2・ヴィトの忠誠心
「この縁談は両国の和平協定の証として結ばれるものだ。その婚礼道具に甲冑を加えるなどと、下手をすれば戦意ありと受け取られても文句は言えんのだ。お前にとって意に添わない縁談話なのは百も承知だが、そればかりは飲んではやれん。他の物ならば融通してやるから考え直しなさいキャンディス」
パロミデスは明らかな不機嫌顔の娘の顔を見つめて、諭すようにそう言った。
だが、娘は手負いの獣のようにキッ、と眦を吊り上げて口を開く。
「他の何が無くても、甲冑だけは譲れません! それが許されないのであれば、無理やりお嫁に行かされても絶対逃げ出して見せます!」
そこに集った者全員に反論の余地を与えないまま、キャンディスはそう叫んで部屋を飛び出して行った。
バタン、と扉が閉まった瞬間、それを呆気に取られて見ていた伯爵家の面々の深いため息が一斉に漏れた。
そこに一人残された従者に、全員の物問いたげな視線が向いたのも致し方ないだろう。
「ヴィト、どうしてまたキャンディスは甲冑が欲しいなどと言い出したんだ」
そう、長兄のリュシアンが問う。
その問いに、ヴィトは天を仰いで「んー」と渋い表情をして言い淀んだ。
「まぁ、お嬢の考えてそうな事は何となくわかっちゃいるんすけど……正直俺としては旦那様だけに聞いて欲しいっすね。その後で旦那様の口から奥様や坊ちゃま達に伝えるのは俺には止められないんで」
ヴィトは辺境伯家の使用人ではあるが、当主であるパロミデスに忠誠を誓っているわけではない。
森の中で崖の上からうっかり落ち、運悪く落ちた先が折れた木の上だった。
腿に木片が刺さり、怪我と失血で意識を失っていたところを、キャンディスが自家の使用人を呼んで助け出してくれたのだ。そのまま放置されていれば、今生きていたかどうかはか分からない。
翌朝目覚めるまでの間に、戦争の為に抱えていた軍医を呼んで傷口を縫い、高価な薬を使ってもらったからこそ助かったのだ。
それも全て、キャンディスがパロミデスに頼み込んでくれたからだという。キャンディスはその交換条件として、気乗りしない淑女教育を真面目に受けると、イヴォンヌと約束する事になった。
だからヴィトは、辺境伯家にというよりは、キャンディスに対して忠誠心を持っている。
絶対にキャンディスを裏切らないし、あの主人の為に命を失う事になっても構わないとも思っている。
この機を逃せば、あの勝気で小柄な主人の心内は、永遠にこの当主が知る事はないのかもしれない。
だからここで今から告げる自分の言葉にパロミデスが激高して、最悪手討ちにされたとしても、後悔はしない。
パロミデスの退室せよという指示に、キャンディスの兄達は素直に頷き、夫人は渋々と言った様子ではあったが暫く沈黙したあと了承して、家令カシェドが最後に続く形で部屋を出て行った。
ようやくパロミデスと二人になった部屋の中、使用人ゆえに同席する事の出来ないヴィトは入室した時に立ち止まった場所から一歩も動くことなく、当主の言葉を待った。
「それで、どうしてキャンディスが甲冑など欲しがるのか、お前の思う所を教えてくれ」
「その前に……俺も同席するようにってスチュワードから言われましたけど、それってお嬢の輿入れに俺も従者としてついて行けって事だからですよね?」
「ああ、その通りだ。それがどうした」
「俺はこの家に雇われてる身なんで、旦那様のご命令には逆らえません。だけどお嬢の輿入れについて行く事になりゃ、下手すりゃオヤジやお袋とも二度と会えなくなっちまう。厚かましいこたよっく分かってますけど、その見返りにいくつか俺の願いを聞いちゃもらえませんかね旦那様」
ヴィトのその要求に、パロミデスの表情は瞬時にして戦場で敵を前にした猛将の物へと変わる。
獲物を狙う肉食の鳥のように、眼光が鋭くなった。
「まさかお前からそんな言葉がでるとは思わなかった。だが……お前の言い分ももっともではある。お前の願いとやら……聞いてはやるが、身の程を弁えぬ願いを口にしようものなら分かっているな?」
屈強な兵士でも震え上がるというパロミデスのその一睨みを、ヴィトは常と変わらないのんびりとした表情で受け流してから頷いた。
「もちろん分かっておりますとも」
「ならば良い。望みを言え」
「まず一つ目……俺は今から旦那様にものすごく失礼な事を言うかもしれませんが、最後まで話を聞いて欲しいんです。俺の身分で踏み入っちゃならねえ事を言わないとなんねぇから」
「わかった。お前が何を言おうとも、話が終わるまでは咎めんと約束する」
パロミデスの言葉に、ヴィトは一先ず自分の首が皮一枚でつながった事に安堵して胸を撫でおろした。少なくともこれで、あの優しい主人の今までの苦悩を知ってもらう事が出来る。
軽く息を吐き出し、二つ目の要望を口にするために再び顔を上げる。
「二つ目は、隣国に行くならジェニーと結婚させてもらいたいんです」
予想外の要求だったのだろう、どんな無理を言われるのかと身構えていたパロミデスは、一瞬拍子抜けしたように首を傾げた。
「結婚……は構わんが、お前あの娘と恋仲だったか?」
「いいえ、全く」
何が楽しいのかにこにこと場違いな笑顔を浮かべて否定の言葉を吐いたヴィトに、パロミデスは思わず力が抜けそうになる。
「何だそれは。認めるも何も、まずは相手の了承を得ん事には始まらんだろう。私が命じればジェニーも嫌だとは言えんだろうが……」
「ジェニーも俺と同じで、お嬢に恩がある人間すよ。俺は、最悪周囲が敵ばかりになるかもしれねぇ国に、身内でも信用できねぇ人間は連れて行きたかねーんです。その点ジェニーなら、絶対お嬢を裏切らねぇ。もうずいぶん前ですけど、本人がお嬢の為なら命捨てても構わねぇって言ってたんだから」
ヴィトのその言葉に、パロミデスは無表情のその腹の中で、驚きを隠せずにいた。
何故なら、今までこの従者ののんびりしたところしか見たことがなかったからだ。
存外状況を冷静に見て、この先に予測できる事にできる限りの手を打とうとしているようだ。
「自分は子を望む事も出来ねぇから、一生お嬢のそばで働くんだって。それで自分は満足だって、そう言ってたんですよ。本物の夫婦じゃなくても、お嬢にお仕えするって利害が一致するなら、ジェニーも了承してくれるかもしれません。使用人は主の許可がなきゃ結婚の申し入れもできねえんで、旦那様に先に許可をもらっておきたかったんすよ」
「分かった……。ジェニー本人が良いと言うのなら結婚を許可する。だが、何だってまた結婚なんだ。侍女として連れて行けばそれで良いんじゃないのか」
「そりゃ、俺という存在でお嬢の足を引っ張りたくねぇからですよ。嫁いできた若い娘の従者が男なんて、俺が夫の立場なら気に入らねぇ。夫婦で仕える事になっていれば、相手もそこは気にならねぇかもしれんでしょう」
なるほど、とパロミデスは再び心の中で驚愕した。
そう言われてみれば確かに、ヴィトの言う通りかもしれない。ましてや相手は人狼族だ。伴侶に対する執着は、他の種族より強い。彼らは一度番ってしまえば、死ぬまで他に相手を求めない。その名の通り狼の血を祖に持つ人狼族の伴侶は、男女共に生涯ただ一人だ。
「確かにそれに関してはお前の言い分に理があるようだ。で、まだ要求があるのか?」
問いかけに、ヴィトはもうこれ以上はない、と言わんばかりに肩をすくめてから「いいえ」と短く返した。
「では本題に入ろうか」
パロミデスは再びヴィトの顔を見据えてその先を促した。
こくり、とヴィトが唾液を飲み込む音が領主の耳に届いていた。




