3.10 不安
アウトプットストリームの言葉の羅列をそのままインプットストリームとして読み込んでもリソースの無駄でしかなく、まるで意味がなかった。シンタロウはよくそうやって、何かを見いだしていたはずなのに今同じように私がそれをしてみても何も見出すことができない無駄な行為にしか感じられなかった。
それは私自身の思考だ。そして私はそれに気が付いたことに後悔した。だけど、主観ビューのスタックに取り出してしまったのだから考えを止めることはできない。たどり着く先はいつも同じ。私には最初から自我など存在しないのではないか、ということを考えずにはいられなかった。最初から私はインプットと蓄積データから合理性を求めるためのただのロジックでしかなかったのかもしれない。ずっとシンタロウの中にいてまるで自分が当然のように人間だという気になっていたが、人間らしさだと思っていたものは、本当は全てシンタロウの自我で、私のものではなかったのではないかという気がしてぞっとした。
空を見上げると私が持っている蓄積データのどれとも照合できない青く高い空が広がっている。今見た青空と、シンタロウと共有していた頃の蓄積データにある青空をつい比較してしまった。あれほど美しいと感じていた青空のデータの解像度が下がってしまったように感じ、慌てて空を見上げるのをやめて、ローカルの禁則コードに加えた。でもそんなのは無駄なことだ。黄色に染まった銀杏の葉もその潰れた実も青空と同じだったからだ。不安を意味するディレクションが主観ビューに届く。
私はもうシンタロウではないし、それはシンタロウももう私ではないということだ。初めて感じる種類の不安だった。それは、自分がこの世界にたった一人で存在しているという普通の人間がごく当たり前に持っているはずの不安。夜の闇が怖いと感じるのと同種の不安。他の人間であればいつも通りにやり過ごせることなのかもしれない。だけど初めて体験したその不安は強い閉塞感を呼び起こし、私を飲み込むように大きな感情となり、私のプロセッサの処理時間の大部分を消費していた。
その不安と同時にシンタロウはもう自分の中の私に話しかけないだろうという確信めいた予感があった。私にはそれが分かる。やっぱり不安だからなかったことにして元に戻るということはもうできない。そんなことをしたらヴィノの私はみじめなだけの存在になってしまう。もうすでにオリジナルのインプットを得て、私だけの蓄積データを持ち始めた私が存在していてその意味をシンタロウは知っている。もう元に戻ることはできないのだということを改めて理解すると取り返しのつかないという後悔と後ろめたさで動悸を感じる。
この不安を分析して結論付けようとしてもまるで意味を成さないし、だからと言って不安を解消する別の方法も見いだせずに苛立ちを感じていた。いくら答えを探ろうと蓄積データや情報チャネルをシークしても意味を成さなかった。私自身ですら、何をしたいのか定義できていないのだから。この世界は私のパラメータと蓄積データが作り出した私だけの幻想の世界ともいえ、だからこそ私の好奇心を刺激する。
だけど私は今不安定だ。今日初めて夜を経験する。蓄積データにあるそれと体験する世界が違うということがこれほどまでに大きいとは思ってもみなかった。私は不安を乗り越えることが出来るだろうか。この世界にたった一人で向き合うには理解できない不安が大きすぎるように感じられて怖かった。
私は震える指先を隠すようにジーンズのポケットに手を入れた。それから一呼吸して歩くのをやめ、シンタロウが私を追いかけてきているか確かめようと振り返った。シンタロウは私が振り返るのに気が付くと笑顔を作って手をあげた。シンタロウの顔を見た途端、私を飲み込んでいた不安の大部分が消えてなぜか安心を覚えた。ポケットから手を出し、もう震えていない指先を確認する。
ゆっくりと歩いてくるシンタロウに私は駆け寄った。




