16.アデルの迷走
アデルは朝食後、自室で黙々とタティングシャトルを動かしていた。
慎重を期すボビンレースと違って、タティングレースは、慣れてくるとよそ見をしていても機械的に手が動く。おしゃべりをしながらでも軽快に編める。
ところが、今日のアデルはその手が止まりがちだ。おまけにため息をついたりもする。
「アデル様、どうかなさいましたか」
いつにないアデルの様子に、一緒にレースを編んでいた侍女のエリザが声をかけた。
「え? どうして」
「今日は一向に進んでいかないようですが、シャトルがまだ手に馴染みませんか」
エリザは、アデルの手に握り込まれた新しいシャトルを見ながら言った。
「美しいですね。白蝶貝ですか」
「そうなの。この上品な光沢が素敵よね」
「見せていただいてもよろしいですか」
侍女たちは、美しいものに目がない。その隣にいるコリーヌも身を乗り出してきた。
アデルはエリザたちが良く見えるように、手の平に載せて差し出した。
「まあ、オリーブの模様が彫られているのですね」
「アデル様のイニシャルも」
「金属と違って手触りが優しく感じるわ」
「お気に召されたようですね。サイラス様からのプレゼントなのでしょう?」
「ええ、この間の石鹸のお礼なのですって」
「でも、さっきから浮かない顔をしていらっしゃいますが、なにか気になることがおありですか」
エリザとコリーヌは、アデルがサイラスからそれを受け取った場にはいなかったが、同僚のアメリによると、箱を開けた瞬間、アデルは目を輝かせ、矯めつ眇めつ眺めていたらしい。そしていそいそとシャトルにレース糸を巻き始めたと聞いたが、使い心地はまた別なのだろうか。
◇ ◇
その日、アデルはサロンのソファで、書庫から大量に持ち込んだ本を読んでいた。
気分転換の意味もあったが、先日の夜会で、ある令嬢に、ちゃんと跡継ぎを産めるのかと囁かれたことが尾を引いていた。
心に棘として残ったのは、『産めるのか』という部分ではなく、それに自分で対処できなかったことだ。義母である侯爵夫人が短い言葉で相手をやり込め、アデルを救ってくれた。
自分では何も返せなかった。言葉の欠片も思いつかなかった。それは反省すべきことだ。アデルは、まだまだ社交界における応酬の実戦経験が少ないため、語彙や言い回しが圧倒的に足りていない。
そしてそれは、今から茶会に出て経験を積もうとしても、とうてい間に合うものではない。侍女たちは、アデル様は真っ直ぐそのままの言葉でいいのです、などど優しい言葉をかけてくれた。自分でもそれで良しとしていたが、本当にそれで良いのだろうか。いつも義母が側にいてくれるわけではないし、次は自分が侯爵夫人になるのだ。その立ち位置に相応しい自分でありたい。
では、どうするか。
義母を見習おう。
だが、義母とて四六時中、爪を研いで臨戦態勢なわけではない。普段はおっとりと優しく、広い視野で困っている人にさり気なく近づいて、良きアドバイスなり励ましを与えている。それはもちろん尊敬すべき振る舞いだが、アデルは淑女の戦い方を学びたい。
というわけで、義母がこれまで読んできた小説に頼ることにした。その中で繰り広げられる舌戦を義母も読んでいるのだから、これらが身体の中に積もって血肉になっているに違いないとアデルは考えた。
以前、このような小説は現実的ではないから参考にするのはどうかと諫められたが、胸がすくようなセリフを幾つも見つけた。それらを品位を疑われないように、上手に応用したい。
そうしてアデルが熱心に、淑女たちの上品な言葉の裏に隠された皮肉を読み解いて、おお、と感動していると、
「アデル」
と、名前を呼ばれた。
良い所なのにと若干恨めしく思いながら顔を上げると、サイラスだった。
「サイラス様、ごきげんよう」
にっこり笑って挨拶をすると、
「あ、ごめん、邪魔したかな」
にっこりが却って恨めしそうに見えたようだ。サイラスに謝らせてしまった。
「いえ、少し物語に入り込んでいて、失礼しました」
サイラスは頷くと、すっとアデルの隣に腰を下ろし、
「こちらをアデルに渡したくて来たんだ」
と、小さな箱を差し出した。
「この間の石鹸がすごく良かったから、そのお礼に。なめらかで匂いも好みだったよ。だからアデルに喜んでもらえるようなものを考えたんだけど、どうかな」
「そう言えばサイラス様、この間から色々な質問をしてきましたよね。好きな色とか、花とか、今持っている中で気に入ってるドレスやアクセサリーはどれだとか、印象に残っている劇だとか、家で毎日どんな風に過ごしているだとか」
「今更だけど、何も知らなかったなと思ってね」
「そして、私を喜ばせるために選んだものが、これなのですね」
アデルはワクワクした。自分はサイラスからどんな人間に見られているだろう。調査内容と結果は、ちゃんと繋がっているだろうか。自分の客観的な印象はどうなのだろう。ありたい自分でいるのだろうか。
アデルは受け取って、ゆっくりとローズウッド製の箱の蓋を開けた。
箱の内側はサテン地で、優しい色合いの舟型をしたものがベルベット生地の上に納まっていた。
「シャトルですか、タティングレース用の」
「そうだよ、熱心に取り組んでいると聞いたから」
アデルはそうっと、虹色の光沢を放つシャトルを取り出した。
「不思議な色合い、すごくキレイ。白蝶貝の真珠層から作ったものですね」
アデルは、周囲に彫られているオリーブの葉の模様を愛おしそうに撫でながら、キレイ、と何度も呟いた。
「ありがとうございます、サイラス様。今まででいちばん嬉しい贈り物です。これが私に似合うと考えてくださったんですね」
「喜んでもらえて嬉しいよ。オリーブの花言葉は『安らぎ』と『知恵』なんだってね」
「安らぎと知恵ですか。自信はありませんが、精進します」
「知恵はぴったりだと思ったんだけどな」
「私の場合、本からの知識に留まっているので、それを活かせる知恵がほしいです。お義母様を目標にがんばりますね」
「母も最初からああだったわけじゃない。たくさん乗り越えてきたこともあったらしいから、アデルも人に頼ってゆっくりでいいよ」
「ありがとうございます」
サイラスは優しい。アデルの心は、ほかほかと温かくなってきた。
アデルはさっそく箱から取り出して、シャトルに新しい糸をクルクルと巻いていく。口元はほころんでいて、本当に喜んでいるのがサイラスにも分かった。ひと仕事やり終えたような満足感に浸っていると、糸を巻き終えたアデルが、サイラスに顔を向けた。
「それにしても、私がもらって嬉しいと思うものがこれだと、どのような思考からたどりついたのですか。その過程もお聞きしたいです」
アデルはシャトルを愛でていたのとはまた違った目の輝きを見せた。
あ、変なスイッチが入ったな、とサイラスは気付いた。
これは、サイラス個人の思考回路というより、人はどのようにして集めた条件から最適解を得るのかに興味を持ったのだろう。
サイラスは迷った。聞かれるがままに答えたら、これまでは何も考えずにバティストに丸投げしていたことがバレてしまうのではないか。質問魔と化したアデルは容赦がない。サイラスは、なんとかふわりと着地したいのだが、果たして上手くいくだろうか。
だが結局、キラキラした琥珀色の瞳に抗えず、サイラスは、いくつもの質問に答えたのだった。
なるほど、と頷きながら、アデルは淡々と質問を繰り出した。サイラスの神経がすり減っていく。
コトリ。
テーブルの上に、ハーブティーが置かれた。侍女のアメリが、とっくに冷えた紅茶を下げ、ホッとするような香りのお茶を出してくれた。
「あ、ごめんなさい。しつこく聞いてしまって」
アデルは我に返ったように、前のめりになっていた体を起こした。
そして二人で乾いた喉を潤した。
「ところでアデル、聞き取り調査の結果を教えてもらえるかな。俺の考えた最強のプレゼントは、考えた過程も含めてどう評価する?」
今度はサイラスが聞く番だ。
アデルは、にっこりと笑った。
「はい、それはもう満足の極みでございます。これまでいただいた物も、たいそう美しく、貴重なものばかりでした。材質は言わずもがな、その上、縫製も加工もセンスも素晴らしいと、いつも感嘆しておりました。
ですが、身につけてみると、我ながら笑ってしまうくらい似合わないのです。おまけに、それに相応しい女性になれと発破をかけられているようで、そこへの道のりを想像して、挫けていました。
今思うと、とても卑屈で、贈ってくださったサイラス様にも大変に失礼な考えでした。侯爵家に嫁ぐのですから、腹を括って、素敵なお衣装や装身具に見合うよう外見も磨くべきでした」
アデルの大反省会が始まってしまった。だが、サイラスはそれも楽しむことにした。どうやら自分のこれまでの失礼は見逃されているようだ。単に気付いていないだけかもしれないが。
「うん、それで?」
「ところが今回のこれは、まず私が手にしても、端から見て似合うとか似合わないとかを判断されるようなものではないこと、材質がとても珍しくかつ海の中でどんな一生を送ってきたのだろうと想像をかきたてるところ、花言葉まで考えて素敵な意匠を凝らしてくださったことがとても嬉しいです。
なにより実用的であることが一番の魅力です。常に手元で愛でつつ使えるなんて素晴らしいではありませんか。サイラス様、ありがとうございました」
「そうか。過大に褒められた気がするが、ぜひ使ってくれ」
「あと、真ん中にイニシャルを入れてくださったでしょう? AB(Adele Bertrand アデル・ベルトラン)と。これまでは AH(Adele Hubert アデル・ユベール)だったので、ああベルトランの一員になったのだなあと感じられたのも嬉しかったです」
アデルは、はにかんだように笑った。
「そ、そうか」
サイラスも思いがけないことを言われて照れたように口ごもった。
壁際に控えていた侍女のアメリは、あらまあ、良い雰囲気かもと、そっと視線を外したのだった。
◇ ◇
そんな様子をアメリから聞いていたエリザは、目の前のアデルが何を思い煩っているのだろうと訝しんだ。最近の様子を振り返っても、特に気になることはなかった。それなのに、シャトルをしみじみと眺めてため息をつくのだ。
「実はね」
と、アデルが口を開いた。
「私は恥ずかしくなったのよ。サイラス様のお話を聞いて」
「先日のプレゼントを受け取った時のことでございますか」
「ええ。サイラス様は、あんなにも私のことを考えてプレゼントを決めてくださった。私が喜ぶようにと。それに比べて私は、自分の楽しみだけを追求していたことに気付いたの。配合の工夫とか、ややこしい手順の遂行、混ぜるタイミング、シェービング石鹸としての効果はどうか、そんなことに夢中だった。
サイラス様がこれを喜ぶかとか、そんなことは一度も考えなかったような気がするのよ」
「サイラス様は喜んでおいででしたよ」
「結果はそうでも、順番が違ったことが恥ずかしいのよ。私はなんて独りよがりな人間なのだろうと思い知ったわ」
「それほどのことでしょうか」
エリザは不思議そうに言った。
「そうでもない?」
「はい、いくらでも次があるではありませんか」
「挽回すれば良いと」
「そうですよ。だってこれから先は長いんですもの、ゆっくりお互いに歩み寄れば良いではありませんか」
エリザがそう言うと、アデルは黙り込んでしまった。エリザは当たり前のことを言ったつもりだったので、その反応に戸惑った。隣にいるコリーヌを見ると、彼女も首を傾げている。二人の侍女は、アデルの言葉を待った。
「ただ、サイラス様にはイブリン様がいるから・・・」
いるから? と、侍女たちは視線で先を促した。
「あまり私がサイラス様の歓心を買おうとするのは、どうなのかなと思って」
「どうもこうもないですよ。アデル様は奥様なんですから、愛人に遠慮してどうしますか」
「でも、イブリン様に癒しの部分をお任せしているのよ」
「それは、アデル様の手が及ばない部分でという意味ですから、いくらでも手を伸ばして良いと思いますが」
「家族仲を深めるのに何をためらうことがありましょう」
エリザとコリーヌも口々に言う。
「そういうものかしら」
侍女たちは思った。アデルはピンときていないようだが、おそらくサイラスに惹かれ始めている。良い傾向だ。自覚するのは後でも構わないから、このまま大奥様の言いつけ通り、アデルとサイラスの仲を取り持とうと決意を新たにしたのであった。
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