エピローグ
夕食を終え、自室で一人くつろいでいたとき、父の雅臣から呼び出された。
「……赤沼伯爵家は取り潰し。誠一は流刑、妻の雅代と娘の百合は、北の修道院に送っておいたけど、やさしすぎたかな? それから、娘と婚約していた緋雨家は巻き込んではかわいそうだから、先に手を打っておいたから」
父から話を聞き終えた臣哉は、深くため息をついた。
「父さんがそれでいいと思っているなら、それでいいんじゃないのか? 火竜一族を統率するのは公爵の務めだろう?」
「そうだけど。やっぱりここは死刑にしといたほうがよかったかなって、今になって思ったりもするんだよね」
その声は軽やかだったが、瞳の奥には冷たい光が宿る。
雅臣の外見は、非常に年若い。臣哉と並んで歩けば、兄弟と間違われるほど。この見た目に騙される者も多数いると聞く。
だが見た目が若くても火竜華族の筆頭だ。彼が白と言えば黒くなる。それだけの権力が与えられていた。その力は、臣哉でさえ時折畏怖を覚えるほど。
「流刑……あの贅沢な暮らしをしてきた赤沼に、その生活は耐えられるのか? 質素な食事に労働。あれにとっては死ぬよりも辛いのでは? しかもあの島は炭鉱があるから、厳しく人を配置しているしな。異能を使って逃げ出そうとしても無駄だ」
報告書には、赤沼誠一が送られた流刑地の過酷な環境が記されていた。炭鉱の暗い坑道、凍てつく風が吹き荒れる孤島。そんな場所で、誠一の傲慢な精神がどう耐えうるのか想像がつかない。
一連の報告書を読み終えた臣哉は、それをテーブルの上に放り投げた。
「そうだね。そう簡単に死んでもらっては困るよね。それにもちろん、異能は封じたよ」
雅臣はにこやかな笑みを浮かべながら、まるで他愛もない雑談をするかのように言った。だが、その物騒な言葉と対照的な軽やかな口調に、臣哉は我が父ながら底知れぬ恐ろしさを感じた。
「それで? 皇帝にどう報告すべきか悩んでいると?」
臣哉は話題を切り替え、父の真意を探ろうとした。雅臣は窓から視線を外し、臣哉に向き直る。
「そうなんだよ。今回、火竜の失態でしょ? 伯爵家をひとつ潰しちゃったわけだし……。てことで、臣哉くん。僕と一緒に皇帝に……」
「却下。それは公爵の役目だろうが」
皇帝への報告という重責を押しつけられるのは、さすがに御免だ。だが内心では、父の言葉の裏に何か別の意図があるのではないかと警戒していた。
「でもさ。やっぱり皇帝には報告しなきゃいけないと思うんだよね。『器』の存在。どう思う?」
その言葉に、臣哉の心臓が一瞬強く打った。どう思うと言われても、できることなら泉美の存在は公にしてほしくない。
雅臣は臣哉の顔をじっと見つめ、口元に意味深な笑みを浮かべた。
「なるほど。臣哉くんでも、そういう顔ができるようになったってわけだ」
何を言われたのかわからず、臣哉は目をすがめる。
「それで? 泉美さんとはうまくいってるの?」
雅臣が急に話題を変えた。
臣哉は一瞬、言葉に詰まり、視線をそらした。そのまま答えずにいると、雅臣は軽く笑い、ソファの背に体を預けた。
「ま。二人は好き合って婚約したわけじゃないしね。泉美さんだってあの場でああ言われたら断れないだろう。だけど、愛は二人で育てていくものだからね。これからの君たちに期待する」
身を乗り出して、ばんばんと臣哉の肩を叩く雅臣だが、その力が強く、臣哉は思わず顔をしかめる。
「でもさ。愛は溺れるものじゃない。特に独りよがりの愛はね。誰かさんのように、あらぬ妄想に囚われて、魔魅に魅入られてしまうからね……」
赤沼誠一の執念深い愛が、どれほどの破滅を招いたか。父の言葉には、警告と憐れみが込められていた。
臣哉と泉美の関係は、まだ形になっていない。だが、雅臣の言う「育む愛」が、いつか自分たちの間に芽生えるかもしれないという希望が、胸の奥で小さく灯った。
窓の外では、夜が静かに更けていく――
【完】