第31話 アルヴィンの悪女 -前- ★
「アルヴィンさま。わたくし、あそこにいる男性たちに用があるのですがついてきてもらえますか?」
エマが厳しい眼差しで見たのは、先ほどから盛り上がっている若い集団だ。男性が二人と、女性が数人。
(誰だあれは……見たことがないな)
どこかの令息令嬢たちだろうか。全体的にどことなく浮ついた雰囲気はただよっているものの、みな身なりは立派で顔も整っている。
「構わないが、彼らは?」
小声でささやけば、エマが怒ったように言う。
「シスネさまから聞き出したのですが、あそこにいる男性たちです。ティムさまの旧友で、シスネさまの外見を悪く言っていたのは」
「ああ……なるほど」
アルヴィンは目を細めた。
確かに、男二人はそんなことをしでかしそうなオーラがただよっている。はっきりとした色がついているわけではないが、空気がどことなくよどんでいるのだ。
「今夜の“お仕置き”は彼らというわけか」
「いえ、今回はお仕置きではなく教育です」
「教育?」
予想していなかった単語に、アルヴィンが眉をひそめる。
「はい。お母さまがいつも言っていました。女王として若者の道を正すのも役目だと」
(若者……って言ってもエマの方が若く見えるけど?)
などと思っても口には出さない。
それよりこの“悪女”が、次はどんなことをやってくれるのか見たかった。
「それに、意地が悪いということはもしかしたら鏡の破片が刺さっているかもしれませんし」
言いながら、エマがするりとアルヴィンの腕に手をかけた。
不意打ちにアルヴィンが驚く。
「腕を組んで平気か? 無理はしなくていいんだぞ」
だが彼女の顔に青ざめた気配はなく、むしろどことなく頬を染めていた。
よく見ようとしたところで、ぷいと顔が背けられる。
「……平気です。おかげさまで、アルヴィンさまなら大丈夫になりましたので」
「そうか。ならもうすこし過激なことをしても許されるな?」
「それはダメです! 絶対にダメです!」
必死に否定するエマを見てアルヴィンは笑った。
今なら誰がどう見ても、自分たちは仲睦まじい婚約者同士にしか見えないだろう。
そのまま二人は、何やら歓談が弾んでいるらしい集団に向かって歩いて行った。
たどり着いてすぐエマが微笑みかける。
「皆さまごきげんよう」
無論、彼女の微笑みは“にっこり”などという生易しいものではない。
瞳は氷のように冷たく、それでいて薄く上がった唇は魅惑的なカーブを描き、相反する表情が得も言われぬ艶やかさを放っている。
アルヴィンに気づいた令嬢たちがぽっと頬を染める中、二人の令息はぎょっとしたようにエマを見た。だがその瞳の奥に、一瞬ぬめりつくようなピンク色が浮かんだのをアルヴィンは見逃さなかった。
「これはこれは、アルヴィン殿下と……その婚約者殿ではありませんか」
「わざわざご挨拶にきていただけるとは、光栄です」
「そんなに身構えなくていい。私の婚約者が、何やら君たちと話したいらしくてね」
穏やかな笑みを浮かべながら、心の中で毒づく。
(エマの頼みでなければ、絶対こいつらに見せたりなどしないものを)
『俺の婚約者をじろじろと見るな』。そう言いたいのをぐっとこらえ、アルヴィンは全く笑ってない目で威圧するにとどめた。
「僕たちに話……ですか?」
思い当る節がないのだろう。二人は不思議そうに顔を見合わせている。
「ええ。あなたたちのお名前は知らないのですが、ティムさまと最近仲違いしたのだとか?」
「ああ、ティムですか……」
途端、片方が小馬鹿にしたように鼻で笑った。周りの令嬢たちはきょとんとしており、どうやら事情を知らないらしい。
「俺たちとしては、彼に幸せになって欲しくて一生懸命助言したんですが、意見が割れてしまったようで」
「何、ちょっとした見解の違いですよ」
なんて言いながら、二人で笑っている。
「まあ、そうなのですね……。ちなみに一体どんな助言をしたのですか?」
エマの質問に、片方の男がさも“自分はわかっている”と言わんばかりの顔で語りだした。
「いや、あなたのような美しい女性には関係のない話ですけれどね。見た目があまりにも残念な妻は、貴族として恥になると言ったんですよ」
「ですが、ティムがそれにずいぶん腹を立ててしまってね……。まあ真実は時として耳に痛いものですから」
(腹の立つ男たちだな。聞いている俺がイライラしてくる)
ちらりと横を見れば、エマの額には青筋が浮かんでいた。それから、ふっと彼女が微笑む。
――それは心臓が凍り付きそうなほど冷たく、美しい笑みだった。




