3.4 デコードデータ②
アールシュはメサDCにある研究室に戻ってきてから既に3日が経過していた。デコードデータから得た情報で唯一となる具体的な手掛かりは『ジャーナル・レコード』だった。そのアクセスポイントとして示されたアドレスは旧ネット上のIPFS(InterPlanetary File System)のアドレスだろうとあたりをつけていたが該当するオブジェクトは存在しなかった。
類似のハッシュ値のアドレスを持つオブジェクトを探したがそれも皆無だった。それならこのハッシュはなんだというのだろうか。エヴァンズ教授もまったくあたりが付かないと言ったきり連絡がないところを見ると何か手掛かりをつかんだということはないだろう。やはり後半部分に何かヒントがあったのかもしれない。デコードできなかったのは致命的だ。エヴァンズ教授が聞き取った後半部分を確認してみたが全く理解できない内容だった。
「対ノ啓示ハ一ツノ暁ノ器ニ下ルデショウ。汝ラガ求メタ主ノ羽ノ一片ハ、イズレソノ手ニ抱カレ、真実ノ大地デ根ヲ張ルコトデショウ。」
アールシュは研究室で一人ため息をついた。そして椅子に深く座り直し、大きく背をそらせて天井を見た。情報チャネルでは『あの日』の現象を『鐘の音』、そして『神の使いの言葉』と呼称することで統一され始めている。私以外にあの状況で『神の使いの言葉』をデコードできた人間がいるだろうか。それに気になることが他にもある。マックスはいつも通り落ち着いたままだったことだ。それはつまり『鐘の音』も『神の使いの言葉』もマックスには聞こえていなかったのではないだろうか。
人間以外には聞こえていなかったと考えるべきか。それにはプロセッサの有無は関係あるだろうか。いや、UCLの公式アンケートの結果を見ればとは言えない。『鐘の音』と『神の使いの言葉』を聞いていると答えている人数があまりにも多すぎる。それほどまでにプロセッサは普及していないし、やはり関係がないのだろう。
もう少し調べるとすれば、プロセッサを持っていない人間にも私やエヴァンズ教授と同じ内容が聞こえていたかどうかということくらいか。情報チャネルで何人かのインタビューを見る限り、同じような言葉を聞いていたように見えるがそれがプロセッサ持ちかどうかまでは分からなかった。UCLの関係者はほぼ全員がプロセッサを接種しているのでプロセッサを持っていない人間の意見を気軽に確認することができず、もどかしかった。そういえば、地質調査会社のマーティンはプロセッサを接種していないと言っていたな。いよいよアクセスポイントについて打つ手がなくなってしまったのでそのあたりも調べてみることにするか。
アールシュが考え事をしていると広報用のスタックに届いたデータをインポートするかPAから確認があった。データは論文でタイトルは『エミュレータの実現と新大陸発見の類似性』だった。このタイトルであれば、おそらく移住までは踏み込んでいるのだろう。アプローチはよさそうだが、今は悠長に論文なんかを読んでいる場合じゃない。そう思いながらも先に進むための手掛かりがなく、打つ手がない状況を持て余していたアールシュは、興味を惹かれるままなんとなくPAの要約をストリーミングで流していた。そして、いくつかのキーワードを認識して持っていたコーヒーカップを落とした。
『第2段階』、『自然法則の解除』、『人類史のアップデート』、『ジャーナル・レコード」』
『あの日』、メッセージをデコードしていたやつが自分の他にもいたのだ。
アールシュは慌てて内容を精読してさらに驚いた。自分と同等かそれ以上の知識の持ち主だとわかったからだ。エミュレータへの移住の妥当性とそのメソドロジーはアールシュが考えていることと同じだ。そして、現実がエミュレータであることの立証方法の補足にあの出来事が詳述されていた。
この論文の著者は『あの日』、2つのPAを並列稼働させて、その内の1つは自立動作させていたという。自身のPAは4つ目の鐘の音で本人の意識と同時に落ちてしまったが、自立させていたPAはその後も動作し続けていたという。自立したPAが勝手にデコードしたというのだろうか。それはいったいどういう状況なのか。なぜそんなことをしていたのかも分からないが、結果としてデコードデータを保持できているという。
『あの日』についてが書かれた補足部分も驚きだったが、エミュレーション分野の考察で驚かされたのはエヴァンズ教授以外では初めてだった。論文には署名と連絡先があった。署名には『シンタロウ・J・カワムラ』とあるが初めて見る名前だった。アールシュがこの分野の著名な専門家を知らないはずがない。アールシュはPAを介さずにマニュアルでシンタロウに連絡をしていた。




