西なる母の神の山
「ふむ……」
清浜三郎太は、一息をつくついでに今しがた登って来た山道を振り返った。
いつか、三郎太と巫女達が『血と戦の儀』を遂げた社の背後に聳えたつ山、その中腹ほどに三郎太はいた。
――せめて崑崙の誰かには伝えてからの方が良かったか。
社の近くには誰かしらがいるだろうと思い、巫女達には何も告げず、蚩尤を追いかけて山に入った三郎太であったが、今更ながらに後悔が頭をよぎった。
社の背後の山となれば禁足地であることも十分に考えられる。禁忌を犯したがために首を刎ねられるというのも面白くない。さらには、崑崙の山々は大体においてそうなのだが、山道と言っても獣道とほとんど変わらず、目印になりそうなものも無いため実に迷いやすい。
遭難の果てに餓死というのもあまりに情けない終わりである。折角ならばヒツやホウの案内を受けて山に入った方が賢明であったかもしれない。
――しかし、今更戻っていては、どうにも間に合わんぞ……。
「間に合わない」とは、何のことか、三郎太自身分かっていない。
しかしこの山に入って以降、奇妙な焦燥感が胸を突き動かして止まないのである。手遅れになる前に、急げ、急げ。と何者かが告げているかのように。
三郎太にとってそれは決して夢想空想の現象ではなかった。
何と言っても、ここ崑崙は蚩尤と縁深い。三郎太は炎となった蚩尤と戦い、あわや殺される寸前にまで至っているのである。
そんな蚩尤が三郎太に何も告げず、山の中に消えていったのである。
となれば、この胸を叩く焦燥感は、またもや蚩尤を取り巻く因縁が事件を起こすのかという警戒と予感にほかならない。
「急ぐか……」
三郎太は腰に手を遣り、脇差の感覚を確かめた。
普段は二本差しで駆けまわっていたため、脇差のみでは体の感覚が狂いそうになる。
「崑崙に来るときはいつも逆安珍がいないな」などと思いながら、清浜家伝来の名刀の位置を確かめて、三郎太は一思いに地を蹴って駆けだした。
根を飛び越え、葉をくぐり、獣の気配に全身を研ぎ澄ませながら確かな足運びで山道を駆けあがっていく。
心地いい程度に息が上がってきたときの事だった。
「――――ッ!」
三郎太は、不意に何かを踏み越えた気がして、真横に跳びずさった。
脇差に手をかけ、膝立ちのまま備えたが、辺りは変わらぬ静寂を保っている。
「今のは、もしや……」
三郎太は女島に渡った時、似た感覚を覚えたことを思い出した。
何かを踏み越えた……境界を越えてしまった。先ほどの、一人で山に入ったことへのうしろめたさや後悔とは比べ物にならない。真の禁忌を犯してしまったような罪悪感。
「ううむ……!」
脂汗の吹き出す感覚に顔をしかめながら、三郎太はゆっくりと、視線だけであたりを見回した――しかし、何の変化もない。
三郎太は警戒しながらも立ち上がり、そして気づいた。
丁度立ち上がった時の視線の高さあたりに、横たわるように木の枝が飛び出しており、その上に小さな蛇が居た。
その蛇の体は白磁のように艶やかな白に染まっており、対照的にその目は赤く輝いていた。
一瞬、その奇異な姿にハッとした三郎太だが、不思議と嫌悪感は湧かず、むしろ懐かしい気さえした。
「何を、しているのだ」
孤独な山の中だからであろうか、その奇妙な親近感に誘われて、三郎太は思わず蛇に声をかけていた。
無論、大和国の鎮守の神でもなければ、蛇が人の呼びかけに応えるはずもない。
しかし、三郎太にはどうにもこの白蛇が何かを伝えようとしている気がしてならないのであった。
――まさか、蛇が登った木から降りられないと言う事もあるまい……
そう思いながらも、三郎太が枝に手を伸ばしてみると、白蛇はするすると身を進めて三郎太の腕に遷った。
そのまま腕を地面に近づけてやると、こそばゆい感覚を残しながら、蛇は地に降りていく。そして、山頂を目指しているのか、生い茂る草花の中に消えていった。
「何だったのだ、今のは……」
意味があるのか無いのか分からない事態の解し方に首をひねった時、はっと気付いて三郎太は己の不覚を悟った。
「おお、おお、美しきかな、尊きかな」
巨大な影が、背後から三郎太を覆っていた。
「忠かな」
「誠かな」
「信であろうや」
「敬であろうか」
「畏であれかし」
三郎太は、奥歯を噛みしめて恐怖を抑え込みながら、色とりどりの無数の声の主を振り返った。
「化生っ……!」
振り返った先にあったのは、直視するのもおぞましい化物であった。
腐敗臭をまき散らす巨大な蛇体と、その頂にたわわに実る果実のような顔が数えて都合九つ。同じ顔は一つとして無く、老若男女の全てを備えている。しかしてその全てが、何が面白いのかニンマリと嗤っている。
「おう」
「我等を斬るか」
「懐かしき眼差しよ」
「無礼無頼の蛮勇か」
「刃向うならば殺す」
「額づけば赦す」
「しかし今はそれもできぬ」
「刃を放せばそれで赦そう」
「導こう」
「約定を果たそう」
三郎太の指はいつの間にか鯉口を切っていた。
口々に声を発する数多の顔面のおぞましさに、三郎太は気が狂いそうになっていた。
このまま相対し続ける事など到底できそうにない。今すぐに刃を抜き放たねば正気を保てそうになかった。
「何という臆病者よ」
「これが盟友の助けるべき」
「男であろうか」
「無理もあるまい」
「弱気ものよ、顔を逸らせ」
「額づけ」
「供物を捧げよ」
しかし三郎太は堪えた。万に一つも勝ち目のないことを悟ったからである。
気合一閃、抜き打ちの一撃を浴びせれば首の一つか二つは取れるだろうが、そこまでである。
頭を打てば尾が、尾を打てば頭が飛び出てくるのが蛇の兵法。仮に手傷を負わせられたとしても、続く反撃を躱せなければ全てが無に帰してしまう。
「……お主のようなものが、一体俺に何の用がある」
睨み返しながらそう言う三郎太を見おろし、九つの顔はカカと嗤って言った。
「よいよい」
「意地でも屈さぬか」
「それならば盟友に」
「我等に」
「相応しかろう」
「なに、我らは」
「道案内を頼まれただけの事」
「道案内だと……?」
化物からの意外な申出に怪訝そうに問い返した瞬間、三郎太の視界がぐらりと揺らいだ。
――しまった! 仕掛けられたか!
ただでは死なぬとばかりに三郎太が鞘を走らせる。
「えいやァ!」
しかし奔った白刃は空を斬り、気声は虚しく反響して消えていく。
気づけば目の前から化物は消え失せており、あたりの景色は様変わりしていた。
背後と左右には木々がまばらに生えた岩の山が聳え立ち、足元には明らかに人の手が入っている石畳が敷かれており、先を促す様に前方につづいている。
――狐に……いや、蛇にでも化かされているのか、俺は。
三郎太は珍奇な経験に振り回されて頭が痛くなるのを感じながら、他に道がないため仕方なく、石畳に沿って進むことにした。
◆
「――――」
石畳に沿ってぐねぐねとした道を登る事しばらく、三郎太はたどり着いたその場所で今度こそ衝撃のあまり息を呑んだ。
先程までは石畳と言っても自然に吹きさらしのままになっている以上、色も変われば苔も生え、草花が隙間を拡げて顔を出していたこともあった。しかし、目の前に広がるそれは石畳というよりも玉畳とでも言うべきであるほど手入れが行き届いており、荘厳だった。
丸みを帯びたつややかな玉が規則正しく並べられており、踏んで歩くことも躊躇われるほどであった。
そして右に目を向けてみれば、そこには心地よいせせらぎの音を響かせる清流が流れている。その水は澄んでいて、泥や埃の影はどこにも見えず、生き物も棲んでいないようだった。何処までも見渡せる川底にはやはり、玉が敷き詰められている。
「…………」
左を見ればそこは崖であった。遮るものは何もなく、見渡す限り山々の連なっている景色が広がっている。
絶景に誘われて足を滑らせてしまえば果てのしれない奈落へ真っ逆さまに落ちるだろうが、朱色に塗られた欄干がそれを阻止している。
そこから身を乗り出して崖の下を眺めてみても下界の姿は何一つとして伺えない。そこでは静謐な水面が山々の姿を映しているだけで、変化と言えば時折微かに揺らぐことだけである。
石畳の示す先へ目を向ければ一面に植えられた桃の木と、その奥にそびえたつ九層の城楼が見えた。
――崑崙……崑崙……まさかその名の通りの神仙世界に迷い込んだか!?
三郎太は再び欄干に取り付いて目を凝らして山々を睨んだ。
その形は清浄な空気を通してはっきりと見えるかに思えたが、あと少しのところでどうしてもぼやけてしまう。真下の水面も実に穏やかであるにも関わらず、映る景色はやはりぼやけてしまい、深さを見通すこともできない。
――戻れば行き止まりの崖。高所より展望しても道はなし……。
あとは石畳に従って城楼に向かうより他ないと分かってはいたが、三郎太の肝を通り抜ける寒さがあの城楼に足を踏み入れてはならないと警鐘を鳴らしていた。
嫌々ながらも振り返ったその先に――。
「やっほ」
何処から現れて、いつの間にいたのか。豪奢な髪飾りをつけ、漢服に身を包んだ童女が佇んでいた。その左右と後ろには侍女らしき女が三人、ぴったりとついて三郎太に警戒の眼差しを向けていた。
「……ッ!」
「あはは、驚いた? でも気を付けないと、後ろ落っこちちゃうよ?」
三郎太が咄嗟に後ずさりしたのをからかいながら、童女はからからと笑う。
「あ、貴女様は……」
「あははっ。ねぇ聞いた? 『貴女様』だって。そんなに畏まらなくてもいいのよー。一方的に招いたのはこっちなんだから」
「招いた? ならば……」
「まぁまぁ。細かい話は歩きながら、ね?」
童女は裾を翻して三郎太について来いと促す。向かう先はやはりあの城楼である。
三郎太が重い足を前に進めようとした瞬間、侍女の一人がずいと近づいて無言で手を差しだした。
「……何だ」
「…………」
厳しい眼差しは脇差に注がれていた。貴人の傍に、脇差といえども刃物を持った男を近づけるわけにはいかないということであるらしかった。
三郎太はムッとしながら、勢いよく、脇差を押し付けた。
意外な重さによろめいた侍女に向けて「ざまあみろ」とばかりに鼻を鳴らすと、足早に童女を追いかけた。
「それで、貴女様は――」
「だから貴女様ってのやめてよー。もっと気楽にいこうぜ。ほら、桃でも食べるかい?」
「…………」
振り返った童女の手にはいつの間にか桃が握られている。色鮮やかでハリのある桃は見るからにみずみずしく甘そうであった。しかし、食欲は欠片も湧いてこない。
三郎太が黙っているうちに、また侍女の一人が童女の手から桃を攫って行ってしまう。その目は童女を責めているようで厳しい。
「あーもう、少はけちなんだから……」
「……折角ではござるが、桃は、結構」
「あ、そう。じゃいいや」
侍女に恨めし気な視線を向けていた童女はころりと表情を変えて三郎太に向き直った。
「さて。ま、とりあえず私の事はシーちゃんってよんでよ。ほら、そんなにがちがちに緊張しなくていいよ。今のところで気になることがあるなら何でも聞いて。全部答えてあげちゃうから」
「……では、シー殿は何故に拙者を――」
「シーちゃん」
「…………」
「シーちゃん」
「……シーちゃん殿は、何故に拙者をこの地に……?」
「ふふん。よくぞ聞いてくれましたユァン君。実は君に折り入って頼み事があるのだよ」
「……失礼、名乗りが遅れ申した」
「いらない、いらない。こっちが招いた客なんだから名前くらい把握しているに決まっているでしょ。――源君」
名乗りも交わさぬ初対面で三郎太の本姓を言いあてながら、それが当たり前だと言うふうにシーちゃんは先へ進む。
「君への頼み事についてはあそこに着いたら言うからこれは後回し。はいじゃあ次の質問どうぞー」
「この地は、いささか、拙者には相応しくないと心得まするが……」
「え? そんなの君が決めることじゃないでしょ? はい次―」
「……方々(かたがた)は、拙者をお気に召さぬようで」
「あぁ、少、大、青ね。こういうのは久々だからかな。まぁ気にしないでいいよ。はい次―」
「…………」
「ちょっとちょっと、もうおしまい? 君暗いぞー。普通もっと聞きたいことあるでしょー。あれはなにー、これはなに―。ここはどこあなたはだぁれ――」
「…………」
「――あーでもそこまで聞かれるとちょっと鬱陶しいなぁ。私の知っている人でそうやって何でもかんでも疑問を持たなきゃ生きていけない性分の偏屈男がいたけれど。大切なのは『そういうものだ』って納得できる度量を持つことだよね。だってその偏屈男、最後には思い通りにならない世の中を受け入れられなくて河に飛び込んで死んじゃったし」
「…………」
「――ふふっ、もう、怯えちゃってさぁ……。まぁ、そっか。とっくに気づいているなら、こんな茶番は必要ないね」
振り返ったシーちゃんが意味深な含み笑いを浮かべると、また目の前の景色が変わっていた。
先ほどまで遠くにそびえたっていたはずの城楼がいつの間にか目の前にある。
見上げてみても、その先頭は何処まで伸びているのか測ることはできなかった。
「さぁ、おいで。怖がることは無いよ」
声に導かれ、石段を上がり、巨大な城門の前に立つ、ひとりでに開いた門の先には何もない、茫漠たる荒野が広がっているだけであった。しかし、三郎太が一歩踏み出したとき、
――ええい! もはや驚かぬ!
ふと、まばたきの狭間に、再び景色が変わっていた。
城門をくぐった先には荒野などなく、そこは贅の限りを尽くした宮殿に様変わりしていた。
――宮殿……いや、違うな。これは祭殿だ。
三郎太が見上げた先、出雲の大国主のように高々と設けられた神の座にシーちゃんはいた。その両脇に神々しさを放つ龍と虎を侍らせながら。
そして座のふもとでは焚かれた香が煙を燻らせており、供物は所狭しと並べられ、それを守るように、戈を持った青年が油断なく立っている。
シーちゃんの座の左右には、さながら千年樹のようなおそろしい太さの木をそのまま利用したかのような柱が聳え立っており、そこから枝分かれした広い葉がまた座となって、そこへ神獣達を乗せていた。
例えばそれは金烏であり、玉兎であり、九尾狐であり、蟾蜍であった。
「じゃぁ、源君。私達のお願いを聞いてもらえるかな」
――もとより、聞かねば生きては返さぬつもりであろうに。
シーちゃんの指示に応じて、侍女の一人――青が三郎太の目の前に鏡を掲げた。
「それを覗いてごらん」
三郎太は一歩進み、鏡を覗き込んだ。
しかし、そこには自身の顔が映るばかりで特別なものは何も見えない。
三郎太がどういうことかとシーちゃんに視線を遷そうとしたその瞬間、鏡が揺らめいた。
「むっ!」
そこに映っていたものを見て、三郎太は声を上げた。
鏡に映った景色はここではないどこか。霧が立ち込める中に呆然と立ち尽くす見慣れた人影があった。
「蚩尤!」
霧が濃すぎてその表情までは伺えない。だが、どこか力なく佇む様子はただ事ではないと三郎太は直感した。
「これは如何に!」
「如何にもなにも、いま君の言った通りじゃないか。それは蚩尤……炎帝蚩尤だよ」
「そうではござらん。あやつは何をしているのかということ。……貴殿らがあやつに何をしたのかという事をお聞き申し上げている!」
「何を怒っているのさ。ただ旧交を温めただけだよ。私と彼は古くからの知り合いでね。彼も昔の事をよく思い出したようで、少し懐かしい気持ちになれた」
「昔を……」
蚩尤が、炎が昔を思い出した。その言葉の何と不吉なことであろうか。
アレが目覚めれば、崑崙とて無事では済まないはずである。西方に魔の反乱。東方に炎の再誕など冗談では済まされない。
だが、此の山の主は何一つ動じることなく、全て掌中の出来事であるかのように、言った。
「さぁ本題だよ源君。――炎を誅すんだ」
三郎太は、久方ぶりに、自身の顔面からサッと血が引くのを感じた。
思えば蚩尤がきっかけであった。
武士であれば当然なせるはずのことが、自分には出来なかったという恐怖。
一度は受け入れたかに思えていたその過去から、三郎太は必死に目を反らした。畢竟、問題を先送りにしたツケであった。
「炎を……誅せと……?」
「その通り。大丈夫、源君ならできるよ。なんといってもそれが君の生涯であり道なのだから」
「俺に、あやつを斬れと……それが出来ると……!」
「出来る出来ないじゃなくて、君はそれをしなければいけないだろう?」
「何をッ、物知り顔で!」
遂に……いや、いつもに増して早く、三郎太の顔がカッと顔が赤くなり、遠慮の無い怒気が放たれた。
分かり切っていたこととはいえお願いとはいったい何だったのか、一方的で受け入れがたい命令に憤った三郎太がそのままシーちゃんのもとへ詰め寄ろうとしたとき、
「ここが何処かをわきまえていない無知蒙昧の輩ならば許してやる。弁えていてなお無礼を働いたのならば殺す」
応じる間もなく、首元に戈が添えられていた。供物の前に立っていた青年が、一瞬の内に距離を詰め、三郎太を制したのであった。
三郎太はここが何処であるか弁えていた。青年の実力がこの地に相応のものであることも知り、そのうえで何一つ言葉を返すことが出来ず、それ以上動くこともできなかった。
しかしシーちゃんは、そんな殺伐とした状況など歯牙にもかけず。あっけらかんと言い放った。
「物知り顔? 私は何か間違ったことを言ったかな?」
「……何ゆえに、拙者が蚩尤を討たねばなりませぬ」
「だって君は、いつも言っているだろう? 秩序を守る、民を守るって。だったらいつもの通り、それをやればいんだよ。蚩尤は炎帝だ。炎とはまさしく炎――この意味は分かるかな」
「三神の子に討たれたものの魂か、末裔か……それが炎でありましょう」
「それは崑崙に伝わり巫女が語った話だ。君の知っていることを、君の言葉で聞きたいな。私は」
「…………」
「まぁいいや。――炎帝は装置だよ。中原に火をつけて暴れまわる叛逆と破壊の装置。天下を見れば覆さずにはいられない」
「……天下を覆す――まさか、革命!?」
「嬉しいな。君の言葉が聞こえ始めた。けどね、残念ながらそれはハズレ。彼らのそれはそんな綺麗で救いのあるものじゃないよ。彼らのすることは揺らして燃やして壊して呑み込むこと。秩序を見つければそれを木っ端みじんに砕くこと。言ったろう? 炎とはまさしく炎……全ても燃やし尽くした後は自分が消える。灰の大地に種を撒く人がいるとするならば、その世界は救われるし、その人は天に選ばれて革命を成すのかもしれないね」
「天下を覆す大乱……その始まりの担い手は天下を取れぬ……」
歴史を紐解けば明らかである。悪政が続けば災異が起こり乱が起こる。だが災厄と乱が天下を取って栄光をほしいままにしたことがあったか。
暴乱は有徳のままでも清浄のままでもいられない。悪評を背負って燃え尽き、その灰の中から英傑と君主を導きだす。
陳勝・呉広は劉邦を、黄巾は綺羅星の三国を、楊玄感は李淵を、紅巾は朱元璋を……。
漢土はともかく、本朝に孟子は渡らずといえども類例はいくらでもある。
鎌倉を滅ぼした新田小太郎は藤島に斃れ、足利の世となった。
室町に引導を渡した織田信長は本能寺に燃え、天下は豊太閤のものとなり、神君のものとなった。
――しかし、彼らはみな人だ。人の英雄だ。悪鬼化生の類と並べて語る事などあってはならぬ。
しかし、そもそも回りくどい方法など取る必要など無かった。
『天下を覆す炎』、果たして正しいかどうかはともかくこの理屈を採るならば、英傑を天下人たらしめるものは炎となる。であれば、そも、原始の世、黄帝を天下の君主としたもの……それは誰であったか。
「それが、炎であると……!?」
「そして、彼ら全てが秩序の敵だ。」
「ならば……」
――ならば、なんだというのか。炎が秩序の敵であり、崑崙を脅かす運命にあるというのならば。俺は――
天朝を、徳川の世を、水戸の藩を覆さんとするものがあるのならばそれを討ち、人の世を脅かさんとするものがあればそれを斬る。即ち秩序の藩屏。以て弱き民を守り導く。
単純至極な三郎太の道の先に、今、蚩尤が立っている。
「そうだ。君は討つしかない。天下の大義の為には友誼なんて些細なものだろう。秩序の敵を血祭りにあげて、今を生きる崑崙の民に平穏をもたらし、そうして自らが秩序の藩屏であることを謳えばいい」
――そうだ、所詮は小人の私情。天下の為に、大義の為に、成し遂げねばならぬことは成し遂げねばならぬ。それが俺の知っている英傑であったはずだ。
……秩序の為ならば相手が誰であったとしても……討たねば……討たねば……!
葛藤の中、三郎太の意識は霧に包まれていった。




