2.4 外部思考用プロセッサ
シンタロウは夏休み前半の2週間をケンジ夫妻と過ごした。ケンジ夫妻は彼らのバカンスの残りを東アジアの小国で過ごすという。数十年前まではアジア圏有数の金融セクターとして機能する経済大国だったらしいが今では観光が主な産業になっている。その国はシンタロウの父方のルーツだった。
ケンジ夫妻が旅行の間、シンタロウは家の掃除や宅配物の受け取りを行うという条件で、ロサンゼルスの家を好きに使って過ごしてよいと言われていた。シンタロウはケンジの家を拠点にいくつかバイトをすることを計画していた。
ケンジ夫妻が旅行に出かける少し前、シンタロウとケンジはエミュレータ稼働開始に合わせて組まれたヴィシュヌプロジェクトの特集を食い入るように見入っていた。シンタロウもケンジも仮想現実論を信じていたので、ヴィシュヌプロジェクトに大きな関心を寄せている。この世界が仮想現実であるならば、サクラを人間としてこの世界に連れ出すことが可能なのではないか、とシンタロウは考えていた。
『またあの体験がしたいな』というサクラの言葉を聞くたびにシンタロウは胸が苦しんだ。それと同時にサクラがシンタロウから切り離なされて、自立した人間になったらどうなるだろうかと空想を巡らせることもあった。知性的で優等生気質のサクラはきっとクラスメイトの女子と同じように旧ネットにアクセスして喜んでいるような自分に興味なんか持たないかもしれない。
以前一度だけ、外部思考用プロセッサに蓄積データをダンプして、VRSでサクラと会ったことがある。外部思考用プロセッサはシンタロウのような一般人が気軽に使えるようなものではなく非常に高価なデバイスだ。購入は論外でシェアリングサービスでさえ利用することが難しい。利用者スケジュールで常に埋まっていて、一般人では新規にリザベーションをとることは到底出来ない。だが2年前にそのリザベーションの1枠をシンタロウは偶然手に入れることが出来た。
それはゲームの景品だった。ケンジの会社のイヤーエンドパーティには家族も招待される。ケンジの会社はビッグテックの1社であるニコラ社の系列会社で巨大な企業だ。当然パーティーも盛大に行われている。ケンジ夫妻に誘われてシンタロウもそのパーティーに参加していた。そこで行われた余興の1つとしてクイズ形式のゲームが行われた。内容は仮想現実論やPAに関するもので社員たちが喜びそうなジャンルだ。サクラと一緒にシンタロウもそれを楽しんでいたがまさか自分が最後まで勝ち抜くとは思ってもみなかった。最後の問題はAFAのパラメータに関する問題だった。
答えはサクラが覚えていた。サクラにとってAFAは自分を勝ち取るために必須のツールだ。その時にシンタロウはっきりと認識した。自分とサクラはPAやAFAについて他の誰よりも詳しくなっていたのだと。
外部思考用プロセッサを使って蓄積データから自動生成したサクラの容姿は、サクラのイメージそのままだった。シンタロウは自分の主観を一切入れずに外部思考用プロセッサに任せたので事前にイメージなどできなかった。それでもこれはサクラだと瞬時に認識して違和感がまるでなかった。
VRSで出会ったサクラは東洋人特有の黒い髪を腰まで伸ばしている。シンタロウよりも背が高い。切れ長の黒い目は自分と同じ色なのに神秘的に感じられた。シンタロウはその姿にしばらく目を奪われた。それ以来、サクラの容姿データはその時のものを使うようにしている。それまでサクラのイメージに使っていたのは、サードアイアン社のPAアドオンに付属していたピンク色の髪をしたアニメーションのキャラだったので突然人間として現れたサクラにどう接していいのか分からなかった。初めてサクラを女性として意識した。
その後のことはよく覚えていない。VRSでサクラと少しだけ会話をしたような気がする。蓄積データを共有していないサクラはよそよそしい気がして、14歳になったばかりのシンタロウには取り繕うだけの余裕もなく、すぐにいたたまれなくなりイグジットした。それでもいつか、今度は現実世界でもう一度サクラに会いたいという思いは日増しに強くなっていった。




