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4・最低の求婚

 隣国へ向かう馬車の中、ジェニーは対面の席でだらけている主キャンディスへと視線を向ける。

 足を伸ばす事も出来ない車内では、だらけているとはいってもせいぜい座面に上半身を寝かせる程度だが、おそらくこの有様を見ればキャンディスの母イヴォンヌは黙ってはいないのだろうと思う。

 だが幸いにしてと言うべきなのか、今日領主夫妻は同じ馬車ではなかった。


 隣国との境界に位置する辺境伯領から出発したとはいえ、足場の悪い山道を越えて行かなくてはならない。

 長年争っていたおかげで、隣国に攻め込みやすくするために拓いた山道があるとは言え、街道のように整備されているわけではないし、目的地(婚家)までの道のりも遠い。

 車窓から見える景色は代わり映えしない森や林ばかりで、はっきり言って飽きているのだ。

 

 いつもの村娘姿とは違って、今日は貴族令嬢らしい空色のドレスを纏い、蜂蜜色の髪は結い上げている。その空色が主の褐色の肌の美しさを際立たせていて、ジェニーの目にキャンディスは年齢相応に愛らしい。

 もううんざり、という表情と脱いだまま放置した靴が車中に転がってさえいなければ、もっと愛らしいのは言うまでもない。


「お嬢様、ご気分はいかがですか」

 悪路を行く馬車は揺れる。随行している辺境伯領の兵や馬のための休憩はこまめに取られているとはいえ、未舗装路を行く馬車の乗り心地は最悪と言って良かった。

 ふと、不機嫌そうに身を倒しているキャンディスはもしかして気分が悪いのでは、と思って尋ねて見た。


「大丈夫……着いたらちゃんとするから今は見逃して」

 そう言ってキャンディスは投げ出した腕の中に顔を埋めた。

 咎めるつもりなどなかったのだが、小言を言われる前振りだと受け取られてしまった。

 せっかく結い上げた髪が乱れてしまうが、どうせ下車する時には身なりを整え直すのだ。ジェニーは主の心中を気遣い、「分かりました」と短く返してから、またしばらく口を噤んだ。


 今はそっとしておこうと、ジェニーは手持無沙汰に客室の壁を隔てた自分の背中側の御者台に座る男の方へ、チラ、と視線を一瞬投げる。

 御者台側の小窓は閉じているから見えないが、その先にキャンディスの輿入れに伴って夫となってしまったヴィトが座っている。

 数か月前の出来事を思い返す。



 苛立ちを隠そうともしないしかめっ面のキャンディスに、その理由を問う事もできず呆気に取られてただただ出て行くその後ろ姿を見送ってからしばらくして、ヴィトは仕事中に自分の所にやって来た。

 洗濯場から戻って来たリネン類を、キャンディスの部屋の寝台にセットしている最中だった。

 

 侍女が領主一家の部屋で仕事をする時は、部屋の主が不在であれば入口の扉は開けたままでなければならない。

「ジェニー、話がある」

 いきなり背後から掛かった男の声に、思わずビクリ、と背が跳ね上がった。

 仕事に集中していて誰かが部屋に入って来た事には気付いていなかった。

 

 条件反射的に振り向くと、寝室の入口にヴィトが立っている。居室側から寝室には一歩も入っていないのがこの男の気遣いなのかもしれないが、それならば先に扉を叩いて欲しかった。

「もう、びっくりした。何よ?」

 つい、無愛想な態度になってしまう。


「今、旦那様に呼ばれて話をしてきたんだが、お嬢が嫁に行くことになった」

 ヴィトのその言葉に、ようやくキャンディスの苛立ちの原因が分かった。

「あら、それは……使用人としては喜ぶべきなのかしら。お嬢様は納得されていないご様子だったけど」

「王のご命令なんだと。だからこの縁談は断れねんだ。でな、その嫁ぎ先がトランサルピナの首領一族らしい」

「なんてことなの……それじゃお嬢様の今までが全部水の泡じゃない」

 キャンディスの心情を思うと、思わず失望感から怪訝な表情になった。


 山猿姫と馬鹿にされても、キャンディスは甘んじてそれを受け入れた。そうしていつしか本当に山猿姫らしく振舞い始めたのだ。全ては、愛すべき家族の為に。幼稚なやり方だとしても、それがキャンディスにできる精いっぱいの抵抗だったのだろう。

 それを一瞬でなかった事にされてしまったのだ。王命という、抗いようのない絶対権力に。


「だな……。従者として、俺も一緒に行く事になった」

「まぁ、アンタは当然よね。お嬢様付きになって長いしね。そっか……お嬢様が居なくなっちゃうんじゃここで働く理由もなくなるわね。かと言って、行くとこもないんだけど」

 自嘲気味に眉を上げて見せる。正直な所、眼前に見据えたこの男がうらやましい。

 自分もヴィトと同じようにキャンディスに拾われた身だが、あくまで身分はこのプロウィンキア家の使用人だ。当主の許可なくこの家を出ることは出来ない。

 キャンディスの嫁入りについて行きたくても、そんな事が許される筈もない。


「お前も一緒に行けば良いだろ。お前、俺と結婚する気はないか」

「はぁ? アンタ何言ってるの」

 一緒に行きたい気持ちに嘘は無いが、だからと言って何故この男と結婚しなくてはならないのか。

 以前から恋仲だとか、あるいは百歩譲って気がある素振りがあったとかならばともかく、そんな言動は一切なかったではないか。

 そもそもこの男の目にはキャンディスしか映っていないのではないだろうか。


「旦那様が和平交渉を取り付けるまで、トランサルピナは敵だったんだ。国同士の和平の証だなんだってお綺麗な建前があったって、最悪お嬢の周りは敵しかいねぇなんて事にもなりかねねぇ。女であるお嬢に、従者が男だけってのは都合が悪いんだ。だからって、婚家の見ず知らずの侍女にお嬢の世話をさせるなんざ絶対ありえねぇ。信用できない人間を連れて行くのも御免だ。お前なら信用できる。旦那様にはお前が了承するなら構わないと許可をもらってる」

 なるほど、とジェニーは心の中で得心した。

 ご主人様(キャンディス)至上主義のこの男らしい考えだが、当主パロミデスの許可が取れたのなら何も結婚までせずとも構わないはずだ。


「アンタの考えはわからなくもないけど、だからって何で私とアンタが結婚しなくちゃなんないのよ」

「夫なら、婚家に連れて来た従者が男だけってのは気になるだろう。お嬢に妙な疑いを掛けられでもしてみろ」

「ああ、そういう事……いくら私がアンタと同類(キャンディス至上主義)だからって、普通に考えればアンタ自分が最低な事言ってるって分かってる?」

 呆れたようにヴィトの顔を睨んでやると、当の本人はと言えば気にした風もなく、いつも通り飄々としている。

 こちらは怒っているのにその態度はどうなのだ、と腹の中がモヤモヤする。


「分かってるからお前にしか言えねぇんだ。お前は絶対に色恋になんねぇだろ?」

 そうだ、男という生き物と色恋などありえない。ヴィトの言う通り、生涯誰とも添うつもりはなかったのだ。

 だが、ヴィトの要求に応えさえすれば、キャンディスの輿入れについて行く事が出来る。

 ここは割り切るべきだろう。


「いいわ、アンタと結婚してあげるわよ」

 ため息混じりにそう返すと、ヴィトはニヤ、と企みが成功した悪人のように笑った。

 その表情が、心の底から気に入らない。

「じゃあ、そういう事で。婚礼準備の事はスチュワードに聞いてくれ」

 用は済んだとばかりにさっさと部屋を出て行こうとするヴィトに、惰性で「はいはい」と返しながら再びリネンに手を伸ばした時だった。

「教会への届け出が終わったら、夫婦らしくしてくれ。腹ン中で何考えてても構わねぇから」

 ははは、と笑い声が続く。

 遠ざかって行くヴィトの気配に、ジェニーは誰も居ない空間に向かってイー、と歯を剥いた。



 視線を車窓へと戻し、流れて行く木々を眺めるでもなく目に映す。

 小さなため息を一つ吐き、ジェニーは心の中で独り言ちた。


――― ろくでなしヤロウ。あんたは本当にそれで良かったの?


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