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小さな少女の1日

作者: 雲樹アヲ

 青空に漂う真っ白な綿雲の後ろから真夏の太陽が顔を覗かせ始めました。幼い少女は青々と茂る木々の屋根の下を跳ねるように歩いていました。今朝降った小雨が地面に染み渡り土の匂いを引き立て、草花の匂いも混ざり合い少女が深く深呼吸すると自然の香りが彼女の身体に染み渡ります。頭高くでは小鳥たちの囀りが響き、寄り添うように枝葉の擦れる優しい音が鳴ります。

 少女が木陰で休んでいると向こうの方に誰かいるのが見えました。すぐに好奇心のままに追いかけていきましたが途中で見失ってしまいました。見回すと周りが木漏れ日のカーテンが仕切られた開けた場所で一本の巨木がどっしりと居座っています。少女が両腕を広げても全く届かないほどその大きな大きな木は雲を突き抜けんばかりに空高く伸び少女を歓迎するように太陽の輝きを受けてきらめく葉を揺らしていました。口をあんぐり開けて見上げていると後ろに気配を感じて少女は振り向きました。そこには少女と同じくらいの背丈をした一人の少年が後ろ手に組みながら立っていました。少女は驚きましたがそれ以上に不思議に思いました。少年は服装こそ普通の人たちと変わりませんが狐のお面をしていたのです。

「こんにちは」と少年は落ち着く優しい声で少女に声をかけました。声は確かに少年の方から聞こえている気がしますが、少女は頭の中に直接話しかけられているような不思議な感覚になりました。少女が挨拶を返すと狐のお面をした少年は続いて少女の名前を訪ねました。

「夏海よ。あなたは?」夏海が尋ねると少年は「月音だよ」と答えました。

「なんで狐のお面を被っているの?」夏海が尋ねると月音は「顔を見られるのが恥ずかしいんだ」と答えました。夏海はそれでも少し不思議に思いましたがすぐに納得しました。すると月音がふわりと夏海に近づいて言いました。

「一緒に遊ぼ」月音の表情はお面に隠れてわかりませんでしたが笑顔で言っているのだろうと夏海には分かりました。「何するの?」と夏海が尋ねると月音は夏海の手をとって「こっち」と走り出しました。月音に引っ張られて走る夏海はまるで地面ではなく綿の上を飛んでいるようでした。こんなにも気持ちよく走ったことは今までありません。肌に触れる空気も夏のジメッとしたものではなく、心地よい温かさに感じられます。夏海が自然に溶け込み風になったような感覚を楽しんでいると突然月音が足を止めたので転びそうになってしまいました。

 夏海が視線を上げるとそこには一面の花畑が広がっていました。ラベンダーやアザミを始めとして多種多様な花々が色鮮やかに敷き詰められています。色とりどりの絨毯の上で蜂や蝶々が踊るように飛んでいます。そして森のなかの土や草の香りとはまた違った甘く優しい香りが夏海と月音を包み込みました。

 あまりに美しい光景に夏海が驚きと喜びの声を上げると、月音は「すごいでしょ!」と自慢気に胸を張りながら言いました。花畑はあまりにぎっしり咲き乱れていたので2人は周囲を沿うようにして歩き始めました。夏海の目は爛々と輝き「すごい、すごい」と興奮が止まりません。無数の花々は風に揺られ、まるで夏海の喜びが伝わり皆でもてなしているようでした。

 暫く歩くと鼻を刺激する水の匂いがしてきました。「近くに川が流れてるんだ」という月音に導かれて花畑を逸れて行くとゴロゴロとした石が現れその先に一本の小川が静かな音を奏でながら流れていました。木漏れ日の光を受けて川面が宝石のように美しく煌めいています。川辺の空気は心地良い涼しさで、夏海が水に触れてみるとやわらかな川の流れと冷たさに火照った体が癒やされました。月音も近くにしゃがみ込んで川に手を入れます。太陽の暑さと草花を撫でるように吹く風、涼しく流れる川は2人を至極の空間へと連れて行きました。夏海があまりの気持ちよさに骨抜きにされていると、バシャッと月音が川の中から何かを拾い上げました。それは青空を形にしたような丸く綺麗な小石でした。月音はその小石を夏海の掌に渡すとスクッと立ち上がりました。小石は確かに軽い重さがありましたが川の中にあったとは思えないほどほんのり温かく、小さな生き物を手に乗せているようでした。「プレゼント」と言う月音は低く下ってきた太陽を背に逆光のため薄暗い影を落としその周りから淡い光を漏らしていてまるで人間ではないように感じられました。夏海がお礼を言いながら立ち上がると「最後に見せたいものがあるんだ」と言って月音は再び夏海の手を引いて歩き始めました。淡桃色の空の下に広がる森は影が色濃くなっており小鳥の囀りも静かになっていました。

 太陽が山に触れるほど降りてきた頃月音は目的の場所に到着しました。そこは森が途切れ暖かな風が2人を包む展望の晴れた崖の上でした。下には小さな学校と街があり、山々の奥には青と赤の混ざり合った海が見えます。海はキラキラと常に表情を変え、街もポツポツと明かりが灯り始め徐々に美しい衣をまとい始めていました。夏海は新しく暮らし始めるこの街を眺めながら高揚感を感じていました。街の中からではあまりに広すぎて不安が大きかったのですが、改めて外から見てみるとそれほど大きくなく可愛らしい場所にさえ思えてくるのです。夏海自信があの場所の一員となれることに楽しさが湧いてきました。

 「帰ろうか」と月音が夏海の顔を見ながら言いました。夏海はこの光景から離れることが少し名残惜しいとも思いましたが帰ることにしました。しかし帰り道がわからないとすぐに気づきます。「どうしよう」と困って月音に尋ねると「大丈夫だよ」と優しく答えます。そしてまた夏海の手を引きながら歩き始めました。

 すっかり太陽が姿を隠し、真っ赤な光だけを空に溶かし込み深い群青色と溶け合い、風もどこかに帰ってしまったようでした。月音はまるで森のなかの見えない道が見えているかのようにどんどんと歩いていきます。5分ほど歩いていると森を先に舗道が見えてきました。夏海が嬉しくなって駆け出すとの道路は夏海の新しい家の近くだと分かりました。見回すと夏海のお母さんが手を振って名前を呼んでいるのが見えました。一緒に帰ろうと月音に振り向くと月音の姿が見当たりません。どこに行ってしまったのかと探していると、お母さんが近づいてきて「どうしたの?」と尋ねました。

「一緒に遊んだ男の子がいたんだけど……。狐のお面を被った不思議な男の子」と夏海が首を傾げながら言うとお母さんは「それはきっと狐様よ」と答えました。「狐様……?」と夏海が聞くとお母さんはどこか遠くを眺めるようにして言いました。

「お母さんも夏海と同じくらいの頃会ったことが会ったのよ。狐のお面を被った小さな男の子。今思い出すと不思議な体験だったわ。でも今度来た時はもう会えなかったの。お母さん……あばあちゃんに訊いたらそれは狐様で子供たちと遊びたくて来たんだろうって」

 お母さんは懐かしい思い出を楽しむように話しました。家へと帰る途中暖かな柔らかい風が森へと吹いていきました。夏海が森を振り返るとお母さんは「もしまた会ったら遊んであげてね」と言いました。夏海は元気よく「うん!」と答えポケットに入れた空色の小石を握りました。

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