誰かにとっての英雄
三郎太は巫女四人から解放された後、ティアナを探しに出たが、思いほのか単純に太祖は見つかった。何のことは無い。ティアナは宛がわれた部屋の前の縁側に座り、崑崙の集落を眺めていた。
手拭に目を覆われた横顔からはその心情が読み取りがたい。馬車の中でのこともあり、三郎太は何と声をかけたものか躊躇った。
「ぼさっと立っているな、気味が悪い」
そんな三郎太の心情を知ってか知らずか、ティアナはそう言うと、手招きして自身の隣をぽんぽんと叩いた。
バツが悪そうにしながらも、三郎太は促されるままに隣に座った。
「仲直りはお終いか?」
「……聞いていたのか」
「あれだけぎゃーぎゃー騒いでいれば嫌でも聞こえてくる。……あのヒツとかいったか、あれが引きずられていったのには少し驚いたが」
「いつの間に巫女と知り合っていたのだ」
「いつの間にも何も、ハリマに載せられて山を駆け降りている最中にさ。山の南に火を放ったのもあの巫女共の仕業らしいぞ。献身的なことだな。お前には勿体ないよ本当に。私の部下に欲しいくらいだ」
「蚩尤もか」
「あいつはお前の命令通りに首都に潜入しようとして、早々に無理だと悟って山に向かったところ巫女と合流して窮状を伝えたらしい」
「そうか」
「そうだ」
「…………まだ、冷えるな」
「そうだな」
「…………」
「…………」
互いの顔を見ないまま繰り返された会話が中断した。
ティアナはいつまでも三郎太の言葉を待ち続けるつもりのようであった。
やがて、
「…………マリアが逝った」
三郎太が、小さく、呟くように言った。
「……そうか」
「…………」
「長生きなどするものじゃないな。良い奴から死んでいく……」
ティアナは三郎太が何故にそれを知りえたのか問わなかった。
「シユウは阿保だが実力がある。巫女達は地力では魔人に及ばずとも機転が利いて頭の回転も速い。私はそのどちらも兼ね備えているが……誰かが欠けていれば、今頃お前は地下の人だったな」
反論の余地もない。誰が欠けてもあの場を切り抜けることはできなかっただろう。
そして、三郎太の命を救ったのが彼らであったように、三郎太に道を示し、その道を照らし、三郎太の心を救ったのは二人の聖者であった。
「生き残った者には責務がある。お前はどうするのだ」
「師を起こす」
「何の為に?」
「すべきことは何も変わらぬ。北竟大帝と茨木童子の頸を上げ、死者を悉く冥府に送り返し、人の世にあるべき秩序を顕らかにする」
「あてはあるのか?」
「崑崙衆を頼る」
「連中を幕下に加えられる見込みは?」
「ないわけではない……だが黙っていて転がり込んでくるわけでもなし。人事は尽くす」
「ふぅむ……」
ティアナは後ろに腕をつきながら、空を仰いだ。
その口元は楽し気に弧を描いている。
「……足りん、足りんな。外征の為に崑崙から出せる兵は多くとも五百程度だろう。敵は魔群だけではない。今や連合とも戦争をしなければならんのだ。誰か、連合との戦争に熟知したものに助力を仰ぐべきだろう」
「国情も地勢も、俺は全くの無知だ。ひきかえ崑崙衆は情報に精通している。頼りになるだろう」
「うむ、まぁそうだな。しかし実戦を知る世代はもはやいないだろう。戦場の空気を知る者も重要だぞ」
「如何にも」
「そうだ。そして何より兵の数がどうにもなっていないだろう。やはり戦争は兵の数がものを言うぞ。百の戦略、千の戦術、机上で語るのは大いに結構だが、まず肝要なのは敵より多い兵を揃えることだ」
「…………」
「しかし連合を越える多勢を集めるのは不可能だ。そこで下策ではあるが、一騎当千の者に頼り、無勢を質によって補うより他ない」
「無論、備えをするつもりだ」
「ほう、誰を頼る」
「蚩尤だ。奴に話があるが居場所を知らぬか。朝より見ておらぬ」
「……あいつだったら、社の裏の山に入って行ったとヒツが言ってたが――」
「そうか。助かる」
「――ってちょっと待てお前!」
三郎太が話は終わりとばかりに立ち上がったとき、ティアナは狼狽しながら大声をあげた。
「いやいや待て待て。お前、私の話聞いてたか!? 順番! 順番がおかしいぞ! そこはまず私を頼るところだろう!?」
「何……?」
「私にも悪いところはあるが、それでもやはり一応は太祖だぞ? ここで引き込まないでいつ味方にするんだ!?」
ティアナの必死の抗議を、眉を顰めて見下ろした後、三郎太は言った。
「すでにお主は俺と共に戦ってくれるものと思っていたが、違うのか」
「うっ……ううむ……!」
ティアナが三郎太を呼び止めた姿勢のまま固まった。
「お前、それは少し卑怯だろう……いつの間にこんな技を……いや、私の自業自得……? 結果的には願ったり叶ったりなのか……?」
そして、次に腕を組んで首を傾げると、そのまま悶々と悩みだす。
「おい、俺は行くぞ」
三郎太がそんなティアナを放っておいて蚩尤のもとへ急ごうとしたとき、「待て」と、もう一度声がかけられて、何かが投げてよこされた。
それは三郎太がティアナに譲り、ティアナの失われた目を覆っていた手拭だった。
「そんなものしかないが、涙は拭いてから行け。シユウにそんな顔を見せるわけにはいかないだろう、大将」
◆
三郎太一行が未だ強行軍を続けているころ、ヴォルフス首都から東方へ少し、首都と隣接する都市ハーゲンハウゼンに構えられた離宮に、ヴォルフス皇帝フリード・ザイルはいた。
今や、フリードは保守派の多い首都においては政務を執ることが危ぶまれる状況にあった。
親太祖派の官人を粛清したことで、政情がにわかに不安定になって以降、フリードは多くの近臣と、詔勅を発するための印を伴ってハーゲンハウゼンの離宮に遷り、それから首都には一度も踏み込んでいなかった。
目下表立って反乱の兆しがあるわけではないが、地方都市軍は必ずしも皇帝の命令に伏さず、首都では大貴族の私兵が事実上の軍事警察を担っている有様であった。
皇帝との対立が避けられないと悟った彼ら守旧派のよりどころは太祖生存の噂であった。そしてその噂が対立に拍車をかけていた。
「陛下、捕らえた魔人が全てを吐きました」
夜遅く、私室においてもなお政務を執っていたフリードのもとへ、メイド姿の女が入ってきた。彼女がただの女中で無いことは、衣服に奔る鮮血が物語っていた。
「……アデーレよ、ちゃんと衛兵に話は通したのだろうな。そんな恰好で皇帝の面前に現れるなど前代未聞、誰が聞いてもひっくり返るぞ」
「既に前代未聞ではありません」
「そうだ。前回もあった。そしてオスカーが謹慎することになった」
「……今回は事前に伝えてありましたので大丈夫です」
「『事前』がいつの事なのかは聞かないことにしよう。……それで、あのヴァルキューレは何を語った」
フリードの顔色は日に日に青白くなっていた。生来病弱であった体質の上に、多くの心労が重なったひずみが、確実に身を蝕んでいた。
「……彼女はヴァルキューレなどではありません」
「だが、本人はそう名乗ったのだろう。そして事実、彼女がしたことはヴァルキューレのそれだったというわけだ」
「……慧眼、感服いたします」
アデーレは自分が第一報を伝えに来たのにも関わらず、フリードが真相を突き止めてしまったことに、僅かばかり口をとがらせながらも、今しがた揃ったばかりの書類を差し出した
「第二近衛団第一班班長エミーリア・リヒテル。第四班班長アルフレート・フォン・ハヴェック、同じく副班長フィーネ・ブランケ。第三近衛団第六班所属クリストフ・ミュラー。……いずれも剣技と魔法に長け、志が高く、人望のある若者たちです」
「そして、いずれも近衛軍所属か……ヴァルキューレは彼らに何を囁いた」
「『東方で起こる最後の戦いに参陣せよ』と。いずれにもおよそ一年前から接触していたようです。彼女は自らを三神の使いと、彼らを選ばれた勇者であると言っておりました。そして、人の世を脅かし、世界を壊さんとする魔群とそれを率いる魔王との決戦に勇者達を連れて行くのだと……それが、三神の意思であると……」
「勇者が討つべき魔王……その名は――」
「――清浜三郎太」
一瞬の沈黙のあと、「そうか」と言って、フリードは目を閉じ、背もたれに体重を預けて大きなため息をついた。
「……アデーレ、飾らずとも良い。近衛にまで魔の侵入を許したのは私の責任だ。感じたままに、そなたの所見を述べよ」
アデーレは少しの間逡巡していたが、やがて、観念したように口を開いた。
「彼女は……本当に、ヴァルキューレだったのかもしれません」
「…………」
「彼女は決して嘘をついているようには見えませんでした。ただ、どうしようもなく、壊れているように見えました。エミーリアのような才女、アルフレートのような務めのなんたるかを心得た貴族。そんな彼に心酔しているフィーネ。お調子者ですが誰の心にも入り込み、いつも笑顔の中心にいるクリストフ。誰をとっても一流の人物です。そんな彼らが信を置いたのが彼女です」
「であれば、三郎太は正しく魔王か」
「いえ、言った通り、彼女は壊れています。何かが、致命的に。それが誰かの手によってそうさせられているのか、それとも、自然にそうなってしまったのかは分かりませんが」
「……後者である方が、悲劇だな」
「…………」
「清浜三郎太……か、実に久しぶりにその名を聞いた気がする。ふふっ、全く、腰が抜けるほど驚いたがな」
「はい。大聖女を殺し、魔を扇動して連合に反旗を翻す……本当にあの男は何をやっているのか……」
フリードは楽しそうに含み笑いをし、アデーレは頭痛を押さえるように頭に手をやる。
「あの男がよくもまぁ大物になったものだな。彼女は、あの者にとっては連合を相手取りながらも抱えられるくらいには軽かったようだ」
「閣下、御冗談を……」
「ふむ? であれば、アデーレは三郎太の反乱を信じていないのか?」
「信じるもなにも、判断すべき材料が揃っておりませんので。ただ、私見を述べるならば、あの男は反乱などと大それたことのできるような男ではありません」
「太祖を斬れるのだ。大聖女などわけもないだろう」
「お忘れですか。太祖を斬れずに震えていたのが彼です。……あの、もしや閣下は本当にあの男が今回の事件を引き起こしたと……?」
アデーレの顔に張り付いていたのは呆れであった。「まさかそんな、悪い冗談か戯れだろう」と。
その裏にあるのはフリードの能力や見識に対する疑義というよりも、アデーレの清浜三郎太という人間に対する低すぎる評価であった。
「はっはっは! それはあんまりであろうアデーレ。清浜三郎太も男児だ。やろうと思えば国の一つや二つは取るかもしれんぞ」
「…………」
「あの男の名前を聞いてな、真っ先に思い浮かんだのは、何に怒っているのか何が気に入らないのかわからんあの仏頂面だ。疲れが残っていたからかもしれないが、そこで私は思わず笑ってしまった。この顔が連合と戦うのか!? とな」
その評価は私以上にあんまりなのではないかとアデーレは思ったが口には出さなかった。
「確かに腕は立つ。人に仕える者としては人となりも優れていると言ってよいだろう。だがな、結局はその程度の男だ。それ以上ではない。そして何より、あれは夢見がちな男だ。世の中にが歪みがあることを容認しておきながら、それでも正道があると信じて疑わない。人は弱いことを知っていながら、それでも人には何にも負けない心があることを信じ――人の中に、英雄の姿を見る」
フリードには、あの日、自身が非情に徹しきれなかったことが現今の惨状を招いている自覚があった。しかし、フリードの道を妨げ、太祖を斬らなかった三郎太を恨んではいなかった。
フリードの目には跪きながら太祖の助命を懇願した三郎太の姿は、市井の子供のように映った。
「英雄よ死に給うな! 皇帝よ、我の思う名君であれ!」
英雄に憧れる無邪気な子供に、そう言われたと感じたから、フリードは動くことが出来なかった。
今を生きる人の皇帝は、万人から好かれ、望まれれば期待に応える英雄ではありえず、物語や史書越しに評価を下す無責任な傍観者の眼鏡にかなう英雄にもなれない。
だから、清浜三郎太の期待など初めから応えられるものではなかったし、応えようとすべきでもなかった。本物の英雄ならば清浜三郎太の願いも、民の期待も、歴史の要求も全てかなえられたのかもしれない。しかし、フリードがその器でなかったことは、今が証明している。
では、なぜ能力もわきまえずに清浜三郎太という一個人の期待に応えて、国を傾けてしまったのかと自分に問いかけて、フリードはそのあまりに単純な理由に気付き、自嘲気味に笑った。
――結局、私も英雄に憧れていたのか。
願われたことに応える。期待されればその通りに振舞う。そんな人の心を打つ歴史の英傑に憧れたがために大局を見失った。
もはやヴォルフスを衰退させた暗君の誹りは免れない。
しかし――。
――よいぞ、よい。ならば最後まで暗君らしく、英雄に憧れるとしようか!
ふいに、フリードが目を開けた。
「四人とヴァルキューレは今どうなっている」
「四人は既に近衛府に呼び出し軟禁してあります。ヴァルキューレは先ほど簡単な手当を済ませましたが……」
「やりすぎたのか?」
「……死にはしません」
恥じるように項垂れたアデーレを手で制止つつ「で、あれば」とフリードは続けた。
「話は変わるが、最近になってようやくヴォルフスにも開拓が浸透し始めた。そろそろ東に目を向けたい」
フリードは机の下から大束の書類を取り出すと、アデーレに示した。
「羊飼いを三百人ほど選んでみた」
「へ、陛下……?」
指し示された書類には確かに『東方開拓要綱』の字がある。
問題はその「開拓使一覧」の項に示されているのが、見知った名前の「羊飼い」達であることと、「道具」の名前が不穏な字の羅列であることである。
「そこでだ、今しがた思いついたことで相談なのだが」
フリードはいたずら小僧のように笑うと、楽し気に筆を走らせた。
「こういうのは、如何だろうか?」
ぺらりと気楽な調子で渡された書類に目を通して、アデーレは絶句した。
開拓使代表にはアデーレの名。それはまだいい。
新たに「羊飼い」に加えられたのはエミーリア・リヒテル、アルフレート・フォン・ハヴェック、フィーネ・ブランケ、クリストフ・ミュラー。そして――
「牧羊犬……ヴァルキューレ号……」
フリードは少年のようなあどけなさと、皇帝としての威厳を混在させた、不思議な表情で言った。
「アデーレ、賭けをしよう」
「ええ、何を賭けましょうか」
「それは勿論、世界だろう」
「内容は?」
「風邪をひいた牧羊犬の鼻は、東方に辿り着くころには治っているかどうか」
「陛下はどちらに?」
「もちろん、完治も完治。よく働く牧羊犬になるだろう」
「そうですか。残念ですが陛下、この賭けは成立しませんね」
アデーレはそう言ってフリードの私室をあとにした。
このような皇帝だからこそ、国がどのようになろうとも、仕える喜びを感じているのだと、忠誠を噛みしめながら。
◆
神威山の頂に築かれた砦、その一角に建つ塔の最上階。
ルークス・スクローイはその最上階まで登ったところで、足を止めた。
視線の先には、物憂げな眼差しで外を眺めるエリーがいた。
夜であれば、その体が生の気配を全く帯びていないことも、多少は隠せる。
月光に照らされた少女はルークスの先入観以上に、儚げで、触れれば崩れそうな弱さを湛えていた。
「何を……しているんだい?」
「あぁ、えーと、弟さん……?」
振り返ったエリーは、首をかしげながらそう言う。
ルークスは苦笑しながら、
「ルークスだ。兄貴はカスター。まぁ『弟さん』でも構わないけどさ」
と言った。
無論、構わないことなんてない。
実際、ルークスは実兄カスターに大きなコンプレックスを抱いていた。
兄はいつも姫の傍にいるから、まるで股肱の腹心のように振舞っているし、そう見えるのだろうが、現場で働いているのはいつも自分なのだ。本当に姫の為に働いているのも自分なのだ。
そういう自覚があるからこそ、「カスターの弟」呼ばわりは、本来ならば許せるものではなかった。しかし、彼女は特別だった。
「ああ、ごめんなさい。流石に失礼よね。ルークス」
「……」
ルークスは今が夜であることに感謝しながら、エリーの傍に近寄った。
「何を見ていたんだい?」
「街よ」
ルークスはエリーの隣に立って外を眺めてみた。
確かにここからは首都の灯が見える。
特に大きな変化もない。よくある風景だった。
「何も変わっていないわ」
「そうだね」
「……おじさま達は、あの灯を全て消したくて、今回の事を起こしたんでしょ。こんなことじゃ、甲斐がないのじゃないかしら」
言われてみればその通りである。清浜三郎太を敗走せしめ、善樹と聖女マリアを排除した。
まさに戦いの狼煙が挙がり、黄昏が始動したのである。それは人の世を崩壊させるはずである。
たしかに、事実、多くの都市は魔獣の襲撃で既に死に体であろうが、一方で首都の灯はいまだ赫々として潰えていない。
「兄貴は、何も言っていなかった。姫や北竟大帝の様子をみると、もう一つ、計画があるんだろうけど」
「善樹さんが言っていた?」
「そう。清浜三郎太に一軍を率いさせて決戦に参陣させる。その決戦が、世界の命運を決める」
「ふーん……」
エリーは感情の読みとれない声でそう言うと、不満げに頬杖をついた。
「……私ね、さっきおじさまに怒られたの」
「北竟大帝に?」
意外なことであった。ルークスから見た北竟大帝は俗に言う親ばかである。
エリーの為ならば、命どころか世界すらも投げ出すのではないかというほど、彼の娘に対する愛情は深いように見えた。
「想像できないな。あいつが君の事を叱るなんて。何かしてしまったのかい?」
「うん。私ね、おじさまにお願いしたの。今すぐに三郎太さんを追わせて欲しいって。きっと彼はウェパロスに行くわ。だから追いかけて、連れて来て見せるって」
「それで」
「その時は、駄目だって言われて、優しく諭されただけだった。だけど納得できなかったの。だって、お姫様もおじさまも私も、三郎太さんの命が欲しいことには変わりがないはずじゃない? だから、ひそかに砦抜け出して、三郎太さんを殺しに行こうとしたの。そしたらやっぱり見つかっちゃって、見たことのない剣幕で怒られたわ」
「ふぅん……」
例えば善樹に見せたような怒気であろうか。
北竟大帝が、あのような態度をエリーに見せるとは到底考えられなかった。
「『君は黄昏に不可欠なんだ。君が決戦にいなければこれまでの事が全て無意味になるんだ。誰が君をもう一度彼に合わせてあげたと思っているんだい? 僕の言う事を聞くんだ』」
「北竟大帝が、そう?」
「ええ。ちょっと、悲しかったわ。おじさまももしかしたら私の事を見ていないんじゃないかって、少し思っちゃった」
北竟大帝の言葉は、エリーの感情を逆なでするものだったのだろう。傍から見ても、彼女の三郎太に対する執念はすさまじい。その執念と、姫や北竟大帝の宿願が同じ方向を向いていると思っているからこそ、彼女はこうして魔群に協力しているのだろうに、まるで道具か一要素のように扱われれば、不満にも思うだろう。
「私ね、情熱には素直に従うべきだと思う。本人はそれを叶えようと努力しないといけないし、周りの皆はそれを叶えてあげなきゃいけないと思うの」
「…………」
「ルークス。善樹さんのこと覚えている?」
「……あぁ、勿論」
当然、忘れるはずがない。善樹を始末する大仕事を失敗したのはまさに自分だ。苦すぎる経験だが、エリーがそれをなじっているわけではないことは、十分に分かっているから心は波立たない。
「彼の最期、とてもすごかったわ。彼は、おじさまを振り向かせたいから、困らせたいから、体を腐らせてまで、ああしたんでしょ?」
「…………」
胸やけのするような、甘い匂いが、ルークスの鼻腔に満ちた。
何かが危ういと思いながらも、ルークスはそれに抗おうとしなかった。
「おじさまの為だけに、生涯をささげて、最後はボロボロの骨と腐った内臓を全部おじさまにさらけ出して逝った。善樹さんは全身全霊をかけておじさまに自分の存在を刻んだの。おじさまは絶対に善樹さんのことを忘れないでしょうね」
「…………」
「本当にすごいわ。みんな、善樹さんみたいにすればいいのに。本当の執念と執念が伝わらないわけがないの。他人の私にまで伝わっているんだから、おじさまには絶対に伝わっている。あぁ……羨ましいなぁ、私も今すぐ三郎太さんにそうしたいのに、おじさまは許してくれない」
エリーは静かに振り返った。
ルークスは、普段と何も変わらないエリーの様子を見て、初めてこの少女が冥府の主として相応しい資格を備えていることを知った。
「実は、俺も、さっき兄貴に叱られたんだ」
ひとりでに口が動いて、誰にも秘密にしておこうと思っていた感情が外に漏れ出る。
「『お前の失態のせいで計画に齟齬が出るかもしれない。責任の重さを自覚しろ。昔のような無頼はゆるされないんだぞ。大人になれ』他にももっといろいろ言われた気がするけどさ」
「うん」
「本当に、姫の為に働いているのは俺の方なのに、兄貴はいつも涼しいところで偉そうに指示してるだけでさ、神意執行会を屍兵にするために始末したのも、天狗衆の生き残りと戦ったのも、俺なのにさ。そんなに善樹を殺すのが大切だったのなら、自分でやればいいじゃないか。俺に全部丸投げにしておいて、成功すれば自分の手柄、失敗すれば俺の失態……誰も俺の努力に気付いてくれない。誰も俺の思いを知ってくれない」
「ううん、そんなことはないわ」
エリーが、優しくルークスの手を取った。
「ごめんなさい。私も今まであなたの心に気付いていなかったわ。だけど、今気づいた」
「エリー……」
「似た者同士ね、私達」
甘い匂いが強くなる。それはルークスの胸の中を心地よく満たした。
「だったら、私たちで執念を叶えましょう。善樹さんみたいに」
「あぁ、ああ……」
「私は三郎太さんへの思いを、貴方はお姫様への思いを。おじさまに、お姫様に、カスターに……いいえ、世界中に伝えよう?」
「あぁ……、そうだね……。見返してやろう。俺たちを侮った全てに」
「うん、私達の心は、もうきっと、誰にも邪魔できないわ」
夜はなお闇を濃くしていた。黄昏を輝かしめるために。




