3.3 デコードデータ①
アールシュはこの3日間全く寝ていなかった。『あの日』体が動くようになったアールシュはエヴァンズ教授と一緒にソフィアをフェニックスのUCL総合病院に運び込んだ。ソフィアは病院へ向かう車の中で意識を取り戻したが、内耳に損傷が見られるようで起き上がることもできずに、何度も吐き戻したことでさらに消耗していた。アールシュとエヴァンズ教授も軽度ではあるものの同様の症状があった。それでも幸いなことにソフィアを含め全員聴覚を失うことはなかった。
3人は精密検査を受け、ソフィアは数日の入院、アールシュとエヴァンズ教授は軽度の脳震盪と診断され、来週もう一度検査を受けるように言われた。あれだけのことが起こったので病院がパニックになっているのではないかと心配したが、いつも通りの静かな病院だった。この病院の状況を見る限り、あの現象による人々への影響はほとんどなかったということだろうか。実際、アールシュたちが病院にいる間、ソフィアのように倒れ込んだ患者が運び込まれるところを一度も目にすることはなかった。だが、病院中があの音とあの声の話題で持ちきりだった。あれはUCLの新しい行政放送ではないかと話す人の声や、新興宗教団体の新しい宣伝か何かなのではないかと囁き合う人々の声を耳にした。
検査と手当てを行った後、ソフィアは眠ってしまったので、アールッシュとエヴァンズ教授はソフィアが起きるまで病院のラウンジで待つことにした。病院に向う車の中からスカイラーに連絡すると、すぐにこっちに飛んでくるといっていた。オースティンから直行便を使うと言っていたので、今日中に来てくれるのだろう、それをアールシュに伝え終わるとエヴァンズ教授は午前中に起きた事象について話し始めた。
「君のライフログからダンプしたというデータを見た。あのメッセージの真意だと思う。アールシュ、私はまだこの続きがあると思っているし、それを知りたいんだ。そもそもディフェクト自体が信じられない事象だとは理解している。だが、元はと言えば私たちはそれを期待して、あそこにいたのだからね。だから、今さら疑う理由がないんだよ。」
アールシュを見ながらエヴァンズ教授はそう言って続ける。
「1つ目の条件を満たしたのはヴィシュヌが稼働を始めたことだろう。そして2つはアールシュ、君だ。図らずしもアールシュがディフェクトに触れることで、エミュレータにプログラムされたコードを起動させたのは間違いないだろう。私が触れても何も起らなかったということはショックなことだがね。だが、これまで君を見てきたからわかる。君は私よりもずっとエミュレータの可能性を信じていることは事実だからね。そう考えると私はどこかでエミュレータの可能性を信じ切れていなかったのかもしれないな。」
アールシュは黙ってエヴァンズ教授の話を聞いていた。アールシュはエヴァンズ教授がリプロジェン社の重責を担いながら、エミュレータ研究にどれほど心血を注いできたのかを知っている。ショックだというエヴァンズ教授の言葉は重く、簡単にそれに返すことができなかった。
「そして、その次がもっとも重要だ。『このプログラムは人類の進歩、進展がない期間を短縮するための知識を提供します。』という部分。この『知識』とは『ジャーナル・レコード』のことを指すのだろう。そしてアクセス方法も示されている。君はハッシュ値だと言っていたね。ソフィアのPAのスタックからデータを回収できなかったと聞いたが値は再現できそうか?」
「はい、ソフィアのスタックにはデータとして残っていなかったので回収できませんでしたが、ストリーミングで私の意識を介して聞き取っていた分はライフログ上の記憶として残っています。そのハッシュ値に一つ思い当たることがあるので、研究室に戻って調べてみようと思います。」
「そうだな。今できるのはそれしかなさそうだからね。他のメッセージ内容もそこから紐解くしかないだろう。」
その話の最中にソフィアからエヴァンズ教授にコールがあるのに気が付いた。彼女が起きたのだろう。それからソフィアの病室で少し話をした。アールシュがソフィアのPAをゲストモードで利用したことを伝えると、彼女は激怒して、アールシュに手当たり次第にものを投げつけた。二人はソフィアが元気そうで内心ほっとした。院内のオペレータから受けた説明の中に、ソフィアのバイタルからインジケータが不安や恐れを指しているとあった。それを聞いて二人は心配していたからだ。通常時のバイタルからそれが見て取れるということは、精神疾患を伴っている可能性があるということだったからだ。オペレータは、彼女が低調でふさぎ込んでいるようであれば要注意だと言っていたので、こんなにも感情を露わにしている分にはひとまず問題がないということだろう。
スカイラーはもう少し遅くなるそうなので二人は先に帰ることにした。アールシュはメサの研究室へ、エヴァンズ教授はマックスを連れて一度オースティンに戻ることにした。




