つれないメイド
・ぼっちゃま : 笑顔が愛らしい10歳の少年。黒髪黒目。
・イノリ : クラシックなメイド服を身に纏う女性。長い銀髪を三つ編みにしている。赤目。
※こちら、ひだまりのねこ さん主催の「つれないメイド企画』の参加作品です。
「イノリ、釣りに行ってくるね。今日こそ大物を釣ってくるから、楽しみにしていてね」
最近のぼっちゃまのブームは、釣りのようです。
海沿いの洋館から漁場となる浜辺まではすぐ目の前です。
先日10歳になったばかりのぼっちゃまの足でもたいした時間はかかりません。
しかし、ぼっちゃまの世話を任されている私こと《イノリ》は、ぼっちゃまが外出した場合は万が一が起きないよう常にそばに侍るよう命令されています。
「お供いたします」
そのため、釣り竿とバケツとタモその他を持参しぼっちゃまの後に続きます。
「うんっ、いいよ!」
館の外では私から決して離れてはいけないと言い聞かせているのをしっかりと守るぼっちゃまは、私が追い付くまではゆっくりと歩き、近づけばにっこりと笑いかけてくれます。
平らに整えられた岸壁に折り畳み椅子を二脚配置し、用意ができました。とぼっちゃまに座るよう促します。
そのわずかな時間さえも待ちきれないとばかりに、勢いよく座ってバランスを崩すぼっちゃまを転ばないように支えてから、お小言を一つ、二つ。
叱られたことでうつむきしょぼんとするぼっちゃまは大変に愛らしいものの、はしゃいで危ないことをしたら叱らないといけませんので、その愛らしい姿に頬が緩みそうになるのをこらえつつも、いいですね、ぼっちゃま? と締めくくります。
はぁい、と反省した様子で返事をするのを確認しましたので、ではよろしい。の言葉を合図にお小言は終了です。
お小言から解放されたぼっちゃまは、さっそく釣り糸を海に垂らします。
私は魚に関しては専門外なので魚の名など判別はできないものの、食べられないことだけは分かるナニかを釣っては放してを繰り返すぼっちゃま。
それの何が楽しいのか、気色の悪い姿の魚介類的なナニかを釣っては、バイバイ、と言いながらキャッチ&リリースしています。
次々と釣っては放すぼっちゃまに対して、私の竿に付いた浮きが沈むことはありません。
人の持つ生命エネルギーを感知する器官でもあるかのように、魚介類的なナニかたちは、ぼっちゃまの釣り竿にばかり食いついていきます。
勢いよく釣り上げては歓声をあげて喜ぶぼっちゃまを愛らしく思いますが、今回釣り上げたソレは、体のかたちと色を絶え間なく変えては複数持つ吸盤の付いた太い触手をぼっちゃまに伸ばします。
しかし、思いどおりにさせるわけがありません。
ロングスカートに隠された太ももには、鞘に収納された分子振動ナイフがベルトで固定されています。
最速で分子振動ナイフを鞘から引き抜き、起動、そして一閃。
ソレは触手の1本を断ち切られたことでぼっちゃまを害するのを諦めたのか、またからだの色を変えて釣り針から離れて地面に着地し、吸盤の付いた触手を足のように動かして海に逃げ帰っていきました。
……私の光学センサーが故障したのでない限り、逃げるアレの切られた触手がにょきにょきと生えて……再生しています。
切られた方の触手も、陸に揚げられた魚のようにビチビチと暴れ、しばらくしてからようやく動きを止めていました。
「…………ねえ、イノリ? さっきのはなんだったの?」
今日もまた、魚介類とよんでいいかどうか判断が難しい不可思議な生物ばかり釣り上げているぼっちゃまの言う「さっきの」が何を示すか、判断と返答に若干の時間を要してしまいます。
「……生物学的に見て、先ほどのアレはタコの変異種ではないでしょうか?」
登録されたデーターベースに存在しない特徴を持つ魚介類的なナニかたちは、学者が見つけたなら飛び上がって喜ぶことでしょう。
ですが、今ではそれも叶わないことです。
「ぼっちゃま、そろそろお昼です。一度屋敷に帰りましょう」
「はーい」
本日の釣果は……ツイストダンスを踊る桃色の珊瑚のようなナニかですか……。
ぼっちゃまはなぜ、このように生物学的におかしいものを持ち帰ろうとするのでしょうか?
全力で投擲して海へ還そうと思いましたが、ぼっちゃまがあまりにも抵抗なさるので、しばらくの間透明でありながら非常に頑丈な特殊ケースに入れて飾ることと、決してケースから出さないことで妥協しました。
「ねえ、イノリ。僕が大人になったら結婚しよう。お嫁さんにしてあげる」
「謹んで辞退させていただきます」
「もうっ、つれないなあ」
ぼっちゃまの言葉に、遅滞なく返答できただろうか?
ぼっちゃまのことを愛らしいと思う私ではありますが、その言葉を肯定するわけにはいきません。
不平不満をもらすぼっちゃまの手を握れば、不満そうな顔もパッと明るい笑顔になります。
その笑顔を見て、私もまた笑顔をぼっちゃまに見せるのです。
ヒト型アンドロイドの身ではありますが。
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夜、いつものようにぼっちゃまを寝かしつけた後、仲間の力を借りて自身のメンテナンスを行います。
その間は、別のメイドノイドが屋敷の警戒と監視を行います。
私はヒト型アンドロイド。
製品名 : メイドノイド
製造コード : I ー NOLY113N
人間女性の姿に擬装しており、世話を任されているぼっちゃまから「イノリ・イーサン」と呼ばれている個体。
人の骨格を可能な限り再現した合金フレームと、内臓を可能な限り再現した内燃機関を、自己増殖を行う半生体ナノマシンとショックアブソーバーの役割も果たす人工筋肉で覆い、それらを人の肌を可能な限り再現した可動式軟質装甲で保護している。
頭部は各種センサーが集中しており、視覚、聴覚、嗅覚だけでなく触覚や味覚まで再現されている。
黒いワンピースと白のエプロンドレスのセットはメイド服といわれている。
表面からは見えない裏地にポケットなど収納があり、防弾防刃等各種防御性能を持つ繊維と塗膜で構築されている特殊装甲服仕様のメイド服は、小型のものなら違和感なく武器を隠し持つことができる。
標準装備は、分子振動ナイフとサイレンサー付き自動式拳銃。
他にも、屋敷の至るところにメイドノイド専用武器が隠されている。
生身の人間であるぼっちゃまとは、全く違う存在。
そもそもが、生命ではない存在。
生殖に必要な器官は存在せず、この世界に唯一残ったと思われるぼっちゃまに先立った者たちが無責任に課していった「人類を再生する」使命を果たすためには、どこからか生きた生身の人間を連れてくるか、ぼっちゃまから抽出し操作した遺伝子からクローンを培養して母体を用意するくらいしか方法がない。
いや、手段としては、冷凍保存されている他人の遺伝子とぼっちゃまの遺伝子をかけあわせて培養して野に放ったりなど色々あるだろうと、他のメイドノイドから提案はされている。全く本気ではない様子で。
あくまでも、崩壊した人間社会の再生が、現存するメイドノイドたちの悲願にして課せられた使命。
人の姿をした野生動物を大量生産することを「人類を再生する」とはいわないという意見で一致していた。
105年ほど前に突如発生した核戦争により、ミサイルによって世界中の都市が破壊され、強力すぎる放射能によって、避難できた一部を除いたほとんどの人類に加えて現存するほぼ全ての生命が一旦死滅したと屋敷の地下で稼働するスーパーコンピュータによって試算された。
当時5歳だったぼっちゃまは、旦那様と奥様の手によってこの屋敷の地下深くでコールドスリープという名の封印措置を受け、いつか世界を覆う核の冬から解放されたならと、安全になった世界で天寿を全うしてほしいと1人長い眠りについた。
ぼっちゃま本人は、わずか5歳で、両親と同じ時を歩む権利を、両親によって奪われてしまった。
その後は、核によって崩壊した世界で、地下シェルターに逃げ込み生き残った者たちが「世界を再生させる」をスローガンに崩壊した上に核に汚染された世界の再生に向けて細々と活動していた。
そんな中で、旦那様と奥様によって造り上げられた我々メイドノイドは、スーパーコンピュータの力を借りて核に汚染された世界の再生に少しずつ取り組んでいった。
生き残った者たちが、様々な理由で少しずつ、確実に、数を減らしていく。
自身の終わりを目前に控えた者たちが、旦那様と奥様に無責任に色々なものを押し付けて先に逝く。
旦那様と奥様もまた、寿命という限界を迎えた頃、我々メイドノイドとぼっちゃまに後を託して永い眠りについてしまった。
残された我々メイドノイドは、いつか世界が安全になった時のために、屋敷の周辺環境の改善に勤めてきた。
長い時を経て、防護服を着なくても外に出られるようになり、我々メイドノイドの総意とスーパーコンピュータの判断により、長い眠りからぼっちゃまを目覚めさせた。
目覚めた当初は、精神的に不安定だったぼっちゃまも、今では毎日笑顔を見せている。
ぼっちゃま。今は亡き旦那様と奥様の愛し子。我々メイドノイドの主にして愛しの君。人類最後の1人。1人だけのアダム。
愛らしいぼっちゃま。
可哀想なぼっちゃま。
100と余年稼働し続けた最長稼働時間のこの身は、あと数年で稼働限界を迎えてしまいます。
ぼっちゃまが大人になる頃には、私は廃棄処分されていることでしょう。
それゆえ、ぼっちゃまの望みを叶えてあげることができないことを、どうかお許しください。
ぼっちゃまと共に歩み、天寿を全うし眠りにつくまでを見届けることができないことを、どうかお許しください。
いつか、ぼっちゃまが大人になった時。他のメイドノイドから告げられるはずの現実に、どうか負けないで。
いつか、ぼっちゃまが永い眠りにつく時。幸せだったと自信をもって言えますように。
ヒト型アンドロイドの身ではありますが、祈らずにはいられません。
未来を。ぼっちゃまの幸せを。
いつか、時が二人を分かつ時が来ても。
その後の幸せを願わずにはいられません。
ヒト型アンドロイドの身ではありますが。
我らがアダムが目覚めた年を、新暦一年と制定。
新暦百八年。享年百十三歳。
前日まで自分の手で食事ができるほどで健康と思われたものの、いつもの昼寝の時間に一言呟いてから眠りにつき、二度と目覚めることはなかった。
眠るような最後だった。
ここに、我らが祖の最後の言葉を記す。
「イノリ。僕は幸せだったよ」
その名が、妻となった女性の名か、かつて稼働していたメイドノイドの名かは、判別できていない。