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7・ドロワースとアンダーコート

 フレアと庭で出会ってから数日、キャンディスは暇を持て余しつつそれまでと変わらない日々を過ごしていた。

 高位者の妻に喧嘩を売るような真似をしたのだから、最悪は首領に呼び出され何らかの叱責があるかもしれないと身構えていたが、今のところそれすらもなかった。

 異国から嫁いで来たばかりの女に多少言い返されたくらいで首領に泣きつくなど、フレアのプライドが許さなかったのか、あるいは和平協定に障りが出ると取り合われなかったのかはわからない。

 いずれにしても、少しは先の見えないこの日常に変化があるかもしれないと言う期待は外れた。

 まぁ良い。時間は飽きる程あるのだから。

 

 今日は何をして時間を潰そうか、と考えていたその時、傍を離れていたヴィトが部屋に戻って来る。

「おじょ~、マナ様の部屋の場所分かりましたよ」

 こちらへ向かって歩きながら、ヴィトはそう伝えて来る。

 マナの部屋の場所を探れと命じてから四日。この日数が速いのか遅いのかは分からない。

 だが、たかだか部屋の場所を探るだけにしては手こずったのではないだろうか。

 ヴィトとジェニーには言語変換のアミュレットを身につけさせている。だからこの家の他の使用人との意思の疎通は可能だ。その状態でも四日掛かったのだから、おそらく普通に訊ねても教えてもらえなかったと言う事なのだろう。

 

 前途多難なこれからを思うとため息が漏れそうになるが、後ろ向きな事ばかり考えていても仕方がない。

 キャンディスはその思いを振り払うように立ち上がった。

「そう。じゃあ、早速行きましょう」

「その前にお嬢は着替えて下さいね」

 



 通路とは言えないような人気のない道を、ヴィトの案内で抜けて行く。

 なるほど、どおりで調べるのに時間がかかったはずだ、とキャンディスは声に出さず独り言ちた。

 マナの部屋を訪ねるだけなのに、それをこの家の者に知られたら止められる事になりかねない状況なのだ。

 出がけに着替えるように言われたのもその為だ。こんな通りにくい場所を行くのならドレスでは難儀する。

 しばらくヴィトの後ろを歩き続け、キャンディスには帰り道が分からなくなった頃、抜けて来た小さな林の先に拓けた庭園が姿を現す。

 

 庭園と言っても手入れが行き届いているとは言い難い。フレアと出会った庭園に比べるとやや荒れた印象がする。

「ここはあまり手入れが行き届いていないのね」

「どうやらここが邸の行き止まりみたいっすね。どういう訳かこの辺りは使用人の数も少ねぇんで、庭の管理まで行き届かねぇんでしょう」

 ヴィトの返答に、不快感からキャンディスの眉間に皺が寄る。

 何日も会わせてもらえない結婚相手は、こんな敷地の最奥に追いやられている。

 少ない使用人と手入れの行き届かない庭。フレアには一族の中で最弱と見下されたような言い方をされていた。

 もしかして今回の結婚話を、マナ当人が知らないのではないだろうかと言う疑念が浮かぶ。


「お嬢、あの木の上の窓、空いてるでしょう? あそこがマナ様の部屋らしいっす」

 そう言って、ヴィトは節くれだったゴツイ指で視線の先の建物の二階部分を指した。

「ああ、なるほど。正面からは無理そうだから、裏口から忍び込めって事ね」

「さすがお嬢、理解が早い」

「あんたね、万一マナ様が獣化してて話が通じなかった場合はどうするのよ」

 能天気な従者の、のほほんとした表情をみていると思わずため息が出そうになる。


「お嬢に手名付けられない獣はいねぇでしょ? 犬の躾は得意なんじゃなかったんすか」

 ちゃっかり父に切った啖呵を揶揄してくるヴィトに、キャンディスの喉がグッと締まった。

 のんびりとした無害そうな顔をしている癖に、この男は意外と策士なのだ。

 上手く誘導されたような気がするが、ここでへそを曲げていても仕方がない。

「ヴィト、上げて頂戴」

 そう言って傍らに佇む締まりのない顔を見上げた。

 山猿の二つ名を持っているのだからもちろん一人でも登れるが、眼前の木の幹は高い場所にある。そこに手を掛けるまでが骨が折れそうだ。傍らの従者は無駄に大きくて骨太なのだから、木登りの足場程度にはなってもらおう。


「はいただいま」

 気安く返事をして、ヴィトはその場で片膝をついた。

 その腿に足を掛け、肩によじ登る。

「立ちますよ」

 ええ、と短く返すと、肩車をされた目線が一気にぐんと高くなった。

 ヴィトにスカートの中を見られたって大丈夫。厚手のドロワースがキャンディスの標準装備だ。

 キャンディスは手慣れた様子で片足をヴィトの肩に上げ、力を掛けた反動でもう片方の足も引き上げる。長年の経験で、すかさずヴィトの両手がキャンディスの足首を掴む。

 彼の頭を両手で押し込むようにして、その双肩の上に立った。

 見上げれば、手を伸ばせばどうにか手が掛けられそうな幹がある。

 よし、と小さく呟き、キャンディスは遠慮なく足場を踏み込んだ。

 

 

 大きく開かれた窓の下には金属製の花台がある。だが今は、そこを彩る花はない。風雨にさらされて年季が入っているが、足場にしても大丈夫だろうか。

 そこに手を伸ばし、足を掛ける前に左右前後にゆすって見る。キャンディスの力ではびくともせず、根元が緩んでいるような様子はない。これなら大丈夫だろう、とそこに足を掛けた。

 拍子抜けする程簡単に、花台の淵に尻を掛ける。そっと薄いカーテンの切れ目から内側を覗き込むと、視線の先に寝台があった。

 昼間だからだろうか、開けられた天蓋のなかに毛の塊が丸まっている。

 銀色の毛並みの中に、柔らかそうな黒いアンダーコートが混じっていて、それがポワポワとトップコートの外側にまで飛び出している。

 

―― 子犬かしら?


 キャンディスは心の中の自問に、小さく首を傾げた。

 その時、丸いフォルムの中に紛れていた耳が片方だけピンと立ち上がり、ピルピルと震えたかと思うと顔がこちら側を向いた。

 反らす間もなく、小さな獣と視線が合った。不思議な光彩をした水色と金色の混じりあった瞳。

 生後何か月くらいなのだろう。成獣と言うには柔らかそうな毛並みと言い、やや短めのマズルといい、やはり子犬だ。

 見つかった相手が動物だと分かって、キャンディスはホッと胸を撫でおろす。

 勢いに任せて無断侵入を試みたものの、いざマナといきなり遭遇してしまえば、それはそれで何と切り出したら良いのか分からなかったからだ。

 眼前でこちらを凝視したまま置物のように固まったその子犬は、おそらくマナが飼っているのだろう。

 

 念のために左右をキョロキョロと確認し、子犬の他には誰も居ない事を確認して、花台から室内の床の上へと飛び降りた。

 そこまで高くなかったおかげで、着地音もそれほど大きくはない。

 子犬がびっくりして逃げてしまわないよう、キャンディスは寝台へとゆっくり歩み寄った。

 幸いにも、子犬は逃げなかった。否、逃げる事も忘れているのだろうか。

 両耳がピンと立ったまま、固まっている。

 距離を取って寝台の脇に回り込み、目線を合わせるためにしゃがみ込んでその顔を覗き込む。

 害意のない事を証明するために、握った利き手を少しだけ寝台の上の子犬の鼻先に差し出した。


「あなたのご主人様はお出かけ中かしら? 私はキャンディス。隣の国からここにお嫁に来たの。仲良くなってもらえたら嬉しいな」

 キャンディスは子犬にそう話しかけ、柔和な笑みを浮かべた。

 子犬に言葉が通じたのだろうか、ピクリともしなかった子犬の尾がパタ、と一度だけ反対側へと振られる。


「触っても大丈夫かしら……やっぱり飼い主であるマナ様の許可がないとダメかな」

 動物は大好きだ。しかもこの成獣になる前の小さな生き物の愛らしさは別格なのである。

 成獣には成獣の魅力があるが、自他共に認める動物好きの自分が幼獣に触れないなんておあずけも良い所だ。

 我慢なんかせずに撫でまわしたいが、初対面の人間に触られるこの仔の負担を考えると、欲求と自制心がせめぎあう。

 口を噤んで耐えていると、こらえきれなかった感情が奇妙なうめき声となって漏れ出る。

「ふぐっ……」

『あの……大丈夫ですか? どこかお加減でも?』

 その声に、思わず寝台の上の握りこぶしを引っ込める。ビク、と肩が震えて息が止まった。


 思わずソロリ、と背後を振り返るも、そこには誰も居なかった。

「あれ? 今声が聞こえた気がしたんだけど」

 おかしいな、と首を傾げると、

『ええ、僕です。あなたの前にいる僕の声』

 はっと目を見開き、眼前の子犬を凝視する。

『初めまして、キャンディス。目の前にいるのがあなたがお探しのマナです』

「えええええーーー!」


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