7.サイラスとダンスを
サイラスとアデルの結婚式から三週間後、領地から侯爵夫妻が王都の屋敷に戻って来た。
侯爵はわざと戻る日を伝えなかったが、サイラスが愛人宅ではなく、屋敷にいたことに安堵した。
領地には、サイラスが式の夜から一週間、屋敷を留守にしていたという報告がなされていた。侯爵夫妻は頭を抱えたが、その後の顛末を聞き、このままアデルに任せてみようということになった。
出迎えにも、サイラスとアデルが揃っていたことで、これなら大丈夫だろうと侯爵は胸をなで下ろした。
夕食を四人でとりながら、話題は来月に王宮で開かれる夜会のことになった。
「その夜会でアデルを皆に紹介する」
侯爵の言葉にアデルは緊張した。なにしろ初めての夜会なのだ。フォーマルなドレスを着てまっすぐ歩く自信すらない。
不安が顔いっぱいに表れていたアデルに、侯爵夫人が言った。
「大丈夫よ、アデルさん。うちの侍女たちを信じなさい。すっかり綺麗になって、本当に見違えたわ」
「ありがとうございます。卓越した技術を駆使してもらって、生まれ変わったような気がします。侯爵家の恥とならぬよう、マナーも学び直す所存です」
「硬いわよ、もっとリラックスして。初めての夜会でアデルさんが失敗したくらいで、揺らぐような侯爵家じゃないから安心してね。サイラスもしっかりフォローするのよ」
「任せてください」
サイラスにとって夜会は得意分野だ。スマートなエスコートでアデルに見直してもらい、友人たちには生まれ変わったようなアデルの姿を存分に見せつけてやろうと思う。磨かれた原石を拝むが良い。
「アデル、明日からダンスの練習をしようか」
「明日は午後から約束があるので、午前中でよろしいでしょうか」
「ああ、かまわないよ。午後はどこへ行くの」
「え、と」
アデルは食事の席で愛人の名前を出して良いものか迷った。察しの良いサイラスは、
「いいよ、たまには友達にも会いに行きたいよね。楽しんでおいで」
と、見逃してくれた。アデルには友達などいないことは知っているのに。
アデルは、そんなところがサイラスのモテる秘訣の一つなのだろうなと、納得した。
とは言え、イブリンが始める店については侯爵に詳細を知らせておかないといけないので、後で執務室に行こうと思った。
侯爵への報告は、わずか数分で済んだ。
アデルがイブリンの店の概要を説明しようとしたところ、
「いいよ、聞いている。上手に誘導したようだね。愛人のささやかな店くらい、好きにやらせていいよ。仕入れや経理などはこちらで全て管理するから、とんでもない失敗はないだろう。彼女のセンスと熱意次第だが、うちの侍女の意見もそれとなく聞かせてやってくれ」
と、先回りされてしまった。
「ありがとうございます。侍女の皆さんの実力は、この私の大改造でも力を発揮してくれましたから、大いに頼りたいと思います」
「彼女は、あくまでも侯爵家の籠の鳥だ。こちらが認める範囲の自由しかない。だが、なるべく希望は聞いてやってくれ。鳥籠が窮屈だと思われないように。もとはと言えば、サイラスのやらかしだからな。アデルさんにも、最初からこんな状況ですまないと思う」
「いいえ、私は新しい世界に胸が高鳴ります。これまで文字でしか知らなかったことが実践できるのです。イブリン様とは距離を置く予定でしたが、お店が軌道に乗るまではそうも言っていられません。節度をもって接するので、しばらくお見逃しください」
「うむ、まあ、鳥籠の戸締りはしっかりな」
「心得ました」
アデルが部屋を辞した後、侯爵は、
「楽しそうではあるが、サイラスに対しては、全く胸が高鳴る気配はないのだな」
と、複雑そうに呟いた。
翌日は朝からアデルの悲鳴が屋敷に響いた。
「む、無理ぃ、な、中身が出ますう~」
「まだです」
「ひ、い~~~」
「練習ですし、このくらいにしておきましょうか」
その一言で、アデルのコルセットの締め付けが止まった。
ホッとしたのも束の間、衣装もアクセサリーも本番さながらに装着され、髪も結い上げられた。
「夜会でのフル装備を体験しておきませんと、簡易なドレスで踊れても、本番では通用しません。高いヒールだけは、さすがに現時点では無理でしょうから、気持ち低めのものをご用意いたしました」
「配慮をありがとう」
耐えること、体感三時間、実際には一時間もかかっていないのだろう。ようやく侍女たちがアデルから離れた。
三人の侍女がアデルの全身を確認し、満足そうに頷き合った。
「さあ、仕上がりました。ベルトラン侯爵家の若奥様に相応しいお姿です」
ベルトラン侯爵家という言葉に反応して、アデルがしゃんと姿勢を正すと、ドアの外で待っていたサイラスが近づいてきて、
「お手をどうぞ、美しい俺のアデル」
と、手を差し出した。
これまで一度も言われたことも、されたこともないエスコートに、アデルは、
「“美しい” が “俺” に係っているかもしれない絶妙な表現ですね」
という言葉が口をついて出た。サイラスは咳ばらいをして、言い直してくれた。
「お手をどうぞ、俺の美しいアデル」
「ごめんなさい、イヤな言い方をしてしまいました」
アデルはすぐに謝罪した。
「いや。考えてみれば、俺はこれまでアデルをまともに褒めたことが、なかったかもしれない」
サイラス様、と侍女たちが小声で嘆いた。
「サイラス様、それは仕方がありません。サイラス様のお心はイブリン様のものでしたし、私のどこかを褒めようとしても難しかったのだと、今なら分かります。でも、これからはちゃんと褒めてくださいね。侍女の頑張りを蔑ろにしてはいけません」
アデル様、とやはり侍女たちは残念そうに呟くのだった。
「さあ、ホールに行こう」
サイラスに促されてアデルは歩いた。人と足並みを揃えて歩くのは難しいのではと思ったが、サイラスのエスコートは完璧で、自然に流れるように進むことができた。
二人が踊るのは、これが初めてだった。
踊り始めると、ホールには軽やかなピアノの音と、アデルの小さな悲鳴と謝罪が交じり合った。
アデルは、ダンス教師に短期間習ったことがあるだけで、あとは学園のダンスの授業しか経験がない。ステップも頭の中に入っているが、記憶と実際のステップは連動せず、足がもつれ、たびたびサイラスの靴を踏んだ。
「ごめんなさい、サイラス様。どうしましょう、下手だと自覚はしていましたが、ご迷惑をかけるほどだとは思っていませんでした。詰まるところ、左右の足を交互に動かすだけだと、甘く考えていました」
一曲通して踊ったあと、アデルは肩を落としてそう言った。
「夜会は来月だから、まだ間に合うよ。アデルは普段から背筋が伸びて、立ち姿がキレイなんだから。それに、足元ばかり見てると余計に混乱するよ。視界に俺の足を入れない方がいい」
「だけど踏んでしまいそうで」
「見ていても踏んだでしょう。息を合わせないからだよ。アデル、曲の間は俺の顔だけを見て」
そうして踊り始めた二回目は、さきほどよりなめらかな動きで、サイラスの足も今のところ無事である。
アデルはサイラスの顔をじっと見つめた。微笑むでもなく、ひたすらに見入っている。
あまりに見つめるものだから、サイラスはきまりが悪くなった。茶化そうかとも思ったが、せっかくスムーズに動けているのだ、水を差すこともあるまいと、アデルの眼差しを平気な素振りで受け止め続けた。
曲が終わると、アデルは嬉しそうに言った。
「サイラス様、今度は一度も足を踏みませんでした。アドバイスのおかげです」
「余分な力が抜けたね。俺の顔が良かったせいかな」
サイラスが照れ隠しに言うと、
「はい。サイラス様のお顔がどうして麗しく見えるのか考えていたら、いつの間にか終わっていました」
上気した顔でアデルが言った。
「考察の結果は?」
「たぶん、顔の縦横の比率、各パーツの配置が、ことごとく素晴らしい位置関係にあって、いくつもの黄金比率で構成されていると思うのです。左右の目の形が少し違うのが、角度によって表情が変わる原因となって、異なる魅力を放っているのだと思いました」
「そんなことを考えていたのか」
サイラスは、アデルが自分の顔に単純に見とれているのだと気を良くしていたのだが、どうやら冷静に分析していたらしい。
「はい。書庫にあった本からの受け売りなのですが、『美しさは数学的な比例によって生み出される』そうなのです。サイラス様のお顔も、額から眉、眉から鼻下、鼻下から顎先までの長さが、1:1:1 くらいに見えますから、サイラス様の美しさは数学的にも証明されているのです」
「そうか、嬉しいよ」
サイラスは一応そう言ったが、本当に嬉しいかと聞かれれば微妙であった。
「イブリン様も美しい方ですから、お二人が並ぶとお似合いですよね」
なんのこだわりもなく言うアデルに、サイラスの胸は少し痛んだ。
ともあれ、アデルは短時間でかなりの上達を見せ、サイラスや侍女たちを驚かせた。
「姿勢も良いですし、いつも颯爽と歩いておいでですからね」
「重い本をたくさん運び慣れているのも、体幹を鍛えるのに役立っているのでしょうか」
「あとは、優雅さだけですね」
「確かにそれがいちばん難しそうだ」
侍女たちの評にサイラスも同意した。
ダンスの練習が終わると、サイラスは再びアデルの手を取り、元の部屋までエスコートしてくれた。
「似合ってるからもったいないな。今からでもどこかに連れ出したいくらいだ」
「ありがとうございます。サイラス様のエスコートも完璧でした。では、ここからは通常モードで。
午後は、イブリン様のところに行って、レースの進捗状況と、揃えたい商品について相談してきます。侍女も三人連れていきますので、万事お任せください。ハーブ石鹸の方も、香りのイメージを掴むために何種類か取り寄せましたので、こちらも検討してみます。来週には実際に職人の方の指導を受ける予定なんですよ。サイラス様も、もし興味がおありなら、ご一緒しますか」
「いや、そこは女性の繊細な感性に任せるよ。話だけあとで聞かせてくれればいいから」
「そうですか。サイラス様がいらっしゃれば、イブリン様も喜ぶかと思ったのですが」
「う、うん、また今度ね」
サイラスも侍女たちも言葉に詰まった。イブリンにしてみれば、サイラスが正妻と揃って馬車から降りて来る姿など見たくもないだろう。どうもこの情緒が育っていない若奥様は、人の心の機微に疎いようである。
侍女たち三人は揃ってサイラスを見た。
俺に何とかしろと言っているのだとサイラスには伝わったが、
「イブリンにはよろしく伝えてくれ。近いうちに必ず行くからと」
と、アデルの件は横に置いて、障りのないことだけ言った。
「はい。イブリン様もきっとお待ちですよ」
アデルがにこやかに返したので、サイラスは再び、もやもやとしたものを抱えることになった。
読んでいただき、ありがとうございます。




