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異世界武士物語  作者: 源因幡介利貞
最終章 彼方へ轟け武士の意地
99/102

決戦 神威山


 それは汗と垢と砂ぼこりにまみれていて、乾いた泥と血を衣としていた。

 顔面に必死を佩いて駆ける獣と異形の群れ。

 かれらは疲れを知らないかのように、山を下って野に至ってもその速度を緩めることなく、戦場に捲土重来の響きを鳴らしていた。

 かれら一つ一つがこの時を待ちわびていたのだ。


「みなさん、これまでご苦労さまでした。――さぁどうぞ、本能に還りなさい」


 大聖女アウロラはただ一言そう告げて、鎖を手放した。

 殺しを前に前口上を垂れるのはかれらのすべき悪習であったし、流転する世界の運命を逆巻きにねじ切る不退転の決意を共有しているいまさらに、白々しく勝利を祝すような台詞を吐く必要など無かったからだ。

 世界を包み込む運命に屈し、日陰でこうべを垂れることをよしとしなかったからこの場に集ったのだ。世界を破滅させるか、死か、未来は二つに一つである。


 大聖女の一言で、かれらは縛り付けられていた狂情ともいうべき情熱を解き放った。

 そもそも、一族以上の群れを知らぬかれらが、種を越えて合従がっしょうしたことそれ自体が本来ならば異常であったのだ。

 世界の不条理に立ち上がったかれらを、北竟大帝やアウロラが束ね導いたことは必然ではあったが、それでも同志という共同体は人の真似事のようでいびつだった。

 だが、いまやかれらを縛る鎖はない。

 本能よくぼうに託した表情は凄烈。

 かれらは、自らを排斥し日陰へと追いやった人々への憎しみと怒りを滲ませて、いまに人々(かれら)を砕く愉悦を抱きながら、力強く大地を踏み抜いた。


 たとえば、狼王は残り僅かな一族を率いて疾風ように駆けた。もはや、かれら以外にその血は残っていない。人に狩られ続けたかれらは、しかし知っていた。原始の時代、かれらこそが人を狩っていたことを。そのことをもう一度思い知らすために、彼らは爪を研ぎ、牙を磨いてこの時を待っていた。


 そして、狼王の盟友たる最後の巨人は、かれらとの約定を果たすべく、かれらを守る大楯を担いで、追随する。

 原始の時代。巨人と人々は友であったと、母は彼にそう語った。だが友たる人とは何処にいる? 

 似ているがゆえに一層排斥され、追われ、殺され続け、今や最後の一人となって、出来ることと言えば、友誼を貫くこと――そう彼は結論付けた。

 友たる狼一族との友誼と一代限りの約定に殉じる。それは旧友への、彼なりの最大限の皮肉であった。


 龍蛇は地響きと共に地を這った。北竟大帝の忠実なる下僕であり、移り気な『魔』への監察官であり、冷徹な督戦官であった彼が、怒りをむき出しにして、同朋を巨体に巻き込むことも躊躇わず、魔群の真っただ中を突き進んでいた。それは、立場があり、役目があり、怒りも無念もぶちまけることが出来ない、主の代行を務めようとする、彼の忠義であった。

 縦に裂けた眼に映るのは連合首都の巨大な城壁であり、三山の立ち並ぶ砦群である。

塔を抱きしめて砕き折り、城壁を圧倒し、恐懼する軟弱なる種を大口で貪り喰らう。主が目指すものと比べれば、この程度の事はあまりに小事ではあるが、それでもきっと留飲は下がる事だろう。

 そして龍蛇は、古に誰もが畏れ敬った龍蛇かれは、かつて彼を信じた全てを敵に回した。


 一見、場違いなほど気色の違う集団が、獣の群れの中にいた。

 文字通り、四足獣の後塵を拝しながら、一丸となって進むのは、薄汚れた鎧に全身を包んだ騎馬武者であった。

 数の上では三〇騎にも満たないが、一糸乱れぬ統率は猛訓練の施されたそれであり、その振舞いは連合の将兵と見紛うほどの騎士ぶりであった。

 そのとおり、いかにもかれらは騎士だった、そして死者であった。

 『魔』に同心し黄泉がえりを果たした死者たち、それも、この世にあってはならない、操り人形の死者ではなく、かれらを産んだ母なる地獄せかいを守ると誓った騎士であった。

 腐った肉体を恥じらうかのように全身を鎧で包み込み、兜を深く被った彼等からは、何故か、清廉な悲哀とも、悲壮な覚悟ともいえる感情が漏れ出ていて、それが、一層、魔群の中のかれらを異色にしていた。


 有翼の彼らは嗤った。猛禽らしく獰猛に、地を這う小粒の命の脆く軽いことを嘲笑った。

 双頭の鷲、鷲獅子、双頭有翼の蛇、人面有翼の女、群れなす毒蟲、出来損ないの竜の落とし子、数多の有翼のかれらは眼下の弱い生命の、懸命な働きを嘲笑し、見下しながら、首を傾げた。

 空も飛べない小さな生き物が、どうして我が物顔で世界を牛耳っている?

 空を行く我らが、お前たちの棲み処を侵したことなど無かったのに、どうしてお前らは我等の森を焼く? 洞窟を埋め、山を拓き、我らを追う?

 弱いくせに、空も飛べないくせに!





 ――そして、沸き立つかれらの憤怒を、溢れる汚泥の如き憎悪を、真正面から鋭く貫く黒い瞳があった。形見の鉢金の下、清浜三郎太の鋭い眼光は睨みまわすように獣の群れを見渡した。

そこへ、紅白の神鳥が慌てた様子で降りて来て、三郎太の肩にとまった。ポンと少年に変じた神鳥は、肩にしがみついたまま、三郎太の耳元で叫んだ。


「敵だらけです! 一面、恐ろしい顔をした魔獣・魔人で埋まっています!」

「数はッ!」

「大小さまざまで数えきれるわけがないじゃないですかッ!」

「たわけっ! なんのための空の斥候だ!」

「あやうく猛禽の化物に食い散らかされるところだったんですよ! そうなってもいいと!?」

「いいわけがあるかッ!」

「ほらっ、ここの布、食い破られているっ!」


 三郎太はしがみつくヒツをそのままに、背後を振り仰いで言った。


「さて、各々方、いよいよもって最後の一戦、もてる力の全てを出してもらうぞ。一命、清浜三郎太に預けてもらうが、よろしいな!?」

「いまさらだぜ、大将!」


 いの一番に声を挙げたのはクリストフだった。


「いよいよ最後と言うが、むしろこれが最初の戦でもあんだろうが、このために、俺たちは集まったんだからな!」

「三郎太も正気に戻ったようだしね。何度呼びかけてもぴくりとも反応しないんだから、すごい心配したんだけど!」


 エミーリアはからかうように言った。アルフレートもフィーネも、目に映る全ての戦士たちは、大きな不安が解消されたといった表情かおをしていた。

 丘を下りてからの三郎太は――普段からそのはあったが――あまりに独断専行で、指示もろくに出さず、ただただ駆け抜けて、突破に次ぐ突破をはかり、かつ突如として征軍の誰も知らない戦車隊までもがあらわれるのだから、かれらの心境は必死の中に不安で仕方がなかったのである。


 たしかに、あまりに危うい線を渡ったと、三郎太は自省した。

 三郎太が切り札と頼んだ『炎帝』は諸刃の剣であった。それを戦力と数えたのは、それ以外に手段が無かったからだが、只の人の所業としては、あまりに思い上がった振舞いでもあった。

 坤平原での一戦でもわずかばかり戦車を出して、連合の三個都市軍を脅かしてみたものの、今回は前回と比べ物にならないほどに『炎帝』の中に沈んだために、三郎太の意識はあっけなく持っていかれた。

 『信』を認め友と受け入れた相手でさえ――いや、だからこそかもしれないが――『炎帝』は容易く呑み込み、己の身内に取り込もうとしたのである。


 その三郎太を現世に救い上げ、使命を確固として思い出させたのはどこにでもいそうで、それでいて三郎太にとってはかけがえのない、三人の少女だった。

 彼女らの声は真心から、本心から無垢のままに跳び出しただけに、単純で、真摯で、三郎太の心中に凛と響いた。

 声は、成すべき使命、守るべきものをあらためて思い出させ、喜びを三郎太のなかに生んだ。そしてその直後、三郎太の意識は現実に浮上していた。

 喜びとは言葉通りの意である。三郎太は嬉しかったのである。マリアの薫陶を受けた彼女たちが事件の中で無事に生きており、正しきを得ていた。その事実が三郎太にとって代えようもなく嬉しかったのである。

 なにげない凡人に近い彼女たちの声が、誰もが理性を失いかけた狂気の戦場の中で聖性を帯びて、自らと『炎帝』を救ったことも、三郎太にはたまらなく嬉しかった。

 意識を取り戻した三郎太が、真っ先に視線を向けた当代の『炎帝』その人である蚩尤は、半分に割れた饕餮面の下、瞳一杯に涙を浮かべて言った。


「やっぱり俺は、お前のことが、おまえたちの事が好きだよ。――何度も迷うし、何度も間違えたけど、傍にいれば、やっぱり手を伸ばして必ず救い上げてくれるんだ。そうだよ、俺はあの日あの山で、そう確信したから、お前についてきたんだ!」


 魔人『炎』という諸刃の剣は、三郎太の懸命の努力と聖なる声によって理性を取り戻し、いまやその手綱は三郎太の手元にある!


湯坐ゆえ美毛麻呂みけまろ奈保子なほこ矢守やもり!」


 三郎太は旗持ちの名を呼んだ。


「乙軍・丙軍・庚軍・癸軍は殿しんがりとなれ、車を盾に、堅陣を成して死ぬるまで踏みとどまり、連合を襲わんとする魔の群れを、一匹たりとも背後へ逃すな!」

「はっ!」

「承った!」


 旗持ちが、各々担当する十干が記された旗を掻き抱いて、『炎帝』の戦車隊を導き離脱する。三郎太がひそかに、真新しい絹に筆を入れたそれは、目論見通り、かれらを嚮導する役を果たしていた。

 ついで、三郎太はヴォルフスの青年の名を呼んだ。


「ブルーノ! ティアナにつたえよ。第一、第二、第三騎兵隊の指揮はお主に委ねると――」

「ヤ-!」

「重ねて伝えよ。――史の上に人の軌跡を遺し、物語に英雄の詩を伝え、勇者のことは、取るに足らぬ巷談と聞け――と」

「すなわち、『清浜三郎太は太祖殿を敬愛しております』と伝えればよろしいので!?」

「なにを、こざかしいやつッ! はやくいけっ!」

「ヤ-! ハハハッ、さらばアヅマの快男児!」


 早くも指揮下には無いと言わんばかりのセリフを残して、ブルーノは太祖のもとに向かった。

 やがて後方から太祖の号令が聞こえ、ヴォルフスの騎兵隊が戦列を離れてゆく。


――流石は太祖、成すべきことを、心得ておる。


 三郎太はそれでよいと小さく頷いた。ヴォルフス騎兵の役割は、遊撃隊となって、戦車隊の討ち漏らした敵を漏らさず狩ることである。最小の損害でそれを成し遂げたあと、手元に残った軍勢をどう扱うかも、太祖は心得ているはずだった。


 三郎太の指示はヴォルフス勢の全てを対象としていたはずだったが、どういうわけか、いつまでも三郎太の傍から離れないヴォルフス人がいた。

 さもそれが当然といった様子のヴォルフスの勇者とその戦乙女を筆頭に、アデーレ、戦斧の男が続き、さらにその後ろにもう数名、困惑しながらも三郎太の指示を待つ戦士達がいた。

 三郎太はそれを見ても何も言わなかった。背命に憤るどころか、むしろこうでなくては困るといった、そんな面持ちであった。


「ヒツ! ホウ!」


 三郎太の叱責するような呼びかけに、肩のヒツは神鳥に変じ、空のホウが高度を落とす。


「連合の退路を残し、はしけも橋も、野原と言わず燃えるものすべてに火を放て!」


 連合を整然と退却させ、溢れる魔群の進路を限定する。そのための処置である。

 しかし、未だ幼い二羽にはあまりに荷が重いか、不安の混ざった抗議の眼差しが三郎太に向けられ、兄妹は動こうとしない。


「二度は言わぬぞ! 獣の道を遮るのだ! 火を放て! 行けっ!」


 目を剥いて怒鳴りつける三郎太に追われるように、半ば自棄やけになって兄妹は飛んでいった。


田上たがみ! アデーレ!」


 呼びかけに応じて、二人が三郎太の隣に馬を並べた。

 田上の表情は気の毒そうで、あとで兄妹を労ってやれと視線がものを言っていた。アデーレも同様である。


「田上、お主は崑崙へとって返せ、そして「神威山にて征軍は勝てり」そう伝えよ!」

「御武運を!」


 流石の田上、三郎太の命に、何の疑問も不満も差し挟むことなく、優れた手綱さばきで向きを転じた。馬首を返す間際に自らの箙から矢を一本取り出し、押し付けるようにして三郎太に授けたのは情であった。三郎太にはそれが万難を祓う破魔矢に見えた。


「アデーレ、お主も同じくだ。フリード閣下に勝利を伝えよ」


 三郎太は横に並んだアデーレの腕を掴んで引き寄せると、語り聞かせるように言った。


「お主はお主の道を行け、忠と狂と――その道に幸あれ! 俺はいつでも受けて立つぞ!」


 頷いて離れていくアデーレを見送り、三郎太はほんの一瞬、寂寞の念に囚われた。だが、眼前に迫る土埃が大きくなるのを得て、太刀を再び強く握りしめた。

 そして、三郎太は遂に魔群の姿を捉えた。

 栄えある魔群の先陣をきる黒い影をみとめ三郎太は僅かばかりの喜びを載せて、呻くように叫んだ。


「やはりお主かっ クニマロッ!」


 一番槍を務めるのは虎の頭に蜘蛛の胴を持つ、見るもおぞましい魔獣であった。

 さる御方アウロラに忠義を誓った、人間じんかんを愛した、異形のあぶれもの、クニマロ。

 三郎太は道を違えたとはいえ、彼の人間臭い生き方に称賛を浴びせずにはいられなかった。


「弓を!」


 アルフレートから手渡された弓に、田上の矢をつがえた。

 そして、目を閉じ、聞こえる限りの善のすべてを守護し、悪のすべてを祓い給えとばかりに声を大にして祈りを挙げた。


「南無八幡大菩薩、南無東照大権現、南無諏訪南宮法性上下大明神、鹿島、香取、宇都宮――」


 閉じた瞼の裏に浮かぶのは美しき孤高の島の風景であった。

 このわざを教えたのは世界から乖離したあの島の女王と、ともすれば北竟大帝に同心していたかもしれない、彼の地を鎮める古の神であった。そして、大弓を携えた魔人の事も忘れてはならない。思えば、あの島に導いたのは、人としての最期に三郎太に言葉を託したクニマロであった。

 人は他者との関わりの中でこそ進歩する。当たり前のことではありながら、三郎太は善樹に教わるまではそれを知らなかった。それは、相手が魔人であったとしても、声も交わしたことがなくとも、変わるまい。


「南無むすぺる神籬宮、南無手長大明神――クニマロッ!」


 応えるように、クニマロが咆えた。その距離は、もう数秒のうちに交差する。

 

「獣の忠道、とくと見た!」


 はっしと放たれた矢は違わずクニマロの眉間に突き立った。

 そして、間を置くことなく交錯する瞬間、ハリマはクニマロを飛び越えるように跳ね上がり、併せて掬い上げる三郎太の太刀はクニマロの首を刎ねていた。





 砂ぼこりを巻き上げて遠ざかる、気焔万丈の背中を見送りながら、マクシミリアン・オブライエンは改めて勝利を確信した。

 連合の勝利であり、人の勝利であり、世界の勝利である。清浜三郎太の言葉が、行動が、オブライエンの仮説を証明してみせた。


 まさに戦闘の最終局面ともいうべき大乱戦に突入する寸前、賊軍――清浜三郎太の軍勢は

 頭のてっぺんから足のつま先まで、統率の採れた動きで身を翻し、進路を神威山に転じた。

 もしも賊軍が賊軍のままに第一軍に突入し、そこへ第二軍と第三軍が駆け付け、山を降りた魔群が押しかけたとすれば、地獄もかくやというほどの大乱戦が巻き起こっていたことは疑いない。三勢力の入り乱れる混沌の大乱戦の中に、軍の統率も人の理性もありはしない。誰もが生きるための本能に従い、武器を振るい、爪を立てる小世界。それがもたらすものは


――空割れる黄昏の世界。


「間違えましたなぁ」


 粘つく声が、背後から投げかけられた。

 絶望を阻止しえた、将として士卒と国家を守りえた。人として、正しきことをしたという安心がほんの一瞬の油断を生んだのかもしれない。

 仮説が正しいのだとすれば、聖を陥れ、無辜を殺し、国家を謀った獅子身中の虫は、確実に、すぐそこにいるということに――オブライエンは気づいていたにも関わらず、ついに彼の跳梁を許してしまった。


「総督殿、あなたは間違えましたぞ」

「総督殿ッ!」


 気配なく、幽鬼のように現れたゲオルグ・アイヒマンが、その柳のような佇まいに反して鋭く繰り出したエストックは、紛れもなくオブライエンの命を狙っていた。

 咄嗟に割って入ったモーリスが一撃目を防いだが、電光石火の速さで放たれた二撃目が彼の心臓を穿ち、三撃目はオブライエンの身を貫いていた。


「全軍に戦闘中止を報せッ! 勝利である! 負傷兵を収容し、凱旋するぞ!」


 しかし、オブライエンは仁王立ちのまま、突き立った刺剣に動じることなく大音声で指示を下した。

 そして、さらに驚くべきは、指示を受けた本営の将兵が、ゲオルグの暴挙に晒されたオブライエンを救うよりも、オブライエンの指示に忠実に整然と従ったことであった。慌ててオブライエンに駆け寄ろうとした者も、オブライエンの鋭い視線を浴びると、たちまちに身を翻した。


「やれやれ人望があるのかないのか……」

「わかるまいさ、貴様には。清浜三郎太が聖女の名を叫んで軍勢を魔群へ転じたとき、全ての欺瞞が取り除かれ、真に討つべき相手と、守るべき尊きが明らかとなった、その衝撃を、貴様如きが理解できるはずもない!」

「…………」

「さて、どうだ。これで貴様の働きも無に帰したな教会。大教皇殿は利権に目がくらんで騙されたのかもしれない。大総統殿は大聖女殿を信じたために、判断を誤られたのかもしれない、無理も無いことだ。だが貴様だけは違うぞゲオルグ・アイヒマン。貴様は根っからの彼方あちら側だ。この三つ巴の大戦を仕組んだ、獅子身中の虫が貴様だ」

「何を今更おっしゃる。モーリス殿も死に、貴方も瀕死となって、得意げにおっしゃられても滑稽なだけですよ総督殿」


 更に深々と刃を突き立てて、ゲオルグは言う。


「ええ、ええ、そうです。私はただあの御方に惚れただけのただの人間。貴方を煽り、この決戦を引き起こすべく策動した魔群の忠臣――いやはや、悔しいですなぁ……途中までは、貴方もうまくのせられてくれたのですが……」

「不覚よ。騎士の使命に、惑わされた」

「確かにあと一歩、あと一歩のところで策はならなかった。しかしそれを、我々の敗北などと思ってもらっては困る」

「なにッ……ぐぬぅ……!」


 弄ぶように、剣をかき回し、ゲオルグは嗜虐的な笑みを浮かべた。


「要するに、私の同志たちが清浜三郎太の軍勢を蹂躙すればよろしい、凱旋などと浮かれたキサマ達の背中に食らいついて、連合の砦を打ち砕いて、都市民を殺戮し尽せばよろしい。なにより今、私があなたを血祭りにあげて、連合の諸将の前に晒してあげればよろしい。殺して殺して殺して、キサマらの中に、我々を刻めばイイッ!」


 痛みのあまり遠のく意識、だがオブライエンは、口の端に笑みを浮かべてみせた。


「何が可笑しい、負けたのはお前だ、連合を謀って賊軍を見過ごした愚将がお前だ。勝ったのは我々だ。狂った世界を壊して、あるべき世界を取り戻すのは私だッ! 終わった世界で絶望のするのは――」


「お前だっ!」

「――ッ!」


 オブライエンから剣を引き抜き、飛び退くゲオルグ。

 彼の元居た場所に、剣戟が二閃煌めいた。


「分かるまいよ、貴様には。私も連合軍も、とうに舞台を降りている。――いまここに必要とされるのは、勇あるものと、聖なるものだけだ……」


 崩れ落ちるオブライエンを庇うように、黒髪のありふれた平凡極まりない少女――ノエリアが寄り添う。そして、その前には勝気な野性的表情の赤髪の少女――シオーネ。

そしてもう一人。


「お前だ、お前が先輩を殺した・・・っ……! 三郎太を追い込んで、ああまでさせたのもお前だっ!」


 セシルの一面に浮かんでいるのは怒りだ。無力な己を怒り、大切な人達を残酷な運命に引き込んだ理不尽に怒っている。

 それは、三人に共通した怒りだ。彼女達は本当に無力だった。

 マリアと神父が逮捕された時も、清浜三郎太が謀叛人として手配された時も、彼女達は何も出来なかった。むしろ、カドリの働きで商会の庇護を受けたために、危害を加えられることもなく、なにかしなければと焦りながらも、安穏と今日を迎えてしまったのだ。

 衛生隊に志願して第四軍に配されて、焦燥感と共に軍務についていたが、戦いが始まり、丘を降りた集団の先頭に清浜三郎太がいると確信した瞬間、三人は走り出していた。


「おやおや、おかしなことをおっしゃるお嬢さんだ。学生といえども世間に疎いのはいかがかと。聖女マリアは依然詮議の内にあり、ただ囚われているだけのはずですが……新聞は読みましたか?」

「そんなの嘘よ!」

「みんなみんな、大人っていうやつは嘘ばっかりだ!」


 ノエリアとシオーネが言った。

 薄ら笑いを浮かべるゲオルグにセシルは告げた。


「三郎太はね、泣いていたんですよ――」

「はぁ?」

「――ろくでなしで粗暴で」

「――不器用で女の子にも平気で手を挙げる」

「――無愛想で嘘つきで平気で人を殺せるクズ野郎」

「そんな三郎太が、泣きながら、先輩の名前を呼んだのですよ!――だからッ! 赤口しゃっこう!」


 赤みがかった刀身が、弾かれたように飛び出して、ゲオルグを襲った。

 咄嗟に、曲芸めいた身のこなしでそれを躱したゲオルグだったが、躱した先で、シオーネの放った、魔力の塊ともいうべき熱風に襲われて、虚しく地を転がった。

 

「だからッ! お前を殺す! お前を殺して、三郎太も捕まえる!」

「あいつには吐いてもらわなきゃいけないことが山ほどあるからね!」

「そして、ここが、貴方の居場所だって教えてあげるんです!」


 赤口を振り、片手は魔石を握りしめてセシルは言った。


「もう逃げない。部外者なんかに甘んじるものか。全部取り戻す。真実も、三郎太も!」





「全て、全てを防ぐぞ蚩尤! よいな、一匹たりとも、たとえ、取るに足らぬ魚影の一つであろうとも、連合首都に入れてはならぬ――」


 溢れかえるような魔群の中に突入した清浜三郎太の一団。

 三郎太の声に、焦りを帯びた縋るような響きがあったのは、大運河を下る水怪の群れを見たからに他ならない。

 先頭に、髭をたくわえた魔人ケリコフがいた。馬の如き足で高波に乗り、黒々とした大きな腕は水面を掻いて渦を巻き起こしていた。その背後に魚の類に近しい異形異類の魔の群れが続いている。本来無機質な魚の瞳に、確かに憎悪が宿っているのが、背筋の凍るほど不気味であった。多頭の海蛇がいて、半透明の軟体に目玉を孕んだ魔獣もいた。また、なんの変哲もない栗毛の馬でありながら、当たり前のように水中を駆けるものもいた。

 穏やかなはずの大運河の水面が、魔人を境に激変し、そのまま首都を呑み込まんとしていた。

 かれらのごとき『魔』が、連合の民を、守るべき彼女たちを蹂躙するさまを想像すれば、三郎太は背筋の凍り付くような思いをするのだった。


「水利は人寰じんかんの要諦。魔の入り込む余地などありはせぬ」


 水は社稷の始原だ、全てだ。そこにある脅威をこそ、除かねばならぬ。


――河伯よともにあれ、あらねば斬るぞ!


「疾風怒雨を朗月晴天と為す――蚩尤!」

「任せろ! さぁ出番だぜ!」


 突如として、魔群の波濤が突き進む先の川面が、水底の砂泥を巻き上げた濁流となって、二つに盛り上がった。怪訝そうに髭を揺らした魔人の首は、一拍の後には大口に呑まれて消え失せていた。

 現れたのは双頭の龍蛇。敢えて天に挑み、山を崩し地を穿ち、大河を溢れさせた――そうまでしても人々を救いたかった――邪龍の共工=康回。

 そして、龍蛇の背後では濁流がますます勢いを増し、ついには魔群の波濤と同じ高さにまで至った。ついに濁流と高波は激しくぶつかり合い、互いに一歩も譲らず、さながら水流が空中に停止するかのごとき異様を――いや、下流を守る奇跡を生んだ。

 飛沫を上げる濁流が、その奇跡の正体をほんの一瞬だけ衆目にさらした。

 老仙のごとき表情で水の魔群を受け止める巨大な三足の鼈。ひたすらに民のために、民がその望むように満ち足りるために、ただ一人で水を治めんとした――愚かな官吏の鯀。


 炎帝のかれらによって、濁流は両岸の土手を押し崩すほどに横溢し、水の獣の行く手を遮った。水面に嵐が巻き起こり、水の獣は地上に打ち上げられた。


――そして、戦場に功をなして英雄となったものが、その好機を逃すはずがなかった。


「それ、刈りとれ」


 太祖ティアナが大槍をふるって号令するや、たちまちヴォルフスの騎兵が殺到した。雷の槍を放ち、炎の鞭を振るう彼らによって、水の魔獣は絶命した。





 水の魔獣が都市を押し崩すことを防ぎえた三郎太だが、そこに安心を覚える余裕などすでにありはしなかった。

 次から次へと間断なく視界に現れる異形異類はいずれも一騎当千の魔の輩。

 おとぎ話、昔話、伝説、神話。それらに名を残すかれら。

 ただの一つといえども連合軍の背後を衝かせてはならず、連合首都に取り付けさせてもならない。


「フィーネ寄れ! お主の博識は、いまこの時のためにあったぞ!」


 三郎太はそう言うと、逆安珍さかさあんちんの太刀を振り上げた。


「我が太刀の指す魔の名をこたえよ! ――あれなる馬の体に人の胴、赤く黒い単眼の魔人!」

「っ……! 『ナックラヴィー』 三神の一柱を弑せし海の魔人の一つ、潮風の病、作物を枯らし、人を殺します!」

「許せぬっ!」

「あれには皮膚がありません。水が弱点です!」

「しからば、彼奴を大運河に追い立て叩き落し、その首を挙げる勇者は――」


「おうよ!」

「任せて」


「――クリストフ、エミーリア! よし、行けッ!」


 三郎太の望むところを瞬時に理解して答えたフィーネの機転は見事なものだった。

 もとより一を知って十を理解するような秀才ではない。常に自らの不足を知り、他者の取り柄を理解しようとする不断の努力が実を結んだ結果である。

 そして三郎太も彼女のその性質を正しく知っていた。だからこそ、――己を知るもののために――彼女は三郎太の眼となるべく馬を並べた。


「蚊柱のごとき蟲の群れ、わかるぞ、あの中に、魔人がおろう!」

「蠅の王、白き貴人、『ベルゼビュート』 彼は作物を荒らし病を運ぶともいわれますが、同時に作物を守り、従う人々を庇護するとも語られます!」

「さもありなん。しからば尊崇の念をもって討ち滅ぼせ! ――アルフレート、行け!」

「当然、期待には応えさせてもらう!」


「あれなる車上の天狗のごとき老人、魔人らしき悲哀があるぞ! 名は!?」

「『ピコリュス』 深き黒き森の宮殿の主。犠牲をささげる限り庇護を約束しますが、もはや彼に従う人々はありません!」

「古き王! 奴に引導を渡す勇者の名は――」


「俺だっ! 節度使殿!」

「――バルトロメウス・アンガーマン!」


 三郎太が呼んだのは、戦斧の彼だった。


「よろしい! 壬軍より戦車十五駟をつける。必ず討て!」

「ああ! 任せてくれ!……俺はあんたに名前を呼ばれるのを待っていたんだ。脇役なんかでいられるかよ! ――俺だって勇者だ!」


 言って、戦斧を担ぎ、照れくさそうに笑う彼の隣に、ひときわ豪奢な戦車が並んだ。

 戦車の主は革の短甲の上に玉を散らした衣をまとった大柄の貴人で、その両側に美女を侍らせていた。

 それだけでも人品を図れそうなものだが、加えて貴人は手中の戈をしごきながら、落ちくぼんだ眼孔からバルトロメウスに向けて、見下ろすような居丈高な視線を放っており、おのずから傲慢で凶暴な暴君を想起させた。

 貴人は不意ににやりと笑みを浮かべると戈をふるって雄叫びを上げた。


「気に入られたみたいだな! 行けよ、誉ある王者の先駆けだぜ!」


 あっけにとられていたバルトロメウスは蚩尤の言葉に我に返り、畏怖にかられつつ馬を走らせた。あとに続く王者の軍勢は戦車十五駟。一塊となって魔人にむけて突き進んだ。


「フィーネ、あれは駱駝か、珍妙な!」

「『ゴモリー』! 危険です! 砂漠の女帝、砂の軍団を従えるもの! 今は見えませんが、あの足元には多くの魔獣が隠れているはずです」

「踏み固めてくれるっ! 辛軍進め! 壬軍の残余、戊軍、己軍も続け、――出来るであろう、貴殿なら!」


 三郎太が振り返った戦車には、壬軍の主に似た大柄の貴人が乗っていた。しかし、宝剣を抱えて、陰鬱な表情をまっすぐ戦場にそそぐその様は、左右に従者を従えながらも孤独であった。


「俺には見えるその旗が、貴殿には見えぬのか!? ――いや、見えぬはずがない! 誇りであって、誉であるのだから、汚れ切ったその旗を、なお掲げて進みたまえ!」


 車上に揺れる旗は踏みつけられて擦り切れており、そこに描かれた文字の判別はつきようもない。

 それでも三郎太は彼が何者であるかを知っており、そこに掲げられるべき旗の正体を知っていた。


――まぎれもなく、貴殿の残した軌跡が、幾百万もの武士おれを育んだのだ


 激励に押され、貴人は車上に立って宝剣をふるい、三軍に号令し、導き手であったはずの崑崙の旗持ちさえも従えて、砂漠の女帝に合戦を挑んだ。


 次々と手勢を繰り出して魔群を邀撃する三郎太。姉川に十一段を崩した浅井備前もかくやという大突破の働きをなしつつも、ついに手元にはフィーネとヴァルキューレ、蚩尤、そして三名のヴォルフス騎兵と甲軍と丁軍を残すのみとなっていた。

 しかし魔群も戦力は出し尽くしていた。予備を残したり、側面に奇襲隊を潜ませるなどといういかにも人間臭い考え方は、彼らの闘争には存在しなかった。

 ゆえに、残る組織だった戦力は、いまや亡き母たる冥府の女神に忠節をささげる、死者の騎士団のみであった。


「フィーネ、お主には何ができる!?」

「――は?」


 突然、浴びせられたのはフィーネ自身に対する問いであった。

 魔の正体を問うのではない、敵の戦力に意見を求められたわけではない。

 フィーネは戸惑いながら、三郎太を見返した。


「王佐の才女よ、ここにはアルフレートもクリストフもエミーリアもおらぬぞ。それで、お主には何ができる――何がしたい!?」

「それなら……一軍をください!」


 とっさに口をついて出た言葉は自分のことながら意外であった。それでも、咀嚼してみるとたやすく飲み込めた。自らのすべきことが、朗々と言葉になった。


「――私に一軍をください。突破口を開きます! あなたは山へ、そして使命を!」

「よくぞ申した!」


 嬉しそうに膝を叩いて三郎太は言った。


「甲軍、丁軍、フィーネの指揮下へ! ヨーゼフ、コンラート、ユリア、聞こえたな、お主らもだ! ――敵は堂々たる騎士。されど無道より生まれ、それをおのずから自覚しておる。且つ又その主はすでに清浜三郎太が討ち果たした。すなわち、――怖るるに足らず! 蹴散らせ!」





 離れ行くかれらを見送ることはただ一瞬。ついにすべてをそうして見送った。しかし、最後の一瞬だけは、決定的に違いがあった。その瞬間に三郎太は己の中の将たる己を脱ぎ去っていた。


 ゆるく握った手綱を引き付けて、太刀を右肩に担ぎつつ、身をかがめて疾風となるただ一騎。

刃か勇者か武士もののふか。行きつく先を戦乙女だけが見守っていた。



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