第35話 アリシア・バシュレの苦悩 -前-
「きっと私に、罰が当たったのでしょう」
深い悲しみを孕んだ声だった。
「私は嘘の情報に踊らされて、あなたの名誉をいたずらに汚しました。その罰を下したのが、神ではなくオスカー殿下だったというだけの話です」
そう言いながら、いく筋もの涙がとめどなく彼女のこけた頬を伝う。
『――アリシア嬢が、兄上から婚約を破棄された』
家を出る直前、そう教えてくれたのはアルヴィンだった。
いわく、婚約者である第一王子オスカーは、アリシアがエマを糾弾した件をきっかけに彼女とずっと揉めていたらしい。というよりも、みっともない振る舞いをしたと、オスカーが一方的に怒っていたようだ。
その結果、アリシアは婚約を破棄された。
さらにそれだけでは飽き足らず、オスカーはなんとアリシアの友であり、エマを陥れたマリーと新たに婚約までしたのだ。
それもこれも全て、マリーが実は裏でオスカーにアリシアの悪口を吹き込んでいたからだと言う。
アリシアに対する全ての嫌がらせも、アルヴィンの調査によるとほぼまちがいなくマリーの仕業。
それをエマに擦り付けた上でアリシアに嘘を吹き込み、アリシアにエマを断罪させた。
もちろん、オスカーがそういう諍いを嫌うのを知った上で、だ。
結果、狙い通りオスカーはアリシアに失望し、婚約破棄をしたところをマリーが横からかすめとった。
――それが今回の真相だった。
(だからこの方も……落ち度はあるとは言え、被害者なんだわ)
アリシアは婚約者に捨てられた挙句、友達にも騙されている。彼女のやつれ様から見て、エマよりよほど重傷を負っていた。
流れる涙を拭いもせずアリシアが続ける。
「無様な姿をお見せしてしまい申し訳ありません。巷に流れている噂は全て事実ですわ。私はオスカー殿下に婚約破棄されました。どうぞ、存分に嘲笑ってください。それだけのことをしたのは、私なのですから」
「あなたを笑ったりなどしません。騙されていただけで、あなたの怒りは正当なものです」
エマが言えば、アリシアがうっすらと笑った。悲しみに包まれた、痛々しい笑顔だ。
「あなたはどこまでも優しいのですね……。怒りに我を忘れて見抜けなかった自分が、本当に愚かですわ」
「アリシアさま……」
これ以上なんと言葉をかけていいかわからなかった。
エマの肩に誰かの手が触れる。見ればアルヴィンが首を横に振っていた。もう、これ以上ここにいてもできることはないのだろう。
エマはうなずき返すと、アルヴィンとともに静かに部屋から出た。扉の向こうではシスネがアリシアの肩を抱いている。
この場でアリシアを心から慰められる者がいるとすれば、それはシスネだけだった。
「……ひとまず断罪回避には成功しましたが、ちっとも心が晴れないです」
帰りの馬車の中、暗い顔でエマは言った。
心配したシマエナガたちが、肩に乗ってすりすりとくちばしをこすりつけてくる。膝の上のシロも、心配そうな顔でこちらを見ていた。
「そうだな。少なくともマリーを野放しにはしておけない。兄上の新しい婚約者だろうが関係ない。俺の掴んだ証拠で、彼女には正しい裁きを受けてもらう」
逃げ切れると思うなよ。そう呟いたアルヴィンの瞳がぎらりと輝いた。
「……でも、マリーさまの悪事が明るみになったとして、アリシアさまのお心は晴れるのでしょうか。オスカーさまと、仲直りできるのでしょうか?」
「それは……」
アルヴィンが言葉に詰まった。それから、何かを探るようにゆっくりと続ける。
「……通常であれば、無理だろうな。一度失った信頼はそう簡単に戻るものではない。……だが気にかかることがあるんだ」




