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サイラスとアデル  作者: バラモンジン


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14/16

14.小さなほころび

「あっ!」


 イブリンが小さな悲鳴を上げた。


「どうかなさいましたか」


 すかさずメイドのルルが駆けつけた。


 椅子に座っているイブリンは、両手でレースの縁取りのあるハンカチを持って呆然としていた。


「そのハンカチ、旦那様に褒められた時のですよね」


「ええ。今、引き出しの角に引っかけてしまって・・・」


「うわぁ、ずいぶんとほつれてしまいましたね」


「慌てて外そうとしたのがいけなかったみたい」


「直せますか?」


 ルルが心配そうに聞いた。イブリンとサイラスの大切な思い出の品だと知っているからだ。


「編み方はそう複雑じゃないから、直せると思うわ」


 イブリンはルルを悲しませたくなくてそう答えたが、元通りにはならないことを知っている。


 一度ほどいた糸は癖がついて曲がっているし、作ってから年月が経っているので、外側を向いていた部分は日焼けをしていて、編み直すと色がまだらになる。いくらイブリンの腕が良くても、仕上がりは不自然になるだろう。


 それでも大切なハンカチなので修復を試みた。糸にきつい癖があって縮こまっているため、最後は糸が足りなくなった。仕方なしに似た色の糸を足して仕上げたが、それはもはやサイラスに一目で褒められたあのレースのハンカチではなかった。


 イブリンはハンカチを自分で洗い、丁寧にアイロンをかけた。レースの部分は特に慎重に、糸が伸びないよう、そっとプレスした。


 ハンカチを掲げて確認していると、


「キレイに直りましたね。さすがイブリン様です」


と、ルルが喜んでくれた。


 ええ、と微笑みながらもイブリンは、サイラスとの思い出の一つが、過去の遺物になってしまったようで寂しくなった。



 だが、過去ばかり見てはいられない。イブリンは、今を生きているのだ。


「午後は『銀の針』に出かけるわ。どんな商品が手に取られているか見たいから」



 イブリンは、レースを編んだりハーブ石鹸を作ったり、仕入れる品を選んだりするのに疲れると、店に出向いた。


 気分転換の意味もあるが、確認したいことが色々とあった。売上報告の数字には表れないことが知りたかった。


 例えば、客が手に取ったものの買わなかった商品について、価格が見合わなかったのか、好みから外れていたのか、何が決め手で選ばれなかったのを知りたい。


 また、どんな客層が、どの辺りの商品に手を伸ばすのか、本当に欲しいものはどんな商品なのか知りたかった。それには店に出て、客の相手をするのが一番だ。


 客の着ているドレスやアクセサリーから、ヒントを得ることもある。メイドからの報告だけでは、世間から遅れてしまう。流行を後から追うつもりはないが、そもそも知らなければ話にならない。


 そうした理由で、イブリンは度々店に出かけた。



 ◇   ◇



 チリン。という涼しいドアベルの音が、客の来訪を告げた。


「いらっしゃいませ」


 イブリンの声に迎えられた男性は、もの慣れない様子で店に入ってきた。ずいぶんと背が高く体格が良い。背筋を真っ直ぐ伸ばし、短く刈り上げた髪型が、清潔そうな雰囲気だ。


 男性は店に入ったものの、落ち着きなく視線をさ迷わせ、入口付近で立ち止まってしまった。店の雰囲気に慣れないのか居心地が悪そうだ。『銀の針』は、店内を自由に見てもらうことを心がけているが、さすがに見かねてイブリンが声をかけた。


「本日は、どのようなものをお探しですか」


 男性はホッとしたようにイブリンを見た。


「妹の誕生日に、レースの品を何か贈りたいのです。あまり高価なものは無理ですが、一つくらい持たせてやりたいと思って」


「妹さんはおいくつですか」


「十三歳です」


 おしゃれをしたい年頃だ。友達の持ち物も気になるだろう。


「もう少し具体的に妹さんの好みが分かりますか」


「全く見当がつかないのですが、友だちがここのレースの手袋を買ったと言って、とても羨ましがっていたのです」


「では、こちらの指先が出るミトンタイプの手袋はいかがでしょうか。指先までない分、お求め安くなっております。その代わり、刺繍を凝ったものにしていますので、安さだけで選んだようには見えないでしょう。模様は一つ一つ違いますから、手に取ってご覧ください」


 男性は恐る恐る持ち上げて、繊細な刺繍に驚いた顔をした。


「こんなに細かい刺繍がしてあったら高いのではないですか」


「ご安心ください。このシリーズは私の一番の自信作であり、お薦めの品なのです。お値段は、ここに値段表があります。ミトンはどれも同じです」


「これなら買えます」


 男性は表情を緩めてミトンを次々手に取って眺めた。


「ちなみに、どうしてこんなに安いのですか。手間と釣り合っていないようにも思えるのですが」


「理由は二つあります。一つは、この土台となっているチュール生地は機械レースなので、手編みよりはずっと安いんです。とはいえ、厳選した工房のものですからね、ほら見てください、六角形の網穴が均一でしょう。糸も質の良いものを使っています。ここに私や、身内の者たちが刺繍をしています。外に依頼していない分、手間賃が安くなります。ミトン以外は、外注もしています。

 それからもう一つの理由は、私の個人的な願いです。私も妹さんくらいの年の頃、レースが大好きで、かぎ針で自分で編んでいました。本格的なレースが羨ましくて。ですから、レースに憧れる昔の私のようなお嬢さんたちに、手が届くようなレースを提供したかったんです。ですから、大きな声では言えませんが、ミトン手袋は利益を度外視しているんです」


 イブリンがそう説明すると、男性は深く頷いて、


「では、こちらを」


と言って、つる草とスズランを刺繍した可愛らしいミトンを差し出した。


「こちらの花はスズランですね。花言葉は『幸福の再来』です。妹さんも気に入ってくれるといいですね」


「はい、ありがとうございます。いい買い物ができて良かった。外をさんざんうろついて、勇気を持って入った甲斐がありました」


 そう言って男性は、大事そうにミトンの包みを持って店を出て行った。


 イブリンは、ほんのりと幸せな気持ちになった。



 そんな余韻に浸っていると、表が騒がしくなった。


「何かしら」


 店員の一人が、見て参りますと言ってドアを開けた途端、


「あ、やっぱりいるわよ」

「イブリン様、私たちあなたにお話があって来ましたの。お願いです、中に入れてください」

「私たち、友だちでしょう?」


という声が聞こえてきた。聞き覚えのあり過ぎる二人の声に、イブリンはうんざりした。



 彼女たちとは、学園時代に知り合った。同じ男爵の娘同士だからと話をするようになって、その友人である子爵の娘を紹介された。たまに三人で昼食をとったり、学園内のカフェテリアでお茶をする程度の付き合いだった。特に気が合ったわけではないが、いつも一人でいるイブリンを見かねて誘ってくれたのだろうと思っていた。


 二人は流行に敏感で、おしゃれな小物をやアクセサリーを買った時は見せてくれた。『あなたには買えないでしょうけれど』という言葉を添えて。


 本当のことだから仕方がないが、言われて嬉しいわけがない。イブリンは二人を避けるようになった。


 イブリンがサイラスと付き合うようになってからは、『私たち、友だちよね』と露骨にすり寄って来た。誰か高位貴族の方を紹介してくれないかと再三頼まれたが、断った。


 すると、どうせすぐにサイラス様にも捨てられるわよ、と吐き捨てるように言われ、それきり口を利いた覚えがなかった。なのに今さら友だちだと言うのかと呆れた。



 先日この二人が王宮の夜会でアデルに失礼なことをした顛末は、サイラスから聞いていた。夜会で自分よりも身分が上の方を口汚く罵るなんて、どんな神経をしているのだろうと思った。


 ベルトラン侯爵家関連の店には出入り禁止を言い渡されたと聞いたが、大方イブリンに取りなしを頼みに来たのだろう。


「扉を閉めて。裏口から出て、憲兵を呼んでくるように頼んでくれるかしら」


 こうした時の対処法は教わっていたので、迷わず憲兵を呼ぶことにした。


 店内にいた二組の客には、


「お騒がせして申し訳ありません。ただ今憲兵を呼びましたので、それまで奥でお待ちください」


と言って、応接室に案内してお茶を出した。


 間もなくやって来た憲兵に、騒ぎの元となった二人の女は連れて行かれた。もう、貴族子女としての未来は潰えただろう。イブリンは同情する気も起きなかった。



 イブリンは、奥に入ってもらっていた客に詫びを言って、改めて商品を見てもらった。


 日傘を購入した年配の女性から、


「有名になると、変な人も近づいてくるから大変ね。ここのレースも石鹸も気に入ってるから、頑張ってね」


と、温かい言葉をかけてもらって、イブリンは泣きそうになった。自覚はなかったが、緊張していたようだ。丁重に礼を言って、この日はもう店を閉めることにした。


 憲兵が来たことで、周りの店からも人が出てきて注目を浴びてしまった。顔見知りになった近所の店の人たちは、気にすることはないと言ってくれたが、非常識な人たちと知り合いだと思われただろうかと不安になった。



 閉店の札を出してすぐにノックの音がした。


「憲兵です」


と名乗るので出てみると、先ほど妹にミトン手袋を買っていった男性だった。


「大丈夫ですか。あの、俺、今日は非番で、たまたまさっきの女たちを連れて行くのに手を貸せと言われて」


「そうだったんですね。お世話になりました」


「騒ぎになってしまったので心配で・・・」


と言ったきり男性が黙りこんでしまったので、イブリンも困ってしまった。


「あの、彼女たちは学園時代の知り合いなんです。用件は想像がつくので大丈夫ですから」


「あ、そうですね、すみません。勝手に心配して来てしまいました」


 そう言って男性が踵を返したところで、不意にドアが開いてサイラスが入ってきた。


「サイラス様!」


 イブリンが駆け寄ると、サイラスはイブリンを抱き込み、帰ろうとしていた男性を訝しげに見やった。


「イブリン、こちらはお客様?」


「はい、先ほど妹さん用にミトンを買っていただいたのです」


「店には閉店の札が出ていたのに?」


 サイラスの疑わしげな眼差しを受け、男性は慌てた。


「俺は憲兵です。今日は非番で、先ほど不審者を捕まえるのに手を貸した者です。店主さんが心配で様子を見に来ました」


「そうか、ありがとう。だが、閉店後の女店主の店に、憲兵の制服を着ていない君が入って行ったら、世間はどう思うだろう」


 男性はハッとした顔をして、


「配慮が足りず申し訳ありませんでした」


と、ガバリと深く頭を下げ、失礼しますと出て行こうとした。


「待て。一緒に行く」


 サイラスが先に立ち、店の外に出た。


「今日はありがとう。非番の君に頼んで悪かった。今後、聞き取り調査などがあれば、ベルトラン家を通してほしい。すぐに応じる」


 そう言って男性を送り出した。


 通りを歩いている人や、近くの店から顔を出している人もいた。彼らはサイラスの言葉から、閉店後に入って行ったのはベルトラン家に頼まれた非番の憲兵で、何の揉め事も起こりそうにないと知ると、急に興味をなくしたように見えた。


 改めてイブリンは、ここにサイラスが来てくれたことに安堵した。そうでなければどんな噂が立っていたか分からない。今さらのように、アデルが言ったこと、不倫をするような女を世間がどう見るか、という現実に行き当たった。


 イブリンが愛しているのは、後にも先にもサイラスただ一人だ。いくら声高にそう叫んでも、疑う者はいるだろう、愛人になるような女だからと。


 屈辱が胸にせり上がる。だけど、イブリンはサイラスと共にありたい。



 店の中に戻ったサイラスは、イブリンに向き直った。


「大丈夫かい?」


「ええ、来てくださって心強かったです。それにしてもサイラス様、いらっしゃるのがずいぶん早いですね」


「あの女たちの謹慎が一ヶ月で解けると聞いて、まず向かうとしたらイブリンの家か店だろうと当りをつけていたんだ。ほかに縋るような伝手もなさそうだったし。それで見張りを置いて、俺への連絡も最速で頼んでおいた。あいつらの発想が単純で助かったよ」


「ありがとうございます。私、サイラス様に守られていたんですね」


「いつだって俺は、イブリンの味方だよ」


 そう言ってサイラスはイブリンを抱きしめた。


 イブリンはサイラスの腕の中で幸せを噛みしめたが、ふと香る知らない匂いに思考が固まった。


 腕の中で動かなくなったイブリンに、


「どうかした、心細くなった?」


と、サイラスは聞いた。


「香水、変えました?」


 抑揚のない声でイブリンが聞いた。


「いや、いつもと同じだよ。あ、シェービング石鹸を変えたから、それかもしれない。アデルが作ってくれたんだ」


「アデル様が?」


「そう。イブリンがハーブ石鹸を作ってるのが羨ましかったらしいよ。なんでもやってみないと気が済まないらしくて」


「そうですか」


「使い心地もすこぶる良いよ。イブリンの手際を見習ったからだね。この店にも男性用の石鹸を置いても良いかもね」


 サイラスはご機嫌で話しているが、イブリンは聞きたくなかった。少なくとも今する話ではない。


 イブリンはサイラスの明るく邪気のないところが好きだが、時々こうしたデリカシーのなさを露呈する。イブリンを腕の中に囲いながら、正妻の話を楽しそうにしないでほしい。



『イブリン様はこの先ずっと、サイラス様の愛人として一生を過ごす覚悟がおありですか?』


 先のアデルの言葉だ。


 イブリンは自分に自信がなくなってきた。



読んでいただき、ありがとうございました。


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― 新着の感想 ―
サイラスさんは周りが見えてて対処できるんですよねー…… 夢も現実も手に入れる力を持っている。アデルさんといて変わった彼を少し見直していただけに、イブリンさんの心を慮らない様子に『まだまだだったー』と残…
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