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第四話

 両親だと信じていた人物は、実際には両親ではなかった。姉だと思っていた人物も姉ではなかった。

 しかし、本当の両親が誰なのかはまだわからない。


 不安と期待が入り交じり、押しつぶされそうな気持ちになって、泉美はじっとしていられなかった。なんとか気を紛らわせたい一心で、沙織を呼び、掃除でも洗濯でもなんでもいいからやらせてほしいと懇願した。


「それは、無理です」


 沙織はきっぱりと断った。

 困った泉美は、さらに諦めずに訴える。


「私……いてもたってもいられなくて。身体を動かしたほうが気は紛れるかと」


 その言葉で、どうやら沙織も泉美の心情を察してくれたようだ。


「そうですね。確かに、それも一理あります。今まで家族だと思っていた方が、実は違ったと突きつけられるなんて……それは誰でも動揺しますよね」


 沙織は少し考える素振りを見せ、言葉を続ける。


「それなのに、それ以上は調べているから、わかるまで自由に過ごせと言われても……。ここは泉美様の自宅ではございませんし、難しいですよね」


 沙織の言葉に、泉美はコクコクと頷いて、その通りだと訴える。


「では、まずは庭の散歩などいかがでしょうか? それからお屋敷の案内とか」

「はい、是非お願いします」


 とにかく、じっと部屋にこもり続けているのは、どうにも耐えられなかった。一人にされれば、ぐるぐると不要なことばかり考えてしまいそうで、どうしようもなく落ち着かない。

 だから沙織のお誘いは、泉美にとっても願ってもいないものだった。


「では、ご案内いたします」

「ありがとうございます。でも、沙織さんはお忙しいのでは……」


 気遣う泉美に対し、沙織はにっこり笑って答える。


「私の仕事は、泉美様の身の回りのお世話でございます。これも仕事の一環ですので、どうぞ遠慮なさらないでください」


 沙織のさりげない言葉が、とても嬉しかった。


 まずは彼女につれられ、屋敷内の案内を受けることになった。

 泉美が滞在している部屋は客室で、二階にあった。一階には大広間や食堂があり、人を集めてパーティーを開けるような華やかな作りになっている。


「奥様が社交的な方ですから」


 公爵夫人は頻繁にパーティーを開催していたらしいが、夫人も公爵と一緒に領地へ戻っているため、ここに帰ってくるのは今日の夕方になるという。


「新月は魔魅の力が増すときですから。そのため旦那様たちも、火竜の柱の強化のために領地に戻られたのです」


 竜華族の公爵家には竜結界を維持する五柱を管理する役割がある。そして竜華族全員が果たすべき使命は、魔魅から人々を守ること。

 魔魅は人の心を惑わせ、欺き、魅入られた者に悪意を植え付ける。魔魅に支配された者は、他人を陥れようとし、時には犯罪に手を染めることもあった。


 帝都にある公爵邸は別邸とも呼ばれているようで、総三階建ての擬洋風様式の建物である。塔屋を備え、遠くからでも一目でそれとわかる立派な邸宅だ。赤沼家の屋敷との違いに圧倒されながら、泉美は屋敷周辺を目で追った。


 帝都で大火災が発生したあたりから、木造建築物は減り不燃建築物が増えたため、こういった洋風建築の屋敷は珍しくはない。それでも公爵邸の威厳は特別なものに感じられた。


 外に出ると、春のあたたかな風が頬をなでる。


「庭をご案内しますね」


 泉美は沙織の言葉に従い、庭へ歩を進める。花々の独特な香りが漂ってきた。


「こちらは奥様が手入れされている庭になります。この時期は菜の花が見頃ですね」


 泉美は菜の花の鮮やかな黄色に目を留めた。赤沼家の庭では父が好きだった盆栽を育てていたが、こうして大きな庭に色とりどりの草花が並ぶ光景は、泉美にとって新鮮だった。


「あの、こちらのお花はなんですか?」


 泉美が訪ねたのは、青紫色の変わった花だった。


「こちらの花はムスカリという花です。これは最近、この帝国に入ってきたものなんですよ。奥様が新しいもの好きで」

「そうなんですね」


 泉美は驚きながら答えた。


 花の名前には詳しくなかったが、こうして庭を歩き、次々に見知らぬ花々に触れることで、自然の豊かさを実感した。菜の花についてはおひたしや和え物にして食べることがあるため知っていたが、その他の花はほとんど知らない。


「沙織さん。外はこんなにも広い世界だったんですね。私には知らないことばかりです」


 沙織の隣を歩く泉美は、ぽつりとそう言った。

 赤沼の屋敷からほとんど外に出ることはなく、あの日も竜尾山の入り口まで使用人に連れていってもらっただけ。月光草についてはいやというほど特徴を教え込まれていたため、難なく摘み取ることはできたが、あそこから一人で帰れる自信などなかった。


「泉美様は、女学校にも通われていなかったのですよね?」


 沙織の言葉には泉美の境遇を察するやさしさがにじんでいた。


「はい。恥ずかしながら……」

「読み書きはできますか?」


 その質問には、少し顔を伏せて答える。


「少しだけ。読み書きできる方が、たまに教えてくれたので。でも私も学校に通いたかったです。もっと勉強したかった……」


 百合から女学校での話を聞くたび、泉美は羨ましさに胸を締めつけられた。妹の自分もいつかは女学校へ通うだろうと期待していたが、無能を理由にその願いは叶えられなかった。


「泉美様、それなら今から勉強を始めましょう。実は私、教師になるのが夢だったんですが……」


 沙織が言葉を濁したところをみれば、何か事情を抱え、その夢を諦めざるを得なかったのだろうと察した。


「では、沙織さんは私の先生ですね。沙織先生、ぜひ勉強を教えてください」

「沙織先生……なんて素敵な響きなんでしょう」


 その和やかな空気に割り込む声があった。


「おまえたち、楽しそうだな」


 ふと横から男性の声が聞こえた。臣哉である。


「若様。どうしてこちらに? お仕事は?」


 驚いた沙織が声をあげる。


「休憩中だ。それよりもおまえも俺の休憩に付き合え。沙織、お茶の用意をしろ」

「はい、喜んで。泉美様は若様と一緒にお待ちくださいね。東屋にお茶をお持ちします」


 沙織はそう言って、一度屋敷へと戻っていった。


「おい。こっちへ来い」


 臣哉が手を差し出すが、泉美はその手をどうしたらいいのかわからない。ぼんやりしていると、臣哉は泉美の手を奪うように取り、強引につないだ。


「耕平に言われた。親だと思っていた人物が実の親ではないと事実をつきつけられたら、自分はどう思うか考えろと」

「あっ……」


 臣哉の言葉に泉美は思わず声をもらした。

 彼が気にかけてくれたことが嬉しかった。信じていた家族に裏切られた気持ちに陥っていた泉美にとって、沙織や臣哉の言葉は心に小さな光を灯してくれるもの。


「おまえの家族は必ず見つける。だからそれまではここにいればいい」


 これまで感じていた不安の中で、一瞬だけ心が軽くなるような感覚を覚えた。

 臣哉と手をつないだまま庭園を歩くと、奥に東屋が見えてきた。そのまま進み、臣哉はベンチに腰を下ろす。

 泉美もその隣に座り、ほっと息をつく。

 目の前には公爵邸の堂々たる姿が広がっていた。


「ここは、父が母のために作った場所だ」

「ご両親は仲がよろしいんですね」


 泉美が興味をもったように尋ねると、臣哉は軽く肩をすくめながら答えた。


「悪くはないな。だがあれは……」


 彼は眉間にしわを寄せ、目を細くする。そして短く吐き捨てるように言う。


「鬱陶しいな」


 その率直すぎる言い方に、泉美は思わず吹きだしてしまった。臣哉が鬱陶しいと言うほどの相手とは、どんな人物なのか。泉美はますます興味をかき立てられた。



* * *



「不味いな」


 朝食の席で、父がぽつりと呟いた。その言葉には百合も同意せざるを得ない。ご飯が美味しくなかったのだ。

 苛立った父は、女中の一人を捕まえて詰め寄った。泉美がいなくなってからというもの、父の苛立ちは日に日にかくせなくなっていた。


「なんだ、最近の飯は。食えたものではない」

「申し訳ございません」


 胸ぐらを掴まれた女中は、怯えながらもただ謝るしかない。


「米をケチっているのか? それとも盗んで自分の懐にでもいれているのか!」


 父の激しい問いかけに、女中は慌てて首を小刻みに横に振る。


「だったら、何が原因なんだ」

「それは、いつもご飯はあの娘が……」

「あの娘?」


 父が目を細めて睨みつけた。


「はい。泉美さんです。ご飯を炊いていたのは泉美さんでした。誰よりも上手にお炊きになるのです」


 父はそう説明した女中を突き放した。

 女中はその勢いで尻餅をつき、しばらく立ち上がることができなかった。




 今度は母の金切り声が響いた。


「あなたたち、この染みはなんなの! 染み抜きをするようにちゃんと言いつけましたよね」


 母はお気に入りの着物を手にしていた。会食の場には常に着物で出席するため、脱いだ後は丁寧に染み抜きをしておかなければならない。


「申し訳ございません」


 母の前で膝をつき、女中は深く頭を下げる。


「まぁ、いいわ。今からやってちょうだい」


 そう言った母は、着物を乱暴に投げつけた。ふわりと女中の頭の上に着物が落ちる。


「まったく。今までこのようなこと、一度もなかったというのに。あなたたち、たるんでいるんじゃないの?」


 ピシャリと鞭を鳴らした母は、使用人を躾けるためにそれを使うのが常だった。


「ち、違います」


 女中が反論しようとした瞬間、ピシッと鞭を振り上げる音が響く。


「いつもこういった染み抜きはあの娘が……」

「あの娘ですって?」


 鞭がヒュンと空を斬り、母の苛立ちを表していた。


「はい……泉美さんです。いつも染み抜きをされていたのは、泉美さんです」


 恐る恐る答えた女中の横に、鞭はわずかにかすめるようにして落ちた。




 泉美がいなくなってから、この家はおかしくなっていた。彼女がいなくなればせいせいすると予想していたのに、実際は家中がピリピリした空気に包まれている。


 そのピリピリした空気は、百合自身にも染みついていた。


「きちんと着付けてちょうだい! なんなのよ、着崩れしたのよ!」


 その日は婚約者と食事の約束があり、百合は彼と並んで街中を歩いていた。しかし途中で帯が下がってきてしまい、慌てて近くの呉服屋に駆け込んで帯を直してもらった。

 そのせいで料亭での予定時間に遅れてしまい、婚約者からは不機嫌そうに文句を言われたのだ。


「申し訳ありません」


 女中が頭を下げても、百合の苛立ちはおさまらなかった。


「なんなのよ、もう! いいから、あなたは部屋から出ていって!」


 その怒りはすべて泉美に向けられていた。

 血もつながっていないのに赤沼伯爵の娘として家に居座っていた泉美が悪いのだ。


 そんな苛立ちに追い打ちをかけるように、緋雨家から婚約の解消を求める通知が届いたのであった。


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