第30話 アルヴィンのお姫さま -後- ★
ティムはしぱしぱと目を瞬かせながら驚いたように言った。
「しばらく会わない間にすごく綺麗になったね」
穏やかな声には彼の誠実な人柄が現れているようで、男のアルヴィンが聞いていても心地よい。瞳にも邪なオーラは一切なく、いうなれば純度百パーセント。直感的に信じられる人間だとアルヴィンは判断した。
(驚いたな。こんな人物が社交界にいたのか。名前を覚えておこう)
ティムの家は、取り立てて目立つ何かを持っているような家柄ではない。だが彼本人からただようオーラは、将来大物になると思わせる確信めいた何かがあった。
シスネがもじもじしながら口を開く。
「そ、そうなの……。その、痩せたらもうあなたが友達にからかわれることもなくなると思って……」
「からかわれる? ……ああ、あいつらのことなんか気にしなくていい。彼らはもう友達でもなんでもないから」
苦い顔でティムが言った。
「そうなの……?」
「彼らが君をからかうのは、僕が伯爵家の令嬢である君と婚約して悔しいからだ。その件はすまなかった。縁を切るのが遅くなったばかりに、君を傷つけてしまった」
「そ、そんな! いいのよ、むしろ、あたしなんかが婚約者で本当に迷惑かけてしまったんだもの。お姉さまたちは皆美しいのに、あたしだけこんなんで……」
「迷惑なわけあるものか」
ティムは力強く否定した。それからシスネに向かって優しい笑みを浮かべる。
「僕たちは幼なじみだけど、もしホーキンズ家の令嬢たちと縁があるなら、ずっと君がいいと思っていた」
「え……?」
ティムが、シスネの女性らしく丸みを帯びた手をとった。
「覚えているかいシスネ。僕が将来自分の店を開きたいと話した時、君たち姉妹の中で笑わずに話を聞いてくれたのは君だけだった」
「そ、それは、あなたの計画がすごかったから……」
「それでも僕は嬉しかった。あの時から、僕は伴侶に迎えるならずっと君だと決めていたんだ」
「ティム……」
(おやおや、これは……。わざわざ変身させる必要もなかったな?)
アルヴィンはその成り行きを、驚きとともに見つめていた。
シスネとティムは手を取り合って見つめあい、すっかり二人の世界に入っている。
と、その時。シスネのそばに立っていたエマが、少しずつ後ずさりしてきた。彼女の細い肩がアルヴィンにぶつかる前に、とんと肩を押さえて止めてやる。
こちらを振り向いたエマは、やや声を抑えながら言った。
「……アルヴィンさま。こういう時は、退散した方がよいのでしょうか?」
「おや。ここに来てそういう空気が読めるようになったのか」
からかえば、エマの顔がむっすりとしかめられる。
「最近はリュセットさまに色々教えていただきましたから、さすがに」
「きちんと勉強しているのか。えらい、えらい」
からかうように褒めれば、エマは不満そうながらもどこかすました顔だ。
――最近は努力の甲斐があってか、エマもだいぶアルヴィンに慣れてきていた。
こうして隣に立つのはもちろん、たまにエマの方から服のすそをひっぱってきて話しかけられることもある。
正面から目を合わせて喋っていられるのも、最初の頃からは信じられないほどの進歩だ。
(相変わらず手は怖いみたいだが、それはおいおい解決していけばいい)
彼女の過去に何があったのかはわからないが、手を差し出した時の青ざめ方は尋常ではない。アルヴィンも、怖がらせるようなことは極力したくなかった。
(ゆっくり探していけばいい……。時間はたくさんあるんだ)
アルヴィンは目を細めた。
世の中では、時間は有限だとか、別れは突然にだとか、時の貴重さを謳う話は山ほど出回っている。だがアルヴィンは、そのどれにも耳を貸す気はなかった。
なぜなら、絶対にエマとの時間を手放す気がなかったからだ。
(もし死神がエマを連れ去るというのなら、どんなことをしてでも必ず奪い返してやるさ)
誰にも彼女との時間を邪魔させない。それはアルヴィンの、何よりも固い決意だった。
「わたくしも、きちんと勉強しておりますので!」
目の前で顎をそびやかす可愛いお姫さまを、アルヴィンは愛おしそうに見つめる。
(……俺も大概嘘つきだな)
エマに婚約を迫った時、シロに「アルヴィンさまもその口で?」と聞かれて否定したことがある。だがあれはエマを不用意に怖がらせないための嘘だ。
――本当は出会った時から、ずっと彼女を手に入れたいと思っていた。
(一度手に入れたのなら、もう二度と離すものか)
アルヴィンの決意を、エマはまだ知らない。




