第45話 雪の女王の涙 -前-
エマの質問に、アルヴィンが悲しげに笑った。
「そりゃ、助けられるならもちろん助けたい。……だがもう諦めるしかないんだ」
聞けばこの一週間、アルヴィンはオスカーが助かる術がないか探し回っていたという。
王宮にいる医師や魔法使いに片っ端から連絡をとり、自ら膨大な図書室の本も読み漁ったのだとか。
だが誰一人として、オスカーを助けられる者はいなかった。
(……けれど)
アルヴィンの話を聞いて、エマはぎゅっと口を結んだ。
(わたくしならば)
心の内で呟いて、静かに顔を上げる。
心臓がドキドキと鳴った。それは希望と恐れが入り混じった音。
「わたくしなら、オスカーさまを助けられるかもしれません」
「……お前が?」
アルヴィンの瞳に一瞬光が差し込む。
だが次の瞬間、それをさえぎるものがいた。
「いけませんよ! 姫さま!」
――シロだ。
シロは全身の毛を逆立て、いつになく険しい顔でエマを見据えていた。
そんな姿を初めて見るのだろう。アルヴィンが驚いた顔をする。
「シロ?」
「姫さまが何を言おうとしているのかわかります! でも! それは駄目です! わたくしめが全力でお止めいたします!」
わけがわからないといった顔で、アルヴィンがエマとシロを交互に見た。
エマはシロを見つめたまま、ゆっくり言う。
「……これはイルネージュ王国の民にすら知られていないことですが、我が国には“雪の女王の涙”と呼ばれる秘薬があります」
「雪の女王の涙……?」
それは、雪の女王最大の秘密。
「その秘薬には、万病を治す効果があります。目が見えない者には光をもたらし、足が不自由な者を立たせ――死の床に就こうとしているものには、新たな命を与えると」
アルヴィンにも隠してきた、エマの秘密。
「……賢者の石のことか?」
「そう呼ばれることもあるようです。ただし不老不死の力はありません。あくまで病を治し、命を長らえるだけ」
そこで一度言葉を切ると、エマはゆっくりとまばたきした。それからアルヴィンを見据えて、言う。
「それを、わたくしは作れます」
アルヴィンが息を呑む音がした。
だが彼はすぐに思い出したようにシロを見る。
オコジョは相変わらず目を三角に吊り上げ、威嚇するように両手をハの字に突き出していた。
ヂヂヂ! と聞いたことない激しい声でシロが鳴く。
「確かに、雪の女王であれば“涙”は作れます。――ですが!」
シロが叫ぶ。
「姫さまはまだ雪の女王としては未熟! ファスキナーティオさまにも、涙の製造は固く禁じられているのをお忘れですか!?」
それは事実だった。
エマが目をつむる。
――雪の女王は、生涯に一人しか子供を産まない。
女王の後継ぎとなるべく生まれる子は必ず女児であり、その身には半神半人とも言われる尋常ではない生命力を宿している。
そのため病気にかかることはなく、また寿命も、全盛期の姿を保っていられる期間も異常に長い。
そしてその生命力を、“涙”に変えることで他の人にも分け与えられる――それが雪の女王の最も大事で、最も知られてはいけない秘密だった。
シロが厳しい顔で続ける。
「前に“涙”を作ろうとしてどうなったか、姫さまも覚えておられるでしょう!?」
エマは顔を背けた。
以前、母が見守る中、エマは“雪の女王”としての資格を得るため、涙を作ろうとしたことがあった。
だが魔力の制御がうまくいかず、大量の生命力をいたずらに放出させてしまったのだ。
それ以来エマは病気になることこそないが、寒さにめっきり弱くなってしまった。
(――けれど)
エマは負けじと、シロを見返す。
「お母さまに禁止されているのは事実です。でも、あれからもう一年は経っているわ。わたくしだってその間何もしなかったわけではありません。修行を重ねた今ならきっと……!」
「なりません!」
ぴしゃりとシロが言葉を叩きつけた。
「姫さまが努力家なのはよく理解しています。ですが、そもそも姫さまの魔力は歴代女王の中でも格別。その分何かあった時の反動も大きく、だからこそ禁止されているのですよ。……どうかわかってください、姫さま」
懇願するようにシロが手を合わせた。エマがぐっと唇を噛む。
そこへ、アルヴィンが控えめに口を開く。
「――ならばエマの母親、現雪の女王に頼むことはできないのか? オルブライト王国の王太子を助けることは、王国に大きな恩を売ることになる。政治的な路線で話を進めることは?」
その提案に、エマは力なく首を振る。
「残念ながら、母にとっては意味を成さないでしょう。昔、どこからか嗅ぎ付けた他の王族に同じことを頼まれたことがあるそうです。ですが『そんなものはない』と言い捨てて、相手にもしなかったそうです」
女王としての母は容赦なく、また徹底的に利己的だ。母にとって利がないなら、夫の故郷であっても容赦なく見捨てるだろう。
やはり、エマがやるしかないのだ。
(シロが駄目だと言うのなら……)
エマが、すがるようにアルヴィンを見る。
「アルヴィンさま。オスカーさまを助けるためには、わたくしの“涙”しかないのです。アルヴィンさまも、そう思いませんか」
彼なら、エマを助けてくれるのではないだろうか。
彼なら、シロを説得するのに協力してくれるのではないだろうか。
――彼なら、エマの気持ちを分かってくれるのではないだろうか。
けれどエマの淡い期待に反して、アルヴィンはゆっくりと首を横に振った。
「……駄目だ。お前を危険にさらすわけにはいかない」




