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第32話 アルヴィンの悪女 -後- ★

 体の芯を撫でられた気がして、アルヴィンがごくりと唾を呑む。ぞくぞくと背中を走るのは、期待と興奮だ。


(さあ、エマよ。お前の悪女っぷりを見せつけてくれ)


 エマを見る自分の瞳に熱がこもるのを感じた。そんなアルヴィンの期待に応えるように、彼女が伏し目がちに続ける。


「どうやら、あなたがたはとても見る目があるようです。違いのわかる方、というのでしょうか」


 またどこからともなく、ひんやりとした風が吹き始める。令嬢たちが腕をさすりながら、不思議そうに辺りを見渡した。


 罠とも知らず、エマの言葉に男たちが鼻高々になる。


「自慢ではありませんが、普段からいいものに触れてきておりますからね」

「そのためつい口うるさくなってしまうのですよ。貴族というものはやはり、品格を大事にしなければいけないでしょう?」

「なるほど、慧眼けいがんをお持ちなのですね。……では、今のシスネさまの状態も見抜いていたと?」


 言って、エマがくりっと首をかしげた。

 その仕草は愛らしいが、肝心の目が全く笑っていない。というより見開かれていて怖い。


 だが呑気な男たちは気づいていないらしい。シスネという単語におや? という顔をしただけだった。


「今のシスネ?」

「ええ、今のシスネさまです」


 言って、エマの華奢な指がシスネを指した。その方向を見て、男たちの笑顔が強張る。


「……あれが、シスネ?」

「またまた、ご冗談を」

「あら、隣にティムさまもいるでしょう? 驚きですよね。ほんの少し痩せただけであのように魅力的になるなんて。……まさか気づいていないなんてこと、ありませんよね?」


 ぎらりとエマの目が光った。反対に、今まで気持ちの悪いピンク色で光っていた男たちの目がスッと輝きを失う。

 

「も、もちろん、ハハハ……!」

「気づいていないなんて、そんなまさか……」


 明らかに動揺を隠しきれていない、乾いた笑いだった。

 エマは追撃の手を緩めず、ゆっくりと口を開く。


「――わたくし、悪女でございますので」


 風が強くなる。

 鈍感な青年たちも、ようやく辺りの空気が変わったのに気づいたらしい。風に身を震わせながらも、彼らはエマに釘付けになっていた。


「悪口も勉強として(たしな)んでおりますが、それでも時たま解せないことがあるんです」


 言いながら、エマが困ったようにフゥとため息をつく。

 小さな口からもれた吐息が、粉雪をまとって青年たちの頬を撫であげた。彼らがぶるりと身を震わせる。――二人の瞳には、なぜかピンク色が復活していた。


「あなた方は一体、シスネさまのどこを見て“残念”などと言っておられたのでしょう? あんなに美しいのに」

「い、今は痩せて綺麗になっただけで、太っていたころのシスネは――」


 片方が言い返した瞬間、エマの瞳がカッと見開かれた。


「おだまりなさい!!!」


 (いかずち)が大地を打つように、エマの怒号が響く。

 ビリビリと空気が震え、辺りにビュオオオオと突風が吹き荒れる。


「シスネさまの美しさを見抜けなかったあなたたちに、発言権などありません!」


 小さな体のどこからそんな威圧感が、と思うほどの圧倒的オーラを放ちながらエマは言った。


 王者とも呼べる貫禄に呑まれた人々は、まるで氷漬けにされたように身じろぎひとつできない。その姿に、アルヴィンは一瞬雪の女王の姿を重ね見た気がした。


 エマが胸を反らし、ビシッと指を突きつけながら言う。


「よいですか! 女性は生きているだけで美しいのです! 自分の好みから外れているからと言って、けなしていい理由にはなりません! 聞いていますか!?」

「「はいっ! 聞いています!!!」」


 そう叫んだ男たちは、なぜか隊長を前にした騎士のように姿勢よく直立している。そして二人とも、頬が赤く染まっていた。


「紳士たるもの、一にも二にも女性は褒めたたえてこそでしょう!? 理解していますか!?」

「「はいっ!!! あなたさまは美しいです!!!」」

「愚か者! わたくしではない!」


 カッとエマが吠えた。その声に心臓を撫でられた男たちが、ぶるぶるっと震える。途端、瞳の中のピンク色が勢いを増した。


(おい、こいつら新しい歓びを覚えてないか? くそっ。今すぐ外に放り出してやりたい)


 アルヴィンは舌打ちしそうになった。

 なぜか彼らは、エマに罵られれば罵られるほど悦んでいるらしい。これもエマの魔法なのだろうか。


「あなたたちは今すぐ頭に叩き込みなさい! 女性はみな美しいと!」

「「はいっ! 女性はみな美しいです!!!」

「外見の悪口など愚の骨頂! 二度と言ってはいけません!」

「「はいっ! 二度と言いません!!!」


 繰り返される応酬は、もはや奇行だった。

 実際、令嬢たちだけでなく、周囲の人々もぽかんと口を開けて見ている。

 だがティムの元旧友である令息二人はエマしか目に入っていないらしい。目はどっぷりとピンク色に浸され、女王を(あが)める信者のごとく顔がとろけていた。


「わかったら、すぐさまシスネに謝りに行きなさい!」

「「はいっ! 謝りに行きます!」」


 返事をして、二人はくるりと(きびす)を返した。だが一歩踏み出す前に、片方が名残惜しそうにもう一度エマを見る。


「あの……謝ったらもう一度僕たちをののし――喝を入れてもらっても?」

「おだまりなさい!!!」


 落とされる雷に、男たちが待っていましたとばかりに身を震わせた。


 アルヴィンは今度こそ舌打ちした。

 明らかに顔が喜んでいるのだ。こいつらは二度とエマに近づけさせない、と心の中で誓う。


「わたくしに指図するなど図々しい! さっさと謝罪しにいくのです!」

「「はいっ!!!」」


 シスネの元にすっとんでいく二人の後ろ姿を見送ってから、エマがふぅと息をつく。


 その途端、先ほどまでの剣呑さは消え、いつもの彼女に戻っていた。


「前回もでしたが、悪女らしい動きと言うのは本当に難しいですね……。わたくし、ちゃんと威厳は出せていましたでしょうか?」


 緊張が溶けたのだろう。顔にうっすら汗が見えて、アルヴィンはすぐさまハンカチを取り出した。

 そのままそっとやわらかな肌に押し当ててみたが、エマは嫌がることなくされるがままになっている。


「悪女というより女王のようだったが、迫力満点だったよ。俺としては、もっと汚い言葉を使う所も見てみたかったな」

「アルヴィンさま……実はそういうご趣味をお持ちだったのですか?」


 心配そうに聞かれ、アルヴィンはぶっと噴き出した。


「いや、そういうわけではない――」


 そこでアルヴィンの顔が強張る。――物陰にいる男の視線に気づいたのだ。


 その男は、いかにも夜会にやってきた貴族を装ってその場に立っていた。実際うまく化けているが、アルヴィンの目には彼の隠し切れない魔力が見えていた。


(――エマを狙う魔法使いか)


「アルヴィンさま?」

「いや、なんでもない。お前も疲れただろう。それより鏡の破片はなかったのか?」

「そうなのです。てっきり彼らに刺さっているかと思ったのですが……」


 肩を落とすエマに気づかれないよう、アルヴィンが魔法使いに目を向ける。


(今夜もまた、シロに伝達を送らないといけないな)


――エマがアリシアの件で魔法を披露して以来、兄であるオスカーだけではなく、魔法使いたちも彼女に目をつけていた。


 彼らが隙を見てエマに近づこうとしてきたのは一度や二度ではない。そのたびにアルヴィンは裏でシロと手を組み、あの手この手で接触を妨害してきたのだ。


(エマは俺の婚約者だ。この国の揉め事には巻き込ませない)


「今日はもう戻ろう。また先ほどの男たちが戻ってきても面倒だ」


 そう言ってエマとともに歩き出してから、アルヴィンは振り向いた。魔法使いが、ひそかに後をつけてきている。


 アルヴィンは酷薄な笑みを浮かべた。

 それから魔法使いを見据えると、拳を突き出し思いきり握る。


 途端、男が胸を抑えて苦しげにひざまずいた。周りにいる人たちが何事かとざわめく。


 そこで今度はぱっと手を放すと、魔法使いは呼吸を荒くしながらもなんとか立ち上がった。

 すぐさま自分の身に起こった異変がアルヴィンのせいだと悟ったようで、慌てて逃げていく。


 アルヴィンは満足げにほくそ笑んだ。


――エマを守りたい。

 そう願うようになってから目覚めた不思議な能力は、自分でも正体を掴めていない。だが。


(エマを守れるのなら、悪魔だってなんだって喜んで契約しよう。それが俺の()()だ)


 また何事もなかったかのようにエマの方を向く。

 彼女にだけ見せる、とびきり甘い笑みを浮かべて。

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