酔っ払いの叫ぶ旅館
第七話の主な登場人物す
佐山 光一 地域対策安定、事務課長
日下部 奈々 地域対策安定課職員
中村 竹蔵 金穂市長
荒浜 真紀子 金穂市民(通報者)
日根野 麻衣 地域対策安定課職員
田辺 律子 地域対策安定課職員
保谷 和典 地域対策安定課職員
薩 礼二 旅館「金穂青海楽々園」主人
薩 年子 旅館「金穂青海楽々園」女将
水戸 幸一郎 「 金穂市営バス」運転士
俺が本格的に金穂市役所に勤め始めて三週間が経った。世間では春休みが終わり、学校が始まる時季だろうか。最初の二週間は地域対策安定課や事務課の仕事を覚えることも兼ねて社会人一年生の日根野さんと一緒に書類の処理や窓口で接客業務に当たった。この間、俺の本来の仕事は防犯防災対策課の課長である春日井さんに担当してもらった。書類の処理は基本的に事務課の仕事だが俺を除いて事務課は2人しかいないため“簡単な処理は基本的に自分たちでしましょう”という暗黙のルールがここにはある。
日根野さん、まだ一か月もたっていないのに良く職場に慣れてるよな。バイトでもしていたのかな?
「そう言えば日根野さんは今年から金穂市役所に入ったんだよね?」
「はい」日根野さんは答えた。
「その割にはだいぶ職場に慣れているよね。前からここでバイトしてたとか?」
「高校二年から金穂市役所で事務のバイトしてました。特に将来やりたい仕事も無かったので、知っている人が多い市役所なら落ち着いて働けるとおっもたので応募しました。」
やっぱりバイトしていたか。そうでもなきゃ最初の一か月であんなに慣れないもんな。
そしてここでも言われたぞ。
「後、佐山さん、私のことも日下部さんみたいに“日根野”でいいですよ。」
「じゃあ、日根野って呼ぶぞ。」とまた同じやり取り・・・。俺が27歳なので地域対策安定課と事務課のメンバーの中で年下は保谷君と日下部、後は日根野ぐらいだ。リーダーの歳が8人中したから4番目というのは前の職場では絶対になかった光景だ。
2週間日根野たちと同じ仕事をして俺は今週からようやく課長らしい仕事をさせてもらえるようになった。
俺は春日井さんから課長の主な仕事について教わった。東京とか大きな職場では仕事も役職もキャリアに合わせて事細かに決められていたが、人手が少ない金穂市役所では役職や部署の数も必要最低限しかない。その為、課長が部長の仕事も兼任したりと前の部署の課長から聞いた仕事内容とは大きく異なった。覚えることが多すぎてもう頭がパンクしてしまいそうだ。
そんなこんなでようやく俺の仕事が落ち着いていたある火曜日、一本の電話が掛かった。
“rururururur”「保谷君出てくれ」と俺は仕事がひと段落してきた保谷君のデスクに電話を回した。
「はい、お電話ありがとうございます。金穂市役所、地域対策安定課の保谷でございます。」
しばらくすると保谷君が困った顔をして「はい、かしこまりました。今担当のものと変わりますので少々お待ちください」と言って俺のほうを向いた。
「佐山さん、青海集落にお住まいの荒浜様からです。お電話の内容は“お隣の旅館の方が夜中に大きな音を出す、注意をしても直らないからどうにかしろ”とのことです。」
「取り敢えず佐山課長出なさいよ」地域対策安定課の中で最年長の田辺さんが言った。職場の中では田辺さんよりも僕のほうが上なのだが、何故か俺に対してもため口で話しかけてくる。特に気にしていないからいいのだが・・・。
俺は保谷君から電話を受け取った。「はい、担当の佐山と申します。お隣の旅館のことでお悩みとのことでよろしいでしょうか?」
電話の向こうからは女性の声がした。「ええ、そうです。本当にうるさくて何度も注意したのですが直らなくて困っています。娘が毎晩起きて本当に可哀想なので何とかしてもらえますか?」
こういう案件は取り敢えず現場に行けばいいのだろうか?市役所の中にいてもなにも始まらないし行くだけ行ってみるか。田辺さんも「現場に行け」って顔してるし。
「分かりました。取り敢えず市の職員がお伺いしますのでご希望の日時をお願いします。」
「今日お願いします。本当にもう限界なので」本当に困っているようだ。仕事も一段落しそうだし今から行くか。
「分かりました。では今からお伺いいたしますのでお待ちください。」
「ありがとうございます。お待ちしております。」
電話は切れた。取り敢えず現場に行こう。青海集落は俺のアパートがある裏金穂の隣の集落だ。でも道が分かんないから誰か一緒に行ってもらわないと...。
「今から青海集落の荒浜さんのご自宅に行くのですが、道が分からないので誰か一緒にお願いします。」
日下部が「隣の集落なので私が行きます。車の運転も慣れているので。」と言った。日下部はいつも一緒に通勤しているし良く話もするから仕事もスムーズに終わりそうだ。
「じゃあ、行こう。他の皆さんは仕事を続けてください。何か有ったら私の携帯にメールしてください。」
地域対策安定課のメンバーは半分以上が俺より年上のため、俺も指示を出すときはいつも丁寧語に成ってしまう。印象はため口よりもいいから特に問題は無いのだか何故か違和感が湧く。
俺と日下部は中村市長が居るブースに市役所の車の鍵を受け取りにいった。
「市長、青海集落の荒浜様のご自宅に伺いますので車の鍵を下さい。」すると。
「今日は゛市民ノーマイカーデー゛だから車は出せないよ。今日市の職員は市バスタダなんだしさー。市バス使ってよ、12時の便があるでしょ。それで金穂港まで行けば青海集落に行くバスに乗れるじゃん。緊急事態じゃ無いんだし。」
俺はブースの壁に貼ってあった市バスの時刻表を見た。
市バスで青海集落に直行する路線は市役所からは出ていないので、バスだけで市役所から青海集落にいく場合は途中の「金穂港」で乗り換えなくてはならない。12時のバスで「金穂港」に行き其処からって... げっ、12時のバスが金穂港に着くのは12時15分、そこから次の青海集落に行くバスは何と15時までない。そしてそのバスに乗ると青海集落には16時に着く。このバス乗ったら青海集落につく頃には日が暮れちゃうわ。本当に金穂市営バスは使えない。俺は日下部に「青海集落まで車で何分」と聞いた。
「青海集落にまでは山道越えて大体40分ぐらいです。」
40分の道のりをわざわざ市バス使って4時間掛けろってか?そんなことしたら連絡をもらった荒浜さんに迷惑を掛けることになる。緊急事態じゃ無いけど市民の方からのお呼びだし、ここはなるべく早く駆け付けたいところだ。
俺は中村市長に「市バス使ったら青海集落に着くのは4時半です。そんなにモタモタしていたら荒浜様に失礼です。車を出す許可を下さい。」と言った。
「とは言っても、市民ノーマイカーデーは市役所が中心となってやっている運動だから市役所職員が職場の車とは言え自動車を使うのはどうかと... 。」
俺は「そこを何とか」と必死にお願いした。そしてついに市長が「分かった、私の負けだ。車を出していいが余り目立たないように頼むぞ。」と車を出す許可をくれた。
俺達は車の鍵を受け取って駐車場に止めてあった軽ワゴン車に乗り込んだ。この車は俺が金穂に来たときに日下部が迎えに来てくれた時の車だ(詳しくは第一話を参照)。
「それにしてもこの様なことでも来てくれと言われるもんなんだねぇ~。東京の現場ではさっきみたいな電話を市民の方から受けたことがなかったわ。」
「佐山さんが東京にいた頃は市民の方からの電話は有りましたか?」
「余りなかったかな。でも地域のお祭りや観光イベントの問い合わせはたまに受けていたけど。」
前の職場では勤務中に市民の方と電話で直接話す機会がほとんど無かったからさっきのような電話が凄く新鮮に感じる。
「でも、お隣の旅館がうるさいとかの相談は普通市役所じゃなく警察にするものだと思うけど、…実際のところどうなの?」
「旅館の管理は行政の管轄ですからねー。警察は事件性のないものに関しては注意ぐらいで済ませちゃいますからね。でも市役所も警察と同じでこういうことについて出来ることは注意ぐらいですから、余り解決には至っていないことが多いのが現状です。」
そんなことを話していると山道は更に険しく成ってきた。
すると錆びてなんて書いてあるかが分からない、バス停と思われる物が建っていた。
「ここは昔、市営バスが走っていたとか?」
「走っていましたよ、市営バス。でも大きいバスじゃなくてワゴン車が走っていました。だから゛ここの運転に苦労した゛とかって話は聞いたことがありませんね。」
そりゃこんなところを走っていれば廃線にもなるわ。
出発して20分、真っ暗なトンネルを抜けると険しかった山道もどんどん緩やかに成っていった。更に進むと平地に降りた。其処には砂浜が広がっていた。海を眺めながら進路を西から東に変えて海岸線をひた走る。やがて現場の青海集落に到着した。市長が余り目立つなとうるさかったので人目のつかない誰でも使える無人駐車場に車を止めた。
そして通報者の荒浜さんのご自宅に行った。
「ピーンポーン、荒浜さーん、こんにちは、金穂市役所地域対策安定課の佐山と日下部でーす。」
中から29歳位の女性が出てきた。どうやらこの人が市役所に電話をしてきたようだ。
「こんにちは、金穂市役所地域対策安定課の佐山と日下部です。お隣の旅館のことで伺いに上がりました。」
「あ、こんにちは。わざわざ有り難うございます。荒浜真紀子と申します。立ち話は難なのでどうぞ、お上がりください。」
俺達は居間に通された。ご主人が漁師をされていることもあってか、ご自宅には漁に関する道具や記念品がたくさん置いてあった。
真紀子さんは俺達にメモリーカードを差し出した。
「本日はお忙しい中有り難うございます。先程の件に関しての証拠と言っては難ですが、データを取ってありますのでご確認下さい。」
ここまでやるとはかなり本格的だな。しかし俺達は執行機関じゃないから証拠を提出されても営業停止とか言う処分はできない。荒浜さんはそれを知っているのだろうか。
俺は私物のノートパソコンでメモリーカードに保存されたデータを確認した。
「オーイっ、女将さんよぉ~、おビールください。」
「お前、歌えーオラッ。」
中年ぐらいの酔っぱらいの声が聞こえてきた。画面の右下にデータが録画された日時が記載された。二日前の午前0時か、確かにこの時間帯にこんな大声出されて、おまけに注意をしても直らない... 。そりゃ通報したくもなるよな。
「声の聞こえ具合からして、宴会会場の窓を開けているようですね。」日下部が言った。
「そうみたいだね。これは少しひどいね。荒浜さん、このデータは二日前の午前0時に録られたもので間違えありませんね?」
「はい、他の日にはもっとひどい瓶が割れる音や喧嘩をする声が聞こえてきて、五歳の娘を起こしてしまった時もありました。もう限界です。」と言った。荒浜さんは本当に限界そうな顔をしていた。この人には子供が居るのか...。
「分かりました。お隣の旅館に声は掛けますが、私たちは行政処分の執行機関ではありませんので、今回のことは市役所からの要請と言うことにします。当該旅館には゛大きな声を深夜に出さないこと゛と、今後゛は深夜に宴会を開く際にまどを閉めることを徹底する゛事を要請します。それでも改善が見られない場合はお手数ですが金穂市役所の地域対策安定課までご連絡下さい。」
俺達は荒浜さんに名刺を渡して荒浜のご自宅を失礼した。
「じゃあ、お腹にジャンプを溜めていきますかぁ」俺は日下部に言った。
「はい、頑張りましょう‼」彼女は返した。ここからが俺達の本当の仕事だ。時刻は14時30分、いざ突入だ‼
俺達は旅館「金穂青海楽々園」にの前に立った。古そうな建物だ。
「こんにちは。金穂市役所の地域対策安定課の佐山と日下部です。ご主人様はいらっしゃいませんか?」
中からは女将が血相を変えて出てきた。
「内の旅館で何か御座いましたか?」
「はい、ちょっと市役所から確認したい事が有りまして参りました。」
「か、かしこまりました。しょ、少々お待ちください。」
女将は旅館のご主人に俺達のことについて言いに行った。その顔はこの世の終わりを予言するような感じだった。。そりゃ、市役所の職員なんて滅多に来ませんしね。
しばらくすると旅館のご主人の薩礼二さんが出てきた。
「あのぉ~、市役所さんがいったいなんのご用で?」
俺は「私たちは金穂市役所の地域対策安定課の者です。お話ししたいことがありますので、少しお時間よろしいでしょうか?」と言った。礼二さんは俺達を不審そうな目で見て少し考えた。
「分かりました。こちらへどうぞ。」取り敢えず俺達は宴会場に通された。この宴会場は通報者の荒浜さんのご自宅に面している。ならば、うるさい宴会はここで開かれたのだろうか?
「どうかなさいましたか?」礼二さんがやって来た。
「行きなりすみません。実は先日、匿名の方からここの旅館に対する苦情を頂きまして、事実確認をしに参りました。」礼二さんは俺達を睨んだ。
「どんな苦情ですか?文句があるなら正々堂々うちに言えばいいものを、ったく。」
「夜に開かれる宴会がうるさいとの事でした。何回か直接そちらにお電話をされた方で、改善が見られないから市役所に連絡されたとのことです。」
礼二さんの顔色が真っ赤に成ってきた。マジで怖い。
「この件について金穂青海楽々園はどのようにお考えですか?」日下部が聞いた。
「窓閉めるぐらいの対策はするよ。でも客が暑いだの気持ち悪いだので窓開ける羽目になるんだよ。」
「そうですか。」
「ったく、苦情入れた奴も少しは考えろよなー、客が゛そうしろ゛って言ってんだよぉー、文句があるなら客に言え。客の要望に応えるのが旅館ってもんだろ。それに苦情をいれた奴も匿名とかコソコソしていて腹立つのぉ~。」
完全に怒ってるな、礼二さん、
すると館内無線がなった。どうやら客のようだ。礼二さんは「宿泊客がきたから少し部屋を出る。」と言ってロビーへ行ってしまった。
礼二さんがロビーへ行って15分ぐらいだっただろうか、礼二さんは接客中、宴会場には俺と日下部しかいない。すると女将さんが部屋に入ってきた。
「この度は主人のお恥ずかしいいところをお見せしてしまい、誠に申し訳有りませんでした。」
女将さんは俺達に頭を下げた。
「いえいえ、こちらこそ急に押しかけてこのような話をしてしまいすみません。」と俺は言った。
女将さんは「近隣の方からのお叱りですよね。何度かこのような事はあり、その度にお詫びをしてお客様にはお静かにして頂くようにお願いをしているのですが、中々改善できないのが現状でございます。申し訳ありません。」と丁寧にお詫びをした。
日下部は「最近、近隣の方から匿名で苦情の電話を多く頂くので、本日は確認に参りました。」と言った。
俺は「夜間に宴会などをされる際は今一度窓が閉まっているかや、声のボリュームが大きすぎないかなど、近隣の方への配慮を願います。」と言った。
女将さんは「かしこまりました。毎度毎度すみません。注意はしているのですが、お客様は酒に酔われており、何を言っても聞かない状態なので、いつもご迷惑をおかけする形になってしまいます。また、窓も古いものを使っておりまして防音対策が完全では無いので。」と言った。
確かにこの宴会場の窓は古い。と言うか建物全体が年季の入った作りである。
これでは窓を閉めても外に音が漏れても不思議ではない。
日下部は「分かりました。何か御座いましたら市役所までお願いします。私たちはこれで失礼します。」と言った。
俺は「では、失礼します。」と言って部屋を出た。
廊下で接客が終わったは礼二さんとすれ違った。まだ不機嫌そうである。
礼二さんは「俺たちも頑張っているのによー。税金は高いわ市役所の犬はうるさいはどうしろってんだよ。ったく。」と嫌味を言うように吐き捨てた。みんな嫌いなんだなー、金穂市役所のこと。
旅館から出た。改めて外から見ると古い!口には出せないが…。
「一件片付いたー。じゃあ帰りますか!」
と日下部が言った。
プシューーーー!
本数の少ない市営バスがきた。お客はたった1人きりかよ!いくらなんでも少な過ぎだろ!
中から30代くらいのくたびれた男性が出てきた。運転士だ。
「水戸さーん」日下部が走ってった。
「おう、奈々ちゃん。あれ、今日は横に誰かいるね。」運転士は言った。
「ああ、この人は新しくきたうちの課の課長の佐山さんです。佐山さん!こちらは市バスの運転士の水戸幸一郎さんです。市バス1運転が上手なんです!」と言った。
「いやー、奈々ちゃんにそんなこと言われると照れるなー。」と言った。
俺は「はじめまして。地域対策安定課長佐山と申します。よろしくお願いいたします。」と言った。
「ってことは俺たちの新しいリーダーだな。よろしく頼むぜ。」水戸さんは言った。
普通、大きな市が運営するバスは市の交通局で管理するのだが、お金のない金穂市は交通局が無いため、市役所の地域対策安定課で管理する。つまり俺は市バスのリーダーである。
「そうですね。」俺は言った。
「ジー」 なんか視線を感じる。
バスの乗客だろうか、なんか陰口を叩くような仕草をしながらこちらを見ている。何故だろう。すると水戸さんが「あっ、俺もう行くは。折り返しの時間だし。」
日下部も「そ、そうですね。それじゃあ、気をつけてお願いしまーす。」と言った。
俺は知らなかった。この視線の意味を。