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サイラスとアデル  作者: バラモンジン


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13/16

13.アデルからの贈り物

「アデル様、本日はいかがお過ごしになりますか」


 侍女のエリザが、アデルの朝の支度を手伝いながら訊ねた。


「そうねえ、『銀の針』の件から手を引いてしまったから、だいぶ時間的な余裕ができたわね」


「お茶会や慈善事業先への訪問も一段落ついたようですし」


「ええ、ボロが出てないと良いのだけど」


「大丈夫ですよ。大奥様も及第点だとおっしゃっていたではありませんか」


「それって、ギリギリ合格ってことよね。しかも、侯爵夫人のフォロー付きで。つまり、次に私一人で戦場に向かった時こそが、真の勝負よね」


「戦場って・・・」

「真の勝負・・・」


 アデルの勇ましい決意に侍女たちは呆れたが、アデルは大真面目である。


「戦の前に、英気を養うわ」


「何をなさいますか」

 

 アデルの急旋回に慣れてきた侍女たちは、すかさず頭を切り替えた。


「私も、ハーブ石鹸を作ります」


「はい?」


 どうしてそこに辿り着いたのか分からないが、アデルの中では筋道が通っているらしい。ついて行くためには一応理由を聞いておこうと侍女たちは考えて、代表してアメリが訊ねた。


「あの、アデル様、戦場に向かう前に英気を養いたい、というところまでは分かるのですが、それがどうして石鹸作りに繋がるのですか」


「そうね、まず、気分転換は大事でしょう? 好きなことをやりたいの。好きなことというのは、つまり今までやってみたくてもできなかったこと。理屈だけは知っているけれど、この手で実際にやってみたいの」


「先日、大釜を櫂でかき混ぜたではありませんか」


「いいえ、やってみたいのは貴族夫人の趣味の石鹸作りなの」


「イブリン様が羨ましくなったのですね」


「見ているだけでは物足りないもの」


「では、サイラス様のために石鹸を作ってはいかがでしょう」


「男性向けということ?」


「女性が好む香りのレシピは、イブリン様と色々検討し尽くしたではありませんか。ですから、新しい課題に取り組むのはいかがでしょう」


 アデルは少し考えた後、それも良いわね、と同意した。


 実は侍女たちは、侯爵夫人から、サイラスとアデルの仲をそれとなく取り持つように言われていた。しかし、色気のかけらもないこの真面目な若奥様は、サイラスの心はイブリンのものと信じていて、夫婦としての距離が一向に縮まらないのだ。


 家族ではあるし、友人とも違う、けれど夫婦らしさというのが垣間見えない。そんな感情は抜きに、さっさと子供だけ作りなさいと言うのもためらわれる。


 それで少しでもアデルがサイラスのことを意識するようにと、とっさにエリザが考えついたことだった。新しいことに興味を持つアデルは、すぐに提案に乗ってきた。


「だけど、そもそも男の人って、石鹸をもらって嬉しいかしら」


 一瞬アデルが思いとどまりかけたが、


「では、髭を剃る時のシェービング石鹸はいかがでしょう。お品によって使い心地もだいぶ異なるようですし、こだわる方も多いのではないでしょうか」


と、アデルの背中を押した。


「なるほど」


と言ったが、アデルは空中を見ている。どうしたのだろう。


「サイラス様って、髭が生えていたかしら?」


 アデルが思い出せないというように侍女に聞いた。


 そう言われると、侍女たちも自信がない。


「お顔がきれい過ぎて、髭の印象がないのだけれど、そうよね、殿方ですもの、髭くらい生えるわよね」


 アデルは納得したように頷いて、


「では、何通りか試してサイラス様にプレゼントしましょう」


ということになった。




 支度をして朝食のために食堂に向かうと、ちょうど部屋から出てきたサイラスに会った。


「おはようございます、サイラス様」


「おはよう、アデル」


 アデルは足を止めたまま、サイラスの顔をじっと見た。


「な、何かな」

 

「サイラス様って、髭を剃っていますか」


「急にどうしたの。いや、剃るけどさ」


「そうですか。安心しました」


 一人で納得し、安心したと言うアデルに、サイラスは訳が分からなくて、後ろに控える侍女のエリザを見た。


 エリザは視線を落とした。介入する気はないようだ。


「俺の寝起きの顔が見たくなった?」


 冗談めかしてサイラスが言うと、


「今のお顔と違うのですか」

 

 アデルは不思議そうに訊ねた。


「なら、今度見てみる? 俺の起き抜けの顔」


 サイラスがかなり遠回しに共寝をほのめかしてみたが、アデルにそんな機微は伝わらない。


「サイラス様はいつも早起きでいらっしゃいますから、私が間に合いますかどうか。支度に時間がかかりますし」


と、朝一で別の部屋から駆けつけることしか念頭にないようだった。


「ご希望とあらば、髭を剃らずにいようか」


 仕方なしにそんなことを言ってみたが、望んだ返事ではなかったらしい。


「いえ! そんな心配はご無用です。むしろ、毎日髭を剃る習慣はぜひ継続していただきたく、お願い申し上げます」


 あまりに力強くお願いされたので、サイラスは、自分には髭が似合わない、威厳も貫禄もないのだと、ひそかに気落ちした。


「そういう日々のルーティンも、道具次第で楽しくなったりしますよね」


 アデルはすでに、髭剃りに最適なシェービング石鹸を作り上げた気になっていて、心地よく髭を剃るサイラスを想像してご機嫌になっていた。


 並んで歩くサイラスとアデルの後ろでは、侍女のエリザがサイラスの侍従に、噛み合わない会話の解説をしていた。


 侍従は含み笑いをしながら聞いていたが、主人のために早く石鹼を作り上げてほしいと願うと同時に、サイラスからもアデルに何かふさわしいプレゼントを用意するよう進言しようと思った。




 サイラスの侍従は、バティスト・ルブランといい、ベルトラン侯爵の侍従をしているエドモン・ルブランの息子である。


 バティストは、サイラスが学園を卒業してから正式に彼の侍従となったが、早くから男爵家の三女を愛人に迎えるようなサイラスをあまり良く思っていなかった。顔と育ちの良さにかこつけた遊び人だと思っていたのだ。


 正式に婚約したアデルへの態度も義務的で、何かにつけ一方的に張り合っているように見えた。アデルは人の負の感情に疎いところがあるらしく、サイラスの対抗心にまるで気付いていなかった。それがまたサイラスを苛立たせ、傍から見ていたバティストは、はたしてこれで結婚生活がうまくいくのだろうかと危ぶんだ。


 案の定、サイラスは結婚式の夜から屋敷を出て愛人の元に入り浸り、アデルを完全に放置した。これについてバティストは、いずれ爵位を継ぐ者の態度としてあり得ないと憤った。領地にいる侯爵夫妻にも、すぐさま報告した。


 バティストは、侯爵とその侍従である父親のエドモンのことを尊敬していたので、サイラスともそういう互いに信頼できる関係になりたいと思っていた。


 しかし、あのような軽率な行動が止まないようなら、お仕えするのに身が入らないだろうと暗澹とした気持ちになった。



 ところが、一週間ぶりに屋敷に帰ってきたサイラスは、少し様子が変わっていた。アデルの外見が磨かれたこともあるだろうが、どこかアデルに対して険がとれたような態度に見えた。後から聞いたことだが、この時はイブリンと別れる決意をしていたらしい。


 それからサイラスに付き従っているうちに、サイラスがバティストが思っていたような我儘で軽薄な人間ではないことも分かってきた。


 きっかけは、アデルが愛人のイブリンを屋敷に招いて、今後のことについて話し合った時のことだった。アデルに押される形でイブリンを呼んだのだが、始終二人に気を遣い、自分の所業と優柔不断さを反省しているように見えた。


 本当に我儘な人間なら、そもそもアデルの要求など突っぱねただろうし、軽薄な性格なら、イブリンが店を持ったり将来の身の振り方を考えることなどバカにしただろう。それなのにサイラスは、ひたすら殊勝に座っていて、話の成り行きに口を挟まなかった。


 未来の当主としては、いささか頼りない様子であったが、頭ごなしに反対することなく見届けたサイラスを、バティストは少しだけ見直したのだった。


 サイラスは使用人にも酷い無茶は言わないし、基本的に女性には優しい。明るくて友人も多いが、調子に乗りやすい面はある。学生時代は浮ついた気持ちで女性たちと遊んでいるとバティストは思い込んでいたが、付き合ったのはイブリンだけであった。


 バティストは先入観からサイラスを見誤っていたことに気付き、これからはしっかりお支えしようと心に誓ったのだった。


 差し当たって今できることといえば、何かと空回りしがちなサイラスのために、アデルの侍女たちと相談しながら、サイラスとアデルとの距離を縮めるために協力することだろう。


 そのための第一歩として、アデルへのプレゼントを、これまでのように装飾品を適当に見繕うのではなく、アデルがもらったら嬉しいであろうもの、あるいはアデルの良さを引き立てるものを、サイラス自身に考えてもらうことにしよう。


 さて、サイラスはどんな風に悩むだろう、とバティストは想像して楽しくなるのだった。




 それから数日後、アデルがサイラスをお茶に誘った。


「こちらをサイラス様に」


 ソファに腰を下ろしたサイラスに、アデルは、手のひらに載るくらいの包みを差し出した。黒い革ひもで十字に結んである。


「何だろう。開けて良い?」


「どうぞ」


 アデルはワクワクと見守っている。


 リネンの包みの中には、蓋付きの陶器のカップとシェービング用のブラシが入っていた。


「カップの中身は石鹸かな? 良い匂いがする」


「はい、私が作ったシェービング用の石鹸です。香りは自分で確かめられるのですが、剃り心地は分かりません。白土カオリンを加えたので、クリーミーに泡立つはずです。滑らかに剃れると良いのですが」


「森に足を踏み入れた時のような、落ち着いて清潔そうな香りだ」


「使う前に石鹸の表面に少しだけお湯を垂らして、そこにブラシで円を描くように泡立ててくださいね。シェービングブラシの毛はアナグマです。グラデーションが可愛いくて選んだのですが、気に入ってもらえると嬉しいです」


「ありがとう。朝の髭剃りが楽しみになったよ」


「まだまだ試行錯誤中なのです。使ってみて感想を教えていただけますか。試してみたい配合が他にも色々あるのです」


「作業は楽しかった?」


「ええ、とても。私にも髭が生えていれば試せるのにと思いました」


 アデルが心底残念そうに言うので、サイラスは笑ってしまった。


「剃ってみたいのなら、俺の顔を貸してあげるよ」


「本当ですか!」


 アデルは勢い込んで聞き返したが、後ろにいる侍女のエリザが、アデル様、とたしなめるように呼び掛けたので、


「お気持ちは、嬉しいのですが、また、今度にします」


と、未練たっぷりに引き下がった。サイラスとしては、それはそれで構わなかったのに、と少し残念に思った。


 侍従のバティストも、このまま二人をけしかけて、ダンス以外の時にも触れ合う機会を作ればいいのになぜ止めるのだとエリザを見た。


 するとエリザは、


「そういう相談は、二人きりの時になさいませ」


と、殊更にこやかに言ったのだった。


 鈍いアデルもやっと具体的な状況を思い浮かべ、慌てて訂正した。


「今のは無し。無かったことにしてください」


 アデルがあまりに赤くなっているので、サイラスも気の毒になって、


「まあ、そのうちね」


と、言うにとどめた。




 アデルが作ったシェービング石鹸は使い心地がすこぶる良く、サイラスが侯爵に自慢したので、アデルは侯爵に乞われて同じものを作ることになった。


 それを聞いたサイラスは、


「アデル、できれば香りを少し変えてくれるかな。父親と揃いの香りと言うのも、何と言うか・・・」


と、注文をつけた。


「そうですね、侯爵様には、もう少し深みのある香りの方がお似合いになるかもしれません。シダーウッドを加えてみます」


 アデルは、サイラスが言う香りを変えてほしい理由をそのまま受け入れたが、実際は、自分のために作ってくれた石鹸を、他の人間に使ってほしくないというサイラスの独占欲からであった。


 それを分かっている侍従と侍女たちが微笑ましそうに見てくるものだから、サイラスは気まずい思いをしたのだった。




読んでいただき、ありがとうございました。

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― 新着の感想 ―
シェービング石鹸よりも歯磨き粉の方がイイ感じになりそうだけど。 >俺の顔を貸してあげるよ」…アンパ○○ン? >私にも髭が生えていれば」…               何を………
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