5・山の向こうからやってきました
アルフィナの森を抜け、自国の境界から隣国へと踏み入った途端、明確に空気はガラリと変わった。
それは当たり前の事で、領土を明確にするために普通の人間であれば目にする事の出来ない結界が魔導の力で張られているのだ。
父パロミデスがアルフィナに封じられたのも、それが理由の一つだ。
武器に魔力を帯びさせる事で、人間より身体的強度の高い敵と戦う。同時に、敵が領土内に闖入してきても、即座に感知して応戦する事が出来る。
この力の厄介な所は、種としての存続が難しい事にある。褐色の肌を持つ者同士が夫婦となっても子を成しにくい。
父母のように肌の色の違う者同士が結ばれても、白い肌の者の方の血が強いのか、褐色肌の子は出来にくい。
ゆえに魔力を持つ人間は少ない。魔力持ちが何の力もない普通の人を支配する側になる事が出来ないのは、数の暴力に抗えないからだ。
国は少数の魔力持ちを冷遇せず受け入れる事で、魔力持ちは国と言う大きな枠組みの中に庇護される事で、互いに互いを守りあっているのだ。
そうしなければ、他種族の脅威に飲み込まれる事になるのだから。
四兄妹の中で自分だけが褐色の肌をもって生まれて来た事は、誰のせいでもない。そのせいで嫌な思いをしたことがあるのは事実だが、だからと言って家族を恨む気にはなれなかった。特に、こんな風に振舞うようになっても、上の兄達と同じように愛情を注いでくれる父の事は。
――― だからって、何で甲冑が許可されちゃうかなー……
キャンディスは馬車の座席に顔を埋めながら、心の中でげんなりと呟いた。
王命には逆らえないと言うから、その王自身に、和平協定にそんなおかしな令嬢を差し出すのはマズイと思わせる作戦だったのに。
そして、何の罰だろうか、その甲冑を王家が寄こして来たのだ。
寄こして来たのは通称ランセルトの鎧。文字通り、あの騎士長ランセルトが使っていたいわくつきの代物だった。
最強騎士ランセルトは白い肌の人間であったが、現在は魔力持ちだったとされている。
何故それが確証ではないのかと言うと、彼が戦場でパロミデスのように魔力を使って見せた事がなかったからだ。
だが、ランセルトが処刑された後没収された彼の私財に、制作者の分からない魔道具が多く含まれていた。
おそらく、その数々の魔道具はランセルト自身が作ったものだったのだろう。
彼の私室からは魔力関連の大量の古書に加え、走り書きの魔導の構築式がいくつも見つかっている。それらは一般的に知られている構築理論ではなかった。独学だったのだろう。
鎧と剣も同様で、その二つには呪いの類の構築式が掛けられている事が分かった。
魔道具として優秀なのであれば国の宝にもなりえるが、呪詛の場合はむしろ脅威と言って良い。かと言って、下手に手放す事も出来ない。どんな災いが降りかかるかは、呪いをかけた張本人が死していて分からないからだ。
剣も鎧も、持ち主以外には使えないようにしてあるらしく、他者がどういじっても剣は鞘から抜けず、鎧は片方の手のひらに載る程の大きさの、甲冑上衣の形をした置物のようになっている。
剣と鎧は相互に影響しあうようにできているらしく、特に武器である剣の方に禍々しい魔力が凝縮されているのだと言う。
国は、これを解放できる魔力持ちが現れる万一の場合を想定して、仮に他国へと渡っても影響力の少なそうな鎧だけでも、剣の傍から引き離したかったようだ。
そこへ神の導きとばかりに、プロウィンキア家の娘が和平協定の輿入れに甲冑を要求してきたという訳だ。
着用可能な甲冑であれば、痛くもない腹を戦意ありと探られかねないが、まじないが掛けられていて着られない上に、見た目にも置物にしか見えないから都合が良かったのだろう。
おまけに他国に渡るとは言え、持ち出すのはプロウィンキア家の娘だ。当主パロミデスを通して、その動向も確認できるとあれば、まさに王家にとって一石三鳥なのだった。
墓穴を掘るとはこのことだが、自分の浅はかな計画が失敗したのだから仕方がない。
それよりも問題は、この空気だ。
大気に漂う魔力の質が、自国とはあまりにも違いすぎる。
父の封領でアルフィナに移り住んだ時よりも辛い気がする。
アルフィナの森に受け入れられるようになるまでも大変だったが、今回はもっと骨が折れそうだ。
とりあえず、婚家のある土地の主に会いに行かなくては、とキャンディスは気だるさでぼんやりする頭の中で考えていた。
長旅を終え、婚家へと到着すると、出迎えに出て来たのは首領夫婦だった。
人狼族などと言うから、毛むくじゃらな獣が人語を発するのだろうかと勝手な想像をしていたが、見た目には人間とほぼ変わらない。瞳の中の光彩が獣めいているのと、口を開けた時の糸切り歯が若干鋭いくらいで、それ以外の差はほとんど分からなかった。
種族が違うから言語が違う事は避けられない。だが、それも今回王家が婚礼道具の内の一つとして寄こした物の中に、言語を変換する魔道具が含まれていた。
どんな小さなものでも、魔道具は貴重なものだ。その言語変換のアミュレットを三つも用意してきたのだから、王がどれだけこの婚姻に力を入れているか分かろうと言うものだ。
通された談話室で両家当主の挨拶が済んだあと、母の言いつけ通りキャンディスは礼儀に従って挨拶をする。
「パロミデス・ディ・プロウィンキアの娘キャンディスでございます。祖国ダムノニアと御国の縁が一層深まりますよう、未熟ではございますが精一杯つとめて参りたいと存じます。どうぞよろしくお願い致します」
スカートを軽く持ち上げ、腰を落としてお辞儀をした。
伏し目がちに頭を下げてからゆっくりと顔を上げると、値踏みされるような視線とかち合った。
無遠慮な視線には慣れている。自分はここに嫁いで来たとはいえ、敵方の娘であるのだからそれも致し方のないことなのだろう。
せめて父がここにいる間だけでも、ボロが出てしまわないようにしなければ。
すました顔をしてそれをやり過ごすと、人狼族の首領は父の顔を見つめながら、申し訳なさそうに口を開く。
「キャンディス嬢のお相手とさせて頂く当家の者……名をマナ、と言うのですが、今日は体調が思わしくなくすぐにお会いする事が出来ません。こんな日に限って申し訳ないのですが……」
首領はそこで一瞬言い淀み、迷うように一瞬視線を父の顔から外してから再び口を開いた。
「パロミデス殿ならばご存知かと……月の影響が殊の外深くでておりましてな……」
「ああ……、なるほど」
輿入れしてきた新婦に会えない新郎など聞いた事がない。普通に聞けばこれほど失礼な事はないが、理由を説明された父が納得したような様子なのであれば、それは月の影響とやらが人狼族にとって不可抗力だからなのだろう。
せっかくの結婚だと言うのに初日から躓いた感があるのは否めないが、政略結婚なんてこんなものよね、とキャンディスは呑気に考えていた。
顔合わせを終えると、一家は別の客間へと通された。
長旅で疲れているだろう。自分たちは下がるから、今日は親子水入らずゆっくり過してくれと言い残し、首領夫婦は辞して行った。
扉が閉まってしばらくして、父パロミデスはおもむろに首に下がった言語変換のアミュレットを外してから、憤懣やるかたないと言った渋面を作って口を開いた。
「あのヤロウ、やはりこういう事か! どおりで貴重な魔道具なぞ寄こしやがるはずだ」
バフ、と乱暴に沈み込まれたソファが不満を漏らす。
貴婦人らしく夫の後ろで控えめにしていた母もまた、父の隣の席にそっと腰を下ろして口を開く。
「まぁ、それでは陛下は新郎不在をご存知だったとおっしゃるのですか?」
「月の影響が深いと言っていただろう。ルナティックと言ってな……満月の夜に獣化したまましばらく戻れんやつがいるんだ。獣化の深度には個体差があるらしいが、完全に狼になってしまう者から四足状態でも意思の疎通が取れる者、二足歩行の獣型まで様々だ。マナって男がどの程度の獣化具合か分からんから何とも言えないが、しばらく会えんかもしれんな。あのヤロウ、事前に情報として握っていながらかくしてやがったな」
相変わらず、自国の王をあのヤロウ呼ばわりである。ここはプロウィンキア家ではないが、アミュレットを身に着けていなければ、ダムノニア語を理解する者は家族とその使用人しかいない。
「あなた、さすがに陛下でもそれはないのではありませんか?」
「謁見した時にヤツが口にした言葉がずっと引っかかっていた。プロウィンキア家の末娘は森に愛されていると聞く。どんなに獰猛な動物も娘の前には膝を折る、とか言いやがったんだ……狼も手懐けられるだろう、と今なら言葉の裏側にあったのが分かる」
チ、と父は舌打ちし、不機嫌そうに頬を歪めて息を吐き出した。
「ここまで来て今更なかった事にするとも言えん。ランセルトの鎧とは言え、甲冑には違いない魔道具まで受け取ってしまっているしな……。まぁ、しばらくは会えずとも問題はない」
人狼族の婚姻は家と家の結びつきよりも、伴侶となる者同士の結びつきが重視される。
彼らの祖である狼は、雄と雌が番って子を成し、それが群の一単位として計算されるからだ。
人型を得た事によって群の規模が一族へと大きくなっただけで、基本的な考えは獣型しかなかった時と変わらない。
あくまで縄張りの範囲を明確にしておくために、一族単位になっただけに過ぎない。
だから結婚するといっても他家に周知するための披露宴などはなく、信仰する神も居ないので結婚式もない。
当面は新郎不在でも何ら支障はないのが現状だった。
「お前にばかり苦労させる。許せ、キャンディス」
そう言って父は、物言わず立ったままの娘に向かって赦しを乞うた。
いつにない弱気な態度の父に、娘は不敵に笑って見せた。
「普通の貴族に嫁ぐより余程楽しそうよ、お父様。私、ワンちゃんの躾は得意だから大丈夫」
娘のその返答に、母が激怒したのは言うまでもない。




