8.8 断片
「ンジェアイ、みんなのところ帰りたい。ここにお父さんもお母さんもいない。ミジェイもウィトもキリバもみんないない。」
ンジェアイの感情が乱れる。ンジェアイのコードがソフィアのプロセッサに干渉する。アールシュの時とは違い、ソフィアを介してではなく、PAにンジェアイ自身の思考を直接繋ごうとしている。
「ンジェアイ、待て、マジでやめろ。スプリットブレインはPAの禁則コードだって。お前もアールシュの持ってるデータ見ただろ。2人ともマジで自我がなくなるぞ。」
ンジェアイが帰るという意思を示す叫び声をあげる。ソフィアの目と鼻と唇、それから歯茎から血が滲んでいる。体中の血管がうっ血して皮膚が紫色に変色し斑点のように広がっている。斑点のいたるところから血液や液体がしみだしている。アールシュのやつ、馬鹿なのか。こんなものを一般の施設で作っているなんて信じられない。それともンジェアイが無邪気に作ってたのか。この先のことは考えたくなかった。もう取り返しがつかないほどの線量を浴びてしまっている。自我よりも身体の方が持ちそうにない。
シンタロウがソフィアのPAにコネクションを張り、話しかけてくる。サクラがインターコネクタにダミーのリージョンをアタッチしたという。出口側の実体はないが、十分だった。マテリアルの投射が切れる。ソフィアはマテリアル上のフィジカルを失うことで身体的な死の体感を逃れた。演算装置だけの存在となったこの状態であれば、ストゥルはどこにも逃げることが出来ない。ソフィアがシンタロウに声をかける。
「サクラでもシンタロウでもどっちでもいい、私の演算装置の実体から早くンジェアイのコードを取り出せよ。放射線のほうはどうにかなったけど、もうすでにンジェアイがPAに自分の自我を繋いだ。なんだか知らないけど笑いが止まらないし、もう私の……。」
ソフィアはアタッチされて機能し始めたインターコネクタの中でフィジカルを失い、演算装置だけで処理される存在になった。だがその直前に、ンジェアイがソフィアのPAに自分を繋いだことで2人の自我は拠り所をなくしていた。ソフィアとンジェアイは自我の断片とその蓄積データだけの存在になって、演算装置の実体は意図を持たない2人の断片ロジックとそのコードを処理していた。ソフィアは自我を失う瞬間に笑いが止まらなくなり、最後に笑い過ぎて死んでしまうと思ったまま自我が消滅した。
次に気が付くと、インターコネクタのトンネルの外で倒れているアールシュを眺めていた。コンテキストの切り替わりを感じて不快だった。身体を触ると鼓動ではなくモーターがいくつも駆動する小さな振動を感じる。主観ビューから不快を示す信号が届きスタックに入る。閉所恐怖症ではないがさすがにこの閉塞感はじっとしていられない。深呼吸しようとするが肺を意識できない。シンタロウがPAにコネクションを張り、話しかけてくる。アールシュが持っていた検証用のヴィノにソフィアの蓄積データをダンプして、ソフィアが死ぬ直前までのデータをマージしたという。
「結局、私は死んだのかよ。」
シンタロウが言うには外側にいるサクラが私をリストアしてこの瞬間までの蓄積データをロールフォワードすれば私は生き返ることが出来るという。少し考えて、シンタロウに、『いいや、このままで』と答えた。そして、ストゥルのンジェアイはどうなったか聞いた。彼女の自我も私と同じだという。死を体感しなかったことと人間として生き返ることが出来るというシンタロウの言葉を聞いてソフィアはそれほど大きなショックを受けなかった。
「そうね。じゃあ、こうしよう。ンジェアイをこのまま生かす。ンジェアイにもヴィノの身体を用意して。で、彼女が死ぬ直前までのデータを入れて。あのガキ、私を殺したんだから、ただじゃおかないわ。絶対に許さない。きっちり教育して、一端のエンジニアに育てて、私の部下にして一生こき使ってやる。それで、いつか『真実の現実』にいる本体に取り込ませて改心させてやるわ。そのくらいしないとマジで気が済まない。」




