第16話 マスネ子爵家 -後-
「……見失ったわ。どこに行ってしまったのかしら」
「思ったより足が速いですねえ。そして意外と広い」
きょろきょろと見渡しながらシロがぼやく。
二人は今、誕生日パーティーが開かれている庭ではなく、マスネ家の屋敷内にいた。
アルヴィンはそこそこと言っていたが、そこそこであっても貴族の家というのは広い。
目の前の曲がり角を曲がったと思った次の瞬間、家令の姿は消えていた。上に繋がる階段があったため、恐らくそこを上っていったのだろう。
「仕方ないわ、ここは二手に分かれましょう。シロは二階へ、わたくしは三階に行ってみるわ」
屋敷の中も、お手洗いや休憩をする人たちのためにある程度は解放されている。そのためエマたちも簡単に入れた。
(……いた!)
三階に上ってすぐ、廊下を歩く家令の後ろ姿を見つける。エマがすぐさま呼びかけた。
「あの!」
「……? どこのお嬢さんかな? ここはあなたが立ち入っていい場所じゃありませんよ」
声に反応してくるりと振り向いた男性の目は、一見すると何ら変化はない。
だがエマはカッと目を見開き、穴が空くのではないかというぐらい彼の瞳を見つめた。
そんなエマの不躾さに、家令が不審がって一歩引く。その途端、右目だけ斜がかかったように白く光ったのを見逃さなかった。
(間違いない。鏡の破片が刺さっている)
エマは家令の質問には答えず、さっと手のひらを上にして掲げる。
それから、手の上の何かを吹き飛ばすように、ふぅっと息をかけた。
サラサラと、どこからともなく現れた粉雪が吐息に乗り、それが家令めがけてゆっくりと飛んでいく。
「何ですかこれは!? あなた一体何を……うわぁ!」
粉雪がくるくると螺旋を描きながら男性の体を包んでいく。
やがてすっぽりと家令を包んだ粉雪は、風船が弾け飛ぶようにパッと霧散した。
辺りにキラキラとした雪の結晶が宙を舞い、意識を失った男性がずるずるとその場にへたり込む。
それと同時に、輝く大きな破片がエマの手に収まっていた。魔法の鏡の破片だ。これでまた一つ、回収したことになる。
(破片が思ったより大きいわ。残りはあとひとつかもしれない)
エマが考えていると、後ろから少女の叫び声がした。
「セバスチャン!」
振り向くと、大量のシーツを抱え、やけにぼろぼろな服を着た少女が立っていた。
彼女はシーツを床に置くと、急いで家令の元へと駆け寄る。
「どうしたの、セバス! 何があったの!?」
「あ、大丈夫です。その方は今眠っておられるだけなので」
心配させないよう、エマはきっぱりと説明した。
鏡の破片を取り除いた男性たちは、みな例外なく気絶するのだ。
その代わりすぐに目覚めて、また何事もなかったかのように元通りになる。セバスと呼ばれた家令も、数分もしないうちに目覚めるはずだ。
「そうなの……? もしかして疲れていたのかしら……最近のセバスは少しおかしかったものね」
少女はまだ動揺しながらも、どこかほっとしていた。
その間に、エマは彼女をまじまじと見る。――どうしても、彼女の容貌が気になったのだ。いや、正確には《《栄養状態》》と言うべきか。
使用人ですらもっとまともな服を着ていると思うくらい、少女の服はあちこち色褪せてつぎはぎだらけだった。
彼女自身も灰を被ったのかと聞きたくなるほど汚れ、髪はボサボサ、肌もボロボロ。
白い手も信じられないほど荒れていて、一目で栄養状態が良くないとわかる。
ざわざわと、エマの心が波立つ。そしておせっかいだとは思いつつ、エマは我慢できずずいと一歩近づいた。
「あの……あなた、ものすごく不健康そうに見えるのですが、もしかしていじめられているのですか?」
「えっ?」
少女が困惑したようにエマを見る。
二人は完全に初対面だ。
突然そんなことを言われて驚くのも無理はない。だがエマはそんなことお構いなしに、さらにずいずいと詰め寄り早口でまくし立てる。
「もしあなたが、不当な扱いを受けているのならおっしゃってください。わたくしにはあなたを助ける力があります。お母さま……いえ、伯母さまに頼めば、きっと使用人として迎えてくれるはず。もちろん待遇は保証します。我慢する必要はありません。ぜひ我が家に」
「えっ? えっ? あの、一体何を……?」
哀れな少女は、今やエマによって壁際にまで追い詰められていた。
「困っている人は放っておけません! 大丈夫です、わたくしを信じて――」
「こら。いなくなったと思ったら何をやっているんだ」
その時、アルヴィンの声が後ろから降ってきた。
エマがキリッとした顔で彼を見る。
「アルヴィンさま。わたくしは将来女王になる身として、弱き者を助けるよう育てられてきました。見たところこの方はずいぶんひどい環境で働かされています。伯母さまの家ならきっと使用人にそんな扱いはしません。だから今我が家へスカウトを――」
「待て待て。突っ込みたいところは山ほどあるが、ひとまず待て」
アルヴィンがこめかみを押さえながら、エマを制する。
ムッとしながらも、エマは言われた通りひとまず彼の言葉を待った。
「あのな……お前がスカウトしようとしているその人は、使用人じゃなくてマスネ家の三女だ。つまりマスネ子爵令嬢。この意味がわかるか?」
アルヴィンが指さした少女が、おずおずと進み出る。
「は、はい……。実はそうなのです。私はリュセット・マスネと申します」
エマはゆっくりと彼らを交互に見た。それからたっぷり十秒は経ってから口を開く。
「……すみません、もう一度おっしゃっていただいても?」




