表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
7/9

ただ、気の迷い

心理描写はよくわからない。これはあまりうまくいかなかった文である。


 激昂はただの気の迷いであります。心の波が多少時化ていても、大したことはありません。垂教のとおり深海は全く静かで、そこにはちょっとした閑談すらありません。

 彼は倫理と欲望の相剋で、苦闘を示しておりました。傍目から見れば、そこそこの収入に、所帯持ちで妻子がいて、十分幸せそうであります。が、しかし、彼にも立派な悩みがあるのでありました。それは、子供に自分の願望を投影してしまう悪癖のことであります。平たく言えば、彼は第二の自分として、もう一つのエゴの器として、子供を扱おうとしているのです。ただ、彼の理性がそれを許しません。ここで苦しんでいるわけです。

 しかし、そもそもどうしてそんな欲が湧くのか、と疑問を抱かずにはいられません。彼のある意味ロマンティックな空想は、なぜ生じたのでしょうか。思い当たることが、幼年を顧みると、彼にすら粗描として立ちあがってきます。

 「悪い子は、死んだら地獄で閻魔様に舌を抜かれるんだぞ」

彼のお爺様は、警句のようにその言葉を繰り返しておりました。なので、彼は悪い子になることを楽に避けようと思考するのですが、そこで一つ案が浮かびました。それは夕焼け前の公園でのことでした。遊ぶ友達はみんな帰ってしまい、彼は未練を持て余しておりました。所在ない心情のまま樫の幹を蹴り、その反動を感じていたのです。そこに、あのお爺様の警句がふと思い出されました。ただ思い出されただけでなく、ついで緊張と不快に連なり、ひらめいたのです。「良いことが意味あることなんだ」。彼は論を築いたわけではありません。ただこのように、解決策が湧いて出ただけであります。しかし彼への呵責、あらゆる叱咤は、残らずここに漂着するのでした。

 成人して世帯を持った彼にも、その観念は尾を引いたままでありました。それ故なのか、彼は子供達の丸い顔と目に対して、些かも感情を動かすことがなかったのであります。可愛らしい──これは彼において取り立てて良いことでは無いのです。

 もう少し彼の冷たい直観を切り開くとこうなるでしょう。彼において、子供達が可愛いというのは容姿が良いというわけではありません。彼にとって「良い」とは「意味」に直結しなければならないのです。ただ、本来ならばその「意味」を求るために葛藤と苦悩をしなければならないのですが、彼にはそれはありません。つまり、彼にとっては「意味」は結果の次元に属するものであり、永劫の過程を愛するといった、智慧には一切頷かないのです。

 そして、子供の顔が丸いことが意味あることならば、それは彼の論理では良いことでなければいけません。しかし、それを確定させる根拠や経験は一つもありませんでした。むしろ反例が挙がる一方であります。確かに、彼の情念において彼の思考を掣肘し、良識的な見解に導くことはありました。しかし、その「意味」とは決定されたものでなく、「結果」においてにもありません。遂に彼の情念も以下のことに賛同してしまったのです。つまり、子供の可愛さなど瞬く間に褪せてしまう、ということであります。

 次第に、彼は自身の子供の可愛さや妻に対する愛にも、良いこと即ち意味があるのかと問うたところ、損得的には有効性はあるだろうが、それは意味あることではあらず、良いことではないと、結論づけてしまうのです。

 なぜ、有限な彼はこのような独断と飛躍を平気で行えるのでしょうか。それは、彼の望む「意味」とは、彼の生涯の間だけ持続していれば良いからです。つまり、彼には彼の認識だけがあって、存在は端的に存在しておらず、ただそのように見受けられるだけなのであります。それゆえに、彼は生涯の間だけ、自己の為だけに持続する「意味」を求めます。ですが、彼はそれを恥ずかしく思うようにして、二重の弁護を図りつつ行います。このようにして、彼は子供の前で厚い仮面を被ることになりました。

 仮面の完成度だけは異様に高いため、子供達は、あるいは妻も、それに圧倒されはします。しかし、仮面がずれる瞬間、彼は異様な修繕と過剰な補填をするのであります。彼はまず、食卓の食器の使い方に口煩くなりました。例えば、米やとうもろこしなどをテーブルに落とした際などは目くじらを立てて叱責します。自身に対しては細心の注意を払うのですが、失敗した時は鎌鼬ように素早く、敏捷に隠蔽するのであります。しかし、常に気を張っているためか彼は憤慨しやすくなりました。そして、元々素行があまり良くなかった妻と、その影響を受けた子供達を愛さなくなります。特に、彼は妻という存在を愛するどころか、憎むような節さえ見せました。子供の前で彼女の悪口を平気で放言するのです。そして、悪影響をいかに酷く与えているかについての演説をし、彼女と共に生活を営まされている自分の受けた恥辱を、傷を舐め広げるように託つのです。子供達は以前と比べて、笑うというより泣いており、妻は微笑みというより、伏し目になりました。しかし、彼は沈黙を醸す家庭を成果だとして肯んずるのでした。

 そして、彼は子供達が生涯に渡って確定した意味を掴めるように、その道具である知性を改革してやろうと意気込みました。そのため、子供達は絵本などを読まず、学習塾で限定されているのにも関わらず、一見すると多様に飛んでいるふうな事柄を暗記、暗誦し、心の内奥まで涵養させていきました。子供はリビングにいても、似つかわしくない分厚い本を、無気力な目をしつつ一心不乱に読んでいるのです。妻は彼の命により、子供達との接触を低減せられているのです。それも要因になってから彼女の卓越した家庭への尽力、その能力は、ほとんど発揮されないのです。

 ついで、子供達に肉体を改造させます。サッカーや水泳の全身運動をさせて、トレーニングもさせるのです。子供達の目の色は、既に褪色しているのかもしれません。しかし、たとえ、誰かがその瞳を見たとしても、誰も止めることはしません。それほど彼は、彼のマリオネットを作る目的と手段の中に閉鎖しているのです。

 「なあ、父さんが出来なかった分も、受け継いでるんだから、もっと上手くできるようになれよ」

彼はどうにも、この言葉が口癖でした。子供の前で自分を道化にしてみせて、あのまん丸い顔と小さな目に、ぼんやりした何かを蒔いたのです。

「あなた……」妻の目頭から目尻にかけて、不信と危機が募っているようです。しかし、それを上回る疲労を湛えています。

 驚くべきことに、彼は自然と露悪を履き違えてしまったそうです。奥様の叱責は正当でしょうが、歪な彼には抑圧の暗がりに進む小道へ、突き落とされたと感ずることに変わりありません。夕飯の支度が終わったようです。食卓に並べられる食器がいつもより不機嫌な音を立てました。不信と欺瞞が孕む軋轢と不和、子供たちは再び、ひっそり恐ろしく育つのであります。もし、彼の観念もそっくり移植されていたならば、子供たちは極めて完成された不気味、として映ることでしょう。

あまりに質の良いものにならなかった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ