酒の鬼
短編昔話。
短編「酒の鬼」
遥か昔、帝が都を移した頃であったか、その前後。
山々に囲まれた僻地に、人の住む集落があった。
そこでは貧しいながらも、人々が平和に暮らしていた。
だがある頃から、集落に近い山に見たことも聞いたこともない、強大な力を持つ妖の群れが住むようになった。
妖が放った拳は雲を裂き、牛が何頭いても動かなかった巨木を地面ごと引き抜く。
頭から突き出た角は血のように赤い。
彼らは定期的に山から降りてきては笑いながら人を攫い、田畑を荒らし、食料を巻き上げた。
暴虐に耐えかねた村の男たちも、噂を聞いてやってきた強者たちも、彼らに挑んでは首になって帰ってきた。
村人たちは抗うことも出来ず、米と金品を捧げ、いつ彼らが襲ってくるとも知れない恐怖と戦い、でなければ神にすがった。
その妖たちは、畏怖と憎悪の念を込めて「鬼」と呼ばれた。
その後も、鬼たちは我が物顔で村をうろつき、人々を脅した上げた。
村は困窮し、村長はこの地を捨てる決断を迫られていた。
そんなある日、1人の村男が鬼に勝負を持ち掛けた。
男の身体は骨が浮いて見えるほどやつれていて、頭髪はないに等しく、年老いていた。
頬肉の削げ落ちた顔から、ギラギラとした目が覗く。
男は鬼たちに、自分が勝ったら村人たちを開放し、この地を出ていくように言った。
鬼たちは高笑いをして、無謀な男の挑戦を受け入れた。
次の日、村人たちは鬼の寝床に大量の樽を運び込み、男が樽から盃を掬い上げ、グイっと飲み干してみせる。
男が申し出たのは「酒盛り勝負」であった。
より多くの酒を飲めたものが勝者である。
最初鬼たちは物珍しそうに男を見ていたが、毒ではないことを確認するとお互いを見やってニヤリと笑い、大胆にも酒樽ごと飲み干していった。
流石は”鬼 ”。
まるで見せつけるかのように、鬼たちはその巨体に大量の酒を流し込み、樽を次々と空にしていった。男との差はみるみる開く。
だが、男は動揺を見せなかった。大きな盃に酒を酌むと、グイグイと飲み干していく。
みすぼらしい男だったが、その姿は様になっていて。次第に鬼たちも真似して盃で飲むようになった。
それから三刻ほどたったころだろうか。
夜空には満月が輝いて、月明かりが山々を照らし出す。
ほとんどの鬼が顔を赤らめ、呂律が回らなくなって何か寝言のように呟き、または重なり合って爆睡していた。
男は満足げな様子で、盃を仰いだ。
夜風が心地よかった。
「主は、本当にうまそうに酒を飲むのう。」
不意に、鬼の頭領が男に話しかけた。
頬はたっぷりと赤にそまり、酒で体が縮んでいた。
その邪気の抜けた姿は小さな童のようであり、穏やかな笑みは老母のようでもあった。
「それはそうじゃ。酒というのは、大勢で飲めば飲むほど旨くなる。賑やかなのは良いことだ。
それにそなたたちの飲みっぷりは実に清々しい。満足げに酔いつぶれるのも見事だ。酒席というのはこうでなくてはならん。」
男はまたクイッと酒を飲み干すと
「生い先の短いじじいと飲んむものはおらんでな、そなたたちには感謝しておる。」
そう付け足した。
鬼の頭領はよれよれになりながら酒を注ぎ、チビチビ飲んでいく。
「感謝ねぇ・・・。お主、そんなに楽しそうに飲んで。勝負とは名ばかりでただ酒を飲みに来ただけではないか?」
男もまた、酒を注ぎながら答えた。
「元来、酒というのは神に捧げる神聖なものじゃ。祭事でもない限り、こうたらふくは飲めんよ。さらに、この老体とくればな、、。ゲッホゲッホ!」
男は咳き込んで苦い顔をした。
だが男は口を拭いながら、勝負にはキッチリ勝たせてもらうぞと。そういって。
「まだまだ酒を飲み初めたばかりのひよっこどもに、負けてはおれん」
こう付け足した。
男はここからが本番とばかりに酒を煽る。それは鬼にとっても、驚異的な飲みっぷりであった。
「・・・・ワシがひよっこかいな。まったく、いや、な、じ、じ、い、だ、、、」
鬼の頭領の記憶はここで潰えた。
朝日が登り、太陽の光に照らされた鬼たちは目を覚ました。
結局、昨日は先に鬼たちが酔いつぶれてしまったようだった。
二日酔いに頭をいためつつ、鬼たちはおかしそうに笑って、まんまと自分たちを退治してしまった男を起こしにいった。
だが。
男は、白い陽の光に照らされた木に寄り添うように、血を吐いて、死んだように眠っていた。
盃は、満足そうに地面に横たわっていた。
鬼たちは、その光景をじっと見つめていた。
その日のうちに誰もいなくなった山には、ただあの木の傍に、酒が入った盃が残っているだけだった。
以来鬼たちは大の酒好きとなり、人をさらってきては共に宴会を開くようになった。
END
筆者はぼちぼち二十歳になるので、最近は飲酒について考える機会が多いように思います。
初めてお酒を飲む自分はどんな姿だろう。勝手が分からずべろんべろんに酔ってしまうのか、案外まったく酔わないのか、愉快な気分になるのか、誰彼かまわず愚痴を垂れるのか・・・・。
そんなことを考える訳ですが、ある日、「そういえば、先輩たちも酒を始めて飲んだ日があったんだよな。」という考えに辿りました。
「例え強大な力を持つ者であっても、始めてがあって、その筋の師のような存在がいるのではないか。」
鬼の頭領は、酒好きの鬼である酒呑童子をイメージしています。そんな彼や部下たちが、どのようにして酒好きになったのかを絵描いたのが、今作です。
できるだけシンプルに、テンポの良い文章を目指しました。出来が悪いところがありましたら、コメント等で教えて頂けると嬉しいです。最後に、”酒の鬼”を読んでくださり、ありがとうございました。