8.夜会にて
夜会の日がやってきた。
アデルは腕利きの侍女により、爪の先から髪の一筋に至るまで、淑女というに相応しく仕立て上げられた。
「キラキラだわ」
鏡の前に立ったアデルはクルリと回って自分の姿を確認し、今日のために誂えた フリンジ・ティアラを指先で触りながら、満足そうに言った。
なぜか、おしゃれに関してだけ語彙が少なくなるアデルに、侍女たちは苦笑した。
◇
王宮での夜会は、下位の貴族から名前を呼ばれホールに入っていく。
アデルは、これからベルトラン侯爵家の次期侯爵夫人として衆目に晒されるのかと思うと、怖気づきそうになる。しかし、隣にいるサイラスも、目の前にいる侯爵夫妻も自分の味方なのだと知っているから、顔を上げて堂々としていよう。
自分を認めてくれている彼らに、恥をかかせるわけにはいかない。アデルを磨き上げ、自信を持たせてくれた侍女たちの矜持も守ってみせよう。アデルはそんな覚悟でベルトラン家の名前が呼ばれるのを待った。
ベルトラン侯爵家の四人がホールに姿を現すと、一瞬ざわめきが消えた。
四方からため息が聞こえたが、その意味は様々であった。
「うそ、あれがあのアデル様なの?」
「さすがに今日は黒縁メガネではないと思っていましたが、あんな風にメガネもアクセサリーになりますのね」
「それより髪よ。前は小鳥のヒナが載っていそうなクシャクシャ頭だったのに」
「よっぽど侍女が優秀なのかしら」
「悔しいけど、サイラス様と並んで絵になるわね」
サイラスを突然横取りされたように思っていた女たちは、アデルが似合わないドレス姿であたふたするのを笑ってやろうと密かに楽しみにしていた。しかし、寸分の隙もなく整えられたアデルは文句のつけようがなく、当てが外れた女たちはため息をつくしかなかった。
一方、サイラスの友人たちは、
「おい、奥方がアデル嬢じゃないぞ」
「ばか、メガネかけてるだろう。ちゃんとアデル夫人だ」
「いや、だって変わり過ぎだろう」
「サイラスが自慢するわけだよな」
「美人てわけじゃないのに、すごく洗練されて見える」
と、かなり好意的だった。
サイラスとアデルは侯爵夫妻に連れられて一通りの挨拶を済ませた後、喉を潤してからダンスに向かった。
「とりあえずワルツは大丈夫だよね」
「はい、サイラス様のお顔の配置の1:1:1を上から見ながら、一二三、一二三、と唱えると不思議となめらかに踊れます」
「目をせわしく動かさないようにね」
「はい、侍女たちにも念を押されました。動きは全てゆっくり、それだけでも優雅に見えるからと」
「では、練習の成果を披露しようか」
「いざ!」
「掛け声がもう、優雅から遠いよ」
そんな会話を微笑みながら交していると、傍目にはとても仲睦まじく映った。実際に恋情はないものの、アデルとサイラスの関係は良好であった。
アデルの無頓着と、サイラスの後ろめたさと、イブリンという愛人を上手に懐柔したことで成り立っている関係なのだが、今のところ上手くいっていた。
無事ワルツを踊り終わると、サイラスの友人たちがやってきた。
「やあ、サイラス、アデル夫人、結婚おめでとう」
「ダンスの息もぴったりだったね」
「いやあ、見違えたよ。お似合いだ」
などと、ひとしきり結婚を祝われた後、アデルは自分の両親の姿が目に入ったので、サイラスに断ってその場を離れた。
両親の元にたどり着く前に、見知らぬ令嬢が二人、アデルの前に立ちはだかった。
「アデル様、少しよろしいかしら」
扇で口元を隠した女性たちはアデルのことを知っているようだが、アデルの方はまるで見覚えがなかった。知らない人だとしても失礼があってはならないと、アデルは慎重に対応することにした。
「はい。お声がけいただきありがとうございます」
そう言って様子を見たが、二人の女性は自ら名乗ろうとはしない。これはアデルが相手を知らないことを咎めるつもりなのだろうか。侯爵家と縁のある家の方々とは、先ほど挨拶を済ませているので、おそらく王立学園時代のアデルを知っている人たちだ。
「あいにく、お二人のお名前がすぐに出てこず、・・・失礼ですが、どちら様でしょうか」
アデルは取り繕うのは早々に諦めて、ここは正直に答えた。すると、あからさまに不機嫌そうに、
「どうせ私たちのような末端の貴族のことなど眼中にないのでしょう。あなただって、たかが子爵家の出じゃないの。どうやってサイラス様に取り入ったのよ」
と、敵意を向けてきた。なるほど、これは分かり易くて助かるとアデルは思った。
これまでにも、サイラスと釣り合わないと陰で言われていたのは知っている。当時の自分の外見なら、そう言われても仕方がないと思っていた。とは言え、そんな噂くらいでアデルの方から辞退を申し出るのも、ベルトラン家に対して失礼な話である。
「はい、実は私も不思議に思いましたので、以前サイラス様に訊ねたことがあるのです。どうして私なのかと」
「自覚があったのね。それで?」
「サイラス様は、『俺がアデル嬢がいいなと思ったんだ』と言ってくださいました」
「ウソよ! あなたのように勉強しか取り柄のない女が、サイラス様に見初められるなんてことある訳ないでしょう」
「勉強が取り柄と認めてくださるのですね、嬉しいです。学園時代、真剣に取り組んだ甲斐がありました。それからサイラス様は、私を侯爵家の侍女に預ければ、その卓越した手技とセンスによって、次期侯爵夫人として見劣りしない姿に仕立て上げることができると自信がおありだったようです。今では私も、彼女たちに全幅の信頼を置いています」
そう言ってアデルは、侍女から教わった美しく見える立ち姿で、名も知らぬ二人の女性に向き合った。
女性たちは、そうね、と言えばアデルを肯定することになるし、いいえ、と答えれば侯爵家を否定することになるため、何も言えずに口ごもった。すると、
「どうしたの、アデル」
と、アデルの背後から声がかかった。
「サイラス様」
アデルがサイラスを見上げて困ったような顔をすると、
「こちらのご令嬢は?」
と、サイラスはアデルに聞いた。
「あ、あのっ、私は」
令嬢の一人が勢い込んで答えようとした。
「君には聞いてない」
「はい、でも」
「アデル、こちらの方は?」
サイラスは、アデルだけを見て聞いた。
「それが、どなたか存じ上げないものですから伺ったのですが、お答えいただけませんでした」
「そう、じゃあ、話をする必要もないね。君は次期侯爵夫人だ、彼女たちの方から話しかけるのはルール違反だし、名乗りもしないのだろう? それはつまり、名前を覚えてほしくないということだと思うよ」
「なるほど、そういうことでしたか」
「アデルのご両親には俺も挨拶したいから、一緒に行こう」
そう言ってサイラスは二人の令嬢を完全に無視して、アデルの腰に手を添えると、少し離れたところでこちらを心配そうに見ていた両親の方へと促した。
近くには、聞き耳を立てていた者が少なからずいたようで、ひそひそと囁きを交わした。
「あーあ、侯爵家に喧嘩売ったことになるよね」
「自分は相手を知っているからって、名乗りもしないのはないわぁ」
「彼女たち、男爵家と子爵家でしょう? アデル様が元子爵令嬢だからって、いつまで学生気分を引きずっているのかしら」
「あのいで立ちを見たら、ベルトラン家で大事にされてるって分かりそうなものなのに」
「もしかしたらイブリン様のことで」
「それも禁句。ここでは慎みなさいな」
令嬢たちは、ようやく自分たちのしでかしたことに気付いて、扇で顔を隠してそそくさとその場を離れた。
「ところで、さっきは何を話していたの?」
歩きながらサイラスが聞くので、
「私の今日の装いを自慢していましたの。ベルトラン家の侍女の優秀さは、誰にも否定させませんわ」
と、アデルは力強く言い切った。
「そうだね、今日のアデルはとても麗しいよ」
「ふふ、外見を褒められるのも嬉しいものなのですね。私、そういうこともベルトラン家に来て初めて知りました。外見というのは、持って生まれたものだけではなく、洗練された美的センスと熟練の技に裏打ちされたものであると理解しました。
ですから、他の方々の装いを見学するだけでも得るものがあり、夜会に出席できて良かったと思います。それもこれも、サイラス様が私と結婚してくださったおかげです」
アデルが本心から言えば、
「磨けば光るアデルを見つけた俺の手柄かな」
と、サイラスも満更でもなさそうに答えた。
とは言えサイラスは、アデルの素顔に興味があったものの、良い意味でここまで化けるとは思っていなかった。単に都合がよく賢い女性を見繕った結果、アデルを選んだにすぎない。
最初の頃などは、自分に恥をかかせた腹いせから、アデルに冷たくしてやろうなどと考えていたのだ。使用人や侍女たちにも、アデルの扱いを手を抜くように言っておいた。侍女たちがそれを逆手に取って、有無を言わさずアデルを磨き上げたのは想定外だったが、結果としてサイラスを喜ばせることになった。
そんな扱いを受けたアデルだったが、常に何かを学ぼうという姿勢は崩さず、イブリンのことも不満を言うどころか、彼女の人生も蔑ろにせず、生きる基盤を整えてあげようとしていた。
サイラスは己を顧みて、軽々しくイブリンを切り捨てようとしたことを恥じた。どちらの女性にも誠実でなかったことを自覚してしまったために、以前のようにイブリンにのめり込むことも、いまさらアデルを好ましいとアピールすることもできないでいた。
気持ちを持て余したサイラスだが、夜会での完璧な立ち回りは得意なので、アデルの両親であるユベール子爵夫妻にも卒なく挨拶し、アデルとの結婚生活が上手くいっていることを示した。
アデルも侍女のアドバイスを忠実に守り、ベルトラン家の一員として立派に夜会を乗り切ったのだった。
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