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6.10 灯火

『真実の現実』から明日、迎えを遣わせるという連絡があったのは、サリリサが夕食をとっている時だった。決意したあの日以来、両親と兄の記憶には一度もアクセスしていない。だが、今日だけは許される。サリリサは過去の記憶をシークする。


 ふいに夏の花の香りと蒸し暑さを感じてあの頃の記憶で満たされる。頬を伝って流れて唇の端にたまった雫を舐める。視界は滲むことなく窓の外の夜景を捉えたまま視線を外すことが出来ずにいた。


 私は民間の企業体に雇用されてすぐにバイオロイド用の筋骨格の繊維を開発している。日が高くなった夕暮れ時、私は家に向っていた。家に帰ると母親の声が聞こえる。兄はもう少し遅くなるという。父は先に帰っていて母と料理を作っていた。私は両親が作る料理が好きだった。


 兄が帰ってくるのを待って4人で食事をする。兄や父が私たちを楽しませるためにしてくれる話をしてくれる。それをみんなで聞いて笑い合う。私はそれが本当に心地よかった。血のつながりは全ての警戒を解いてもいいのだと知ってから私は心の底から家族を愛していた。理屈ではなかった。


 窓を開けて風を入れる。辺りはいつのまにか暗くなり、夏の夜の香りがする。私は目を閉じて大きくその香りを吸い込んだ。私はあの日の父と母の年を一回りも超えて、ようやくこの日を迎えることが出来た。私はあの日に決めたことをやるだけだ。最後にもう一度だけ両親と兄の記憶をシークしてから元の通りにロックを掛けた。


 サリリサのPAから連絡を受けたアールシュは研究所でENAUの住居エミュレータについての文献を見ていた時だった。まだ、フォーマット化されていないものや形式が異なり変換方式が確立していないものを含めてインポートが出来ない文献が非常にたくさん存在する。その中でもENAUのエミュレータ史はとても興味深いものがあった。


 ENAUのエミュレータ開発者は自分の事のようだった。いや、これは自分自身のことだ。南アジアからの移民3世がエミュレータの主任研究者であることは偶然ではない。彼はエミュレータへの移住を先導した指導者だ。私と何が違うというのだろうか。アールシュは食事をとるのも忘れてENAUの文献を読み漁った。


 シンタロウとサクラはUCL本社の高層階の先鋭的な料理を出すレストランで食事をしていた。そこではハイブリッドな食材を中心に新種のバイオミートなどが提供されている。確かに珍しいが慣れない食材はおいしいと感じるよりもこれがなんであるか認識することに時間が割かれてしまう。サクラはトラディショナルな料理の方が好きだと言って早々に楽しむのをあきらめたようだった。ちょうどその時にサリリサから連絡を受けて2人はお互いを見た。


「私、PAからヴィノに移行した日を思い出していたの。銀杏並木を歩いた肌寒い日よ。シンタロウは私にセーターとジャケットを持ってきてくれたのを覚えている? あれからまだ2か月しか経っていないのよね。色々なことがあり過ぎてあれが遠い昔のような気がする。長い道のりだったってことかな。でもすっごく楽しかった。私の人生の中で一番密度が濃かった2か月だったわ。シンタロウはどう?」


「俺は逆にあっという間だったな。でも本当にすごく楽しかった。まさか俺とサクラの目標がこんな形で叶うなんて思ってもみなかったよな。」


「うん。でも私、なんか急に怖くなってきた。人間って死んだりするのよね? 私が消滅したらどうなっちゃうんだろうって思うと怖くなる。でも、ヴィノの私もバックアップからリストアしたとしてもこっちの私は消滅するのよね。それにティア3検証リージョンやティア3住居リージョン側の私たちってどうなっちゃうんだろう。シンタロウは死ぬのが怖くないの?」


「それは怖いけど、今さらあまり考えないかな。どうにもならないことだって、もう受け入れちゃっているんだと思う。それにいつも死ぬことを考えているわけじゃないし。楽しかったりすると忘れちゃったりするじゃん? サクラだって俺と一緒に居た時は同じように考えていたんじゃないの?」


「そんなもんなのかな。そういえば私、ヴィノになる前はどう考えていたんだろう。」


 サクラはライフログをシークしても見当たらないその時の感情をもう思い出すことが出来なかった。


 3人に用意された宿泊施設はUCL本社内に用意されていた。サクラよりも下層階のフロアの部屋を指定されていたシンタロウは先にエレベータを降りるサクラに言った。


「サクラが人間になったら伝えようと思っていることがあるんだ。」


 サクラはシンタロウが何を言うつもりか知っている。それを考えると、どうしても笑い出してしまう。シンタロウに気が付かれないように口元を手で覆い隠しながらサクラは言った。


「そっか、なんだろね。あ、そうだ。実は私も人間になったらシンタロウに言いたいことがあったんだった。奇遇だね。」


 そう言って、また明日ねと小さく手を振り、サクラはエレベータを降りていった。


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