開幕
ダムノニア国の王城の謁見の間で、玉座から見下ろしてくる王キステニンの酷薄な視線を受け、数多の戦場で戦果を挙げて来た辺境伯パロミデス・プロウィンキアもまた、怯む事無くそのアイスブルーの瞳を凝視していた。
本来ならば王の尊顔をそのようにして覗き込む事など恐れ多い事だが、キステニンとパロミデスの間には ―― 少なくともパロミデスの方にはそのような遠慮など存在しない。
キステニンが前王の後継として王位に着くまで、二人は王を護るためにあった騎士という、言うなれば同格者であったのだから。
むろん、このダムノニアにおいて、肌の色の違う少数民族の血を引くパロミデスと、正真正銘前王の血を引くキステニンとでは、実質同格ではない。
それでも実力社会である騎士の世界で成り上がったパロミデスは、今やトランサルピナと接したアルフィナ辺境の守護において、彼無くして守護は成り立たぬと言わしめる程の存在であった。
「長らくアルフィナにおいて唸る獣と対峙し、戦い、和平交渉に尽くしてきた我が家門から、今度は生贄を差し出せとおっしゃるのか」
口調は静かではあったが、キステニンを凝視したパロミデスの瞳には、怒りの炎が燃えていた。
「私とて、プロウィンキア家にこれ以上の負担を強いる事は本意ではないよ。だが、先の騒動でダムノニアはごたついている。これ以上の執政騎士の離反は避けたいのは偽らざる私の本音だ」
先の騒動 ―― それは、前王アルトリウスの正妃グネヴィエが、騎士ランセルトと恋に落ちたせいで、国を巻き込んだ騒動に発展してしまったからだ。
不貞を働いたグネヴィエとランセルトはもちろん捕らえられた。
グネヴィエは全ての権を取り上げられ、教会へと送られて修道女となったが、結局その地で叶わぬ恋に絶望して自ら命を絶った。
そしてその事を知ったランセルトは精神を病んで狂った。狂った時には既に牢の中で処刑を待つばかりの状況であったから、狂ってしまった事はあの男にとっては幸いだったのかも知れない、とパロミデスは思う。
恋の炎に身を焦がし、愛する者を求める情念の罪深さを、パロミデスは身をもって知っているからだ。
自身の若かりし頃の恋の相手は、これもまた執政騎士であった親友トリスタンにかっさらわれる形で幕を閉じた。
今は青い記憶の一部となった、あの気の良い親友の妻となった初恋の相手の幸せを願う事はあっても、それ以上もそれ以下も想いはない。
だが、自分の娘の事とあれば話は別だ。
「迂遠なやり取りは不要です。私に納得の行くご説明がないのであれば、我が家門はアルフィナから撤退させて頂く」
パロミデスのその一言に、謁見の間に集った執政官達がざわめく。
この猛将が指揮を執り、プロウィンキアが長年人狼族と戦ってきたからこそ、その勢力を戦略的に押しとどめ、和平交渉の席に着かせる事が出来たのだ。
プロウィンキアがアルフィナから去り、ダムノニアを離れて国替えなどしようものなら、人狼族が再びこの地に攻め入って来る事は想像に難くなかった。
最強の名をほしいままにしていた騎士長ランセルトを失い、国を二分しかねないお家騒動の末に王位についたキステニンには、心からの忠誠を誓う臣ばかりではない。
新王の元動き出したこのダムノニアは、未だ平穏とは言えない道を歩いている最中だった。
パロミデスの返答を受け、キステニンは息を一つ吐き出してから、眼下の男を再び見据えて口を開いた。
「我が国の西方で眠りについていたドラゴンが目覚めたと報告があった。竜族の代理人をつとめている鳥族から、繁殖適齢期の女を番相手として差し出せと連絡が来たのだ。竜族は誇り高く気難しく、礼儀を重んじる。平民などもっての外、貴族階級からでも下手な家の娘は差し出せん。これはまだ確定事項ではないが、おそらくトリスタンの娘がその相手になるだろう」
休眠期を終えて活動期に入った竜族は一番魔力が安定している休眠期開けが繁殖期だ。だが、繁殖力が低く種族特性として雌は生まれにくい。今確認できている個体もほぼ雄だと聞く。ゆえに手っ取り早い繁殖相手として、一番魔力干渉を受けにくい人族を番として求める。
古来より竜の眷属として連絡役を務めて来た鳥族から一国の王に連絡が来ているのだとすれば、この要請を無視すれば魔力甚大な竜の火炎によって国が焼き尽くされる事態も想定しなくてはならない。
「お前が辺境で人狼相手に尽力していたのは分かっている。だが、中央ではそれ以上の事態が起こっているのだ。眼前には竜族、後門には人狼。内側は先の騒動の影響が著しい。プロウィンキア家の末娘は森に愛されていると聞く。どんなに獰猛な動物も娘の前には膝を折る、ともな。トランサルピナも、お前の娘を無下に扱えば、その父であるお前が武力行使に出る事は分かるはずだ」
パロミデスの末娘キャンディスは、深い森に接した所領で、人間よりも動物を遊び相手にして育った。領内には年の近い子供も居たが、そのほとんどが使用人や領民の子供達で、領主の娘であるキャンディスとは身分に差がありすぎる。キャンディス自身が気にするなと説いたところで、どうしても対等な関係にはなりえない。
埋められない身分差を疎んだキャンディスは、付き人であるヴィトだけを連れて森の中で遊ぶようになった。中央貴族の令嬢であれば絶対に許されない、木登りや野生動物とのふれあい ―― あれをふれあいと言うには生ぬるいのだろうが ―― ともかく、軍務にかまけているうちに、少々貴族令嬢らしからぬ育ちをしてしまったのがキャンディスだった。
そんな末娘にいつしかついた二つ名がプロウィンキア家の山猿姫。
父親としては少々不本意な二つ名だが、どんな育ちをしていても、可愛い娘であることに変わりはない。だが、日頃は平民同然の身なりで山中を駆けずり回っていたとしても、キャンディスもまた貴族令嬢の責務からは逃げられないのだった。
「一族から贄を差し出すのは、お前の友であるトリスタンも同じこと。相手は何百年も生きている竜だ。人間の番を求めるのも何人目かわからん。そもそもが、気難しいという竜の花嫁になって、娘当人が正気を保てるかすら定かではない」
竜族は基本的に他種族に興味がない。国などと言う概念を持たず、自由気ままに生きている。ゆえに今回の、繁殖相手を差し出す事も、大人しくそれに従いさえすれば国土を焼き尽くされはしないだろう。だが、問題はその窓口となっている鳥族だ。
やつらは竜の眷属であるという事に誇りを持っているから、差し出した娘が主の相手にふさわしくないと判断すれば鳥族と全面戦争に発展してもおかしくはない。
だからこそ今は中央から軍を動かす事は出来ないし、また辺境で争いなど起こってはならないのだ。
「私がお前の主としてふさわしくない、国替えも辞さぬと言うならば、私はそれを止める事は出来ん。たとえお前の首をはねる事になったとしても。だが、プロウィンキア家の上の娘は昨年嫁いだばかり……胎に子を宿しているとも耳にしている。どうか、お前の家族の為にも、トリスタンの為にもここはこらえてもらえぬか。誰もが知る軍功を上げていながら、ただ肌の色が違うと言うだけで陞爵が叶わなかった事についても、お前の娘がトランサルピナに輿入れするなら、それを正すと約束しよう」
国替えが叶えば己の首がはねられる可能性もあると言うのに、落ちるのはあくまでこちらの首なのだな、とパロミデスは熱の籠らない瞳で王の顔を見つめる。
それでもキステニンは王だ。全てを無視してこの首を狙うと言えば、実際己の首は落ちるのだろう。
陞爵に目がくらんでキャンディスを差し出すように思われるのは心外だが、どう足掻いたところで外堀を埋められているのは明白だった。
他の王位継承者を蹴落として玉座を勝ち取ったこの男は、昔から人の心を手玉に取り、まるで遊戯のように戦場を蹂躙するのに長けていた。
局面が内政に移っただけで、やっている事はあの頃となんら変わらない。
最強と謳われた騎士ランセルトとて、一個人の戦力が高くとも、色恋で身を持ち崩した愚か者に過ぎない。
人心を掌握し、人の弱みに付け込んで、さらには家族間の愛憎まで利用してその血塗られた椅子を温め続けるのだろう。
「……今回はケルノウ卿の心中を察すればこそこの話を吞みましょう。ただし、これ以上の負担は承服できません」
「わかっている。娘の輿入れに関する要求は出来るだけ叶えると約束する。国に対するお前の気遣いを無下にはせぬ」
要求を呑んだ事は、あくまで自分への忠誠心ではなく、国と家族を思っての事だと理解しているのだろう。
腹黒いこの王らしい返事で癪に障るが、ここが自分の引き所だとも分かっていた。
これ以上こちらが強気に出れば、王とて拳を上げざるを得ない。
それでは何のためにこんな胸糞の悪い事をつとめて冷静に話してきたのか分からない。
「娘キャンディスの輿入れに際して陛下にご了承いただく事は、後日書面にてご連絡を差し上げます。私は娘にこの事を納得させなくてはなりませんから、これにて御前を失礼させて頂く」
パロミデスは淡々とそう吐き捨て、有無を言わせぬ形で騎士の礼を取った。
それ以上の声を待たず、猛将は騎士服を翻して謁見の間を後にした。
廊下に出て、兵がきっちりと扉を閉めたのを感じたところで、パロミデスは歩きながら一瞬天を振り仰いだ。
長く深いため息が人知れず零れ落ちて行くのを、止める事は出来なかった。
分かる人にはわかりますが、親世代のエピソード的なやつはアーサー王伝説をモチーフにしています。あくまでそれは下地に過ぎないので、本編には何ら関係しません。想いあって頑張るカップルが好きです。次回からキャンディスの物語が始まります。不定期連載になりますが、よろしければお付き合い下さい。