第46話 雪の女王の涙 -後-
「どうしてっ……!」
叫びそうになって、エマは唇を噛んだ。
――わかっているのだ。アルヴィンもシロも、意地悪をしたくて言っているわけではない。純粋にエマのことを案じてくれているのだと。
だが。
「……わたくしがやらねば、オスカーさまも……いいえ、アリシアさまも、お二人の命が失われることになるのに……!」
アリシアの愛は眩いほどに美しく、同時に恐ろしいほど危うい。
このままオスカーを亡くせば、恐らく遠くない未来に、アリシアもそちらに行ってしまうのだろうとわかるくらいに。
(アルヴィンさまなら、わかってくれると思ったのに……!)
泣きそうになるのをこらえていると、アルヴィンがぽつりと漏らした。
「兄を見捨てる薄情な男だと罵ってくれていい。……だが、俺はお前を失う方が怖いんだ」
つい、と長い指がエマの頬に触れる。
釣られるように見上げた先で、アルヴィンが苦しげにこちらを見ていた。
切なく揺れる青い瞳には、はっきりと訴えかけている。お前が大事なんだと。
その瞳に、エマはぎゅっと掴まれたような痛みを胸に感じた。
今まで、アルヴィンは幾度となく笑いかけてきてくれた。
いたずらを企むような笑み、少し意地の悪い笑み、それから――エマのことを心底大事に思っている、優しい笑み。
こんな切羽詰まった顔の彼を見るのは初めてだった。
(――そうだ、この人はずっと、わたくしのことを大事にしてくれた)
エマは思い出す。
婚約の時、半ば罠にはめるような方法で迫られて、なんという人だろうと顔をしかめたこともある。
だがそれ以降、アルヴィンはずっとエマを支えてくれたのだ。
男性恐怖症であるエマのために気遣い、走り、時には裏で手を回してくれたことも。
そうして気が付けば、アルヴィンはエマの心の一番深いところに入り込んでいた。彼だけは、エマのことをわかってくれると思うほどに。
(ならば、わたくしがやらなければいけないことは……泣くことではない)
目頭にぐっと力を入れて、涙をこらえる。
エマは顔を上げると正面からアルヴィンを見た。背筋を伸ばし、決意を込めて口を開く。
「アルヴィンさま。それからシロ。二人がわたくしのことを心配してくれているのはよくわかりました。ですがオスカーさまを見捨てろという話は、聞けません」
すぐさま二人が何か言いかける。エマはそれを手で制した。
「……制御しきれないほどの、膨大な魔力。それは事実です。ですが遅かれ早かれ、わたくしはいつかそれを“雪の女王”として制さなければいけません。――ならば、今こそその時なのではありませんか」
ゆらりと、エマの中で炎が燃え立つ。青くて冷たい、氷の炎だ。
「わたくしは制してみます。わたくしの魔力と、オスカーさまたちの運命を。……定められた命を捻じ曲げる。それはなんと傲慢なのでしょう。でも構いません。――だってわたくし、悪女でございますから」
そう言ってエマは微笑んだ。
(死神から全てを守ることは無理でも、目の前にある命を理不尽に刈り取らせはしない。わたくしには、その力があるのだから)
譲る気のないエマに、アルヴィンがふぅとため息をついた。
非難されるのを覚悟して肩をすくめそうになるが、すぐに挑むように睨み返す。
「は、反対されたとしても、やります! わたくしは悪女なので、二人の話だって聞きませんから……!」
「わかった、そこまで言うならやろう」
「え……?」
あっさりと認めたアルヴィンに、今度はエマが面食らう番だった。
まったく、とぼやきながら彼が続ける。
「お前を無理矢理抑えることも、やろうと思えばできる。……だが、それだとお前は一生後悔するのだろう。救える二人を救えなかったと」
そばで話を聞いていたシロが、ぎゅっと手を握ってうつむく。
「俺のお姫さまに、後悔を抱えたまま人生を送らせるわけにいかないからな。それに、どのみちいつかはその涙とやらを作らないといけないのだろう?」
アルヴィンの言葉に、エマはうなずいた。
“雪の女王の涙”を作ることは、女王就任のためには欠かせない必須条件。避けては通れない道なのだ。
「ならば、資格を得るために“涙”を作って、ついでに兄上の病気も治せば一石二鳥だよな?」
そこまでいたずらっぽく言ってから、アルヴィンは真剣な表情になった。
「――その代わり、ひとつだけ約束してくれ」
「約束?」
「今後、もう二度と“雪の女王の涙”は作るな。誰が死にかけていようとも、決して作らないでくれ。それが約束できるなら俺は賛成する」
アルヴィンの言葉に、エマが一瞬たじろぐ。
「誰でも……? それは、リュセットさまやシスネさまたちが死にかけていてもということですか?」
「そうだ」
「では、お母さまやシロや……あなたが死にかけていても?」
エマが切羽詰まった顔で聞けば、アルヴィンがふっと笑った。
「例え俺が死にかけていても、だ」
すぐには答えられず、エマが黙り込む。
そんなエマに、アルヴィンが言った。
「――お前の使命が女王として民を守ることならば、俺の役割はそんなお前を守ることだ」
青い瞳が、泣きたくなるほど優しく、切ない光を湛えている。
「“雪の女王の涙”は、作れば作るほどお前の命を削るのだろう? お前はお人よしだからな。俺が厳しく管理しておかないと、乱発してあっという間に干からびるぞ」
「そ、そんなことは……」
「そうですよ姫さま! アルヴィン殿下の言う通りですッ! わたくしめも、アルヴィン殿下に賛成です!」
勢いを取り戻したシロが拳を振り回す。どうやらシロは、アルヴィンの案に乗ることにしたらしい。
エマはしばし考えてから、観念したように言った。
「――わかりました。今後、涙は作りません。これが最初で最後です」
自分でもわかっている。
制限がなかったら、きっとエマは彼の言う通り乱発してしまうだろう。それを見越して、アルヴィンが先回りしてエマを守ってくれているのだ。
エマの返事に、アルヴィンが「よし」とうなずく。
「それなら、包み隠さず教えろ」
「教える? 何をですか?」
「雪の女王の秘密、涙の全てをだ。作る時、生命力とやらはどう漏れる? 魔力とやらはどう暴発する? 考えられる限りのことを全て俺に話せ」
――その代わり、俺が、お前を守ってみせるから。
強く輝く瞳がそう言った気がして、エマは一瞬泣きそうになった。それをぐっとこらえてうなずく。
「はい。全てを……あなたに教えます」




