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8・想定外の結婚相手

「本当にあなたがマナ様なの? でも……」

 キャンディスは複雑な表情を浮かべ、その先の言葉を飲み込んだ。

 貴族の政略結婚の場合、成人前の男女であっても夫婦となる事は珍しくない。

 これは家と家との結びつきを強くするという意味合いが強いからだ。

 だが、マナ当人と対面してみると、成人前などと言う表現は生温い。人狼だからキャンディスには分からないだけかもしれないが、それでもどう見ても幼体にしか見えない。獣化が解けても、おそらくマナは幼児だろう。

 なるほどこれでは一族の中で最弱というのも頷ける。そして、今日まで会わせてもらえなかった理由も分かった。

 

 政略の為に年の差のある男性の元へ嫁ぐ貴族女性は少なくない。

 それが男女逆であるからと言って何の問題があると言うのか。ゆっくりと夫婦としての時間を育んで行けば良いのだ。

 決意するように胸元に手を当て、一息ついてから立ち上がって寝台の淵に腰を下ろす。

「やっとお会いできて嬉しい。私はあなたの伴侶となるために隣国から参りました。どうぞよろしくお願いしますね」

 キャンディスはマナの瞳を覗き込んで柔和な笑みを浮かべた。

 小さな狼とようやく相対した少女は、まだ十六歳でしかなかった。



 キャンディスの言葉を受け、マナが返事をしようとしたその時、部屋の扉が勢いよく開かれる。

「何者だ!」

 ナイフを逆手に構え臨戦態勢で乗り込んできて叫んだ男と、予期せぬ一声に驚いたキャンディス、両者の視線がかち合う。

 事態を把握しきれず、きょとんとした表情で男を見上げる少女の華奢な体躯を認識した男は、泡を食ったように狼狽した。

「あ……は……あの、どちらさまで?」

 

 それはこちらが聞きたいのだけど、とキャンディスが腹の中で思った時、傍らからマナの声が上がった。

『落ち着けカヌス、こちらはキャンディス嬢。伯父上が言っておられたダムノニアの御令嬢だ』

「これは……大変失礼を致しました!!!」

 マナにカヌスと呼ばれた男は、手にしたナイフを皮の鞘に収め、情けない表情を浮かべて平身低頭土下座する勢いで謝罪の言葉を口にした。

「ですが……その、御令嬢はどちらからここに参られたので?」

 お越しになるというご連絡は頂いておりませんが、と言いにくそうにカヌスは続けた。

 

 ああ、とキャンディスは得心し、男に向かって満面の笑みを浮かべて答える。

「待てど暮らせと一向にお会いできるというご連絡を頂けませんでしたので、失礼は承知の上でお訪ねしました……そちらの窓から」

 いけしゃあしゃあとそう告げ、悪びれもせず乗り込んで来た窓を指さす。

「窓って! ここは二階ですよ?!」

 茫然とそう呟いたカヌスに、更にダメ押しの言葉を掛ける。

「私、木登りは得意です」

 

 先ほどのマナの口ぶりからすれば、今回の縁談話は一応本人にも伝わっていたのだろう。だが、その相手が窓から訪ねて来る事は想定外だっただろうが。

 むろん、こちらも真正面から訪ねたかったのが本音なのだから、そこはお互い様だろう。

「これでもうマナ様と私が会えない理由はなくなりましたよね?」

 問いかけるようにカヌスに向かって首を傾げる。

 するとマナが楽しそうに笑った。

『ははは、勝気な方だ。本来は到着をお出迎えするべきところを、何日もお待たせして申し訳ありませんでした』

 

 穏やかな声で謝意を紡いだマナへ顔を向けると、いつの間にか起き上がってちょこんと座っている。

『力が荒れて思うように起き上がる事も出来なくて、あなたには随分礼儀を欠いた事をしました』

 聞こえて来るマナの声を受け止めながらも、どこか違和感が拭えない。

 彼が嘘を言っているようには思えないから、違和感の理由はそれ以外にあるはずだが、それが何かは分からない。


「力が荒れる……とは?」

『どう言えば良いのでしょうね……。人狼族の転身の力……つまり獣から人の姿への変化は、自身の魔力を制御する事で行っているのです。この能力に長けている者程強い。でも僕は昔からこの能力が低くて、先月の月食の日から人形(ひとがた)へと戻れなくなってしまいました。それどころか自分の魔力で自家中毒を起こすような有様で』

 なるほど、人狼族の転身とはそのような原理だったのか、と頷いたところで、違和感の正体にようやく気が付いた。

 幼児だとするならば、彼の言葉も内容も成熟しすぎている。


「あの、一つお聞きしてもいいですか?」

『ええ、どうぞ』

「私、あなたの事は何も知らずに嫁いで来ました。お年をお聞きしても?」

『そんな事ならばいくらでも。僕は今二十三になります』

 キャンディス、あなたは? と続いたマナの口元は動いていなかった。

 おそらく言葉もまた、声帯を通してではなく魔力によって響いているのだ。

「私は今十六歳です」

 だが、獣形でも意外と感情は読み取れる。

 キャンディスが自分の歳を伝えると、マナが一瞬驚いたように息を呑んだのが分かった。


『お若いだろうとは思っていましたが……そうですか、まだ十六なのですね。あなたのように可愛らしい方の相手が僕で良いのかと、申し訳ない気持ちになります』

 そう言って目を伏せたマナの耳と尾は、しおしおと垂れた。

 思わず可愛いのはあなたの方よ、と口から飛び出しそうになるのをグッとこらえる。

 マナにしてみれば真面目な話をしているのだから申し訳ないが、正直な所その様子は身もだえそうになるほど可愛い。

 だが、幼獣の姿に反して実年齢はしっかり大人なのに、可愛いなどと失礼だろうか。

 

 それに、何が申し訳ないのだろう。

 無類の動物好きの自分の伴侶が、こんなに可愛い生き物ならば大歓迎である。

 故郷では結婚する事すら諦めていたというのにも関わらず、だ。もちろん積極的に縁談を回避するようにふるまっていたのは自分自身だから、それについて不満はなかったのだが。

「申し訳ない、なんて言わないで下さい。私はマナ様が優しい方で安心しましたよ?」

 それは偽りのない心からの言葉だった。だが、マナの顔は失望したように歪む。

『優しい、ですか……。強さだけが雄としての価値だ。強くなければ……いや、こんな事あなたに言っても仕方がないですね』

 そう口にしたマナは寂しそうに笑ったように見えた。

 

 先を濁した話の続きが気になったが、敢えてそれを問いかける事は出来なかった。

 伴侶としての縁を結んだのだと言っても、今日初めて出会ったばかりの相手。自分達には、まだ心に距離がある。

「せっかくのご訪問ですが、今日はそろそろ……。主はまだ、長時間起き上がっていられる体調ではないのです、キャンディス様」

 黙って傍に控えていたカヌスの言葉に、思考に沈んでいたキャンディスは我に返った。


「まあ……私ってば気遣いも出来なくてごめんなさい。お会いできて良かったです、マナ様。今日はもうお暇します……また訪てもいいですか?」

 部屋を訪う事への了承を問うと、マナのふわふわの尾が小さく揺れた。

『もちろん』

 彼の返答に満足気に頷いて、キャンディスはマナの部屋を窓から辞した。

 木の下で待機しているだろう自分の侍従を安心させてやらなくては。

 手慣れた様子で窓枠に手を掛け、身軽によじ登って消えて行く少女の姿を、カヌスはぽかんと口を半開きにして見送った。


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