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第五話

 火宮公爵の火宮雅臣(まさおみ)、そして公爵夫人の火宮聡子(さとこ)。公爵夫妻を見て、臣哉は母親似なのだなと思った。艶やかな黒髪は腰まで真っすぐに伸び、形のよい唇には真っ赤な紅が塗られていて、その姿は気品に満ちていた。

 しかし、聡子は泉美を見るなり、切れ長の目を大きく見開いた。


「美月……?」


 聡子の呟きを拾った臣哉は、すかさず否定する。


「彼女の名は赤沼泉美」

「赤沼? 伯爵家の? そのわりには、私の知っている人にそっくりだわ」

「その知っている人とは?」


 臣哉が問い返したところで、緊張した空気を断ち切るように、雅臣が口を挟んだ。


「臣哉くん。まずは座ろうか? 隣のお嬢さん、泉美さんだっけ? もどうぞ」


 泉美は緊張しながらも、臣哉の隣に腰を下ろした。


 雅臣は五十歳近いと聞いていたが、その若々しい顔立ちは三十代にしか見えない。柔和な笑みが彼の顔に浮かび、赤沼伯爵の冷たく威圧的な雰囲気とは対照的だった。

 それでも泉美の心臓は早鐘を打ち、喉がカラカラに渇いていた。


「いやぁ。臣哉くんから『会わせたい人がいるから早く帰ってこい』って電報がきたときは驚いたけれど」


 雅臣は泉美に視線を向け、値踏みするようにじっくりと見つめた。その目は好奇心と優しさに満ちている。


「もしかしてこちらのお嬢さん。臣哉くんの『器』かな? 竜刀に認められた?」

「てことは、やっぱり美月の子? でも赤沼って……」


 雅臣の言葉に聡子が即座に反応する。


「母さんは、泉美の本当の両親を知っているんだな?」


 臣哉が問いかけると、聡子は少しためらいながら答える。


「彼女によく似た人を知っていると言ったほうが正しいかしら」


 そこで聡子は白磁のカップに手を伸ばす。その手は微かに震え、内心の動揺を隠しきれていない。


「父さんが言ったように、彼女は俺の『器』だ。俺の竜刀は彼女の中にある。だが、彼女自身は赤沼伯爵の娘として育てられた」


 カシャン――

 カップをソーサーに置く音が、静かな部屋にやけに大きく響いた。聡子の動揺が、その音に確実に表れていた。


「ちょっと待って、臣哉。私、今、ものすごく嫌な考えが浮かんだんだけど」


 聡子の顔から血の気が引く。


「恐らく、母さんの嫌な考えは合っている。俺は彼女の戸籍を調べた。赤沼の娘として育てられたわりには、赤沼の戸籍に名前が載っていなかった。だから彼女は、あの家で女中以下の扱いを受けていた」


 臣哉の言葉の先を奪うように、聡子が続ける。


「泉美さんは、私の女学校時代の後輩の緋村(ひむら)美月にそっくりなのよ。緋村子爵家の末娘だった。その娘は黒江男爵の三男と結婚して、一人の娘を授かった。名前は忘れたけれど……。だけど、あの大火で家族三人、亡くなったと聞いているのよ」

「だが、実は娘は生きていて、その生きていた娘を赤沼がさらったとしたら?」


 臣哉の言葉に聡子が顔を上げ、鋭い視線を向ける。


「あ~あいつなら、やりかねないわ。今の赤沼伯爵って、赤沼誠一でしょ? 美月にまとわりつていた」

「緋村と黒江の娘……つまり、火竜と水竜の娘か。『器』の条件を備えているね」


 雅臣の言葉に、聡子も「そうよ」と同意する。


「あの二人は、周囲が反対してもそれを説得して一緒になったの。『器』になる条件は十分にあるのよ」

「つまり、泉美はその美月さんの娘で間違いないと、母さんは言っているのか?」


 しかし聡子はため息をつきながら答える。


「その可能性がある、としか言えない。どちらにしろ、あの大火で娘も亡くなったことになっているはずだから」


 聡子の話は、泉美に戸籍がないことの納得がいく。


「まずは、彼女の戸籍をもとに戻したい」


 臣哉の提案に、聡子も頷く。


「本人がここにいるのだから、認定死亡扱いね。緋村家か黒江家に取り消しの申請をしてもらうしかないわ。どちらにしろ、この子が美月の娘だと確認するためにも、両家に連絡をしたほうがいいわね」


 自分に関する話だというのに、泉美にとってはおとぎ話のようにも聞こえた。まるで自分とは縁のない世界の話。


「……おい、大丈夫か?」


 臣哉の低い声が、泉美を現実に引き戻した。彼の声からは、普段の冷静さとは異なるほのかな心配が感じられる。


「は、はい」


 泉美は慌てて答えたが、声はかすれ、喉に詰まるような感覚があった。


「ごめんなさいね。私たちがべらべらしゃべってしまったから」


 聡子の微笑みを見た泉美は、胸の奥から懐かしさが込み上げてきた。それは、記憶の彼方に埋もれた、遠い母の面影を呼び起こすような感覚。

 目頭が熱くなり、涙がぼろぼろとこぼれ出す。


「おい、どうした? 何があった?」


 慌てた臣哉が泉美の顔をのぞき込む。


「ご、ごめんなさい。話を聞いていたらわけがわからなくて……勝手に、涙が……」

「それだけいろいろあったのね。今は気がすむまで涙を流しなさい。私たちは、勝手にお茶を飲んでいるからお気になさらず」


 聡子の言葉には、泉美に寄り添う優しさが感じられた。そのあたたかい雰囲気がさらに心を揺さぶる。

 臣哉は泉美に手巾を手渡し、彼女をそっと気遣いながら視線を背ける。


 やがて泉美が落ち着きを取り戻すと、臣哉は二人の出会いについて雅臣に報告し始めた。


「へぇ? 新月の夜にわざわざ竜尾山にね」


 雅臣が静かにそう言ったが、その声には微かな怒りが込められている。部屋の空気が、一瞬、重くなる。


「泉美さん。今までよく耐えたね。あの日、竜尾山で臣哉くんと出会えたのは、まさしく運命だよ」


 雅臣の言葉に、泉美も小さく頷く。


「今となっては、あの夜、山に入ってよかったと思っています。もしもあのまま赤沼の屋敷にいたらと思うと……」


 あの夜をきっかけに赤沼家との縁を断ち、今こうして、自分の本当の家族についてわかりつつある。その事実に泉美は感謝していた。


「泉美さんは、竜侯爵家と『器』の関係は、臣哉くんから聞いたんだよね?」


 雅臣が尋ねると、泉美は少し緊張した面持ちで答える。


「はい……竜刀の鞘のようなものだと」

「うん。だけど、それだけじゃないんだ」


 そう言った雅臣の視線が臣哉を捕らえると、臣哉はすっと視線を逸らした。


「臣哉くんはこういう話が苦手だからね。父親である僕からお願いする」

「は、はい……」


 突然、真剣な雰囲気になり、泉美は少し戸惑いを覚えた。


「竜刀を扱う者と『竜の器』はね、惹かれる運命にあるんだ。だから泉美さん、臣哉くんと結婚してほしい」


 その言葉を聞いた瞬間、泉美の思考は停止した。

 なんて答えたらいいのかわからず、まるで水槽の中を泳ぐ金魚のように、口をパクパクさせるだけ。


 その後、どうやって部屋に戻ったのか、泉美にはまったく記憶がなかった。



* * *



 雅臣が湯浴みを終えて寝室へ向かうと、そこで彼を待っていたのは、瓶を片手に葡萄酒をがぶ飲みしている聡子の姿だった。彼女の頬はほのかに赤らみ、普段の気品ある姿とは異なる、どこか乱れた雰囲気が漂う。


「聡子さん。飲み過ぎでは?」


 雅臣がやんわり伝えるも、聡子は座った目で雅臣をじっと見つめる。


「あんの赤沼の野郎。気持ち悪いと思っていたら、娘に手を出すとか……あり得ない」


 聡子はお酒でほのかに酔い、口にする言葉もどこか乱れている。


「そうだね。火竜一族の汚点ともいえる。だけど、逆に彼らが同じ火竜でよかったともいえるね」


 淡々とした口調の雅臣だが、どこか冷たい響きがある。

 聡子は眉をひそめ、グラスに葡萄酒をなみなみと注ぐ。


「どうして?」


 それを飲もうとした聡子だが、雅臣はすばやくそのグラスを奪い取る。


「同じ火竜一族なら、僕が権力者である以上、僕が裁ける。誘拐、軟禁、暴行……これだけでも罪は十分だ。でも彼らが泉美さんの人生、十七年間を奪ったことを考えると、死刑のように簡単に終わらせたくない。生きているのが嫌になるほど、苦しんでから死んでもらいたいものだね」


 雅臣は奪ったグラスの中の葡萄酒を一気に飲み干した。唇に残る葡萄酒の苦みを味わうように、目を細くする。


「それにしても……」


 すでに雅臣は、緋村家と黒江家に連絡をとっていた。緋村家は泉美に是非会いたいと返事をくれたが、黒江家は緋村家に任せるの一点張り。

 それが気になった。


「ん~、それは仕方ないんじゃない?」


 聡子は空になったグラスを取り返し、また葡萄酒を注ぎながら言った。


「黒江家は男爵家だし。美月をたぶらかしたという噂もあったくらい。でも、泉美さんが『器』だってことは、あの二人は幸せだったのよ」


 聡子はそう言いつつ、今度はゆっくりとグラスを傾けた。


「そうだね。僕が知っているかぎり、異族間結婚をしたのはあの二人だけ」


 雅臣は思い返すように呟いた。だが聡子はすぐに疑問を口にする。


「でも、泉美さんが『器』なら、異能がないわけではないと思うのだけれど……?」


 聡子は眉をひそめる。泉美が異能を持たないために虐げられていたという話は、泉美本人から聞いたのだ。


「僕と臣哉くんは、本能的に『器』を嗅ぎ取れるからわかったけど。あの娘、異能を封じられているよ」


 その言葉に聡子は驚き、グラスを唇に押し当てたまま動きを止めた。しかしすぐにグラスを傾け、勢いよく葡萄酒を飲み干す。


「はぁ~、わっけわかんない。異能を封じたのは誰? なんのために?」

「さあ? それは僕もわからないし、封じられた異能を解く方法もわからない。だけど、一つだけ言えることがある」


 雅臣が言葉を句切ると、聡子が鋭い視線を向ける。彼女はすっかりと酔っているようだが、その目は真剣だ。

 雅臣は微笑んで、穏やかに答えた。


「僕があの娘と出会う前に、聡子さんと結婚していてよかったということだよ。それだけ『器』の力は強い。臣哉くんを見ていたら、そう思わないかい?」

「そうね、そうかもしれない。だけど、火竜と水竜の間に生まれたのであれば、水竜の『器』にもなれる可能性があるってことよね?」


 首をかしげ、グラスを片手に聡子は考え込む。


「そういうことになるね。しかも水竜公爵の息子は、困ったことに臣哉くんと同い年だ」


 やれやれと肩をすくめるように、雅臣は答えた。


「だからあなたは、臣哉の代わりに泉美さんに向かって結婚してほしいだなんて言ったわけね?」

「もちろんそれも理由の一つだ。ただ臣哉くんの場合、自覚が薄いんだ。あの子がもたもたしているうちに水竜一族に奪われかねない」

「我が子ながら情けないわね」


 ため息をついた聡子は、グラスに葡萄酒を注ぎ入れた。


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