17.来訪
「ありがとうございました」
『銀の針』から出て行く客を、イブリンは見送った。
「イブリン様、あんな人にお礼を言う必要ないですよ」
ナノンがイブリンに小声で言った。
◇ ◇
ナノンは元々イブリンのメイドで、レースや刺繍が上手なところを見込まれて、お針子の一員となった。商品を作るだけでなく、店頭に立って接客をすることもある。
キレイな商品に囲まれて、おしゃれな装いのお客様とレースや小物について話ができるから、ナノンにとって『銀の針』は、理想の職場であった。
ところが、店が繁盛するにつれ、ナノンの理想を崩す ”いけ好かない客” が来るようになった。
「あら、このレース、ずいぶん機械の部分が多いのね。少しばかり小花を刺繍したからって、ねえ?」
「うちのメイドなら喜ぶかしら」
「私たち貴族が持つには、ちょっと・・・」
などと貶しながら、それでいて何かしら買っていくのだ。あくまでも自分用ではないという体で。
またある時は、
「このお店ね、サイラス様の愛人がやっているというのは。ふうん、石鹸もあるの。いやだわ、愛人の香りが移りそう」
「レースだってどうせ他の人が作ってるんでしょう。贅沢に慣れた女が、今さら地道な作業をするもんですか。見てよ、この緻密な刺繍、絶対に熟練の手によるものよ」
「それを自分の手柄にするなんて、人の男を横取りする女がやりそうなことね」
などと、聞こえよがしに言う者もいた。
見るからに貴族のご令嬢だが、メイドを一人従えているだけなので、それほど裕福な家でもないのだろう。もちろん、庶民である店員にとっては、逆らうこともできない高貴な身分であることには変わりない。だから、店の主人を貶されて悔しくても言い返すことはできない。
そのくせ、しっかり買い物はしていくから腹が立つ。
これらのことは内容が内容なだけに、イブリンにそのまま報告するのもためらわれた。しかし、些細なことでも知らせるように言われているので、できるだけ気をつけて緩やかな表現に変えて伝えた。
もっとも、イブリンも男爵家といえど貴族だ。そこら辺の機微には聡い。自分が何と言われているかは想像がついた。けれど、イブリンがサイラスの愛人であることは事実だし、全ては覚悟の上だ。
ならば、挫けていないで、誰もが羨むような商品を店に並べよう。悪口を言いながらも手に取らずにはいられないような素敵なレースを作り出そう。イブリンはそう思った。
◇ ◇
先ほど見送った客は、またタイプが違った。
「もう何回目ですか、あの人。また何も買いませんでしたよ。声をかけても、いいですって言って、じっと見てるだけで。買うつもりがないなら来なくていいのに」
「欲しくても買えない事情があるかもしれないでしょう」
イブリンには覚えがあった。かつての自分だ。
「技術を盗むつもりかもしれませんよ」
「ふふ、まさに昔の私だわ。お店で見たのを一生懸命真似してハンカチの縁にレースをつけたの。だから気持ちはよく分かるわ」
「ええ、貴族様ってそんなに貧しいことあるんですか」
「子供が何人もいるとね、学園に入れたり、貴族としても面目を保つための出費も多いのよ。細かいところで節約しないと、どうにもならないこともある。お嫁入りには持参金もいるし。いっそ爵位を返上した方が楽な場合もあるのよ」
「へえ、そうなんですね。知りませんでした」
「だから邪険にしないであげてほしいの。見ているだけでも幸せだったりするし、いつか買ってくれるかもしれないじゃない」
「まあ、キレイな物を見たいという気持ちは分かりますけど」
イブリンとナノンがそんな話をしていると、チリン、とドアベルが鳴った。
「いらっしゃいませ」
入ってきたのは、およそレースとは縁のなさそうな男性だった。服装からして庶民だろう。シャツにベストを着て、キャスケットを被っている。
二十代半ばに見えるその男は、足早に商品棚に近づいて、じっとレースを見つめた。手に取ることはせず、上から、横から、様々な角度から眺めて、驚いたり、頷いたり、何事か呟いたり、表情豊かに自分の世界に浸っているように見えた。
「贈り物ですか」
イブリンは、男に声をかけてみた。品物選びに迷っているようには見えなかったが、敢えてそう訊ねた。
男は、値段表などには目もくれず、生地や刺繍を観察していた。イブリンには、それが同業者の眼差しに見えた。
偵察、という言葉が頭に浮かんだ。
「どのような商品をお探しですか」
再度イブリンが訊ねると、
「いや、一度こちらのレースがどんなもんか見たかったんだ」
と、男は答えた。
「お買い求めにいらしたのではないのですか」
イブリンの言葉に険が混じった。
男は、ハッとした顔をして、
「あ、違うんだ。技術を盗みに来たとか、そういうんじゃない」
と、慌てだした。その反応が余計にイブリンを警戒させた。
「お客様でないのなら、お引き取り願えますか」
イブリンの毅然とした態度に、男はキャスケットを脱いで握り締め、
「すいません。俺の手掛けている機械レースが、ある店でとんでもなくキレイな刺繍を施されて、人気商品になってるって聞いて、どうしても見たくなったんです」
と、眉尻を下げ申し訳なさそうに言った。
イブリンは驚いた。
「え、あなた、このチュール生地を作っている工房の方なの?」
生地については、いくつかの工房から見本を取り寄せて、アデルや侍女たちと検討した。その結果、こちらの希望通りの細い糸で、非常に精巧な六角形の網目を織りなす小さな工房に決めた。糸の継ぎ目も見えず歪みもない完璧なチュール生地を納品してくれるので、イブリンは信頼を置いていた。
「それで、ご覧になっていかがですか」
イブリンが問うと、
「あの、全部見てからでいいですか。キレイな物は全部目に焼き付けておきたいんです」
男はそう言って、今度は手に取って、じっくりと商品を鑑賞し始めた。
「分かりました。存分にご覧になったら、感想をお聞かせください」
イブリンは男の背中にそう声をかけて、通常の仕事に戻った。
三組のお客が順に来店し、帰っていった頃、男はイブリンのところにやってきた。
「ありがとうございました」
「ご満足いただけましたか」
「はい、堪能しました。俺たちが丹精込めたチュールが、こんなにも繊細な刺繍をまとって、美しい商品として並んでいるなんて。思い切って見に来て良かったです。さらに上等のレース商品もあって、とても参考になりました」
「そう言っていただけると、私どもも頑張った甲斐があります」
「それでですね・・・」
男はキャスケットを両手で握り締めながら言い淀んだ。何だろう、イブリンは再び身構えた。
「個人的なお願いになるのですが」
「それは仕事に関することでしょうか」
「はい、レースの未来に関することです」
男は真剣な顔をしていた。イブリンは、工房との折衝は自分一人ではできないと心得ている。アデルなり、侯爵家の担当者なりを通して話を聞くのが筋だ。
けれど、あれほど熱心にレースを見つめていたこの男の言う『レースの未来』という言葉に、イブリンは心惹かれた。アデルに伝える前に、話を聞くだけなら構わないだろうとイブリンは思った。
「私はこの店の店主ですが、全てを決める権限はありません。ですから、これからお話を伺ったとしても、それに協力できるかは分かりません。私は橋渡しをするだけだと承知いただいた上で、そのお願いというのを聞かせてもらえますか」
「はい、ぜひ、よろしくお願いします」
イブリンは、初対面の男を奥の部屋に招くのは誤解を生むと思い、売り場の片隅の小さなテーブルに向き合って座り、ナノンに後ろに控えてもらった。
ジュリアン・マルセルと名乗った男は、チュールを編むボビンネット機の職人だった。
彼は夢を語った。イブリンは黙ってそれを聞き、出資元に取り次ぐことだけを約束した。
その夜、イブリンの家にサイラスがやってきた。
「サイラス様! 久しぶり過ぎて顔を忘れてしまうところだったわ」
イブリンは少し拗ねながらも、サイラスを歓迎した。
二人とも夕食を済ませていたので、ハーブティを飲みながらソファでくつろいだ。
いつもならイブリンが、最近の出来事をあれこれ話し、サイラスのことも色々と聞きたがるのに、今日はやけに口数が少ない。サイラスの胸に頭を預けて、サイラスが話しかけても、どこか上の空だ。
「イブリン、どうかしたの? 心ここにあらずって感じだね。何かあった?」
「いいえ、なにも」
「そうかい?」
「疲れては、いるかも」
イブリンは、サイラスの手を無意識にもてあそびながら、そう答えた。
「最近、店の方はどう?」
「順調よ。時々、変なお客は来るけど」
「どんな?」
「機械レースの悪口を並べ立ててからでないと、購入に踏み切れない人とか、・・・愛人が作ったものなんか買いたくないけど、これは他の人に作らせているはずだから、買っても構わないと謎の理屈をこねる人とか・・・」
「買うのにいちいち前置きがいるのか」
サイラスはイブリンの指先を握り込み、目の高さに掲げた。
「この可愛い手で、ちゃんとレースを生み出しているのにな」
「もうすっかり職人の指でしょう?」
イブリンは五本の指を揃えてまっすぐ立てた。ところどころに傷がある。
「そう言えば、イブリンは、指輪は欲しがったことがないね」
「似合わないもの。刺繍やレースを編むのに邪魔だし。大きな石のついた指輪なんて、ティーカップとカトラリーしか持たないような人が嵌めるものよ」
「邪魔なのか。なるほど、アデルも本を傷つけるからと言って指輪はしないな」
「ふうん」
また、アデル様のことを思い出してる、とイブリンは思ったが、今日は不思議なくらい気持ちが凪いでいた。
「昼間、店にレース工房の男が来たんだって?」
唐突にサイラスが話題を変えた。
久しぶりの来訪の理由はそれだったのか、とイブリンは納得した。
「アデル様に手紙を書くつもりだったのだけど、サイラス様には、もう連絡が行ったのね」
「ああ、変な男が来たら、何をおいても報告するように言ってあるから」
サイラスに、見張られている。イブリンはそう感じた。
以前のイブリンだったら、見守ってくれていると解釈しただろう。そしてそれが、愛されている証拠だと浮かれたに違いない。イブリンは、囲い込まれた腕の中にいるのが幸せだと思っていた。
けれど、今そう思えないのはなぜだろう。イブリンは、サイラスを愛しているのに、どこかでその束縛を窮屈に思い始めていることに気付いた。
「純粋に仕事の話をしただけよ。びっくりするくらい機械レースのことしか考えていな人だったし」
「肩入れしたくなった?」
「私は新しいレースに興味があるの。当然でしょう? それに、話を聞いてみないと、取り次いで良いものか分からないじゃない。へんな投資話だったら、即却下したわ」
「まあ、そういうものか」
「サイラス様ったら、妬いているんですか」
イブリンはサイラスの顔を覗き込んだ。
「何て言うか、イブリンは素直過ぎるから心配なんだ。その上、レースが好き過ぎる。俺よりレースの方が好きなんじゃないかと思うことがあるよ」
「なにそれ」
イブリンは可笑しくなった。
「もしかしてサイラス様、工房の男の人じゃなくて、レースに焼きもち焼いてるの?」
「あれ、そうなるかな」
サイラス自身、よく分かっていなかった。
「でも、来てくれて嬉しい。だけど、サイラス様に会えない日々に慣れてしまったみたいで、側にいると却って落ち着かないわ。学園で付き合い始めた頃みたい」
「ああ、ごめんね。父が早く引退したいとか言い出して、今仕事を教え込まれているところなんだ」
「そうなのね。疲れたら、私のところに癒されに来てね」
「うん、そうするよ」
そう言ってサイラスはイブリンを抱きしめたが、イブリンはサイラスが次第に遠ざかっていくような予感がした。
もっと不真面目で、軽薄な人だったら良かったのに。一瞬そう思ったが、即座に打ち消した。そんな人なら好きになっていないし、とっくに放り出されていただろう。アデルのおかげでもあるが、優しいサイラスだからこそ、こうしてイブリンの元に来てくれるのだ。
私は一生、ここに甘んじていて良いのだろうか。イブリンはサイラスの腕の中で、そんなことを考えていた。
読んでいただき、ありがとうございました。
10話くらいでサクッと終わるつもりで書き始めたのですが、どうにも終わりが見えません。更新が遅くて申し訳ないです。




