に従って複雑に織り上げていくボビンレースにも挑戦してみた。


 イブリンは、侯爵家から届けられたレース糸の均一さとなめらかさに驚いた。出来上がった品も、艶めいて上質に見える。それが嬉しくて、イブリンはついついレース作りにのめり込んでしまった。


 ルルもローズも平民なので、タティングレースもボビンレースにも馴染みがなく、イブリンがあっという間に道具の扱いに慣れて、繊細な模様を生み出していく様を、感心して眺めていた。


「イブリン様って、器用ですよね」


「そうそう、あの何本も並んだボビンたちが、迷子にならずにあっちこっち順番に移動しているのを見ていると、目が回りそうです」


「タティングの時なんて、話をしたり、よそ見をしていてもシャトルを動かしていますよね。なんで間違えないのかいつも不思議に思ってます」


「あたしなんて、一本のかぎ針だって、今いくつ目に針をくぐらせたっけってなりますもん」


 イブリンはレース作りの腕を褒められて悪い気はしなかった。もともとこういう細かい作業が苦にならない質で、その積み重ねが美しい作品として仕上がると、それまでの自分が報われたようで嬉しくなる。誰かに見せたくなるし、褒めてほしくもなる。


 だから、アデルの提案は渡りに船であった。サイラスがいない時間を埋め、打ち込めるものがあれば気が紛れる。しかも、店を開くために、メイドも増やしてくれた。ひとり鬱々と待っていた時間が、レースを作り、おしゃべりし、お茶を一緒に飲む時間になった。イブリンは毎日に張り合いが生まれた。



 それでも、やっぱりサイラスが恋しい。ここにいてほしいと思う。


「そういえば、旦那様との出会いも、イブリン様のレースのハンカチがきっかけだって聞きました」


 ルルが急にそんなことを言い出した。


「あら、誰から聞いたの?」


「侯爵家ではみんな知っていますよ。ロマンチックな出会いですよね。さすが旦那様です」


 イブリンは苦笑した。身分も考えず簡単に恋に落ち、どんな運が味方したのかサイラスの恋人となり、そのまま愛人に納まった。さらには、自分の方が愛されているからと、正妻のアデルを蹴散らしてその座に就くつもりでいた。


 身の程知らずだったと思う。アデルに会って、完全に負けを思い知らされた。


 けれど、あの呼び出しに応じて良かったと思う。応じずに、サイラスを責め続けていたら、たぶんサイラスはイブリンを切っていた。侯爵家嫡男として、そこは割り切ることができる人だと思うから。



「その時のハンカチって、どういうのでした?」


 ルルが、興味津々で聞くので、イブリンは引き出しからそれを取り出して見せた。


 ハンカチをぐるっと取り囲むレースは、柔らかい曲線を規則的に描き、優美な花びらが舞っているようだった。


「わあ、細かい! きれーい! これ本当にかぎ針で編んだんですか。あたしならもっとボテボテしそう。糸が違うのかなあ」


「持ってる中で一番細いかぎ針を使ったのと、クロッシェレースだからって侮られないように、ちょっと無理して良い糸を買ってもらったの。学園は貴族だらけだから、そんなとこも見栄を張らなくちゃいけないって思い込んでいたのよね」


「そしたら、旦那様が褒めてくださったんですよね。旦那様ってば紳士ですよねぇ」


「でもね、サイラス様って、案外そういう細かいことを気にしないから、レースの区別なんかついてなかったみたい。パッと見て、あ、キレイだねって」


「でも、むしろそれが正直な感想ですよね」


「そうなの。気を遣ったんじゃなくて、とっさに出た言葉だったから嬉しかったのよ」


「たしかに、どこで作ったものだとか、どのお店で買ったとか聞くと、それだけで良く見えたり、みすぼらしく見えたりしちゃいますもんね」


 このルルの言葉には、イブリンも思うところがあった。


「最近は機械編みのレースも出てきたでしょう? 高位貴族の方々は、機械レースを蔑むけど、今に技術が進歩したら、見分けがつかなくなると思うのよ。同じに見えても、機械レースだと聞いた途端に評価を下げるのって変だと思うわ」


 この機械レースを擁護するイブリンの意見には、


「でも、機械レースは、洗濯するとすぐにダメになるって聞きました」


「それほど複雑な模様はできなそうですし」


 などと、ルルもローズも否定的だった。


「今はそうだけど、技術の進歩ってすごいから、じきに手編みに追いつくどころか、追い越していくと思うのよ。なーんて、実はアデル様の受け売りなんだけどね。あの、私ね、ひとつ考えてることがあるんだけど、協力してくれる?」


「え? レースについてですか? 私たちのこの手からは何も生み出せませんよ」


 ルルが両手をパッと広げて、無理無理と後ずさった。


「ボビンレースほどややこしくないわよ。使うのは、かぎ針一本だし、チェーンステッチができれば大丈夫なの」


「ええと、かぎ針と言っても、クロッシュレースを作るわけではないんですよね。お店に出すものが、かぎ針で作れますか?」


 ローズが警戒しながら訊ねた。ルルもローズの横で、ウンウンと頷いている。


「機械レースが複雑な模様を織れるようになるまでの隙を突いたやり方なんだけどね、機械で編んだ網状のレース、チュール生地って言うんだけど、これにかぎ針で刺繍を施すの。これならずいぶんと時間を短縮できるし、ボビンレース職人みたいな熟練の技は必要ないのよ」


 イブリンは意気揚々と説明するも、ルルとローズはイメージが湧かず、自分たちの不器用さも自覚しているので話に乗ってこない。


「あ、でも、ナノンなら器用だし、お洒落なものや可愛いものが大好きだから、やってみたいって言うかも」


「侯爵家にいるメイドの中にも、刺繍が好きな子はいるから、そういう子に声をかけるのはどうでしょう」


「そうね。装飾のない機械レースが届いたら、まずは自分で刺してみるわね。それを見てやってみたい子がいれば、誘ってみるわ」



 そんな話をしているところに、突然サイラスが現われた。


「やあ、楽しそうだね。俺も交じって良い?」


 サイラスは笑いながら言ったが、イブリンと一緒にお茶をしているところを見られたローズとルルは真っ青である。メイドがその家の女主人と同じテーブルに着くなど、普通なら許されることではない。


 慌てて立ち上がってお茶のカップを片付けようと焦るローズたちを、イブリンが取りなした。


「いいのよ、あなたたち。私が呼んだんだから。一人でお茶するなんて味気ないもの。サイラス様だって怒っていないと思うわよ。ねえ?」


 そう言ってイブリンがサイラスを窺うと、


「ここはベルトラン侯爵家じゃないから、大丈夫。イブリンの言うことを聞いていればいいよ。そして俺にもお茶をもらえるかな」


「はい、ただいま!」


 マナーも忘れ、足音をたてて去ってゆくメイドたちを見送り、サイラスはイブリンに向き直った。


「急に来てお邪魔だったかな」


「そんなわけないじゃない。いつだって待っているのに」


「でも、楽しそうだったよ」


 サイラスはイブリンの手を取って、ソファに並んで腰を下ろした。


「レースは進んでる?」


「まあまあね」


「アデルからは、すごく真剣に取り組んでるって聞いたけど。無理してない? 大丈夫?」


 イブリンは答えずに、ふいと顔を背けた。


「どうしたの、楽しくない?」


「だって、楽しいって言ったら、サイラス様の足がもっと遠のきそうな気がするから」


 イブリンは、さっきまでローズたちとおしゃべりをしている時間を心底楽しんでいたはずなのに、こうしてサイラスが来てくれると、なぜだか余計に寂しさが増してくる気がした。


「たまには外出しようか」


 サイラスが、イブリンの顔を覗き込んで言った。


「いいの?」


「馬車で郊外に行って散歩をするくらいしかできないけど、一緒にいられるよ。室内に籠り過ぎなのも良くないと思うんだ」


 サイラスはそうさせているのが自分だという自覚があるので、そんな提案をしてみた。


「行きたい! 私、湖を見てみたいの。うちは領地がなかったから、王都しか知らないの。見晴らしの良い丘でもいいわ。ピクニックに行きましょうよ」


 イブリンが子供のようにはしゃいだ。サイラスは、出会った頃のような無邪気なイブリンを思い出して微笑ましくなった。


「うん、いいね。ピクニックだと食事の準備があるから今すぐには無理だけど、そうだな、明後日行こうか」


「ほんと? 嬉しい」


 ニコニコと上機嫌なイブリンと、それを愛しそうに見つめるサイラス。傍目にはサイラスが結婚する前の二人と変わらないように見えたが、二人の関係がアデル公認であることから背徳感がスパイスになることもなく、むしろアデルに対する後ろめたさを共有することが、サイラスとイブリンの連帯感を高めていた。


 サイラスはイブリンからピクニックの希望を聞き出し、行き先をいくつか提案した。そうして睦まじく語り合う二人の元に、ルルがお茶を運んできた。


 ルルは、つい先日まで侯爵家にいて、アデルとサイラスの落ち着いた家族としての姿を見ているので、誰に対してということではないが、『お貴族様も大変だなあ』という庶民的な感想を持ったのだった。




読んでいただき、ありがとうございました。

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