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1・辺境伯家の山猿姫

 王都から帰宅したパロミデスは、妻を右手に、左手と眼前を息子二人に囲まれる形でその全員から冷ややかな視線を浴びていた。

 ここにもう一人の娘レティシアが居たならば、心理的にも背後まで塞がれていたのだろうが、幸いと言うべきなのか、辛うじて背中側だけは居心地の悪さはなかった。もっとも、今はソファに座っているので退路は無い。


「正気ですかあなた!」

 妻はそう叫び、その感情の逃げ場を求めるように立ち上がった。

 ここ最近は目にしていなかった妻のその剣幕に、パロミデスは一瞬たじろぐ。

「私に怒っても仕方がないだろう……召喚状が来た時点ですでに外堀は埋められているも同然の口ぶりだった」

「だからって、あの子をトランサルピナの首領家に嫁がせるなんて無茶も良い所です」

 複雑な表情をした妻イヴォンヌは額に手を充てながら、よろめくようにして再びソファに沈み込んだ。


「ヤロウ、よりによってレティシアの事で脅してきた」

 仮にも相手は主君たる王だが、自宅に帰れば誰の耳目を気にする必要もない。あんな男はあのヤロウ呼ばわりで充分なのである。

「父上、王はレティの婚家に圧力を掛けるとでも言いましたか」

 そう問うたのは、対面の席に座る嫡男のリュシアンだ。

「はっきりと言いはしなかったがな。無事出産させたいだろう、と隠し持った短剣で衆目の中堂々と腹を刺すような物言いだ。こちらより家格の高いケルノウ家も、西のドラゴンに娘を差し出すのだからできない道理はないともな」

「それはまた……なんともタイミングの悪い」

 リュシアンの合いの手に、その場に集まった家族全員が一斉にため息を吐いた。

 

 一呼吸置いて、空気を読んで口を噤んでいた次男アリスティードが苦笑しながら話し始める。

「まぁ、王命とあれば余程の事がなければ断る事も出来ないんだからさ、キャンに伴侶が出来る事を喜ぼうよ。みんな結婚相手が見つかるかどうかの方を心配してたんだからさ」

 リュシアンが「それな」と再びため息混じりに頷く。

 

 全員同じ親から生まれた兄妹だとしても、それぞれに得手不得手個性と言うものがある。男子二人はともかく女子二人は姉と妹で真逆の性格をしていた。

 昨年他家に嫁いだ姉レティシアは、イヴォンヌの淑女教育が功を奏して、どこに出しても恥ずかしくない貴族令嬢として育った。妻の血が濃く出たのか、白磁の肌をした娘は見目麗しく、賢く、礼儀作法も完璧なら、性格も淑やかで余程の事が無い限りは誰にも好まれる。中央貴族が求める理想の花嫁像のまま、高位貴族の嫡男に嫁して行った。

 

 対して妹のキャンディスと言えば、淑女教育よりも騎士教育を、ダンスよりも剣の組手を、刺繍よりも乗馬を、詩よりも戦記の方が楽しいなどと言うありさまだった。

 意地になったイヴォンヌがどうにかこうにか基礎教育まで終わらせたが、その時点で妻は匙を投げた ―― あろうことか、勉強の時間が来る前に邸を脱走するようになってしまったのである。

 むろんこの辺境にある邸から近隣の街までは遠い。キャンディスが行方をくらませて逃げ込む先はアルフィナの森の中だ。幼少期から森を駆けずり回っていたキャンディスには地の利があり、こちらは少々分が悪い。

 あんなにじゃじゃ馬でお転婆な娘では良い嫁ぎ先もなかろうと、生涯家内で面倒を見ると腹を括っていたというのに、ここに来て回避不能の縁談である。


「教育も不十分なのですよ……国内ならばともかく、他国に行ってしまっては助言してやる事も出来ないでしょうに」

 そう言って母は項垂れた。

「人狼族の礼儀作法や文化が私達と同じとは限るまい。どの道二国間和平締結のための縁組なのだ。どんな娘であってもあちらは拒否できん……」

 ははは、と乾いた笑いを漏らした後、パロミデスは「むろんこちらも、どんな相手でも文句は言えんのだがな」と続けた。

「あいたたた……」

 ダメだこりゃ、とアリスティードが頭を抱えたところで、父は開き直ったように顔を上げて口を開いた。

「カシェド、キャンディスを捕まえて来るようヴィトに伝えてくれ」

 部屋の内側の扉の前で控えていた家令カシェドは、主パロミデスの言葉に軽く頭を下げて頷いた。

「かしこまりました」



 

 森の中で行方をくらませたキャンディスを捕まえる事が出来るのはヴィトだけである。

 彼は木こりの息子で、山中で怪我をして動けなくなっていたのをキャンディスが拾って介抱した。それがきっかけでキャンディスの従者としてプロウィンキア家で働いている。

 彼もまたアルフィナの森を遊び場として育ったせいか、森の中を熟知していた。領地の他の子供とは距離を感じて遊ばず、家人の目を盗んで一人森に入ってしまう娘の従者としては、うってつけの子供だったのだ。


 カシェドがパロミデスの指示を受けて小一時間程の後、そのヴィトにまんまと捕まる形で首根っこならぬ小脇に抱えられる形で、小柄な娘は尻を前に向けた状態で連行されて来た。

 長年の付き合いから、大柄なヴィト相手に抵抗しても無駄だと分かっているキャンディスは、やや不貞腐れた表情で手足をダラリと伸ばしたままだ。

 その表情を見ているのは家令カシェドのみであるが、これもまた長年この家に勤めて来たカシェドも慣れたもので、無反応である。


「ほら、着きましたよ、お嬢。降ろしますよ」

 ヴィトはそう声を掛け、小脇に抱えたキャンディスをその場にそっと降ろす。

 編み上げのショートブーツの底が床の感触を捉えると同時に、村娘姿のキャンディスはしっかりと立ち上がったが、相変わらず家族の眼には尻が見えたままだった。

 それを見た母イヴォンヌが、沸騰したように叱りつける。

「お父様の前で何です。きちんとこちらを向いてご挨拶なさい!」

 カシェドにしか見えないのを良い事に、キャンディスは一瞬「うぇ」と言葉なくげんなりした表情を浮かべてから、くるりと家族に向き直ってスカートを両手で持って腰を落とした。

「おかえりなさいませ、お父様」

「ああ、ただいまキャンディス」

 そう返し、父は娘のその様に穏やかに笑んだ。

 こうして大人しくしていれば、キャンディスもまた容姿に恵まれて愛くるしいのに、とパロミデスは思わずにはいられない。


「お呼びと伺いました」

 言葉遣いも平民のそれとは違うし、その気になればきちんとできるはずなのだがな、と父は脳裏で思いながら、避けては通れない家長命令を下す為に口を開いた。

 その後の抵抗を考えると気は重いが致し方あるまい。

「ここへ呼んだ理由は、他でもないお前の縁談の事だ」

 その言葉に、娘のヘーゼルグリーンの瞳の目元がピクピクと動く。


「お断りします」

 即、一刀両断切り返してきた娘は、眼前の母の事などお構いなしでむくれ顔になった。

 母にどやされる事は分かっていても、それでも反抗する程の拒絶反応なのだろう。

 イヴォンヌは娘のその様に、一瞬口を開きかけたが何も言わずに我に返った。自分が産んで育てて来た娘なのだ。こうなった娘が梃子でも動かないのを知っている。

 娘の篭絡は始まったばかり。ここでキレていては先がもたない。


「王命には逆らえん。レティシアを盾に脅されてはな……トランサルピナの首領家との縁組だ。断るならば、一族が国軍に追われながら亡命するか、その場で首を括るか、二つに一つだ」

 性格は正反対でも、レティシアとキャンディスは仲が良い。姉の結婚と妊娠を自分の事のように喜んでいた事も知っている。

 だからレティシアの事を口にしてしまえば、姉思いのキャンディスが断れなくなる事も分かっている。親子でありながら汚いやり口だ。それでも現状は跳ね返りの娘に、この縁談話を呑んでもらうしかないのだ。

 

 キャンディスは不快気にぐっと顎を引き、「う゛ー」と一瞬唸るように喉奥から声を発したあと、ただで殺されてなるものかという兵士がごとく「じゃぁ、婚礼道具に甲冑を用意して下さったらお嫁に行きます」と言い放った。

 当人と使用人以外の家族が、キャンディスの交換条件を咀嚼する事が出来ずに一斉に首を傾げる。

 

 そこに、のんびりした声色で「お嬢、トランサルピナみたいな雪国に甲冑ってバカじゃない?」とヴィトの声が響く。

 主家の令嬢を馬鹿呼ばわりである。だが、山猿姫の手綱を取れる唯一の従者とあって、プロウィンキア家の面々は苦虫を嚙み潰したような顔をしてため息を吐くばかりだった。

 当の本人はと言えば、慣れているのか従者の言葉は右から左の耳へと通過して流れて行ったようで無視だった。


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