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異世界武士物語  作者: 源因幡介利貞
最終章 彼方へ轟け武士の意地
93/102

始まりの地

「後方三里、ぴったりとくっついてくる。その数三〇!」

「動じることなく、隊列はそのまま! ――旗は!?」

「青地に三つ首の魚竜――ニーユの騎士団です!」

「……いつまでもくっつかれても面倒です。追い払いますか?」


 報告を受ける三郎太の隣で、馬を並べながら田上が呟いた。


「そのままだ。二度も言わせるな。」


 進路を南に転じ、再び西に向きを執ってからしばらく、三郎太の軍勢は指示に従い悠然と進軍をつづけた。

 内心どのように考えているかはともかく、軍勢は三郎太の指示には忠実に従い、敵の触接を受けながらも泰然たる態度を維持していた。

 やがて、後方、ヴォルフスの部隊の指揮を執っていたティアナが三郎太のもとへバイコーンを駆って現れた。


「おい、後ろの騒がしいの、いい加減に鬱陶しいぞ。一言命じれば私の部隊でさっさと片づけるものを」

「ニーユは河川交通で栄えた豊かな都市です。斥候の報告次第では、厄介な敵として立ちはだかりうるのでは?」

「私がニーユの指揮官ならば、選りすぐりの騎兵で強襲をかける。ここからニーユまではかなり距離があることを考慮すると、既に一軍が出撃して我らに迫っているのかもしれんぞ」

「ヒツとホウに空から探らせますか?」


 ティアナと田上は触接を続けるニーユの斥候隊を警戒し、悉く討ち取るつもりであるらしかったが、三郎太の答えは変わらなかった。


「手を出すな。連合と事を構えるつもりはない」

「筋を通したいというお前の言い分もわかる。しかしもとよりこれは戦争だ。負ければお前は賊軍の将としての汚名以外に、何一つとして残さんぞ」


――勝ったところで、賊軍であることに変わりはないわ!


 喉元までせり上がった怒声をぐっと堪え、三郎太は沈黙した。

 なにも、ティアナや田上は好戦の為にそう進言したわけでは無いのだ。

 いまや征軍は四方八方に敵を囲まれているに近い状況にあり、それが将兵の士気に与える影響は大きい。せめて後方を脅かす敵だけでも……そう思う心情は三郎太にも理解できる。


「この先は平原と小さな森林が連続するはずだ。都市サンペリエも近い。野戦を仕掛けられたとして抗しうるか。常に主導権を握らなければ、小勢はいともたやすく潰されるぞ」


 他の将兵には聞こえないように、三郎太の耳元でティアナが忠告する。

 田上もまた秘策を献じようと小声で囁く。


「ヒツとホウの二人なら上手くやります。知られずに野火を起こせば、敵は我らどころではなくなるかもしれません」

「なぁサブロー。オレを使えよ。霧を撒けばなんとかなるんじゃないか?」


 三郎太の沈黙に助け舟を出そうとしてか、蚩尤までもが不安気な顔を向けながら言った。


「夜を待つ」


 三郎太はぼそりと呟いた。


「ティアナ、軽々しく列から離れるな。指示は変わらぬ。備える素振りなど、欠片も見せるな。後方のヴォルフス騎兵にも徹底せよ」


 背中を伝う冷汗の不快感を振り払うように、語気も厳しく三郎太は言った。

 承知して馬首を返すティアナとは異なり、蚩尤は不満げに頬を膨らませた。


「なぁなぁ! オマエ、あれから・・・・全然オレの事使わないじゃん! やるっていったろ、世界をひっくり返すような大戦おおいくさをさ」

「黙れ」


 三郎太が慌ただしく動き出したのはその夜になってからだった。征軍は急速に進軍の速度を速めると近くの林に飛び込んだ。そして間髪入れずに部隊を四つに分けた三郎太は、それぞれに森林や丘に身を隠しながら合流地点に向かうことを指示した。

 一夜のうちに三郎太の軍勢を見失ったニーユの斥候隊は、それ以上なすところなく帰路に就いた。





 三郎太の指示した合流地点は、「フォンテイ」という名の、連続する森林群の最西端に位置する森であった。そこを抜ければ、しばらく身を隠せるような場所はなくなる。

 粗雑ではあるが、手にしている地図を見る限り森はかなり深く、先導も無くここを越えることは非常に困難であるように見えた。加えて、三郎太が放った斥候の報告によれば、この森は魔獣の棲息することで有名であり、東西の人の交流を隔てている森として知られているらしかった。

 三郎太の決断は、賭けに次ぐ賭けであった。フォンテイの森の踏破は、常識で考えれば不可能に近いが、森を抜けることが出来れば連合の追跡から一挙に抜け出すことが出来る。

 一足先にフォンテイの森に到着した三郎太と馬廻の夏村衆四〇騎は、後続の部隊が迷わないように印をつけながら森に分け入った。

 三郎太の賭けは、まず一つ、当たった。

 森はほとんど生き物の気配がないと言ってよいほど静まり返っており、魔獣の如きは影すらも見えなかった。

 かれらは偽りの聖女アウロラ――茨木童子の呼びかけに答え、都市を襲撃に夢中になっているあまり、その巣を留守にしていたのだった。


「林中に清泉あり……見事なものです。この光景だけで、行軍の疲れも癒されるというものです。これをご存じだったのですか?」


 そして、幸運は続く。森に入った彼らが見たものは、底まで見渡せる清水をこんこんと湧き出す泉であった。

 三郎太の許しを得るや、誰もが足の濡れるのにも構わずに、水際に駆けよって清水を口に含んだ。


「――いっそ不気味な……」


 三郎太は田上から渡された水筒に口を付けながら、言った。


「不気味……でございますか。これほど美しい泉は、崑崙にもそうありませんが」

「美しすぎる」

「なるほど、言われてみれば、人が立ち入るには、少しばかり厳かで、神聖な地ではありましょう」


 三郎太はそう言いつつも、己の胸のざわつきが、聖域の居心地の悪さのみに起因するものではない気がしていた。


「少しばかり、先の様子を伺ってくる。――蚩尤、お主は来た道を引き返しながら、印を確かめてまいれ。後続の部隊が難なく合流できるかは、お主にかかっているぞ」

「……はぁーい」

「雑用ばかりと不満に思うな。何か異常があっても一人で対処しようとするな、すぐに知らせ」


 言いながら立ち上がった三郎太を、田上が呼び止めた。


「御一人で向かう気ですか。流石に危険が過ぎます」

「皆を休ませておきたい。遠くには行かぬ」

「そうはなりません。――フヨウさん。節度使殿を」


 フヨウと呼ばれた少女が、音もなく三郎太の足元に現れて膝をついた。

 クヌギ達よりも、幾代か上の巫女であったと三郎太は記憶していたが、とてもそうは見えない幼さを残した小柄な女であった。しかし、どこか陰の在る瞳には、死線をくぐって来た者のみが持つ凄味が宿っていた。

 『清浜三郎太とともに死ぬる覚悟のある者』その呼びかけに応えて参陣した巫女である。その実力がただ者でないことは、傍に立っただけでもよく分かった。


「……では田上、皆を頼むぞ」


 三郎太は泉から湧き出た清流に従って、森を進んだ。そのあとを、変わらぬ距離を保ってフヨウが続いた。


――やはり、魔獣の気配のようなものは感じぬ。いや、獣すらも、まるで見かけぬ。


 獣までもがいなければ、今度は食料に困ることになる。

 容量の良い蚩尤が、道中で何の獣も獲れなかったほどである。

 道中、やむを得ず放棄した荷車もあり、兵站事情は厳しいままである。保存のきく糧食には手を付けたくない。


――泉の中にも魚影は見えなかった。草や木の実で腹を満たすしかないか。


「……食えるか否か、区別がつくか」

「はい」


 三郎太はもぎ取った、皺の入った赤い木の実を検分しながら、そう尋ねた。


「木の根でも、なんでもよい。腹を満たし、栄養のあるものを見繕え。他に目利きの出来るものがあれば、そやつと共同してよい」

「はっ……しかし、お言葉ですが――」

「なんだ」

「節度使殿に命を預けた崑崙衆で、この程度の区別のつかぬものはおりませぬ。各々、喰えるもので腹を満たすでしょう」

「…………」

「そして、節度使殿が手にしているその実は、素肌で触れると腫れを引き起こしますが――大丈夫……?」

「そういうことは、はやく言えっ!」


 三郎太は間髪入れず、赤い木の実を小川に投げ捨てた。


「俺は全く、知らぬことばかりだ」


 気まずそうに背を背け、三郎太は足早に草を踏み分けて進んだ。


「そのようで」

「……ちッ! この草も、この花も、この木も、名も何も知らぬ」

「教えて差し上げましょうか」

「いらぬ! 境界を越え、この地に初めて足を踏み入れた時も、映る景色の殆どを知らず、何もわからなかった、されど、斃れることなく、立ち塞がる敵は悉く斬り捨て、今この時を迎えている」

「草花に詳しくなくとも、戦に勝てるのなら、節度使殿はそれでいいかと」

「そうだ、ちょうどこのような景色であった。このような固さの土で、このような――」


 三郎太は途端に口を噤んだ。はっと何かに気付いたように立ち止まり、それからこみ上げる何かを抑え込んでいるかのように、わなわなと震えた。


「このような……?」


 ただならぬ様子に、フヨウは辺りの気配に気を配りながら三郎太の顔を覗き込んだが、その瞬間に三郎太は駆けだしていた。

 あるがままに伸び、落ちて積もった草葉に遮られて気づかなかったが、固い、剥き出しの土の地面は泉から伸びている。その果てにあるものは、森の出口に外ならない。

 未知のものに囲まれている――かつて感じた不安と孤独感を振り払うように、己以外の全てに対して立ち向かおうとする反発心を奮い起こすように、勢いよく駆け抜けた三郎太は、森との境界に立って、絶句した。


「いきなり走り出さない」


 三郎太が立ち止まると同時に、その真横に現れたフヨウが、咎めるようにそう言ったが、もはや三郎太の耳には届いていなかった。

 時勢を反映してか、見張りの為の櫓が増設されているが、それでも魔獣の危険の少ない地域に特有の、木の柵に囲まれただけの小さな町――。


「――ウェパロス」


 森から突然飛び出してきた三郎太達を見止めたためか、町の中から、毛むくじゃらの大男が、近づいてきていた。





「おいおい、こいつは一体どういうことだ? こんなときに森が騒がしいから何事かと思えば人間二人が出てきやがった。しかも誰かと思えば――」


 近づいてきた大男は、三郎太のつま先から頭のてっぺんまで見回しながら、言った。


「――おまえ、三郎太じゃないか」

「……アンドレ」


 三郎太は、知己の男の名を呼んだ。


「はははっ! やっぱり三郎太か! なんだってんだこんなところに、まさかまた道に迷ったのか?」


 アンドレは豪快に笑いながら三郎太の肩を叩いた。

 アンドレは少しやつれ、服装も随分と着古したものに変わっていたが、気さくな性格はかつてのままのようであった。そして、だからこそ三郎太の内心は僅かに軋んだ。


「……聞き及んで、おらぬのか」


――逆賊清浜三郎太。


 その名は既に天下に知れ渡っているはずだ。ウェパロスのような田舎町であれ、それに変わりはないだろう。

 三郎太の目にはアンドレが無理をして明るく振舞っているように見えた。


「あー……」


 アンドレは気まずそうに後頭部を掻いた。


「聞いたぜ。ニーユからも、首都からも使者が来た。回覧だって回っている」

「…………」

「だけどよ。お前のことを、本気で反逆者だなんて思っている奴は、この町にはいねぇよ。もしいたとしても、俺がぶっ飛ばしてやる。お前は、たまたま立ち寄っただけのこの町を、悪魔から救ってくれた。それだけで、お前を信じるのに、俺たちには十分なんだ」

「…………」

「首都の政治家はともかくな、俺みたいな田舎者にとっての『世界』は、生まれ育ったこの町だけなんだ。お前は既に、俺たちの世界を救っているんだぜ」


 それからアンドレは、ウェパロスの町に立ち寄るように、三郎太に勧めた。


「森の中にはもっとたくさんの仲間がいるのか? こんな時勢だ、大勢で来られたら皆が不安がるが、お前だけならみんなむしろ安心するだろう。少しだけでいい。町長や子供たちの顔だけでも見て行ってくれ」


 アンドレは、三郎太の横について離れないフヨウを明らかに警戒しながらそう言った。

 彼らの言うところの、アヅマ人に対する不信がそうさせるのかも知れなかった。


「こやつにも役目というものがある。長居はせんのだ。二人だけならば、よいだろう」


 三郎太の問いは、傍らのフヨウにも向けられていた。


――己の役目を忘れたわけでは無い。だが少しばかり、始まりの地を懐かしむことを、許せ。





 道すがら、アンドレ得意の舌は良く回り続けた。

 かつては喧しいと思ったそれも、懐かしき町の人々の近況を聞く便りと思えば、心地良かった。


「お前が救った子供たちは、みんな元気にしているよ。あの夜のことを忘れるってなぁ無理な話だけどよ。それでも立派に前を向いている」

「なによりだ」

「子供ってやつは成長が早い。お前がこの町に来てからまだ一年もたっちゃいない。だけどあいつらの面構えときたらまるで別人だ」

「お主も、少しばかり違って見えるぞ――少しばかり痩せたろう。自慢の髭も、つやが無いぞ」

「…………はは、そりゃぁ……」


 アンドレは誤魔化すように笑いながら俯いた。


「教会にも、新しいシスターと神父が来た。ニーユ生まれで、この町の事もよく知っている、親切な人だった」

「…………」

「俺たちは、まだ、マリアを信じている。アイツは無実だ。あれほど聖女として町の人々の事を想ってくれていた奴が、人を殺して、街を壊して、人間の世をぶっ壊そうなんて、絶対にありえねぇ。いつか必ず疑惑が晴れて、釈放される。――この騒動がきっかけになって左遷でもされれば、またこの田舎町に来てくれたりしてな、ガハハハッ!」

「無論だ。あやつこそが、聖女であった。必ず、この町にも、お主のもとにも再び現れよう」


――それが魂だけとなっても。そうだろう、マリアよ。


「三郎太、お前……」


 声音を変えて立ち止まった三郎太を、怪訝そうにアンドレが見返した。


「よく聞け、アンドレ。マリアは――」


 その時、ふっとそよいだ風が、三郎太の鼻に不穏な香りを運んだ。


「――血だ」


 風に乗ってきたのは血の匂い。それも、随分と古い血の匂いだった。

 三郎太は、太刀に手を添えながら、今にも町に向けて走り出そうとした。

  それを、アンドレが慌てて制した。


「待て待て、大丈夫だ」

「どういうわけだ」

「この町だって、無傷じゃすまなかったのさ。一度だけ『魔』に襲われたことがある。死人こそ出なかったが、怪我人はたくさん出た。傷の重い奴らはまだ教会で寝込んでいるんだが、はっきり言ってひどい状態だ。大きな町に薬や医者を手配しに行くこともできない。だから、なんだ、こういう臭いが、たまに漏れる」


 町に近づくにつれて、悪臭はますますひどいものとなった。

 腐り、膿んだ傷痕が放つ臭いは、その持ち主が生死の境に立っていることを如実に語っていた。

 死人は出ていない。アンドレはそういっていたが、間違いなくこれは死臭に近い。これから先、確実に犠牲は生まれることだろう。


「…………」


 門番の顔も、暗い。

 初めてこの地にやって来た時の気さくな門番の青年とは、当然比べるべくも無いが、それ以上に、絶望と呼ぶに近い陰が、門番の顔を覆っていたのが、三郎太には気がかりだった。


 広場へと続く大通りに入り、三郎太は言った。


「ただ事ではあるまい」

「…………」

「ここまで招いておいて、今更取り繕う必要があるのか。既に死人も出ていよう」

「……わかるか、お前には」

「医術の心得のある者が、森の中にいる。僅かばかりだが、薬もある。彼らをこの町に連れてきてもよいか。迷惑はかけぬ。この町の危機を、見過ごすことは出来ぬ」

「…………」


 アンドレはしばし呆然と三郎太を見返していたが、やがて大きくため息をついた。


「そうだな、お前は、そういうやつだったよ……」


 呟いて、アンドレは背中を向けると、トボトボと、おぼつかない足取りで歩きだした。

 確か、その方向にはアンドレの仕立て屋があるはずだった。


「ちょっと待っていてくれ」


 ぽつりと言い残して、アンドレは我が家へと向かった。

 その暗く、丸まった背中が後ろ手に占めたドアの向こうに消えた、そのときだった。


「許してくれッ! 三郎太!」


 絶叫が、静寂の町を切り裂いた。

 それから、言葉にならない無念を絞り出したような、悲壮なうめき声が響いた。


「アァぁぁぁぁぁぁ……! 弱い! 俺たちは弱いんだ三郎太! お前のように、強くはなれない!!!」


 歎きの声に呼び覚まされたように。地面が、ぼこりぼこりと泡立った。

 這い出た腕は、腐り、爛れていた。

 家の陰からも、広場の方からも、続々とそれは現れた。

 何が起きたのかを理解するのに、時間はかからなかった。


「卑怯者!」

「そうだ。俺たちは卑怯者なんだ! でもこうしなきゃ……こうしなきゃよう……!」

「斯様な手段で、この町を丸ごと人質にとれば、容易に俺を屈服せしめるとでも、思うたかッ! なんと浅はかな、卑劣者のつらを見せてみよ!――エリーッ!」


 返事は無い。ただ、周囲の家々からはすすり泣く声が聞こえるばかりだった。


「……すまない三郎太」


 ぴったりと、三郎太の右についた、フヨウが後悔をにじませながら言った。


「ドジった。警戒していなかったわけじゃないんだ。あの男が三郎太を騙すつもりならすぐに殺そうと思っていた。だけどあいつ、嘘だけはつかなかった! 全部本心だった! 絶望を隠そうとするさまは、今の世じゃ当たり前だと思ったんだ!」


 怒りに駆られたときであっても、自分以上に狼狽している他者を見ると、不意に冷静さを取り戻すものである。


「……なんだ、お主、意外と抜けておるのか」

「――ッ!」


 フヨウの事を、人間味の薄い、巫女の中でも飛び切り修羅場をくぐって来た猛者だとばかり思っていた三郎太は、思わずぽつりとつぶやいたが、お前が言うなとばかりにキッと睨みつけられてそれ以上は何も言わなかった。


「アンドレ、何人が、殺された」

「……まだ、誰も、死んじゃいねぇ……死んじゃいねぇんだ……」

「…………」

「……なぁ三郎太、あんたはきっと、世界のために戦っているんだろうよ。連合に歯向かおうとか、戦争を起こそうとか、そんなんじゃねえことは見りゃわかる。三郎太の敵で、悪者なのは、あいつらだ。それも、分かる」

「ならば」

「だけどよぉ……あいつらは言ったぜ。世界が混沌に包まれれば、そこには生も死もないって。俺たちにとっての世界ってのは、この町なんだよ。この町の連中が、いつかみたいに皆集まって、楽しく、つつましく暮らしていけるならもうそれだけでいいんだよ。他には何も望まねぇ! 他の都市の事も、それ以外の、俺の知らねぇ世界なんてのはどうでもいい! 滅んじまっても構わねぇ!」

「…………」

「同感。私だって山の為ならばなんだってする。だからここにいるのだし」


フヨウが、冷笑を浮かべながら呟いた。


「ああ分かっている! 町の連中をあんなのにしちまったのはあいつらだ。にも関わらず、あいつらに縋ろうなんてのが、馬鹿げたことだってのもわかっている! だけど、まだ何も終わっちゃいねえんだ。希望は残っているんだ! この町は、元通りになる!」

「……そうか」


 三郎太に、アンドレの言葉を否定する術は無かった。

 この町がすべてだと、それ以外は滅んでも構わないと叫ぶのは利己心だ。

 しかし、大切な人々を喪失した苦しみを、歎きを、言葉で否定することは出来なかった。


「アンドレ、一つだけ聞かせよ。何故に、彼らはああなった」

「……突然、騎士体の男を連れて、アイツが帰って来た。それだけで、俺たちは全員怖くて怖くて仕方がなかった――」


 終わりが始まったあの日。悪夢のように前触れなく現れた二人を出迎えたのは、町長とサラだった。

 迎えたというのは適切ではない。どうか、何もせず、このまま帰ってくれと、懇願しに行ったのだ。

 町の、全ての人間がそうだったが、特に、町長の抱いていた彼女に対する罪悪感は言葉に尽くせないものがあった。


 ただ故郷が懐かしくて、立ち寄っただけ。


 そう言った彼女の言葉の空虚さにも、淀んだ瞳に沈んでいる憎悪にも、町長は気づいていたが、それでも町長は彼女を広場まで迎え入れた。

 組合と役人の男達が広場に集まり、それ以外の者は家に入り、固く戸を閉ざした。

 アンドレを含め、広場に集まった男達の顔は皆一様に引きつっていた。

 彼女を殺したのは町の総意だった。自分たちが殺したはず相手が目の前で微笑んでいるという、常軌を逸した事態に対処する術は、誰も持っていなかった。


 やがて、男達を見まわしていたエリーと騎士体の男が、示し合わせたかのように顔を合わせて、笑った。

 瞬間――血しぶきが、町長の首から噴き出した。

 魔法を使わんと手をかざしたサラの全身か火に包まれた。


「てめぇ!」

「やっぱり悪魔だ! 魔だ! お前は!」

「この町から出ていけッ! 悪魔!」


 色めき立った男たちが、隠し持っていた武器を手に、二人に飛びかかったが、次の瞬間には、断末魔を挙げる間もなく血煙を伴って崩れ落ちた。

 もはや、誰もが生物の当然として、己の命を守るために動かざるを得なかった。

 アンドレは、転びそうになりながら走り出すと、悲鳴と絶叫を背後に聞きながら、一度も振り返ることはなかった。そして、気が付いた時には我が家の玄関に、耳を塞いで蹲っていた。


「……役人から十五人、組合から八人。それと、もう一人。それだけだ。大人しく言う事を聞いていればあいつらは手を出してこない」

「……これも、命じられたことか」

「あぁ、嗤ってくれ。恨んでくれ。俺たちは、俺たちのためにあんたを差し出した。この町を救ってくれた大恩人であるあんたをな」


投げやりに、アンドレは言った。彼自身が、自らを嗤い、恨んでいるように三郎太には聞こえた。


「……ランスって名前を覚えてるか。お前が初めてこの町に来た時、マリアに怖気づいて剣闘大会から逃げた奴だ」

「あぁ。それがために、俺が大会に出た」

「本当にバカな男なんだ。こんなときに限って、ふらりと帰ってきやがった」


アンドレの声が、徐々に震えを帯びはじめた。


「何もかわらねぇんだ。片手を挙げて、「よぉ」って言いながら、当たり前のように広場に向かって行って、あの悪魔達に立ち向かったんだ。あいつは決して、町の人間に剣を向けなかった。だけど、そのせいで……」


 語る声は嗚咽に変わった。

 それだけで、彼らが見た景色も、最期も、容易に想像がつくというものだった。

 何を思い、何のために戦った。

 顔も知らない男の最期が、ありありと眼前に浮かぶ。

 三郎太は、


――救われた。


 そう、感じていた。

 己自身がその背中に無限の勇気をもらったことだけではない。この町が、ただ一人、立ち向かった凡人ゆうしゃを記憶したということ自体が、救いなのだと、三郎太はそう確信した。


――嘆け、悲しめ。望みえぬことを望め。それは決して間違いではない。されど、されどアンドレ、町の皆よ、それでも、死は、避けられぬのだ!


 言葉でこの町で救えるほど、三郎太は饒舌ではないし、器用ではなかった。


「アンドレよ。お主は確かに、俺があの娘を斬ったことを、知っているはずだ」

「あぁ、そうしてこの町を救ってくれた。そんなあんたを、俺たちは――」

「だのに、なぜ、此度もそうなると、考えつかぬのだ」


 守るべきものに見せるのは、あくまで虚勢せなか

 たった二人、既に数多の屍兵に囲まれており孤立無援。

 待ち構えるのは北竟大帝・茨木童子の走狗たる魔人。そして、冥府の女王と化したエリー。

 勝ち筋も、光明も到底見えないが、身を焦がす使命の炎は、決して衰えることは無かった。


「フヨウ、しばし、付き合え」


 言い乍ら、太刀を抜いた。


「言われずとも付き合います。なにぶんそれが私の受けた役であり、節度使殿には使命を果たしてもらわねば、崑崙が救われませんから。――それで、どうやります?」


 それが彼女の流派であるのか、袖を鳴らしながらあっけらかんと言い放つフヨウ。

 三郎太はその姿に、背中を預けるに値する頼もしさを覚えつつ、対抗するかのように毅然として言い放った。


「死中に生あり。古今の英雄に倣い、敵中突破と参る」





 元治元年春。寒さの残るその夜に、とある貴人がふと目を覚ました。

 床から身を起こし、ぐるりと見慣れた部屋を眺めた。

 何の変化も無い。ただ、残された香の薫りと、温められた生ぬるい空気が、妙なけだるさを伴って、重く空間を漂っているように感じた。


「誰か、ある」


 必ず控えているはずの、付き人の返事は無い。さては寝ずの番の最中に居眠りかと、眉をひそめた。

 しかしすぐに、付き人の落ち度ではないことが分かった。

 辺りには、あまりに気配が無さすぎる。

 まるで、ただ寝所だけがある世界に空間に、一人取り残されたようだった。


――これほど意識があるにも関わらず、はてはて奇妙な夢よ。


 戸惑いながら首を捻った時、貴人は、気づいた。

 御簾の向こうに、女が一人、座っている。

 なぜこれまで気づかなかったのかと思うほど、暗闇にくっきりと浮かんだ白衣と、赤い赤い瞳。

 そのこの世の者ならざる気配に、ぞっとしながらも、貴人は、落ち着きをはらった声で告げた。


「何者かと問はば、礼を失するか」


 女は答えない。


「この期に及んで、まつろわぬ……とは、申すまい」


 やはり女は答えない。しかし、微かに肯定の意思が見えた気がした。


「国つの神であろう」


 肯定。


「名も知れぬ、姿も知れぬが、つまりはその程度であろうが、数多の天神地祇が見放したこの都に、いまさら何用で現れた」


 意識せず、貴人の言葉には諦めかけたはずの怒りがにじみ出ていた。

 女は一度平伏すると、はじめてその口を開いた。


「――ほう、夢物語を」


 貴人は女の言葉に興味を持ったように、わずかに身を乗り出して、言った。


「ははは、それは良い。ならば、聞かせて見せよ。ままならぬこの現世うつしよでは、夷人の跳梁も、輩の横暴も、佞臣の甘言も、もはや見飽きたし、聞き飽きた。いっそなにもかもが夢物語に埋もれてしまえばいい」


 貴人は投げやりにそう言った。

 だが、女は、彼が全く諦観に染まっているのではなく、吐き出すことのできない無念を心中でくすぶらせていることを、その赤い瞳で見取っていた。


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